第227話 良妻賢母

 京都新城城下の各屋敷には、

・大谷平馬

・宮本武蔵

・島左近

・雑賀孫六

 等、山城真田家が誇る名武将達が住んでいる。

 門限は無い。

 大河の「仕事さえすれば、私生活は、口を出さない」との方針なので、近所迷惑にならない限り、どんちゃん騒ぎが日常茶飯事だ。

 司会者は、左近。

 赤ら顔で、紹介する。

「この度、羽柴家から移って来られた山内一豊殿とその妻、千代殿である!」

 わー、と幹部達は、大拍手。

 紹介された2人は、初めての事で戸惑いを隠せない。

 どんどん酒が注がれ、鯛等が2人の前に運ばれていく。

 失礼ながら、今までの赴任地では、見た事が無い高級魚も多い。

 与祢から届いていた手紙で厚遇は分かっていたが、まさかこれ程とは予想外だ。

「島殿、何故、我々を御歓待して下さるんです?」

「山内殿を高く買っている若殿の御命令ですよ」

 笑顔で左近は、続ける。

「御話によれば、何れは、土佐を任せる御予定の様です」

「土佐? 何で又?」

「若殿の絵図です。我々には、到底分からない未来があるのでしょう」

「……」

 誰もが心底大河を尊敬している様な眼差しだ。

 訓練は、国軍の主体を成している為、日ノ本一厳しいのは、分かる。

 それのみ絶えれば、後は何もかもが自由なのが、真田家であった。

 栄転、と羽柴家の同僚が口を揃えて羨ましがっていたのが懐かしい。

「……真田様はどちらへ?」

「もう御休みになっています。愛妻家で、御自分を常に律しておられる方ですから、我々の様に飲み歩く事はありません」

「では、御挨拶は後日に―――」

「その方が宜しいですね。現在は、休暇中ですので」

 千代は、花頭窓から見える京都新城を見上げた。

 警備兵の詰め所のみ光り、後は真っ暗。

 照空灯サーチライトが眩しいくらいだ。

(……与祢、幸せになるのよ。真田様、宜しく頼みますね?)

 親の心子知らず。

 与祢にその気持ちが届いているか如何かは、神のみぞ知る所だ。

 京の闇は、更に濃くなっていく。


 2月下旬。

 雪がちらつく中、大河は、誾千代、謙信、お市と逢引していた。

 今回のテーマは、『大人』。

 最近、幼妻達が大河を独占していた為、時機タイミングを見計らって連れ出したのである。

 一行が入ったのは、四条通にある百貨店。

 現代の藤井大丸の場所にある『山城屋』だ。

 店名は、以前、不祥事を起こし失脚した実業家や、北九州に実際にあった百貨店の名前が由来―――ではない。

 商業開発の際、こじれにこじれ、当時、山城守であった大河に一任され、「山城屋で良いんじゃね(鼻ほじ)?」で決まった裏話がある。

 当初、地元出身者ではない彼が命名者なのは、保守派の反感を買ったが、現在では京を代表する百貨店になっている為、改名派は居ない。

 結果を出せば、反対派を黙らした良い例だろう。

 買物客がごった返している。

 8階建てのどの階層の店は、行列が出来ている。

 客層は、女性が多い。

 平和な治世になって以降、女性の社会進出が目覚ましく、出不精の夫や彼氏を無理矢理、連れ出しているのだろう。

 その証拠に、ダサい服装の男を、女性が流行りの物に着替えさせる例がちらほら。

「こんな南蛮風の着るの?」

「そうよ。何時も同じの着て。全くもう」

 平和な時代になると、女性は強気になり、逆に男性は弱気になる、という話がある。

 事実、産業革命下のイギリスでは紡績業、次いで綿布業が工場化され、それまで家内制手工業に従事していた女性は工場労働者になっていった。

 これにより、女性は収入が増し、その社会的地位も従来よりは高くなった(*1)。

 日本での婦人運動は、明治時代末期から大正時代にかけて。

 それが、一気に高まったのが、戦後の事だ。

 これらの例からすると、その話は、事実と言えるだろう。

 尤も、大河は、独身時代から女性に振り回されている。

「選んで♡」

 誾千代が、小紋(薄紅色)とワンピース(青色)を手に取ってせがむ。

「ワンピース」

「如何して?」

「似合うから」

「ごますって♡」

 選べ、と頼んだから選んだのに、首を絞められる。

 正解が分からないのが、恐妻の怖い所だ。

 軽く絞殺されかけた後、誾千代は、嬉しそうにワンピースを試着する。

 試着室から離れた場所で待ちつつ、お市達のも選ぶ。

「これ、可愛いな」

「じゃあ、着てみるわ」

 事ある毎に大河の頬に接吻したお市は、小紋を持って、試着室へ。

 誾千代が居なくなった途端、約10秒に1回の間隔で、接吻するのだから、頬は真っ赤だ。

 お市が試着室のカーテンを閉めた後に、鶫が濡れた手巾で拭く。

「お市様は、熱心ですね?」

「然う言う時もあるんだろう。鶫も有難うな?」

「いえいえ。御仕事ですから」

 謙信に気を遣い、さっと引っ込む。

 この正妻優先の絶妙な匙加減と、普段の人柄が相まって、誰も彼女に嫉妬する事は無い。

 謙信は、鶫にウインクしてから大河に絡む。

「待っている間、暇でしょう?」

「謙信は、要らないのか?」

「ええ。今のままで満足。無理して買う必要無いし」

 3人の中で、唯一の母親である彼女は、最も余裕があり、又、大人びて見える。

 やはり、累を産んだ、という優位アドバンテージが、そうさせるのだろう。

「これ、貴方の」

「おお」

 謙信が用意していたのは、真っ黒なスーツ。

 007を彷彿とさせるそれは、大河のサイズにピッタリであった。

「着てみて」

「あいよ」

 試着室に入ると、何故か謙信も付いてくる。

「何してるの?」

「えりーぜに教えてもらったのよ。こういう服には、相応の女性が必要なんだって」

 要は、ボ〇ド・ガールと言いたいらしい。

 驚く大河に微笑みつつ、謙信はスリットワンピースに着替える。

 下着を見せ付ける様にして。

「……」

 40秒程で一気に着替え終わった謙信は、振り返り、

「如何?」

 切れ目スリットを見せ付ける。

 子供を産んだ母親とは思えぬ程、生足が凄い。

「……良いよ」

「それだけ?」

「俺以外にそのおみ足を見せるな」

「嫉妬?」

「ああ。欲情した者は、辻斬りだ」

 妻達はヤンデレだが、大河も又、嫉妬したら怖い時がある。

 特に謙信と大河は、細川忠興・細川ガラシャの様な関係性だ。

 ある日、2人が庭先で食事をしていた時。

 庭師がガラシャに見惚れていたと激高した忠興は、庭師を斬首、刀に付いた血をガラシャの着物で拭うという暴挙に出た。

 所がガラシャはその惨状をものともせず、食事を続け、汚れた着物を数日間着続けたと言う。

 そんな姿を見て忠興が「蛇の様な女だな」と言うと、ガラシャは冷ややかな表情で「鬼の女房には、蛇がお似合いでしょう」と答えた(*2)。

 どちらも現代人には、共感し辛い肝っ玉夫婦だ。

「あらあら」

 唐突な殺人予告にも、謙信は物怖じしない。

 愛されいる、と悦に浸っている。

「じゃあ、夫を犯人にしない様に管理しないといけないわね?」

「然う言う事だ」

 笑顔で謙信は、タイツを穿く。

 すると、分かり易く、大河の殺意は、小さくなっていく。

「うふふ♡」

 愛されている事を実感した謙信は、嬉しそうに微笑んだ。

 

 黒服をビシッと決めた大河に、

「「……」」

 謙信、お市のコンビは、惚れ惚れ。

 鶫、小太郎も涎を垂らす程、見惚れている。

 彼女達だけでない。

 偶然居合わせた客達も、思わず足を止める。

 顔こそ幼いが、大河は、細マッチョだ。

 胸筋が浮き出て、胸板も厚い。

「似合うわね?」

「有難う、誾」

 歩くだけで。

「「「……」」」

 じー。

「なあ、あの事なんだけど」

 他愛無い会話でも。

「「「……」」」

 じー。

 一瞬でも見逃さないとする市井の目が凄まじい。

 視線恐怖症になっても可笑しくは無い圧だ。

 誾千代が立ち止まって、耳打ち。

「(ねぇ、それ余り着ないでくれる?)」

「(目立つ?)」

「(うん。城内だけで良いんじゃない?)」

「(そうだな)」

 謙信に目配せすると、彼女は頷いた。

 夫に人気があるのは、嬉しいが、やはり、女性人気が気になる。

 大河自身、もうこれ以上の婚約はしない事を公言しているが、絶世の美女が現れたら、どうなるか分からない。

 管理する、と言った以上、仕方の無い事だろう。

 一旦、馬車に入り、和装に着替え直す。

 それから出て行くと、

「「「(あ~……)」」」

 残念がる人々。

 和装の大河に興味が無さそうで、一気に解散する。

 それはそれで失礼であるが、注目されなくなったのは、良い事だ。

「今後は、毎日着て下さいね?」

 何度目の惚れ直しか。

 お市は、心底嬉しそうだ。

 先夫・浅井長政の美男子振りには、劣るが、大河には彼なりの魅力がある。

 だからこそ、美女達が集まり、優秀な部下も集う。

「……こっちの方が、動き易いな」

 大河も又、改めて黒服を気に入るのであった。


 帰宅し、再度、着替え直す。

「「「おー!」」」

 童顔の為、非常に就活生感が否めないが、それでも鍛えているので、舐められる事は無い。

 筋肉嗜好が強いのか。

 三姉妹は、今にも涎を垂らしそうな程静かに興奮している。

「謙信からの贈答品で、これより城内では、これを着る事になった。見慣れんとは思うが―――」

「良いわよ」

 即答したのは、朝顔であった。

 初めて見る黒服に、彼女も又、興奮している。

「成程。魔力的な魅力があるわね」

 周りにこの様な人物が居ない為、非常に新鮮だ。

 於国、与祢、珠、華姫、松姫に至っては、クンカクンカ。

「……匂う?」

「新品のが大好きです」

 代表して答えた於国は、コアラの様に抱き着いて離れない。

「ちちうえ、まいにちこれ?」

「そうだよ」

「やった!」

 養父には、何時迄も格好良さを求めている為、これで華姫には、更に自慢に出来る要素が出来た。

「若様、これは?」

「ああ、珠、それはね。黒眼鏡―――南蛮風では、『サングラス』という物だよ」

「さん……ぐらす?」

 黒眼鏡サングラスの歴史は、古い。

 その起源は明らかでなはないが、古代ローマ皇帝ネロ(在位54~68)も円形闘技場の催しを観戦する際に、翠玉エメラルドのレンズを入れた眼鏡を使っていたとされる。

 12世紀頃の中国では、煙水晶スモーキークォーツを使用した黒っぽい眼鏡を裁判官が判決前の表情を隠す為に着用していた。

 最後の皇帝で有名な愛新覚羅溥儀アイシンギョロ・プーイーは黒っぽい丸眼鏡を愛用していた事で知られた。

 最初の安価な大量生産品は、1929年にアメリカ人事業家のサム・フォスターによってもたらされた。

 大衆服飾として定着するのは、欧米では1920年代に映画俳優等を中心に広まり、1930年代には浜辺等で黒眼鏡をかける事が普通になり、徐々に服飾の装飾品アクセサリーの一部となっていった。

 約400年、文化を先取りした形になるが、南蛮文化に興味を持つ日本人は、多い。

 大河から黒眼鏡を奪った華姫は、自分で付けてみる。

「ん~、まっくら」

「紫外線対策だからな」

 朝顔も装着してみるが、やはり、屋内の使用は不適当だろう。

「……分かんないや」

 黒眼鏡の注目度は、下降。

 需要は、やはり夏だろう。

(夏に向けて大量生産しておくか)

 実業家・大河は、今年、黒眼鏡が庶民に流行る事を予想するのであった。


[参考文献・出典]

*1:T.S.アシュトン「第4章 資本と労働」『産業革命』訳:中川敬一郎 岩波書店〈岩波文庫〉1993年7月16日 原著1948年

*2:刀剣の専門サイト・バーチャル刀剣博物館 刀剣ワールド

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