第228話 近江八幡

 長期休暇が終わりかけの万和3(1578)年2月下旬。

 大河の下に、近江国から使者が来た。

 六角義賢―――古くから南近江を治める戦国大名だ。

 一時は、信長と敵対したが、敗れ、今はその配下の1人になっている。

 剃髪した彼は、身形みなりは僧侶だが、こう見えて洗礼を受けている為、仏教徒兼切支丹キリシタンと不可思議な事になっている。

 坊主頭に僧衣という外見なのに十字架の首飾り。

 日ノ本が、宗教に寛容(過ぎる)な象徴的光景だ。

「初めまして。真田様。急遽、会談をさせて下さいまして有難う御座います」

「いえいえ」

 六角氏は、浅井氏との為、お市と三姉妹は、彼に会う事すら嫌がり、奥で会談が終わるのを待っている。

「それで御用件は?」

「はい。最近、浅井の旧臣達が集い旧領回復運動をしているのです」

「あー、聞きますね」

 大河が、浅井長政の復権を黙認している為、その様な話はよく聞く。

 信長の治世であったら、反乱防止の為に徹底的に根絶やしにされていたかもしれないが、事実上、大河の時代になると、民主的になり、反政府運動に発展しない限り、この手の対応は、各自治体に任せている。

「近江守は、羽柴殿でしたな?」

「はい。御相談に伺った所、拒否された次第で……」

「何故?」

「如何も、言い難い事なのですが、お市様や御息女に気を遣って対応出来ないかと」

「成程」

 要は、好きなお市達に、浅井氏を弾圧して嫌われたくない、という事らしい。

「そこで、真田様を御紹介されたのです」

「ふむ」

 紹介状を見て、大河は、顎を掻く。


『拝啓

 余寒よかんおごしき折柄おりから益々ますます御活躍の事と存じます。

 平素は真田様には大変御世話になっており、厚く御礼申し上げます。

 今回は、配下の六角義賢を紹介致します。

 彼は南近江の専門家で、領地の経営状態も素晴らしい者で御座います。

 貴家の下で経験を積みたいとの事で、此度このたび紹介申し上げました。

 御忙しい中大変恐縮で御座いますが、何卒御願い致します。

 敬具』


 あの秀吉の平身低頭の紹介状。

 幽霊作家ゴーストライターが書いた物だろう。

(失敗したら責任を負わせ、弾圧したら妻達から嫌われる、という魂胆か)

 瞬時に狙いを見抜き、即応する。

「御用件は分かりました。では、御受けしましょう」

「有難う御座います。それで如何するのです?」

「簡単な話、旧臣に蜂起させるのですよ」

「!」

 同席者・鶫もビクッとした。

「何と?」

「六角殿は、浅井氏の復活が御嫌なんですよね?」

「え、ええ……」

「では、浅井氏が武装蜂起し、貴家を攻撃した所で反撃にし、根絶やしにすれば良いだけの話です」

「……」

 所謂、偽旗作戦だ。

 歴史上、これは、有効的な宣伝プロパガンダで幾つものがある。


 例

 1928年、張作霖ジャン ズオリン爆殺事件

 →通説 :関東軍

  その他:ソ連特務機関犯行説、張学良犯行説


 1931年、柳条湖事件

 →満州マンジュ(現・中国東北部)の奉天フォンティエン(現・瀋陽シェンヤン市)近郊の柳条湖付近で、関東軍が南満州鉄道満鉄の線路を爆破。

 関東軍はこれを中国軍による犯行と発表する事で、満州における軍事展開及びその占領の口実として利用。


 1939年、グライヴィッツ事件

 →当時、独領(現・ポーランド領)グライヴィッツにあるラジオ局をナチスが反独的ポーランド人に偽装して襲い、ポーランド侵攻の契機を作る。


 1944年、グライフ作戦

 →ナチスが鹵獲した連合国軍の軍服を着用し、同じく鹵獲した連合軍車輌を用いて戦線後方に浸透、連合軍に混乱を引き起こす試み。


 1962年、ノースウッズ作戦

 →キューバのカストロ政権転覆の為、米国内各地で赤色テロを起こす計画。


 1964年、トンキン湾事件

 →米軍が北ベトナム軍に偽装し、実行。

  アメリカのベトナム戦争介入の契機に。


 1969年、フォンターナ広場爆破事件

 →極右団体が極左団体の名を騙り、実行(説)。


 1980年、ボローニャ駅爆破事件

 →極右テロ組織が極左テロ組織の名を騙り、実行。


 1990年10月10日、ナイラ証言

 →湾岸戦争開戦の契機の一つ。

 ……

「……御悪い人だ」

 あくどく微笑んだ後、義賢は頭を下げた。

「では早速、地元に戻り、準備します。貴重な御意見有難う御座いました」

「こちらこそ―――Red sky at night, shepherd's delight; red sky in the morning, shepherd's warning.(夕焼けは羊飼いの喜び、朝焼けは羊飼いの用心)」(*1)

「はい?」

「夕焼けは晴れの前兆、朝焼けは天気が悪くなる前兆である―――という意味ですよ」(*1)

 外の夕焼けは、まさにそんな状況だ。

「成程。では、朝焼けに気を付けて帰ります」

 この時、義賢は気付いていなかった。

 その助言ではなく、自分に対しての警告であった事を。


 義賢が帰った後、早速、大河は情報を集める。

「若殿―――」

「言うな。浅井を叩く気は無いよ」

「では、何故、あんな事を?」

「罠だよ。彼奴は一旦、和睦したのに再度、義兄を裏切った過去がある。一度人を裏切った奴は、何回でも裏切る。それが人間だよ」

「……」

 六角義賢は、第一次信長包囲網に参加するも、元亀元(1570)年に和睦。

 然し、再度敵対し、第二次にも加わった。

 そして、天正2(1574)年、甲賀郡北部の石部城から南部の信楽に逃れ、抗争を続けた。

 史実では、その後、

・甲賀と伊賀の国人を糾合して信長に抗戦した

・石山本願寺の扶助を受けていた

・隠棲していた

 ともいわれるがはっきりしていない。

 天正9(1581)年、切支丹となり、秀吉の時代には、彼の御伽衆となり、秀吉が死去する前年に天寿を全うした。

 同じく敵対した戦友―――

・比叡山延暦寺

・浅井長政

・朝倉義景

・松永久秀

・武田勝頼

 等の末路と比べると、幸せな最期であっただろう。

 更に言えば、大河は、フーバーが歴代大統領のを握っていた様に。

 常に切り札を用意している。

 今回、それを使い、義賢を粛清するのだ。

 和装から黒服に着替えた大河は、愛銃2丁を脇に収め、

「鶫、お江を呼んでくれ」

「は」

 暫くして、お江がやって来た。

「兄者、何―――あ、黒いの」

 お江を抱っこし、尋ねる。

「なぁ、小谷城って建て直したい?」

「! 出来るの?」

「ああ。名家の末裔が屋敷住まいじゃ、格落ちだろう?」

 浅井氏の出自ルーツは、はっきり判っていない。

 伝承によれば、基は、近江の在地郡司である公家の庶子が入り婿した。

 これが、浅井氏の祖の浅井重政が藤原北家閑院流正親町三条家(嵯峨家)の一門の正親町三条公綱(実雅の子)の落胤とする伝承の要因となった。

 実際は古代から物部姓守屋流と称した在地豪族で、宇多源氏佐々木氏直系の京極氏の譜代家臣として京極家中では中堅的位置にあった。

 当時の文献には京極氏の根本被官として今井氏、河毛氏、赤尾氏、安養寺氏、三田村氏等12氏の内の一つとして列記されている(*2)。

 その一方、尾張国に移り住み、織田氏・徳川氏に仕えた系統もある(異系統とする諸説あり)。

 大河は、事実より伝承を採用し、浅井氏に敬意を払っていた。

「あ、でも今、猿が近江守じゃないの?」

「別に国司になる気じゃないからな。故郷に錦を飾って何が悪い? って話だよ」

「成程」

 小谷城は、廃城となり、現在、その跡は無い。

 然し、毎年、旧臣達が集い、慰霊祭を行っている程、長政は愛されている。

 織田家も黙認している事から、仇敵からも、その才能を惜しまれているのだ。

「兄者、近江守になる?」

「ならないよ。遷都するなら陛下に付き従うだけだ」

「そう?」

 元弘元/元徳3(1331)年以来、現在まで247年間遷都していない以上、その計画は、現時点で皆無だ。

 あるとしても、明治2(1869)年になるだろうが、これも可能性が薄い。

 京での発展が著しい為、今更、江戸に遷都する長所メリットが見当たらないからだ。

「小谷城は、別荘?」

「然う言う事になるな」

 軈て、情報が上がって来る。

 報告者は、小太郎、楠の情報機関コンビだ。

「主、報告します。観音寺城に六角氏の軍勢1万が集結中」

「最終的には、3万に迄膨れ上がる予定です」

「よし、惣無事令違反だ。弥助、浅井氏の残党を支援しろ」

「は」

 的確に指示を出していく。

 それを抱擁されていたお江は、恍惚とした表情で見詰めていた。

 本気で浅井氏復活の瞬間が、見れているのだ。

 これ程嬉しい事は無い。

 3人とは行き違いに茶々がお初、お市と共に入って来た。

「真田様、本気ですか?」

「ああ、六角領を浅井領として復活させる」

「!」

 いの一番に抱き着いたのは、お初であった。

 目を丸くしたお市が尋ねる。

「何で又?」

「猿夜叉丸が屋敷住まいだと、駄目だろう? 次期当主なら、が必要だ」

「「「!」」」

 余りの嬉しさにお市は、気絶。

 鶫に支えられる。

「六角討伐の功を浅井氏旧臣に任せる。それが、復活の合図だ」

 三白眼でニヤリと嗤う悪魔がそこに居た。


 翌日早朝。

 観音寺城周辺で、突如、三つ盛亀甲に花菱の家紋を掲げた軍勢が蜂起した。

 早速、鎮圧に向かった六角軍であったが、

「何だと?」

 反乱軍は、国軍同様の装備をしていた。

・自動小銃

・防弾ベスト

・褐色の軍服

 ……

 対して、六角軍は、

・火縄銃

・鎖帷子

・旧式の軍服

 ……

 ここで義賢は、嵌められた事に気付く。

「! 真田か?」

 通りで、国軍に入る事が出来なかった訳だ。

 大河は、最初から、義賢を信用せず、六角氏を入れず、浅井氏復活の道具に利用し様と目論んでいたのだ。

 動くのは、義賢が困っている時。

 そこで手を差し伸べ、信用させた所で、完膚なきまでに叩き潰す。

 全て繋がったが、義賢には、如何し様も無かった。

 反乱軍の勢いは、止まらない。

 旧式の六角軍を圧倒し、観音寺城に迫る。

 救援に来た羽柴秀吉の隊も、不用意な衝突は避け、南宮山頂の毛利秀元の様に観戦を決め込む。

 反乱軍を率いるのは、面頬で顔を隠した弥助。

「突っ込め!」

 旧臣達を鼓舞しつつ、自分も突撃する。

 旧臣達も負けてられない。

 支援者の大河が送った刺客に1番槍を与える等、武士の恥だ。

・伊藤丸

・沢田丸

・馬渕丸

・三井丸

・馬場丸

・大見付丸

・三国丸

・伊庭丸

・進藤丸

・後藤丸

・観音寺

 を次々と落としていく。

 残る曲輪くるわは、

・平井丸

・池田丸

・淡路丸

 そして本丸のみ。

 義賢は、自刃の用意する。

「糞! 糞! 糞!」

 名君である大河を安易に信頼した自業自得の面も否めないが、まさか騙されるとは思わなかった。

「呪い殺してやる!」

「あら、それは、駄目よ」

「!」

 突如、目の前に額から角を生やした鬼が天女の様に舞い降りる。

「誰だ? 遂に発狂したか?」

「失礼ね? 貴方は、まだまだ正常よ」

 鬼―――橋姫は、日本刀を奪い取ると、手品師の如く、飲み込む。

「!」

 柄は、噛み千切って吐き出した。

「……」

「貴方は、死ぬけれど、自刃は駄目よ」

「……殺すのか?」

「そうね」

 橋姫は頷き、指パッチンで、義賢の意識を奪う。

 信長を二度裏切っても尚、生き長らえる事が出来た義賢であったが、三度目は無かったのであった。


 次に義賢が、目覚めたのは、琵琶湖の湖畔であった。

 死刑囚が着る白衣に着替えさせられ、両手両手足を縛られた状態で大河と目が合う。

(く! 貴様ぁ……)

「有難うな。土台になってくれて」

(ん? 口が開かない)

 視線を口元に向けると、

(!)

 何と、唇が縫い合わされていた。

 抉じ開け様にも頑丈だ。

 更に驚くべき事に、

(歯が……無い?)

 どれだけ舌を使って歯を探しても1本も無い。

「儚いね~。歯無しってのは」

 大河は、ケタケタと嗤いつつ、村雨丸を抜く。

 そして、義賢の両足のアキレス腱を斬った。

「ん~! ん~!!!」

 余りの激痛にのた打ち回り、返り血が飛ぶ。

 辺りは、文字通り、血の海だ。

 黒服の大河は、刀身に付着した血を払い落す。

「俺を呪い殺すとか言ってたよな? 良い度胸だな。裏切者の癖に」

 叫び疲れた義賢は、激痛と恐怖に士気がどんどん削がれ、動きが鈍くなっていく。

「あ、観音寺城、廃城だから」

「……」

 反論する気力も無い。

「ようし、沈めろ」

「は」

 弥助が米俵の様に担ぐ。

 動けない義賢は、成すがままだ。

「ああ、弥助。簡単には、殺すな」

「と、言いますと?」

「溺死寸前で引き上げて、又、やれ」

「……悪魔イブリースですね」

「誰が悪魔だ」

「! 申し訳御座いません」

「分かってるよ」

 スターリンなら即粛清だが、大河は、寛容だ。

 弥助は、苦笑いするしかない。

(悪魔に仕えてしまったな)

 と。

 その後、義賢は壮絶な拷問の末に溺死し、南近江は反乱軍―――浅井氏旧臣に占領され、浅井氏復権が公的に宣言された。


[参考文献・出典]

*1:英語ことわざ辞典

*2:『江北記』

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