第217話 碧血丹心

 山内一豊は、大河ドラマの主役になった程、現代でも有名な武将の1人だ。

 播磨国有年(現・兵庫県赤穂市内)の2千石の領主であった彼は、被災者にも関わらず、羽柴秀吉の指示の下、神戸の復興支援に当たっていた。

 が、もう心身共にボロボロだ。

 数多の遺体を収容し、遺族に対し、その発見当時の状況を説明するのは、本音だとやりたくない。

 悲しむ人々の涙。

 一豊に何の非が無いのは重々承知なのだが、それでも怒りをぶつけてしまう遺族も居る。

 5千人程居た地元・有年は、その半数を圧死と焼死で亡くし、今尚、掘っ立て小屋で飢えと寒さを凌いでいる。

 1月とはいえ、まだまだ寒い。

 一豊が知らないだけで凍死者も出ているかもしれない。

「……」

 暇を見付けては、その場で崩れ落ちる様に壁を背にして眠る。

 布団で安眠したい所だが、避難所に入れなかった被災者は、路上生活者を強いられているのだ。

(……千代、与祢……)

 有年で領主代理として復興支援に努める愛妻と、京にて近衛大将の下で働く愛娘の事を想いつつ、一豊は、深い眠りにつくのであった。


「―――貴方」

 聞き慣れた声に、一豊は、ハッと起きる。

「……千代?」

「お早う御座います。朝食の御準備をしていますからお食べ下さい」

「……」

 周囲を見ると、和室であった。

 仮眠前の男だらけのむさ苦しい詰め所ではない。

 一汁三菜の朝食と、愛妻の匂いが漂う天国の様な場所だ。

「……ここは?」

「詰め所で御疲れだった所を真田様が御心配し、御自身の宿泊先に搬送したのですよ。私も先程、呼ばれて来ました」

「……そうか。有難いが、有年は如何なっている?」

「康豊様が、真田様の命令で責任者に就任し、真田様から御提供された人員と資金を基に速度と人命を最優先で、救助作業を行っています」

「……」

 有年等の地方都市は、大都市圏の神戸等の被災地と比べると軽視される事が多く、人員不足、資金難であった。

 被災直後、疲れていた千代も、今は、笑顔だ。

 大河からの支援が手厚い事を物語っている。

「有難いが……神戸が最優先ではなかったのでは?」

「真田様曰く『人命は、地球よりも重い』との事で、わざわざ大都市圏の予算と人員を我が有年等の地方都市に分散して下さったんですよ。異人を焼殺する程の御方と同一人物とは思えませんね?」

 嬉しそうに笑う。

「そうだったのか……」

 枕元の瓦版には、

 ———

『【近衛大将被災地に1万両を寄付】

 陛下の勅令の下、被災地に入った近衛大将・真田大河様が、復興支援として1億両もの私費を寄付していた事が関係者の証言で判った。

 寄付金は、近衛大将が委任した第三者機関の監視の下、被災者の生活費や復興費に充てられるという―――』

 ———

 1万両は、現代で換算すると、13億円。 (1両=13万円)

 阪神淡路大震災の復興予算は、平成6(1994)年度から平成11(1999)年迄に総額5兆200億円が投じられた。 (内閣府 防災情報のページ)

 当然、個人の寄付金がこれには遠く及ばない。

 然し、個人で13億円出せるのは、被災者にとって物凄い有難い事だろう。

「……頭が下がる程の篤志家だな」

「本当ですね」

 2人は、微笑み合う。

 折角の御飯が冷めてしまうが、夫婦には、それでも幸せな時間だった事は言う迄も無かった。


 大河の協力の下、神戸は、中央政府の予想以上に復興が速い。

 大きな穴が出来た道路を修復し、僅か数時間で開通させ、孤立した集落には、空軍機を使って物資を落下傘で落とす。

 ベルリン大空輸の様に、後者は大成功し、国軍の心象イメージを更に良くした。

 回復した一豊は、千代と共に大河の下へ挨拶に行く。

「この度、助けて頂き有難う御座います。夫婦共々、感謝してもしきれません。この御恩は一生忘れません」

「いえいえ。こちらこそお気遣い頂き有難う御座います」

 受ける大河は、右横に楠。

 背後に小太郎、鶫の布陣だ。

 普段、帯刀及び帯銃している愛用の武器を携帯していない辺り、大河が2人に対してどれ程信頼しているか分かるだろう。

「何故、あれ程までに御厚遇して下さったんです?」

「与祢がいつも勤勉ですからですよ。―――与祢」

 隣室から与祢がやって来て、大河のに着席。

「「!」」

 2人は、その意味を瞬時に悟った。

「与祢、お前……」

 与祢が答える前に大河が早い。

「この度、婚約という形になりました。彼女が成人した暁には、正式に側室となる予定です」

「「……」」

「詳細は、与祢本人がします。では、御話合いの程宜しく御願いします」

 大河は一礼し、愛人達を連れて出て行く。

 まさかの嫁入り。

 2人には、寝耳に水だ。

 一豊が動揺しつつ訊く。

「……与祢、本気なのか?」

「はい。若殿の御許可は頂きしました。後は、父上、母上次第です」

「「……」」

 2人は、与祢の嫁入りは、まだまだ先と考えていた。

 然し、目の前の愛娘は、奉公に出した時と比べ、見違える程、大人びていた。

 口紅に白化粧、侍女には、似付かわしくない高価な西陣織の和装……

 城内でも大河に厚遇されている様だ。

「……高嶺の花、と思っていましたわ」

「全くだ。側室と雖も、近衛大将の妻になるには、変わりない」

「初恋?」

「……はい」

 恥ずかしそうに与祢は、答えた。

 一説によれば、初恋同士が結ばれる可能性は1万分の1だとされる。

 多妻の大河が初見で与祢に一目惚れしたか如何かは分からない。

 然し、それでも、愛娘の幸せと御家存続を考慮すれば、夫婦が反対する理由は無い。

 側室でも万々歳だ。

「……これで真田殿は、私の義理の息子になる訳だな」

「上皇陛下も義理の娘になる訳ですね」

「! ……然う言う事になるな」

 婚約は喜ばしい一方、人間関係がややこしくなりそうだ。

 もう一つ、山内家が危惧しているのは、身分。

 大河の妻達は、何れも織田家や徳川家等の日ノ本を代表する名家ばかり。

 一方、山内家は、藤原北家秀郷(891? ~958or991)流の備後山内氏の分家で、山内宗俊の五男・俊家を祖だ。

 もっとも、有力な資料が無い為、真相は定かではない。

 祝い事なのに冷や汗が止まらない夫婦であった。


 一豊の大河への接近は、羽柴秀吉を怒らせた。

「”猪右衛門”め。忠義を忘れたか」

 猿顔が、更に赤くなる。

 持っていた軍配を折る。

 元々、自分が信長に1認められた成り上がり者、という自尊心がある秀吉は、大河の事が大嫌いだ。

 又、信忠と仲良くし、国司の地位を返上したにも関わらず、黒幕として事実上、織田政権の長に君臨しているのも気に食わない。

 自分と同様に大河を嫌っていた勝家も、お市の魅力に負け、結局、彼の配下の様になっている。

 勝家同様、お市に恋し、又、願わくば3姉妹を狙っていたのにも関わらず、彼女達も又、奪われた。

 殺意が込み上げていても可笑しくは無い。

「……兄者、落ち着けよ。同じ仲間なんだから」

「秀長、お前は、何時も温厚だな」

 異父弟(同父弟説もあり。 *1)に諭され秀吉は、何とか我慢する。

 この秀長、という男は、偉大な兄・秀吉の影に隠れがちな武将だは、その実は、有能中の有能だ。

 史実でも温厚な資質で、秀吉をよく助け、その偉業を成さしめた。

 又、寛仁大度の人物で、よく秀吉の欠点を補った。

 その為、諸大名は秀長に依頼をして秀吉にとりなしを頼み、よくその安全を得た者が多くあった。

 寺社の多い大和地方を治めるにあたり大きな諍いも無かった事から実務能力も高かったと思われ、もし寿命が長ければ、よく国家を安泰させ、豊臣の天下を永く継続させる事が或いは出来たかもしれないとされる(*2)。

 秀長は、折られた軍配を糊で繋ぎ合わせて、

「貰って良い?」

「新しいのを買えばいいだろう?」

「まだ使えるからね。要らないのなら貰うよ?」

「変な奴だな」

「まぁまぁ」

 何時も笑顔を絶やさない秀長は、秀吉以上に人誑しだろう。

 秀吉よりも秀長を慕う家臣は多い。

 秀吉が悪人ならば、秀長は善人と言った感じか。

 非常に均衡がとれている。

「兄者、お市様が好きなら、近衛大将と余り敵対するのは、好ましくないと思うぞ?」

「そうかぁ?」

「媚売ってる”熊”は、気持ち悪い位、お市様に可愛がられているぞ?」

「……そうだな」

”熊”こと柴田勝家は、お市にとことん弱い。

 大河の事が、嫌いな彼だが、お市を奪われ、渋々、忠臣になっている。

 その結果、本心とは真逆に出世を果たし、今では、防衛大臣だ。

 国軍の最高指揮官の地位で大満足。

 猫を被れば成功者に成り得る典型例だろう。

「”熊”の真似ではないが、そろそろ現実を見た方が良いと思うぞ?」

「……真田にくみせと?」

「そうは言っていない。只、事実上の天下人は、奴だ。我が家が存続するには、恥を捨ててでも彼の治世の間だけでも、臣下になった方が良い」

「……」

「”狸”も彼奴と敵対し様としたが、結局は、敗れた。これが限界であり現実だよ」

「……」

 千姫を利用して大河の秘密を探ろうとしたが、現代人である彼の方が1枚も2枚も上手だった。

 信長の盟友であった有力大名である家康は、現在、東海道の一部、三河国、遠江国、駿河国の領主になり下がっている。

『鳴かぬなら 鳴く迄待とう 不如帰』の性格上、虎視眈々と天下人の座を狙っているのかもしれないが。

 大河と敵対関係にあった武将は、臣下に成り下がるか、処断されるのがだ。

「若し、決戦を挑むならば、隠し子を作れ。じゃなきゃ、兄者の血は、絶えるぞ? 感情に任せる前に未来を見た方が良い」

「……」

 秀吉は、信長の下でその知恵を使い、昇進したが、今では、賢弟愚兄。

 周りが見えなくなった愚兄を、賢弟は、冷静沈着に諭している。

「……そうだな。まずは子作りだな」

「早く甥っ子を見せてくれ」

「ああ。そうするよ」

 秀吉の蜂起作戦は、秀長の御蔭で脳内だけで終わった。

(全く、兄者は激情家だな。真田様に密告する事が無くなったよ)

 異父兄には口が裂けても言わないが、秀長は、大河の共鳴者シンパサイザーであった。

 長らく続いた戦乱の世を、瞬時に平和にし、今尚、天下泰平の為、東奔西走している。

 願わくば、彼の下で働きたい位だ。

 異父兄の手前、そんな事は出来ないが。

(兄者も真田様を見習ったら良いのに)

 大人になれない秀吉を、内心冷めた目で見ている秀長であった。


 大河の潤沢な資金と巧みな人員配置により、被災地は、戦後の日本の様に奇跡の復興を遂げていく。

 半月で経済活動は再開し、農民は畑へ、漁師は海に出る。

 銀行や商店、飲食店も開き、雇用が生まれる。

 震災直後だけあって、まだまだ街の雰囲気は、暗い。

 それでも上を向いて歩かなければならない。

 生きる為に。

 大切な人の為に。

「……終わったか」

 最後の行方不明者の捜索を終え、大河は、呟いた。

 最終的には、

 死者   :5万人

 負傷者  :10万人

 行方不明者:0

 半月程の懸命な救出作業と捜索活動の成果だ。

 秘書・鶫は、げっそり。

 彼女だけでない。

 小太郎や与祢、平馬等、痩せこけている。

「捜索隊は、解散。皆、1か月の休暇を与える」

「「「……は」」」

 元気が無い家臣団だが、長期休暇は嬉しいらしく、皆、笑顔だ。

 現地解散したのは、有馬温泉に湯治に行く等、京以外で観光出来る事を考えての事である。

 家臣団は、散り散りとなり、残ったのは、女性陣のみ。

「与祢、休暇だぞ? 実家に帰らなくて良いのか?」

「若殿の御家が実家です♡」

 大河の傍を離れない。

 侍女としての務めも果たしたい様だ。

「分かったよ。じゃあ、帰ろう」

 一足先に正妻達は、帰国済みの為、神戸に残っているのは、彼等だけだ。

 楠が右腕を。

 与祢が左腕を取る。

 両手に花だ。

 愛人コンビは、背後から付き従う。

「♪ ♪ ♪」

 親から許可を得たばかりの与祢は、上機嫌だ。

 鼻歌混じりに大河の腕を更にきつく抱き締める。

「……与祢? 婚約者の分際で甘え過ぎじゃない?」

「楠様に御配慮していますよ」

 よ、言いつつも、与祢は、そのままだ。

「……侍女だよね?」

「侍女だからこそ若殿の御世話が必要なのです」

「例えば?」

「下の世話です」

「自分で出来るよ」

 苦笑いで大河は、否定し、楠を片腕で抱っこ。

 そして、釘を刺す。

「与祢、あくまでも側室だからな? 正室には、敬意を払うんだぞ?」

「畏まりました」

 頷くもやはり、離れる事は無い。

「大河、貴方って本当に艶福家ね? そろそろ宦官に転職を本気で検討する?」

 楠の目が怖い。

「それだけは、やめてくれ」

 割と本気で懇願する近衛大将であった。

 京へ戻る。

 愛する妻達と娘達の為に。


[参考文献・出典]

*1:小和田哲男 『豊臣秀吉』 中央公論社 1985年

*2:渡辺世祐 『豊太閤の私的生活』 講談社 1980年


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