第216話 街談巷語

 震災時の虚報は、付き物だ。

 3・11

・「有害物質が雨等と一緒に降るので注意」→千葉県の製油所火災が由来

 熊本地震(2016年)

・「動物園から獅子ライオンが逃げ出した」

 発信源の男性は、偽計業務妨害の疑いで逮捕。

・大阪府北部地震(2018年)

「外国人は地震に慣れていないから犯罪をする」

 ……

 人々が不安になっている時を利用して、扇動者アジテーターの様に人々を操作したい愉快犯の他に純粋に間違った情報を拡散している場合もあるだろう。

 今回、反ユダヤ主義を煽る虚報は、豊川信用金庫事件(1973年)の様な誤報が真実であった。

 発端は、ストラスブール市の虐殺を知っていた欧州人が、

「ユダヤ人が震災を利用し、井戸に毒を撒くかもしれない」

 と思った。

 実際、水が不足した地域では、古びた井戸水を飲料水に利用し、食中毒事故が同時多発していた場合もあった。

 それを記者に紹介した所、事実確認を怠った記者が瓦版に掲載。

 飲み水への不安が拡大していた事もあり、一気に被災地に誤報が浸透してしまった。

 元々、超正統派が、同胞はもとより、日本人とも関わりを絶っていた為、被災者の中にもユダヤ人に対する心象イメージが悪い場合ケースもあり、それが拍車をかけてしまったのだ。

 当然、ユダヤ人も襲撃に備え、武装する。

 それを見た穏健派の日本人も「危険?」と勘違いし、負の連鎖が続く。

 二条城に設置された災害対策本部では、その報せが届き、日ノ本で最もユダヤ人に詳しい大河にその調査が信忠より命じられたのであった。

 良識ある両派は、流石に直接の武力衝突はしない。

 日本人も大河が、ユダヤ人と仲が良い事を知っているし、ユダヤ人も大河が宗教対立を好まぬ平和主義者だと言う事を知っている。

 両派にとって、大河が緩衝材になるのは、明らかだった。

「皆様、武装放棄して下さい」

「「「……」」」

 笑顔の大河と、眉をひそめたユダヤ人自警団。

 神戸にユダヤ人居留地を作った際、当時、まだ隆盛を極めていた一向宗が、布教活動に反対し、投石等の嫌がらせを受けた。

 それを止めさせたのが、大河だ。

 全国の一向宗を武装放棄させ、宗教戦争に終止符を打った英雄。

 自警団が会わない訳には、いかない。

「我々が武装解除したら攻めらるのでは?」

「その可能性はありません」

「何故、断言出来る?」

「部隊を配備します。300人」

「「「!」」」

「誤解しないで下さいね? あくまでも秩序維持の為ですから」

「……虐殺は?」

「唯一神に誓ってしませんよ。貴方方の出方次第ですが」

「「「……」」」

 数分沈黙した後、団長は返答する。

「分かりました。今まで厚遇して下さった恩があります。信じましょう」

「有難う御座います」

 そこで、大河は鶫に目配せ。

 頷いた彼女は、大河に地図を見せた。

「……? これは?」

「提案なので御快諾頂かなくても結構です。これは、河南です」

「……中国大陸?」

「はい。現地のユダヤ人が、河南ホーナンに新国家建設を検討しています」

「「「!」」」

 同席していたコーヘンも目を剥く。

「……今、何と?」

 中国には、ユダヤ人の地域社会が存在する。

 それが、『開封カイフォン のユダヤ人』と呼ばれるものだ。

 ―――

 正確な成立時期は不明だが、遅くとも宋代(960~1279)には成立し、19世紀末迄存続していた。

 その先祖は中央アジアから渡ってきたと推測されている。

 又、1163年にウスタドのレイウェイが宗教指導者に任ぜられ、

・学習堂

・儀式用の浴槽

・地域社会共同の厨房

・コシェル肉供給の為の屠殺場

・仮庵の祭用の天幕

 等を併設した聖堂が建設されたという報告もある。

 明代(1368~1644)には、ユダヤ人は皇帝から、

・艾

・石

・高

・金

・李

・張

・趙

 の七つの姓を授けられ、これらは今日でも見識する事が出来る。

 これらは本来のユダヤ人の氏族の姓を其々それぞれ中国風にしたものであるという。

 この内の石と金は、西欧のユダヤ人の姓に多く見られる Stone (Stein) やGold と一致している。

 中国にもユダヤ人地域社会が存在している事は、17世紀初めにイタリアの耶蘇会の司祭、マテオ・リッチが開封出身のユダヤ人に会うまで、広く知られてはいなかった。

 万暦33(1605)年にリッチは艾田という名の開封出身の若者と出会い、艾田はリッチに自分が一神教の信者であると説明した。

 又、艾田はキリスト教の幼いイエスを抱いた聖母マリア像を見て、旧約聖書のリベカと、その息子エサウ又はヤコブの像だと信じ込んだとも記録されている。

 艾田は自分が開封出身で、そこには多くの同胞がいると言明した。

 リッチは最初に開封へ中国人の耶蘇会員を派遣したのを始め、その後も多くの会員を派遣した。

 これにより、開封のユダヤ人地域社会には 禮拜寺(聖堂)があり、豊富な宗教文書を有している事が発見された。

 1850年代の太平天国の乱で、地域社会は一度離散へと向かったが、その後ユダヤ人は再び開封に戻ってきた。

 20世紀初頭の旧教の司教、ジョセフ・ブルッカーはマテオ・リッチの手稿の研究により、開封のユダヤ人地域社会は500~600年間存続しており、16世紀後半から17世紀初め迄の間に開封に居住していたユダヤ人は10~12世帯であったとしている。

 又、リッチの手稿には、多数のユダヤ人が杭州にも居たと記述されている。

 実際に弘治2(1489)年の石碑には、靖康の変後にユダヤ人が開封から脱出する様子が記述されている。

 世界の他地域の離散ディアスポラから隔絶されていたにも関わらず、開封の地域社会は何世紀にも渡り独自の伝統、習慣を保持していた。

 然し、17世紀に入ると、ユダヤ人と漢民族、回族、満州族等との雑婚率が増加し、この様な独自の伝統は周辺に同化して失われていった。

 1860年代には聖堂が破壊され、地域社会の消滅へと繋がった。

 今日も開封には、当時の地域社会を先祖とする住民が600~1千名程居住している。

 他地域からのユダヤ人旅行者との接触により、開封のユダヤ人はユダヤ文化の主流に再び合流した。

 各ユダヤ人団体から援助され、開封からイスラエルへの移住者も居た(*1)。

 ―――

 中国人とユダヤ人の交流は、WWII中の上海ゲットーに代表される様に、今尚、続いている。

 ユダヤ人には、中国が合うのだろう。

「河南に同胞が?」

「はい」

「……良い名前ですね。出来る事なら、新国家は、そこが良いです」

 河南の日本語読みである「かなん」は、約束の地クナーアンとほぼ同じ発音だ。

 コーヘンや自警団も興味を示す。

「うむ。良い所だな」

「問題は住めるかだな?」

「ああ、この国は、天災が多いのが短所だ。移住先も同じならば、無意味だな」

 コーヘンは、尋ねる。

「何故、そんな計画が?」

「皆様の為ですよ。乗るも乗らないのも皆様次第です」

 この案は、河豚計画を基にした物だ。

『河豚計画』―――1930年代に日本で進められた、ユダヤ難民の移住計画である。


 昭和9(1934)年

 政治家・鮎川義介(1880~1967)が提唱。


 昭和13(1938)年

 五相会議で政府の方針として定まる。

 実務面では、

 陸軍大佐・安江仙弘(1888~1950)

 海軍大佐・犬塚惟重(1890~1965)

 等が主導。

 欧州での迫害から逃れたユダヤ人を満州国に招き入れ、自治区を建設する計画であったが、ユダヤ人迫害を推進するドイツとの友好を深めるにつれて形骸化し、日独伊三国軍事同盟の締結や日独共に対外戦争を開始した事によって実現性が無くなり頓挫した。

 計画名の由来は、昭和13(1938)年7月に行われた犬塚の演説に由来する。

 ユダヤ人の経済力や政治力を評価した犬塚は、

「ユダヤ人の受入は日本にとって非常に有益だが、一歩間違えば破滅の引き金とも成り得る」

 と考えた。

 犬塚はこの二面性を、美味だが猛毒を持つ河豚に擬えて、

「これは河豚を料理する様なものだ」

 と語った。

 ―――

 大河が立案したのは、満州ではなく、河南。

 満州は、清を支える民族、満州族の故郷であって、そこにユダヤ人自治区を作るのは、現実的に難しい。

 逆に河南は、満州から離れており、現地のユダヤ人も多い。

 東洋一のユダヤ人地域社会を作るには、最適な場所だろう。

「然し、河南は、清領ですよね?」

「現地のユダヤ人を支援しています。何れ、起きますよ。その大波に乗るのは、貴方方次第です」

 笑顔を絶やさない大河。

(……この国は、国民が優しいが、如何せん天災が短所だ。まだ開封の同胞と連帯した方が良いだろう)

 計画内容も魅力的だ。

「……残るも出るのも自由なんですよね?」

「ええ。民主主義国家ですからね。あくまでも提案であって命令ではありませんから」

「楽しみにしています」

 日本式にコーヘンは御辞儀をし、謝意を示すのであった。


 災害復興の方は、順調だ。

 大河が派兵した国軍が、自衛隊の様に大活躍。

 水路街と化した神戸を小舟で周り、孤立した避難者を救出していく。

 学校の体育館や公民館では、避難所が設置され、医療従事者が交代制で勤務。

「足りない物はありませんか? 毛布です。どうぞ」

「ありがたやありがたや~」

 被災者を1世帯毎見て回るのは、婦人会の面々。

 現地の被災者支援団体と共に缶詰等の非常食を配って行く。

 電気が止まっている為、安否確認は避難所の出入口に設置された張り紙で確認するしかない。

「「「……」」」

 行方不明者を探す家族は、目を皿の様にして、血眼になって見ている。

 早朝に起きた地震と津波による死者は、毎時間100人単位で増えている。

 神戸の海岸には、数千人もの死体が打ち上げられ、市街でも倒壊した家屋から収容が続いていた。

 不幸中の幸いだったのが、

・北海道胆振東部地震(2018年)等の様に深夜で無かった事

・原発が無かった事

 だろう。

 前者の様に深夜だった場合、起床している人々が少なくもっと、死者数が多かったかもしれない。

 後者だと、放射能汚染の処理や風評被害があっただろう。

 大河の下に、死者数が報告される。

「―――尼崎で5千人、灘で8千人、神戸では……3万人です……」

 報告者の鶫も辛い。

「分かった。有難う」

 大河が居るのは、神戸の安宿。

 現地の災害対策責任者・山内一豊が用意した場所だ。

 彼は、不眠不休で、情報を集め、必要に応じて指示を出している。

 何れ、過労死するかもしれない。

 与祢と婚約直後に過労死されては困る。

「……楠、山内殿は何処にいらっしゃる?」

「灘の方に」

「呼んできてくれ。強制的に休ませる」

「は」

 2人は夫婦だが、仕事上では、上司と部下になる。

 こういう時でも夫婦の関係を持ち込むのは、公私混同―――御法度だ。

 楠が消えて、代わりに小太郎が、隣席に座る。

「主、毒水事件の報告書です」

「おー、判ったか?」

「はい。発信源の欧州人を事情聴取し、処断しました。現在、特別高等警察が市民に紛れて情報操作し、沈静化を図っています」

「……有難う」

 小太郎の頭を撫でる。

「……」

 震災下と言う事で、笑顔を見せる事が少なかったのだが、それが合図だったかのか。

 突如、小太郎は、涙を流し始める。

 情報収集中、遺体を沢山見て、遺族の慟哭を聞いてしまった為、心が不安定になっているのだろう。

 京では、余り、被害が無かったのだが、やはり、現地での状況とは差異がある。

「……主、御免なさい」

「謝る事は無い。溜め込むのは、毒だ」

「……」

 大河に抱き着いて、胸元でわんわん泣く。

 幾ら戦争で慣れているとはいえ、兵士と市民とでは、感情が違う。

 まだ20にも満たぬ愛人は、心が折れかけていた。

「……」

 大河は、何も言わない。

 ずっと、その背中を擦り、付き合うのであった。


[参考文献・出典]

*1:ウィキペディア

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