第215話 儀式殺人

 大津波は、堤防を越え、町を飲み込む。

「ぎゃああああああああああああああああああ!」

「皆、逃げて~!」

 沿岸地域の住民を次々と飲み込んでいく。

 地元の危機管理課の職員が、防災無線を使って避難を促す。

『9丈(現・約27m)以上の津波が押し寄せています。高台へ避難して下さい。

 9丈以上の津波が―――』

 どれだけ他の職員が避難を指示するも、彼女は持ち場を離れない。

 強い信念を持って。

 震えた声で、使命を全うする。

 無情にも、津波はその庁舎さえ凌ぐ程の高さにまで膨れ上がっていた。

 パニック映画の1場面の様に庁舎を押し倒す。

 ……

 出来たばかりの阪神高速道路も崩落し、一般道の自動車が何台も押し潰されていた。

 阪神高速道路を走行中だったバスは、何とか踏みとどまり、落下する事を防げた。

 商店では、商品棚から酒瓶等が落ち、床は水浸し。

 神戸の街を朝焼けが映す。

 100万人もの大都市は、水に浸かり、一部では瓦斯ガス爆発を起こし、住宅街を炎で覆っていた。

 外国人街でも被害は甚大で、

「「「……」」」

 南京町の中国人住民は、立ち尽くしていた。

 日ノ本が地震大国である事は知っていたが、これ程とは予想外であったのだ。

 ショック死で亡くなった者、数百人。

 精神的に不安定になった者も数多い。

 彼等が何とか生活出来ているのは、ユダヤ人の御蔭だ。

 その指導者のコーヘンは同胞、日本人、中国人無関係に支援する。

「今は、栄養をつけるんだ。さ、食べなさい」

 1人1人に御握りを持たせる。

 幸い、聖堂シナゴーグは、全壊を免れた。

 信徒曰く「唯一神ヤハウェの御加護」で。

「……お」

 早馬が、1頭来る。

 騎馬武者は聖堂の前で止まると、下馬し、兜を脱ぐ。

 聖域への配慮をする軍人を見てコーヘンは、再会を喜ぶ。

王子ナミッ様。よくぞ来て下さいました」

「早朝だったのに、怪我は無いですか?」

「は。唯一神の御加護でこの通りです」

 一回転し、無傷を主張アピールするコーヘン。

「それで、何故ここに?」

「調査に来た」

 大河に遅れて、数千人の軍勢が敷地内に入って来る。

 皆、大河と違い、武装に余念が無い。

「……これは、一体?」

「井戸に『異人が毒を撒いた』との情報が出回っている」

「!」

 日本語が分からない外国人避難民は皆、心配そうな顔だ。

「「「……」」」

 大河が友好的な様子は分かる。

 然し、彼が引き連れて来た部下は、皆、表情が厳しい。

「……黒死病ペストの二の舞か?」

「そうなるな」

 1348~1358年、黒死病ペスト欧州ヨーロッパで猛威を振るっていた際、が起きた。

 1348年秋、サヴォワ伯領で暴動が各地で起こりユダヤ人が襲撃に遭う。

 この時、井戸に毒を入れた罪で裁かれたユダヤ人男女10人の供述調書を当局者が欧州各地に配布され、元々あった反ユダヤ主義の土壌の下、虐殺が相次いだ。

 

 1348年4月13日

 プロヴァンス伯領(現・フランス南部)のトゥーロンで数十人のユダヤ人殺害。


 同年7月

 アラゴン王国(現・スペイン、アラゴン州)のタレガ市で300人のユダヤ人虐殺。



 1349年8月

 マインツ(独)でユダヤ人へ襲撃を行うキリスト教徒と抵抗するユダヤ人との間で内戦となり、200人のユダヤ人が虐殺。

 当時のアヴィニョン教皇のクレメンス6世(在位1342~1352)は、旧教教会の長として、ユダヤ人迫害事件を憂慮して、誤報を撒く者達を破門に処し、ユダヤ人迫害を行わないよう命じる教勅を出した(*1)。


  現在のフランスに位置するシュトラスブルク(現・フランス、ストラスブール)では、ユダヤ人を巡って市民と市政府が対立

 市民 →ユダヤ人からの借入があった為、借金の帳消しを狙ったもの、とされる。

 市政府→ユダヤ人保護に出る(*2)

         ↓

       市民は反発。

 市民側に名門貴族が付くなどして形勢逆転。


 1349年2月10日

 シュトラスブルク政変


 同年2月13日

 市長、永久追放


 1349年2月14日

 新政権による虐殺開始。

『かくして、次の魔宴サバトの日に有力参事会員等よってブルスカ上の掘っ立て小屋に、あたかも誘拐でもされるかの様に連行されたユダヤ人達は、彼等の墓地となる、焚殺用に準備された小屋に連れ去られ、その道すがら民衆に衣服をすっかり剥ぎ取られた。

 そして、その中には多額の金品が発見された。

 所で、洗礼を受ける事を選んだ少数の者達は助かり、それより多くの容姿端麗な女達は心ならずも助けられ、助命された多くの少年が強制的に洗礼を施された。

 その他の多くの者達が焚殺され、火から飛び出した多くの者達も殺害された』(*2)

 この日、シュトラスブルク市に住む1884人のユダヤ人の内約900人が殺害されたという。

 その後、シュトラスブルクに黒死病が到来。

 1349年6月中旬には、更に壊滅的な被害が出る。

『被害の甚大さは誰もそれを免れる者が無いと思える程で、嘗て聞いた事も無い程の夥しい死者が出た』(*2)

 この出来事により、多くのユダヤ人は当時、それ程激しく無かった東欧に移住した(*3)。

 ―――

 神戸が、シュトラスブルク(現・ストラスブール)市の様になるかもしれない、とコーヘンが危惧するのは、もっともだろう。

「……真田様、御願い出来ますか? 我等の命運を」

ですから」

 愛妻の1人、エリーゼがユダヤ人でもある為、大河はユダヤ人の保護に積極的だ。

 私的プライベートの関係は深い。

「!」

 大河の額に六芒星が光る。

(やはり……我等の救世主だ)

 言い知れぬ安心をコーヘンは、感じるのであった。


[参考文献・出典]

*1:1349年1月12日付 ケルン市から各都市への書簡

*2:クローゼナー 『シュトラスブルク年代記』

*3:Call of History -歴史の呼び声- 黒死病(ペスト)流行下(1348~53年)におけるユダヤ人迫害のまとめ

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