第214話  飄忽震蕩

 貴族院での法案審議が進む中。

 万和3(1578)年1月17日午前5時46秒52。

 明石海峡を震源地とする巨大地震が近畿地方を襲った。

 都でも揺れを感じる。

 早朝。

 寝所で大河は、誾千代、謙信、お市に囲まれて寝ていた。

「……!」

 カッと、目を見開いた大河は、枕元に置いていた2本の愛刀を手に取る。

 そして、叫んだ。

「地震だ!」

「「「!」」」

 3人の妻達は、飛び起きた。

 直後、揺れが来る。

「ひ!」

「きゃ!」

「ひぃ!」

 3人は、大河に飛びつく。

 体感で5強位の震度だが、朝方だけあって、女性陣の恐怖心は凄まじい。

 3人を抱き締めつつ、大河は、考える。

日日ひにちと言い、震度と言い……やはり、未来の出来事が、何時かは起きるという事か)

 この論理が正しければ、3・11もじきに起きるかもしれない。

(……政治史は変える事が出来ても、災害は、常に身近、という事だな)

 以前、地震で一苦労した事があった為、大河が慌てる事は無い。

 大河より遅れて、スマートフォンが鳴る。

 耳を塞ぎたくなる様な警報音と共に表示されたのは

 ―――

『緊急速報

 兵庫県で地震発生。強い揺れに備えて下さい。

(気象庁)』

 ―――

 耐震工事が施されている京都新城は勿論、山城国内の家屋は、この程度の揺れだと全半壊する可能性は少ない。

 問題は、未実施の他地域だ。

 特に震源地に淡路島や阪神地区(現・神戸市、芦屋市、西宮市、尼崎市、宝塚市、伊丹市等) の被害が甚大、と思われる。

 日本列島改造計画の下で開通された阪神高速道路も、あの後世の様に崩落しているかもしれない。

 淡路守・仙石秀久とも連携が必要不可欠だろう。

 襖が開き、寝ぼけ眼の平馬が駆け付けた。

「上様! 早朝、失礼します!」

 無礼として斬られる位の荒業だが、緊急事態なので、大河は問題視しない。

 平馬の次の言葉を待つ。

「淡路で大地震! 又、摂津、播磨両地域で大津波が発生、との報せです!」

「国軍の7割を救援部隊に送れ! 予備役、聖職者、医療従事者も大量投入しろ! 非常食等も怠るな! 金は惜しまん!」

「は!」

 大河の大声に驚きつつも、平馬は、退室する。

「……貴方?」

「非常事態だ。済まんが、皆、着替えてくれ。俺は二条城に行く―――楠! 鶫! 小太郎!」

「「「は!」」」

 くノ一X2と用心棒が、瞬時に屋根裏から降りて来た。

 楠は、単純なる嫉妬心。

 他2人(=痴女X2)は、用心棒として控えていたのだろう。

「着替えろ! 行くぞ!」

「「「は!」」」

 3人は、再び屋根裏部屋に戻る。

 正妻である楠には、個室があるのだが、あの部屋に居るとなると、個室より気に入っているかもしれない。

「熱いわね、朝から」

「お市様、申し訳御座いません。朝から大声を出して。ですが、緊急事態なのです。御理解下さい」

「良いのよ」

 部下達に委任し、自分のみ愛欲の生活に浸っていたら、顰蹙を買う事は必至だ。

 又、お市達もそんな男とは離縁したい。

 民の困窮を無視する為政者は、何れ天罰が当たるだろう。

「大河……」

「御免。誾。ちょっと民を救ってくるわ」

「良いわよ。じゃないと、私が惚れた漢じゃないもの」

「有難う。じゃあな」

 大河は、3人に其々それぞれ接吻後、寝室を出て行く。

 着替え室では、既に与祢、珠が夜着のままで待っていた。

 命令も無しに待っているのは、大河の行動を先読みしていたのだろう。

 有能な侍女達である。

「お早う。寝てていいのに」

「お早う御座います。そうしたら、アプト先輩に殺されますよ」

「お早う御座います。ささ、軍服を御用意しました。どうぞ」

 2人が、さっさと大河の夜着を脱がし、軍服を着用させる。

 軍人ではないが、2人の彼に対する忠誠心は高い。

「アプトは?」

 与祢が、しわを直しつつ答える。

「御握りを作っています。若殿の携帯用に」

「有難いな。アプト!」

 呼ぶと、台所から飛んできた。

「お早う御座います。若殿」

「御握り有難う。幾つ出来た?」

「ざっと100個です」

「分かった。5個貰う。他は、皆に分けてやってくれ」

「……分かりました」

 大河用に奮発して作ったのだが、その殆どが別人の口に入る事になって、アプトは寂しそうだ。

「気持ちは有難い。でも、被災者はひもじい思いをしている筈だ。何れ被災地に呼ぶからその時は、被災者の為に振る舞ってくれ。それは俺の為でもあるんだから。頼んだ」

「! 分かりました!」

 誰でも、他人の役に立つと嬉しい

 奴隷から救ってくれた所有者の頼みを、アプトが断る訳が無い。

 日ノ本一の英雄から頼まれているのは、自分だけ。

 優越感に浸り、アプトは、悦ぶ。

「良い笑顔だ。じゃあ、頼んだよ」

 アプトにで握手し、大河は、愛刀を両腰に差し、颯爽と出て行く。

(……若殿が利き手を……)

 大河の感触と体温が残る掌をアプトは、見詰める。

 大河が他人に利き手を預ける事は、殆ど無い。

 軍人として、他人を信用していない証拠だ。

 握手する時は、夜、交わる時や相手が妻に場合といった限った場合のみ。

 それを使用人であるアプトにしたのは、相当、信頼が無ければ出来ないだろう。

「「……アプト先輩」」

「ひえ」

 後輩の冷たい視線にアプトは、飛び上がって振り返る。

「狡い」

「私もされた事無いのに」

「い、いや、今のは不可抗力で―――」

「若殿との貴重な握手を不可抗力にするのは、若殿に失礼」

「与祢の言う通り。先輩、愉しみましょう?」

 2人に囲まれ、アプトは冷や汗を掻く。

「……えーっと、ちょっとお花を摘みに―――」

「「先輩!」」

「きゃ! いや、そこは駄目らって―――ああああああああああああああん♡」

 後輩達は、アプトを羽交い絞めにし、くすぐりの刑に処すのであった。


 日の出と共に徐々に被害の全容が明らかになっていく。

 平成7(1995)年の時、京都府でも甚大な被害があった(*1)。

 地域    :震度

 中京区西ノ京:5

 舞鶴市下福井:4

 亀岡市でも、住宅の全壊・半壊が確認されている。

 この世界では大河が、災害対策基本法を全権委任法の下、山城国内に施行している為、現代並の耐震工事が施され、被害があっても瓦が落ちる程度であった。

「真田よ、貴君の御蔭で御所も被害は無かった。又、救われたな」

 寝台に座っている帝は、夜着。

 起床直後なのだろう。

 史上初めて永世七冠となった将棋史上に残る名棋士の様に寝癖が残っている。

 櫛で梳かす事を忘れる位、情報収集に夢中だったのかもしれない。

「いえ、幸運だっただけかもしれません。念には念を入れよ、と申します様に補修工事を施し、余震に備えましょう」

「余震?」

「はい。この手の地震は、直近、1週間は続く事があります。但し、これは、あくまでも人間の予想である為、1週間以上続く場合も考えられます」

 3・11が、まさにその例だ。

 本震の2日前、3月9日に三陸沖で震度5弱の前震が発生した。

 それから本震が起きたのは、前震の51時間1分後であった。

 その後、余震は、頻繫にあり、直近の令和2(2020)年6月25日に千葉県東方沖を震央とした震度5弱の地震が起きている。

 3・11は、今尚、現在進行形なのだ。

「又、これが前震かもしれません」

「何? じゃあ、今度は、もっと大きいのが来るかもしれないのか?」

「はい。可能性としてはあるでしょう」

 平成28(2016)年の熊本地震では、4月14日午後9時26分に発生した。

 最大震度は、益城町の7。

 その約28時間後の16日午前1時25分に本震が前震の被災地を襲った。

 深夜、という事もあり、被災者が油断した所に起きたそれは、一瞬にして50人もの人々の命を奪った。

 その後、関連死も統計され、平成31(2019)年4月12日現在で合計273人。

 どれが前震で本震で余震かは、直後には分からないものだ。

「……朕も避難すべきか?」

「はい。ただ、ここは、震度7迄耐え得る様に設計しています」

「……どの程度なのだ?」

「はい。御覧下さい。鶫」

「は」

 祐筆の鶫が、緊張した面持ちで近衛前久に渡す。

 それが、女官を通じて帝の下へ。

『震度と揺れの状況』と題された報告書は、大河が耐震工事の際に都民に配布した物だ。

 絵は、華姫が描いている為、非常に読み易くなっている。

 ―――

『【震度と揺れの状況】

[0 ]

 人は、揺れを感じない。

[1 ]

 屋内で静かにしている人の中には、揺れを僅かに感じる人が居る。


[2]

 屋内で静かにしている人の大半が揺れを感じる。


[3 ]

 屋内に居る殆どの人が揺れを感じる。


[4]

 殆どの人が驚く。

 電灯等吊り下げられた物は大きく揺れる。

  座りの悪い置物が、倒れる事もある。


[5弱]

 電灯等の吊り下げ物は激しく揺れ、棚にある食器類、書棚の本が落ちる事がある。

 座りの悪い置物の大半が倒れる。

 固定していない家具が移動する事があり、不安定な物は倒れる事がある。

 稀に窓硝子が割れて落ちる事がある。

 電柱が揺れるのが分かる。

 道路に被害が生じる事がある。


[5強]

 大半の人が、物に掴まらないと歩く事が難しい等、行動に支障を感じる。

 棚にある食器類や書棚の本で、落ちる物が多くなる。

 テレビが台から落ちる事がある。

 固定していない家具が倒れる事がある。

 窓硝子が割れて落ちる事がある。

 補強されていないブロック塀が崩れる事がある。

 据付けが不十分な自動販売機が倒れる事がある。

 自動車の運転が困難となり、停止する車もある。


[6弱]

 立っている事が困難になる。

 固定していない家具の大半が移動し、倒れる物もある。

 扉が開かなくなる事がある。

 壁のタイルや窓硝子が破損、落下する事がある。


[6強]

 立っている事が出来ず、這わないと動く事が出来ない。

 揺れに翻弄され、動く事も出来ず、飛ばされる事もある。

 固定していない家具の殆どが移動し、倒れる物が多くなる。

 壁のタイルや窓硝子が破損、落下する建物が多くなる。

 補強されていないブロック塀の殆どが崩れる。


[7]

 固定していない家具の殆どが移動したり倒れたりし、飛ぶ事もある。

 壁のタイルや窓硝子が破損、落下する建物がさらに多くなる。

 補強されているブロック塀も破損するものがある』(*2)

 ―――

 帝が読む、という事は、当然宮内庁が永久保存する公文書となる。

「……成程、分かった」

 熟読後、帝は、立ち上がった。

「被災地の被害は、甚大なのだな?」

「はい。これより、二条城の災害対策本部で更なる情報収集を集め、復興支援に努める予定です」

「分かった。では、織田に協力を頼もう」

「は?」

「朕も被災地に行き、被災者を励まそう」

「……」

「出来るか?」

「は。御準備します」

 歴史的な瞬間だ。

 帝の被災地訪問は、現代では、震災が起きる度に屡見られる。

 その歴史は浅く、昭和34(1959)年の伊勢湾台風の際、昭和天皇の名代として、当時の皇太子が訪れ、座る被災者に立ったまま話しかけた。

 もっとも、この時は、理解が少なく、「天皇ともあろう方が、被災地を訪問する事は無い」との批判があった。

 然し、皇太子と皇太子妃はその信念を曲げず、昭和61(1986)年、伊豆大島三原山噴火で東京都心に集団避難中の島民を慰問した際、御夫妻で膝をつき、被災者と同じ目の高さで話した。

 平成3(1991)年の雲仙普賢岳での姿勢も同様に行った。

 この時、史上初めて、とされる。

 国民側の意識は、当初、受け入れ難かった様で、平成5(1993)年の北海道南西沖地震で津波等で被災した奥尻島を訪問した際は、避難所でそれを行った天皇陛下の姿が報道されると、奥尻町役場に批判の電話が殺到した。

 然し、平成7(1995)年の阪神・淡路大震災の際は、神戸市役所にそうした苦情はなかったという(*3)。

 確実に保守派が抵抗するだろう。

 それを覆すのが、大河の仕事だ。

(又、政敵が増えそうだな)

 心中で苦笑いするしかなかった事は言うまでも無い。


[参考文献・出典]

*1:気象庁 震度データベース

*2:気象庁

*3:週刊朝日 2018年2月24日

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