第219話 行雲流水

 万和3(1578)年2月1日。

 新法は、貴族院を通過した。

 流石に施行は、急過ぎる、という事で、

・施行は5年後

・5年間は、準備期間

 という条件が付加された。

 これのよって、

・五畿七道廃止

・新行政単位「県」の導入

 が決まった。

 藩をすっ飛ばしての県なのだから、歴史を大きく捻じ曲げている事は言う迄も無い。


 現代日本の様に進化していく日ノ本だが、山城真田家の平和は変わらない。

「兄者~。御餅食べたい」

 大河の頭を西瓜すいかの様にかじるお江。

「然う言えば、正月、食べてなかったな」

 食べる予定だったのだが、信松尼誘拐事件や震災があって時機タイミングを逃していた。

「大河、私も食べたい」

「私もです」

 玉座の朝顔と、累の世話をしていた於国も同調する。

「……その椅子、何?」

「高御座の複製品」

 三層の黒塗くろぬり断壇だんそうの上に御輿型みこしがたの八角形の黒塗屋形が載せられていて、

・鳳凰

・鏡

・椅子

 等で飾られているそれは、即位の礼で使われる為、テレビで見知った人も多い事だろう。

 現代日本の高御座は、皇后の玉座たる御帳台と共に京都御所紫宸殿(現・京都市)に常設されている。

 その為、

・明治天皇

・大正天皇

・昭和天皇

 の即位の大礼は、高御座のある京都御所で行われた。

 第125代天皇の際は、警備上の問題(一部の過激派勢力が高御座を標的に絶対阻止、輸送阻止或いは爆砕という様な事を非常に強力に主張していた為とされる。国会議事録118回参議院内閣委員会 平成2年6月21日)から、東京の皇居で即位の礼が行われたが、高御座と御帳台は陸上自衛隊のヘリコプターによって皇居まで運ばれ(陸上自衛隊 第1ヘリコプター団ヘリ団の任務。尚、自衛隊による輸送は空輸任務についてであり、京都御所~基地まで、及び立川基地~御所までの輸送は担当していない)、大礼終了後に京都御所の紫宸殿に戻された。

 然し、第126代天皇の際には社会情勢の変化等が考慮され、運搬は民間業者へ委託。

 計8台の貨物自動車による陸路での運搬となった。

 そんな貴重品に複製品があるとは思わなんだ。

「何故、複製品がある?」

「藤原三兄弟の所為よ。あの者達が、悪戯で壊したから、花山天皇が御怒りになって秘密裏に複製品を幾つか作らせたのよ」

「あー……」

 朝顔の言うのは、『大鏡』にある『殿上の肝試し』という逸話だ。

 ―――

『(藤原道長の様に)立派な人は、早くから御胆力が強く、神仏の御加護も強い様に思われます。

 花山院の御代に、五月下旬の闇夜ですが、五月雨も過ぎ去って、(雨雲が)とても気味が悪く垂れ込めて激しく雨が降る夜に、帝は物足りないと御思いになったのでしょうか、殿上の間に御出ましになられて、御遊び(管弦楽の演奏・和歌詠み等)になられていた所、人々が取り留めの無い話を(帝に)申し上げなさって、(その話題が)昔恐ろしかった事等に御呼びなさった時に、

「今宵はとても気味が悪そうな夜である様だ。この様に人が多くてさえ、不気味な感じがする。まして、(人気の無い)離れた所は如何であろう? その様な所に、1人で行くであろうか?」

と(帝が)仰ったので(人々は)

「行く事は出来ないでしょう」

 とのみ申し上げなさった所、入道殿は、

「何処へでも、参りましょう」

 と申し上げなさったので、その様な事を面白がる所のある帝ですので、

「とても面白い事だ。それならば行ってこい。道隆は豊楽院へ、道兼は仁寿院の塗籠、道長は大極殿へ行ってこい」

 と仰ったので、(命じられた道長以外の)他の君達は、(入道殿は)都合の悪い事を申し上げなさったなと思います。

 又、(命令を)御受けになられた殿方(道隆・道兼)は、御顔色が変わって困った事だと御思いになっていますが、入道殿(藤原道長)は、少しもその様な御様子も無く、

「私の家来は連れて参りますまい。この宮中の警備の者でも、滝口の武士でも(その内の)1人に、

『(道長を)昭慶門迄送れ』

と御命令下さい。そこから中へは1人で入りましょう」

 と申し上げなさると(帝は)、

「(1人で行ったのでは、大極殿迄行ったという)証拠が無いではないか?」

 と仰るので、

「成程」

 と言って、(帝の手箱に)置いていらっしゃる小刀を申し受けて御立ちになりました。

 間も無く御二人も、渋々其々御出かけになられました』(*1)

 ―――

 もっとも、この話は創作だという説がある。

 論拠として花山天皇の在位期間中(984~986)、藤原道隆は30代前半、道兼は20代中盤、道長は20歳前後と、肝試しをするには少々老けすぎていた事が理由だ。

「……」

 注視すると、この高御座は、本物のそれより、傷が付き、色も浅い。

 経年劣化なのかもしれない。

「これ、何時、造られたんだ?」

寛和かんな2年」

 寛和2(986)年は、奇しくも花山天皇が退位された年だ。

 現在、万和3(1578)年より592年前の物が修復されずに目の前にあるのは、奇跡と言え様。

 現代人の大河からすれば、アメリカ(1776年建国)よりも古い椅子となる。

「……凄いな」

「宮大工の御蔭よ」

「それ、調度品として使うのか?」

「そうよ。複製品だから何の効力も無いわ」

「……なら良かった」

 即位の礼に使用される椅子だけあって、恐れていたが、無効力ならば、大河も安心だ。

「あ、後、ここ、御用邸にしたから」

「……はい?」

「法務局にも登記しているから。然う言う事で」

 大河の知らぬ間に、京都新城が御用邸になっていた件。

「……御所、近いけれど?」

「良いじゃない。どうせここ、陛下の避難場所なんでしょ?」

「ああ」

「じゃあ、決定」

 即断即決な大河だが、朝顔の決断も早い。

 高御座をここに設置し、更に御用邸にしたのは、大河が日本三忠臣(楠木正成

平重盛、万里小路藤房)以上の忠臣と認めたからだ。

 山城国は、固より、日ノ本全土を発展させたこれ程の功労者は、過去に居ない。

「今後も期待にしているわよ。♡」

 頬に接吻され、大河は、苦笑い。

(やべぇな。気苦労が……絶えんなぁ)

 寿命が数十年縮まった事は言う迄も無い。

 

 休暇中の大河の代わりに近衛大将を務める者は居ない。

 余りにも大河の功績が凄まじく、代理人を自薦する自信満々な人物が居ないのだ。

 山城守の後任者である、亀岡では名君として名高い明智光秀さえも、山城国では、不人気だ。

 その状況を、上杉氏の京にある別宅にて、景勝は憂慮していた。

「……」

 大河の後任者は、誰でも彼と比べれば劣る。

 嘗て、チトーが多民族国家のユーゴスラビアを1代で纏め上げ、その治世では平和を保っていたが、彼の死後、弾圧されていた民族主義ナショナリズムが台頭し、サラエボ冬季五輪オリンピック(1984年)の僅か8年後の1992年、ユーゴスラビアは解体した。

 アメリカを破ったベトナムのホーチミンの死後、現代、成長が著しいベトナムでも公務員が副業をしなければならない現実がある。

 英雄は1人では足りないのだ。

 大河の養子・景勝もそれは、チトーやホーチミンの事は当然知る由も無いが、その事実は、無意識的に分かっていた。

(……に恥じぬ漢にならなければ)

 景勝が無感情なのは、義母・謙信の影響が大きい。

 偉大な義母の前で威厳を出すには、無感情が1番、と考え、以後、貫いている。

 異常な程、禁欲主義ストイックとも言えるだろう。

 笑顔が多い(殆ど演技だが)大河を光とするならば、景勝は、闇と表現出来るかもしれない。

 現・伏見区景勝町の大名屋敷を出立し、大河に会いに行く。

「おー、よく来たな」

 上機嫌に大河は、出迎える。

 義父と義理の息子の関係性だが、両者はすこぶる仲が良い。

 その証拠に、普段、無感情が過ぎる景勝でも、大河の目前では、微笑を浮かべずにはいられない。

 軍神の息子が、”一騎当千”を毛嫌いする理由は無いだろう。

「だー」

「……」

 累を抱っこし、景勝も心なしか嬉しそうだ。

「今日は何しに来たんだ?」

「……」

 ―――父上、現在、空位の近衛大将代理を私に務めさせて下さいませんか?

「ほー」

 予想していたのか、大河は感心するばかるで驚いた様子は無い。

「自薦か。初めてだな」

「……」

 ―――私では力不足ですか?

 大河が中々、賛成しない事に景勝は、一気に不安になった。

 若く経験不足が、景勝の弱点だ。

 大河も若いが、国内外と実戦経験豊富で然も、総大将の癖に自分でも一番槍に駆ける程、血気盛んである。

 景勝も、訓練に励み、兵法も学んでいるのだが、如何しても、義父には勝てない。

 然し、諦めてもいない。

 大河の様な漢になるのが、景勝の目標であり、夢であるから。

「全然。只、結構、きついぞ?」

「……」

 ―――陛下の御傍だと御心労が絶えない?

「然う言う事だ。出来るか?」

「……」

 ―――……善処します。

 御役所的な返答だが、大河は、その仕事の辛さを誰よりも理解している為、代理に完璧なそれを求めていない。

 籤引きで選ばれた人も同じ様な答えだっただろう。

「じゃあ、推薦書を書いておくよ」

「!」

「但し、自薦したんだ。途中で放棄するなよ?」

「……」

 その場で大河は、したためた。

 ———

『上杉景勝

 右の者を近衛大将代理に推薦する。


                   真田大河』

 ———

 身内を登用するのは、公私混同とも言えるだろうが、他に自薦他薦が無い為、この場合は、仕方の無い事だろう。

 推薦書は、早馬で御所に届けられ、直ぐに受理。

 大河の不在の間のみ、景勝が近衛大将となった。

 黒幕として、更に大河の権勢を誇る出来事になったのであった。


[参考文献・出典]

*1:マナペディア

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