第212話 廃国置県

 万和3(1578)年1月2日。

 その日の瓦版に全国民は、腰を抜かした。

 ――

『【廃国置県法衆議院通過】

 昨年末、会期末の国会にを廃止、新たな行政単位となるを置く新法が提出されていた事が判った。

 提出者は、衆議院の全議員で、今後は、貴族院の審査を通過後、成立する見通しだ。

 内容は、

・五畿七道ある現在の国々を、47都道府県に変更し、国境も県境とする。

・国司とは別に黙認されていた国主も、廃止。

 地方自治体の長は、国司のみとする。

・解職請求権も合法化し、国司を何時でも投票で解任出来る様にする。

 等である』

 ―――

 まさに寝耳に水だ。

 織田派の国会議員も根回し済みで、この法案に対する反対派は居ない。

 然し、領土が切り取られる可能性が出て来た戦国大名の多くは、猛反発だ。

「おい、真田! これは、一体どういう事だ?」

 京の国邸に駐在している島津家の家臣団が乗り込んで来た。

「何の話です?」

「惚けるな! 貴様が仕組んだ事だろう?」

 瓦版が、大河の前に叩き付けられる。

 家臣団は怒り心頭だが、折角の正月休みにも関わらず、無断で登城され、この言われ様。

 平馬、左近、武蔵、弥助はピリピリ感で、家臣団を睨む。

 一触即発。

 まさにそんな状況だ。

「ほう、そう言うなら、それ相応の証拠があるんですよね?」

「何?」

「言いがかりで乗り込んで来たんですから、ちゃんと納得出来る証拠を出して下さいよ」

 大河は、立ち上がる。

 刀や拳銃には、手を伸ばさない。

 が、その圧倒的威圧感は、童顔に似合わず凄まじい。

 家臣団は一転、蛇に睨まれた蛙となる。

「「「……」」」

「若し、無いのであれば、不法侵入と解釈するしかありませんな」

 一切、瞬きしない大河。

 楠が慌てて飛んできた。

「お前達、馬鹿な事を! さ、帰り!」

「「「……」」」

「馬鹿! 真田は本気よ!」

 楠の経験上、三白眼になった時が、大河の殺意の時間だ。

「「「……」」」

 家臣団は、頭を下げて、帰って行く。

「……若殿、追っても?」

「左近。奴等は、雑魚だ。それに外交問題になる。放っておけ」

「ですが―――」

「良い。島津とは仲良くしていきたい。楠も有難うな」

「……うん」

 2人は、抱き合う。

 島津氏との対立は、これで避けられた。

「山城様、先程の話は、結局如何なんですの?」

 瓦版の記事を読んだ千姫が、尋ねる。

「御爺様の領地も分割されるんですか?」

「まぁ、そうなるな……」

「出来れば、三河だけでも死守したいです……」

「貴族院が反対したら廃案になる可能性がある」

「! では、貴族院次第ですのね?」

「そういう事だ」

 全権委任法を持つ大河は、貴族院をも操作コントロールする事が出来る。

 然し、大名の猛反発をも予想し、貴族院の意思は、所属議員に委任させていた。

「ただ、衆議院が通った以上、擦り合わせが必要で、改正法案が出されるかもな」

「う~ん……」

 衆議院は貴族院と違い、任期が短く、又、選挙区では直接選挙で議員が選ばれる。

 その為、貴族院よりも、「民意に近い」とされ、貴族院で否決されても、再び、衆議院で3分の2以上の賛成票が投じられば、そのまま成立となる。

 非常に回りくどいが、この方法だと、法案に不備があった際、貴族院が防波堤の役割を担う。

 法律家ではない人々が多い衆議院とは違い、貴族院は、知識人が多く問題性のある法案には、長時間審議する。

 その間、修正点や改善点が見付かる可能性があるのだ。

 貴族院で否決されても、改正法が衆議院で可決されれば、成立となる。

 日ノ本の民主主義を守る最大の防波堤が、貴族院なのであった。

「……やっぱり、削られるのは嫌ね」

「そうだな」

 その時、アプトが焦った表情で走って来た。

「若殿! 茶々様が破水されました!」

「何?」

「エリーゼ様も御出産されそうです!」

「車を出せ! 病院に運べ!」

「は!」

 島津家家臣団無断登城事件に続いて、お産だ。

 然も、陣痛の前の破水は、非常に危ない。

 これを前期破水と呼び、破水すると、卵膜が破れた所から赤ちゃんに細菌感染する可能性が高くなる為、すぐ産院に連絡をしなければならない(*1)。

「うぷ……」

 千姫も産気付いた。

 妊婦3人が同時だ。

 最寄の産院に運ばれる。


 大河の迅速な指示の下、3人は、無事に産院に到着する事が出来た。

 然し、細菌感染した可能性が否定出来ない、との産婦人科医の判断により、そのまま帝王切開が行われる。

 本来ならば、自然分娩が望ましいのだろうが、産婦人科医の判断だ。

 素人である大河は、覆す事は出来ない。

 そして、数時間後、3種類の産声が、手術室から響いた。

「おめでとう御座います! 全員、男児です!」

 目も開かず、首も据わっていない。

 妊婦達は、其々それぞれ、男児を抱き抱え、その頭を撫でている。

「「「……」」」

 3人共、放心状態だ。

 世継ぎを作る、という一世一代の任務ミッションを乗り越えた直後なのだから当然だろう。

「御疲れ。よく頑張った」

 大河の気遣いの言葉に3人の目尻には、涙が。

「……神様からの御年玉だな。ほら、累。弟だぞ?」

「だー……」

 大河に抱っこされつつ、累は、弟達を硝子越しに凝視。

 今迄次女だったのに、姉になったのだ。

 その実感が湧くのは、もう少し成長した後かもしれない。

おのこか」

「これで我が家は、安泰だな」

 信長、家康もやって来て、同様に硝子越しに眺める。

 家康に至っては、曾孫だ。

 千姫が産まれた時の事を思い出しているのだろう。

 涙が止まらない。

 狸親父も曾孫の前では、好々爺だ。

「えーっと……義弟の息子だから甥になるな」

 信長も目尻が緩んでいる。

「真田、後どの位で触れ合えるんだ?」

 遅れてやって来た信忠も鼻息が荒い。

 家族が産まれて喜ばない者は身内ではない。

 お市も濃姫も、今か今か、という顔だ。

「主治医の話では、1週間程らしいです」

「長いなぁ……」

 がっくり、分かり易く一同は、項垂れる。

 大河とて触りたい。

 直接会いに行きたい。

 然し、主治医がその様に判断している以上、素人は、それに従うのが、普通だ。

「これからは、7日間、日替わりで面会だな」

「だー」

 3人を勇気付ける様に、累は高々と拳を掲げるのであった。


 累に次ぐ出産は、瓦版を通じて、直ぐに広まった。

 ―――

『【元国司、男児誕生】

 近衛大将の真田大河氏に男児が産まれた。

 それも3人同時に。

 2日午前中、産気付いたので、産院に向かった所、そのまま帝王切開の運びとなり、破水から数時間後には、産まれたという。

 男児の名前は、全員、判っていない。

 秘書・鶫氏によれば、妊婦は、茶々様、えりーぜ様、千姫様の3名で、現在は、母子共に安定期に入っているという。

 茶々様、千姫様に関しては、其々、実家である織田家、徳川家での生育も検討されている為、今後、尾張国や三河国に男児がする可能性も浮上している』

 ―――

 大河が城に帰ると、村井貞勝と本多忠勝が、登城していた。

 島津家家臣団に続いて無断登城だが、2人の場合、理由が違う為、問題無い。

「世継ぎの誕生、おめでとう御座います」

「我が殿も産院で御会いした通り、大喜びで御座います」

 鶫が御茶を出す。

 広報に続いて、御茶出しと御正月にも関わらず、大忙しだ。

 時間外労働として、特別手当を後で払った方が良いだろう。

「態々、御正月に来て下さって有難う御座います。然し、両家の御殿様には、産院で御会いしましたが?」

 用件があれば、信長、家康が産院で話していた筈だ。

 にも関わらず、部下を使者として送ったのは、つまり―――

「お気付きかとは思いますが、男児は、三河で育てたいです」

「織田も同じく。尾張で育てたいです」

「……何故です?」

 鶫が空気を読んで、口述筆記を止める。

 公文書には、載せられない内容、と判断したらしい。

 大河が首を振って、

『続けろ』

 と指示を出す。

「……」

 困惑した鶫だが、命令なので逆らえない。

 再び筆を執った。

「徳川殿は、信康殿が絡んでますよね?」

「! 流石は近衛大将だ。正解です」

 忠勝は、額の汗を拭う。

 ———

 家康には、長男は徳川幕府2代目将軍・秀忠と思われがちだが、実際には、秀忠は三男で、兄が2人居る。

 長男・信康。

 次男・秀康だ。

 秀康の方は、史実同様、家康に冷遇され、結城家の養子となり、世継ぎレースから脱落。

 信康も又、史実同様、信長と武田信頼の戦の間、信頼との密通(説)が信長に露見し、切腹となった。

 所謂、信康自刃事件である。

 この事件については、幕府成立後の所謂、徳川史観による『三河物語』が通説化している。

 それによると、信長の娘・徳姫は今川の血を引く姑の築山殿との折り合いが悪く、信康とも不和になったので、天正7(1579)年、父・信長に対して12箇条の手紙を書き、使者として信長の元に赴く徳川家の重臣・酒井忠次に託した。

 手紙には、

・信康と不仲である事


・築山殿は武田勝頼と内通した


 と記されていたとされる。

 信長は使者の忠次にただしたが、忠次は信康を全く庇わず、全てを事実と認めた。

 この結果、信長は家康に信康の切腹を要求した。

 家康はやむをえず信康の処断を決断。

 まず築山殿が二俣城(現・浜松市天竜区)への護送中に佐鳴湖の畔で、徳川家家臣により殺害された。

 更に二俣城に幽閉されていた信康に切腹を命じた。

 家康を悩ませたものとして、信康や築山殿の乱暴不行状については『松平記』『三河後風土記』の両書が詳しい。

 信康については、


・気性が激しく、日頃より乱暴な振る舞いが多かった。


・領内の盆踊りにおいて、服装の貧相な者や踊りの下手な領民を面白半分に弓矢で

 射殺「殺した者は敵の間者だった」と信康は主張した。


・鷹狩りの場で1人の僧侶に縄を付けて縊り殺した(狩の際、僧侶に出会うと獲物が

 少なくなるという因習を信じ、狩に行く際に偶々出会った僧に腹を立てた為)。

 これに対して信康は後日、謝罪している。


・徳姫が産んだ子が2人共女子だったので腹を立て、夫婦の仲が冷え切った。


 等がある。

 又、『当代記』には、信康は家臣に対し無常・非道な行いがあったとしている。

 築山殿については、


「家康が今川方を裏切り織田方に付いた為、父が詰め腹を切らさせられた事を恨み、家康を酷く憎んでいた。そして減敬という唐人の医者を甲斐から呼び寄せて愛人にして、密かに武田氏に通じた」


 というものである。

 これらの内、特に減敬の逸話については築山殿を貶める中傷説もある(*2)。

 この他、


・父子不仲説(*3)(*4)(*5)(*6)


・派閥抗争説


・家臣団との対立説(*7)(*8)


 等が提唱されているが、どれが真実かは、今尚、判っていない。

 多汗症並に汗を噴出させた忠勝は、続ける。

「上様は、新生児を信康様の生まれ変わりとして育てたいのです」

 関ヶ原の戦いで戦況が一時不利になった時、家康は、

せがれが居ればこんな思いをしなくて済んだ」と言い、側に居た家臣が遅参している秀忠の事だと思い、

「間もなくご到着されると思います」

 と声を掛けた所、

 家康は、

「そのせがれの事ではないわ!」と吐き捨てた。

 又、晩年には「父子の仲平ならざりし」とこの時の事件について後悔している逸話がある様に(*9)。

 家康は、信康の能力を高く評価していた節が史実でもある。

 ———

 今の家康は、晩年、信康との仲を修復したかった家康なのかもしれない。

「……事情は分かりました。ですが、私1人では判断出来ません。千姫と熟考した上で決めます」

「有難う御座います」

「村井殿の方は?」

「はい。浅井長政の代わりに近江を治めさせたい、と上様は仰っています」

「成程」

 信康とは違い、そちらの方が実現出来易いだろう。

 茶々は、織田家を嫌い、浅井家復興を目論んでいるから。

「そちらについては、茶々も前向きに考えてくれるでしょう。約束は出来ませんが」

「有難う御座います。考えて下さるだけでも幸いな事です」

 織田家と徳川家。

 両家の明暗がくっきり分かれた形となった。

(さぁて……要相談だな)

 妻の反応が分かり難い。

 大河としては、華姫を世継ぎと宣言している以上、男児達を世継ぎにする意思は毛頭無い。

 織田家、徳川家に養子に出しても良い位だ。

 然し、茶々、千姫の意思が分からない。

 彼女達が我が子可愛さに跡継ぎに推す事も考えられる。

 そうなった時は、上杉家が黙っていないだろう。

 御館の乱の様な家督争いに発展しかねない。

 大河には、重要な舵取りが迫られるのであった。


[参考文献・出典]

*1:エリエール HP

*2:谷口克広『信長と消えた家臣たち-失脚・粛清・謀反』中央公論新社〈中公新書〉2007年

*3:『安土日記』

*4:『当代記』

*5:『家忠日記』

*6:『大三川志』

*7:『寛政重修諸家譜』

*8:『三河東海記』

*9:『戦国驍将・知将・奇将伝-乱世を駆けた62人の生き様・死に様』編・歴史群像編集部 学習研究社〈学研M文庫〉 2007年

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