第203話 百鬼夜行
大河達が長州旅行を満喫している間、橋姫は別な意味で楽しんでいた。
真夜中。
真っ白な死に装束を身に纏った橋姫は、墓地をうろついていた。
「今夜は、遅かったな?」
待っていたのは、鎧武者。
が、顔は青白い。
言わずもがな死者だ。
「準備していたからね。ほら」
橋姫が、手綱を引っ張ると、
「……」
魂が引き寄せられ、彼女の手元に。
「……これは?」
「真田山城守大河よ」
「! 生霊か?」
「そ。寝ている間しか、出来ないけどね」
鎧武者達が殺到する。
中には、尼僧や子供も。
「流石だな。面構えが良い」
「全くだ。”古今無双”で”一騎当千”であり、”日ノ本一の兵”でもある。天晴だ」
武士達は、激賞し、
「可愛いわぁ♡ 艶福家なのは、当然ね」
「そーそー。私も可愛がってもらいたいわ」
尼僧からの評判も良い。
「橋様、真田様って源氏より強い?」
「強いよ~。頼朝や義経、弁慶が束になっても敵わないと思うわ」
「「「すっご~!」」」
子供達は、目を爛々と輝かせて大興奮。
好意的な反応が多いからか、魂はスライムの様に揺れる。
無意識的に嬉しがっている様だ。
大河と眷属の契約を交わした為、橋姫は、彼の感情―――喜怒哀楽が手に取る様に分かる。
外見上、笑顔でも内心では、9・11直後の米国民並に激怒していた事が何度あったか。
ゴ〇ゴ13並に大河は、感情を滅多に表に出す事は無い。
例え相手が妻であっても。
その為、
亡霊達が喜ぶ中、
「やっと連れて来て下さいましたね?」
「”一騎当千”見たい!」
幼子を連れた還暦間近の尼僧が、姿を見せる。
「時子様」
橋姫は、平伏す。
尼僧の正体は、平時子(1126~1185)。
平清盛の正室であり、別名・二位尼で知られる。
「そう
「わー!」
幼子―――安徳天皇は、誰よりも目を輝かせて、魂を見る。
幼帝に見られている事に緊張しているのか、魂はそれまで震えていたのが一転、御餅の様に固くなった。
それを見て、時子は、笑う。
「真田様、緊張なさらないで下さい。何もとって食おうなどとは思いませぬから」
「そーそー」
安徳天皇も同調する。
「僕と同じ位の帝を
その言葉に魂は、縮こまる。
恐縮、と言った感じか。
「もう”一騎当千”の名前負けだね。アハハ!」
安徳天皇は、上機嫌だ。
子孫と結婚した武士とこうして出逢えたのだから。
大河が緊張して無言の為、代わりに橋姫が話す。
「浪の下の都は如何です?」
「う~ん。寒いね。欲を言えば、もう少し温かい所が良かったかも」
安徳天皇と平家一門は、浪の下の都―――極楽浄土で暮らしている。
御盆の時期には、特に忙しい。
赤間神宮に彼等を慕う人々が参拝する為、彼等と会わなければならないから。
「真田は、転生する時代を間違えたよ。僕の時代に来て欲しかったなぁ」
残念がる安徳天皇。
歴史にIFはあるあるだが、若し、大河が源平合戦の時に来て平氏に属したら、確かに平氏に勝機があったかもしれない。
だとすると、壇ノ浦の戦いも逆転勝利で、安徳天皇等が入水する悲劇も無かっただろう。
「……」
魂は、じっと聞いている。
安徳天皇に同情しているのかもしれない。
「あ、僕はこの通り、極楽浄土で楽しくやっているから、大丈夫だよ。優しいんだね? 同情してくれるなんて」
「……」
「子孫を連れてきてくれて有難うね。中々、帰京出来ないから、逢えて嬉しかったよ」
時子は、魂を撫でる。
「陛下もこの通り、御元気なので、気になさらいで下さい。では、私達はこの辺で。貴重な御時間、有難う御座いました」
安徳天皇達は、手を振って消えていく。
橋姫が大河を連れて来たのは、死後、直接会うよりも先に紹介し様、というのが理由だ。
彼等も朝顔の夫である大河に興味を持っていたらしく、以前から逢いたがっていた。
両者の意見が一致した形が、今回の面会なのだ。
逢いたがっているのは、彼等だけない。
「陛下も私達に気を遣う必要は無いのに」
渋面で現れたのは、やはり、鎧武者の軍団。
大内菱の家紋を掲げた彼等は、旧領主・大内義隆とその忠臣達だ。
橋姫の前で義隆は、座る。
そして、魂を見た。
「……成程。良い面構えだ」
「分かります?」
「ああ、武士の顔だよ。裏切者とは違うな」
軍団の中には、陶晴賢の姿は居ない。
「まずは、有難う。大寧寺に来て祈ってくれて」
『当然の事です』
魂が、初めて喋った。
先程は安徳天皇の御前だった為、無口だったが、今回は武士が相手だ。
喋らない訳にはいかないだろう。
『ただ、大勢で来てしまい、御迷惑をおかけしました』
「いやいや。久し振りに美女を見れたんだ。眼福だったよ。気にしていない」
義隆は、豪快に笑う。
「あの異人の奥さん、美人だな。私も出逢いたかったな」
美女の中で1番、関心を抱いたのは、エリーゼの様だ。
日ノ本ではまだまだ珍しかった耶蘇教の布教を天文20(1551)年に許可した様に、義隆は、異文化に理解がある。
『大内様―――』
「そう、睨むな。冗談だよ」
嫉妬に燃える大河に義隆は、苦笑い。
愛妻家だが、大河は時折、嫉妬深さを露わにする。
若し、義隆レベルの人でなければ、村雨で斬殺していたかもしれない。
「それで、ここでの旅行は、楽しんでいるか?」
『はい。御蔭様で湯治等を存分に楽しませて頂いています』
「そうか。そうか。それは良かった。私も嬉しいよ。天下の近衛大将が、旅行先に選んでくれるなんて。毛利とは仲良くやっている様だな?」
『えっと……はい』
「気にするな。戦国だったんだ。私が無能で、元就が有能だっただけ。それだけの事だよ」
極楽浄土で読書等、悠々自適に暮らしている義隆も又、安徳天皇同様、現世に未練が無い。
「そうだ。頼みたかった事がある。聞いてくれるか?」
『叶えられる内容であれば、ですが』
「近衛大将の癖に弱気でどうする? 簡単な話だよ。大寧寺に御布施を頼みたい」
『迷惑料、ですか?』
「そうだ。お寺なのに戦地にさせてしまった。申し訳ない事をした。済まんが、立て替えてくれないか?」
『分かりました』
「良かった」
ほっと、義隆は、胸を撫で下ろす。
「これで、本当の意味で成仏出来るよ。返礼に貴家に『繁栄』という名の贈答品を与え様」
義隆は、懐から勾玉を取り出し、魂にかける。
『……これは?』
「
『!』
「!」
魂と橋姫は、ギョッとした。
ケラケラ、と義隆は嗤う。
「案ずるな。複製品だよ」
寿永4(1184)年の壇ノ浦の戦いで二位の尼が安徳天皇を抱き入水した時、玉・剣と共に八尺瓊勾玉は(『平家物語』によると「神璽を脇に挟み宝剣を腰に差し」)沈んだ。
然し、玉は箱に入っていた為、箱毎浮かび上がり、源氏に回収された。
或いは、一度失われたものの、源頼朝の命を受けた漁師・岩松与三が、網で鏡と玉を引き揚げたともされる。
にも関わらず、複製品が出回っているのは、不思議だ。
2人が首を傾げるのを見て、義隆は、説明する。
「あの世で安徳天皇から御聞きし、作ったんだよ。陛下の御祈りが込められているから御守りになる」
『……有難う御座います』
「……」
橋姫は、まじまじと見る。
『瓊』という字が赤い色や
まさに直訳通り―――『8尺ある赤い色の勾玉』だ。
然し、8尺という長さがどこをさしているのかがはっきり分かっていない。
①勾玉の外周又は内周説
②結んである
・ただ単に「8尺位ありそうな程大きい」という比喩説
等、諸説ある(*1)。
物は試しとばかりに聞いてみた。
「大内様、何故、8尺なんです?」
1尺は、約30・3cm。
8尺だと、約242・4cm―――見る限り①②には、とても見えない。
「初めて造った人の想いを8尺に例えたそうだ。本当は、八百万の意味を込めたかったが、長過ぎるから8尺を採用したんだと」
「成程」
原義は、『永久に壊れない様に』と、橋姫は解釈した。
「複製品とは雖も、陛下の想いが詰まったものだ。私に下賜されたが、やはり生者の、特に真田の様な立派な御仁には、適当だろう」
『陛下に悪いですよ』
「陛下には、私の方から説明しておくよ。子孫が受け継ぐのが、正当だ。若し、貴殿でも荷が重いなら、奥方様が身に着けて下さればよい。全ての邪気から身を護るからな」
『……』
迷惑料の返礼が、最強の御守りの様だ。
「受け取ってくれ」
『……有難う御座います』
魂が返答すると、義隆は微笑んだ。
全ての憑き物がとれた様な弾けんばかりの笑顔であった。
「御盆でもないのに帰省した甲斐があったよ。有難う、橋様」
「いえいえ。御尽力出来た私としても嬉しい限りです」
土下座する並に橋姫は、頭を下げた。
大河に勾玉を譲渡する等している事から、存命中、家中や領民の動向が見抜けず、公卿的生活を尚んだ中央指向の姿勢を貫く為、国情を無視して臨時課役を増し、大寧寺の変に繋がった事を反省し、亡者になった後は、柔和になった様だ(*2)。
7歳と5歳の男児2人が、義隆に寄って来た。
「父上~まだ~?」
「もう帰ろうよ~。飽きた~」
「分かった分かった。帰ろうな。でも、挨拶だけしなさい」
「「はい!」」
元気よく返事した後、2人は、橋姫達に向く。
「
「歓寿丸です」
前者は、義隆の嫡男で、彼が39歳の時に生まれた。
母は義隆の2番目の正室である、おさい(*3)。
然し、実は義隆の実子かどうかを疑われていたという(*4)。
陶晴賢が義隆に対する謀反の計画を企図した際、最初は義隆の隠居と義尊の新当主擁立が決められていたが、この義尊の実子か否かの問題の為に晴賢は計画を変更して義隆・義尊殺害に変更したとされている(*4)。
天文20(1551)年、晴賢が謀反を起こすと、父の義隆や公家衆と共に山口より脱出し、長門大寧寺へ逃れた。
この時、義尊は幼少の為、従者(同朋衆の龍阿)に背負われていたという。
然し、幼児ながらも謀反に動揺せず立派な態度を見せたと伝わる(*4)。
義隆自害後は、義尊も小幡義実に連れられて逃亡を図るが捕らえられた。
この時、陶隆房は助命すると述べて捕虜にしたのだが、約束を反故にされて義尊は殺害された(大寧寺の変)。
殺害された場所は、俵山温泉の現在、金精神社の麻羅観音がある奥とされる(*5)。
末子・歓寿丸は(当時は三男の末子であるが、大寧寺の変後に四男・義胤が誕生している)、大寧寺の変後に女装して山中に隠れて生活していた(*6)。
然し、翌年に陶の兵に捕らえられ、兄・義尊同様、麻羅観音の地で殺された。
この時、男児であるという証拠の為に、歓寿丸の陰茎が切断され持ち帰られたとされる。
この事を不憫に思った住人がその霊を慰める為に観音堂を作った。
軈て、祠は本来の歓寿丸の慰霊の意味に加えて子宝祈願や健康増強の場として意味を持つ様になり、多くの参拝者で賑わう様になった(*7)。
兄弟は軽い感じで手を振って、
「お墓参りに来てね~」
「待ってるよ~」
と誘い、父の手を取って消えていく。
軍団もそれに続く。
全てが終わった後、橋姫は、振り返った。
「出てきて良いわよ」
「「!!」」
叢が揺れる。
「じゃないと、魂、食べちゃうから―――」
直後、叢から2人の聖職者が飛び出た。
1人は、尼僧。
1人は、巫女だ。
「橋様、気付いてたんですね?」
尼僧・信松尼は、苦笑い。
「……」
巫女・於国は、魂を抱き抱えて、橋姫から距離を取る。
「人間の気配は分かり易いからね。あと、於国、さっきのは、冗談よ」
「ガルルルル……!」
犬歯を剥き出しにして、威嚇する。
正妻の1人として大河が心配なのだ。
監視していた2人は、橋姫が亡者と会っていた事を知っても、逃げなかった。
それ程、大河が愛し、心配している証拠だろう。
「さ、帰るわよ。大河が起きる前にね」
2人の敵対的感情を余所に何処迄も余裕綽々な鬼であった。
後日、大河は、大寧寺に多額の寄付を行い、一行と共に麻羅観音にも参拝する。
夢枕で「大内氏と出逢ったから」との理由で。
麻羅観音にも寄付し、隆元にそこの整備を要請するのであった。
[参考文献・出典]
*1:https://bushoojapan.com/jphistory/temple/2019/10/07/60591#i-2
*2:米原正義 『大内義隆のすべて』 新人物往来社 1988年
*3:『相良家文書』
*4:『大内義隆記』
*5:編・福尾猛市郎『大内義隆』日本歴史学会 吉川弘文館〈人物叢書 新装版〉1989年
*6:ながと観光なび ななび
*7:ウィキペディア
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