第202話 雨露霜雪

 元就の喪中期間中、大河達は、温泉に浸かっていた。

 現代では、リゾートホテルがある湯本温泉に。

 音信川おとずれがわ沿いに広がる温泉街にある大谷山荘は、平成28(2016)年末、日露首脳会談の舞台となった他、現代の上皇や歴代首相も宿泊した事がある高級旅館だ。

「……やっぱり、楽しみ辛いね。喪服期間の旅行は」

 敬虔な仏教徒である謙信は、終始苦笑い。

 他の女性陣も同様だ。

「良いんだよ。自粛が行き過ぎると、経済が滞るからな。元就公も御許しになるよ」

 大河は、お市の背中を流しつつ、答える。

 昭和天皇が闘病中から崩御されるまでの間、日本国内では、自粛が目立った。

 毛利領でも、その様な雰囲気が見られていた。 

 然し、余りにも自粛が長期化してしまうと、倒産する企業も多くなる。

 例によって、新型ウィルスが大流行して以降、日本国内の多くの企業から客足が遠退き、その結果、倒産が相次いでいる。

 流石に元就は、自分の死で領民にひもじい思いをさせたくはないだろう。

 伝統文化と現実問題は、別々に考える必要がある。

「それにしても」

 綺麗になったお市は振り返り、今度は御返しとばかりに大河を洗う。

「住吉大明神の御神託通りの名湯ね」

 大河の背中を糸瓜へちま束子たわしでごしごし。

 ———

 史実で大内氏が滅んだ所謂、大寧寺の変(1551年)の住職・定庵禅師(1373~1432)がある月の明るい夜、寺の周りを散歩中、石の上で座禅を組む老人と出逢った。

 定庵が名前を尋ねると、老人は歌で答えた。

「松風の 声のうちなる隠れ家は 昔も今も住吉の神」

 何と老人は、長門一宮(現・下関市)の住吉大明神であったのだ。

 住吉大明神は、その後、定庵の下に通い、仏道修行に励む。

 そして応永34(1427)年3月23日、定庵から法衣を贈られた住吉大明神は、その恩返しに、

「山奥に温泉を出しておいたので、御利用下さい」

 と告げた。

 直後、雷鳴がとどろき、住吉大明神は、大きな竜となって雲の上に消えて行ったという(*1)。

 ———


 湯本温泉でたっぱり湯治を楽しんだ一行は、大寧寺を参拝する。

 訪問理由は、大内義隆への敬意を払うのと、後は、血天井見学だ。

 黒く変色した天井を、大河は興味津々に見詰める。

「……」

 この血の持ち主・冷泉隆豊(1513~1551)に想いを馳せる。

 彼は、大内義隆の忠臣で彼の介錯を務めた後、陶軍の中に突撃して討死にした。

 その最期は壮絶なものだったと伝えられ、攻め寄せる敵兵が恐れを成す迄戦い、火をかけた経蔵に入って辞世を詠んだ後に十文字に割腹、内臓を天井に投げつけて果てたと伝わる(*2)。

「……」

 合掌後、時機タイミングを見計らった様にエリーゼが袖を引っ張った。

「血天井?」

「よく知ってるな」

「勉強家だもの」

 異教徒故、祈りはしないが、エリーゼも武士達の死に感銘を受けている様で、その表情は真剣だ。

「……要塞マサダを連想するわ」

 要塞はイスラエルの文化遺産の一つだ。


 70年

 ローマ軍団によってエルサレム陥落(エルサレム攻囲戦)。

 ユダヤ人集団967人(兵士、女性、子供)が包囲を逃れ、要塞に籠城。


 73年5月1日

 ユダヤ人、集団自決。

 生存者は穴に隠れていた2人の女性と5人の子供(*3)。


 73年5月2日

 ローマ軍、城内に突入


 この歴史は、イスラエルでは悲劇の歴史の一つとして語り継がれている。

「……そうだな」

 状況は違うが、多数の死者が出たという時点では同じだ。

 否定しない夫にエリーゼは、優しさを感じた。

「……祈っても?」

「曹洞宗だが?」

「死者に敬意を払って何が悪いのよ?」

「……分かった」

 恐らく、唯一神ヤハウェもそれ程、厳格な方ではないだろう。

 他宗教に改宗する訳ではない。

「……」

 嘆きの壁でする様に、エリーゼは血天井近くの壁に額を付けて、祈る。

「……終わったよ」

「そりゃあ良かった」

 部屋を出て、宿泊室へ。

 今晩は、住職の計らいにより、ここが宿だ。

 宿坊体験も良い体験になるだろう。

 既に女性陣は、精進料理を食していた。

 並んでいるのは(*4)、

・けんちん汁

胡麻豆腐ごまどうふ

稲荷寿司いなりずし

御手洗団子みたらしだんご

・なんきんそぼろ

茄子味噌なすみそいため

天婦羅てんぷら

滑子なめこおろし蕎麦

麻婆豆腐マーボウドウフ

筑前煮ちくぜんに

・彩り鮮やか青椒肉絲チンジャオロース風精進炒め

 ……

 食の欧米化が進んだ現代では、余り見られないものばかりだろう。

 雑食の大河や尼僧の信松尼、「子供の為に」と妊婦達は抵抗が無い。

 幼妻と子供、若い侍女は除いて。

「「「……」」」

 肉食が解禁され、偏食になりつつある、お江の箸は進まない。

 涙目で、大河を見た。

「兄者~。お肉食べたい」

「じゃあ、食べれる物だけ食べな。後は、奴隷が全部食べるから」

「私?」

 突然、振られ、小太郎は硬直した。

 身分上、奴隷の彼女だが、大河の配慮により、愛人同様、食事に同席出来ている。

 もっとも、正妻と同じ机とはいかない為、離れた場所だが。

「「「……」」」

 楠、於国、珠も食べれない様で、小太郎の方に御盆を持っていく。

「真田、甘えさせるな」

 勿体無い事に朝顔が怒った。

 常日頃から食べ慣れている質素な料理を、毛嫌いされているのが気に食わないのも理由の一つだろう。

「甘えさせてないよ」

 華姫に膝に座られれつつ、答える。

「無理に食べれば、心的外傷になり、より嫌いになりかねん。だったら、『大嫌い』より『嫌い』のままの心象の方が良いだろう」

「……そう?」

 結局は嫌いなのだが、大河の意見は、一理あるかもしれない。

 朝顔が知るある皇族も、苦手な食べ物を改善し様と無理矢理努めた結果、嘔吐し、以来、食べていない。

 食品ロスの観点から、御残しは控えた方が良いのだが、人間は好き嫌いの動物だ。

 幼少時、大嫌いになった物は、死ぬまで食べる機会は、ほぼ皆無だろう。

「ちちうえ、そばたべる?」

「あれ? 蕎麦嫌いだったっけ?」

「はなよめしゅぎょー。たべさせてあげる」

 箸で挟んで、緬を大河の口に運ぶ。

「おませさんだな。有難う」

 ラブラブな養父と養女。

「こ~ら。正妻を忘れちゃ駄目だぞ?」

 養母・謙信も加わる。

「私にも食べさせて」

「自分で食える―――」

「……」

 目が怖い。

 累を出産して以降、嫉妬心は落ち着いたかに思えたが、「大河の正妻」という自尊心プライドが無くなった訳ではない。

「だー」

 累も這い這いでやって来て、大河の背中にコアラの様に抱き着く。

 力は当然、無いが、「母上様に意地悪したら殺す」という様な圧力プレッシャーを感じる。

「……はいよ」

 老後もこの様に尻に敷かれる生活だろう。

 幸せな夫婦生活な一方、大河は、日々、HPヒットポイントを削られている様な思うのであった。


 翌日、一行は、元乃隅稲成神社(現・元乃隅神社)に向かう。

 ここは、平成27(2015)にCNNが、『日本の最も美しい場所31選』の一つに選び、世界的に有名になった場所だ。

 創建は、昭和30(1955)年と、当然、安土桃山時代にはなく、歴史は浅い。

 謂われは、地元の網元・岡村斉の枕元に白狐が現れ、

「吾をこの地に鎮祭せよ」というお告げがあった。

 それを元に、太皷谷稲成神社(島根県津和野町)から分霊され、元乃隅稲成神社として建立されたのである(*5)。

 神社ではなく、なのは、それが理由だ。

 宗教法人等では無い為、神社本庁等にも所属せず、個人の所有物になっている。

・商売繁盛

・大漁

・海上安全

・良縁

・子宝

・開運厄除

・福徳円満

・交通安全

・学業成就

・願望成就

 の大神として、地域の人々の信仰を集めている(*4 )。

 個人の所有物の為、異教徒のエリーゼも参拝し易い。

 ブッシャ~!!!

 荒波が海蝕洞に打ち付けられる度に、海水が中の空気と一緒に吹き上げられる、『龍宮の潮吹』に女性陣は大興奮。

「「「きゃああああああああああ!」」」

 潮吹きの度にジェットコースターを乗った時の様に大騒ぎ。

 聖域では、大声は大抵厳禁だが、観光地でもある為、誰も咎める者は居ない。

 特に千姫は、身を乗り出す程、興味津々だ。

「落ちるなよ?」

「山城様が支えてくれているから安心ですわ」

「そりゃあどうも」

 現代出身の大河は、ここに行った事がある為、彼女達とは違い冷静沈着だった。

 背中に華姫をおんぶし、胸には累を抱っこ。

「ちちうえ、さむい」

「冬だからな。夏が良かったな」

「だー……」

「累もか? 仕方ない。暖を取ろう」

「私も行きますわ」

 4人は、小屋に入り、暖炉の前へ。

 木を燃やすのは、与祢、珠コンビの役割だ。

「先に暖めておきましわ。御茶もどうぞ」

「与祢、有難う。気が利くな」

「へへへ」

 褒められて、与祢は、微笑む。

 憧れている人に褒められる程、嬉しい事は無い。

「御主人様、河豚鍋は、如何です? 作ってみました」

 雪が降ってきた為、女性陣も避難して来た。

「あー、ふく~」

 お江が気付き、皆で鍋を囲む。

 侍女だけあって、珠は全員分の量を用意していた。

「真田、私も食べて良いかな?」

「良いよ」

 意外な事だが、帝は河豚を食べる事が出来ない。

 有名な例だと昭和天皇だろう。

 海洋生物の研究家でもあった昭和天皇は、河豚を安全に調理さえすれば食べれる事を知っていたが、侍従達は、「万が一の事」と頑なに認めず、結局、生涯、一度も食べられる事は無かったとされる(異説あり)。

 因みに、歴代天皇で最初に河豚を食べたのが、昭和天皇の次代、125代天皇陛下だ。

 皇太子時代、小金井に滞在中、河豚料理店の店主が滞在先に出張し、河豚料理を調理し、皇太子が食べた(*6)。

 その為、大河が快諾した事を、朝顔自身が1番驚いた。

「良いの?」

「うん。珠、捌いたのは誰だ?」

「地元の河豚調理師免許保有者です」

「だとよ」

「……毒見してね?」

「分かってるよ」

 大河が誰よりも先に河豚を食べる。

 もぐもぐ。

「「「……」」」

 全員の視線が注がれる。

「……大丈夫だよ」

「本当?」

「ああ、じゃあ、皆、合掌してな?」

「「「頂きます!!!」」」

 年末の河豚宴会は、大いに盛り上がった。

 又、朝顔が河豚を食べた事は、一気に広まり、現代同様、河豚食が日本全国に広まるのであった。


[参考文献・出典]

*1:長門湯本温泉協同旅館組合 HP

*2:ウィキペディア

*3:『ユダヤ戦記』

*4:曹洞宗近畿管区教化センター HP

*5:ながと観光なび ななび

*6:http://netabare1.com/3470.html

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