第194話 雪月風花

 万和2(1577)年11月。

 近江国(現・滋賀県)から帰京した大河は、仕事に戻る。

 もっとも全盛期ほど忙しくなく、もっぱら陳情者との面談が主だ。

 今回、来ているのは、農業協同組合農協

 万和元(1576)年に創設された、百姓の権利を守る組織である。

 百姓党の支持母体であり、選挙の際、日ノ本全土百姓の票を左右する既得権益だ。

「御殿様、今回、御会い出来て光栄です」

 その長・仲は、挨拶した。

 還暦超えの尼僧の正体は、羽柴秀吉の実母である。

 農業とは程遠い鍛冶の家出身であったが、百姓(説)の木下弥右衛門に嫁いで以降は、農業に携わっているのだ。

 実子・羽柴秀吉が昇進するごとに自身も名声を高め、農業協同組合の初代組合長に就任した訳である。

「仲様、御予約せずとも仲様ほどの高位な御方は、御予約せずとも会うのですが―――」

「そう仰らずに。高位者ほど規則を遵守しなければ、下位に顔向け出来ませんわ」

 秀吉を育てただけあって、立派な言葉だ。

「そうですか。御配慮下さり有難う御座います。それで、御用件は?」

「はい。最近、害獣の所為で日ノ本全土の百姓が困っているんです。駆除を御侍様に頼んでも『武士の仕事ではない』と断れ、四方八方手を尽くしたのですが、手詰まりでして」

「成程……」

 この時代に猟友会は、存在しない。

 猟友会が出来たのは、明治25(1892)年の事。

 その後、明治28(1895)年に狩猟法が制定され、以後、数度の改正された後、現在の鳥獣保護管理法(鳥獣保護法、狩猟法とも)になっている。

 法律が存在しない以上、害獣を駆除出来る法的根拠は無い。

 現時点で事故は起きていないが、誤射による死亡事故が起きるかもしれない。

 又、百姓の生活も脅かされる。

 組合員の為にも、仲が直談判しに来たのは、当然だろう。

「分かりました。害獣は、どんな種類ですか?」

「! 御聞き下さるんですね?」

「農民の皆様が居るからこそ、我々は安心して食べる事が出来るんです。当然ですよ」

 大河は、陳情者を追い返す事は無い。

 まずは、話を聞いて、可能か不可能かを判断する。

 大河が尊敬して止まない政治家の1人、田中角栄も又、決断が非常に早く、陳情等は1件約3分でテキパキ熟した。

 出来る事は、「出来る」と断言し、その案件は100%実行され、信頼された。

 口癖は、『結論を先に言え、理由を三つに限定しろ。それで説明出来ない事は無い』。

 短気でせっかちで結論も早く、それでついた愛称ニックネームが”分かったの角さん”。

 その為、秘書や官僚は分かり易く、要点をまとめる事を心掛けていた。

 又、出来でない事は出来ないとはっきり言い、「善処する」といった「蛇の生殺しの様な、曖昧な言い方」を嫌った。

 本人曰く、『「出来ない」と断る事は勇気が要る』との事だ(*1)。

 戸惑いつつ、仲は挙げていく。

「・羚羊かもしか

 ・土竜もぐら

 ・兎

 ・さぎ

 ・いたち

 ・はと

 ・ねずみ

 ・椋鳥むくどり

 ・かも

 ・穴熊あなぐま

 ・ひよどり

 ・からす

 ・猿

 ・洗熊あらいぐま

 ・熊

 ・狸

 ・猪

 ・鹿

 ・白鼻芯はくびしん

 ・すずめ

 ……以上です」

「分かりました―――鶫」

「は。記録済みです」

 用心棒でありながら、有能な秘書なのが鶫だ。

 仲が挙げ始める直前に用意し、名簿リストを完成させていた。

の方は、念の為、選定の上で対処します」

「直ぐには出来ないんですか?」

「御気持ちは分かりますが、無暗に絶滅させると、新たな害獣が誕生する可能性があります。それは、今まで以上に強敵な新種の害獣だと元の木阿弥です」

「……分かりました」

 事は一刻を争う為、仲が焦るのは、分からないではない。

 然し、残念ながら歴史は、証明している。

 1958年2月。

 大躍進政策の一つとして四害(伝染病を媒介する蠅、蚊、鼠と農作物を食い荒らす雀)の大量捕獲作戦が展開された。

 所謂、『除四害運動』(『打麻雀運動』『消滅麻雀運動』とも)である。

 北京市だけでも300万人が動員され、3日間で40万羽の雀を駆除した。

 然し、雀の駆除はかえって、

はえ

・蚊

いなご(蝗害)

浮塵子ウンカ

 等の害虫の大量発生を招き、農業生産は大打撃を被った。

 雀は、農作物を食べると同時に害虫となる昆虫類も食べ、特に繁殖期には雛の餌として大量の昆虫を消費している。

 指導層の無知が故に、食物連鎖の生態均衡バランスを完全に無視した結果だったのである。

 後に雀は南京虫に変更され、ソ連から大量の雀が送られたといわれている。

 これらが仇となり、大躍進政策は大失敗に終わった。

 正確な死者数は、資料によっては、ばらつきがあるが、少なくとも1千万人、1億人もの説もある(*1)。

 目先の大票田を目当てにその場限りの判断で政策を実行したら国を滅ぼしかねない。

 田中角栄の様な決断力は大事だが、歴史から失敗を学ぶ事も同じ位、大事だ。

「調査隊は我が軍に御任せ下さい。勇猛果敢な武士な為、必ずや仲様と農業協同組合の希望を叶える事が出来るでしょう」

「は。有難う御座います」

 頭を下げつつ、仲は思う。

 噂通りの名君だ、と。

 今回の陳情は、息子・秀吉が懇願したからだ。 

 曰く、『真田の人となりを見て欲しい』と。

 自分をしのぐ程の速度で昇進を果たし、信長の義弟になった上にお市や三姉妹まで娶った大河は、秀吉にとって嫉妬ジェラシーの対象だ。

 実力は認めるものの、やはり、織田家を乗っ取った外様は、気に入らない。

 秀吉との会話を思い出す。

 ―――

『母ちゃん、俺はあいつが大嫌いきれぇだ。だから母ちゃん、俺の代わりにあいつの弱点を探ってくれないか?』

『何故、私なの?』

『母ちゃんは、長生きな分、俺より人を見る目があるだろう?』

『私なら真田様の弱点を見抜ける、と?』

『そうだよ~。母ちゃん、おねげぇだ。俺だと怪しまれる可能性があるから、協力してくれよ』

『分かったわ』

 ―――

 が、見た所、弱点らしい弱点は分からない。

 それ所か、陳情者を門前払いなどしない好青年だ。

 一介の組合長の予約無しの登城など、大河には、何の+にも無い筈なのに。

(……悪いけれど、女々しい馬鹿息子より人が出来ているわ)

 実母なのに実子の完敗を認める、高潔な仲であった。


 選挙で選ばれていない大河は、議員ではない。

 現代で言う所の民間人閣僚に該当するだろう。

 ―――

『【日ノ本憲法第68条】

 内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。

 但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。

 内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免する事が出来る』

 ―――

 つまり、国務大臣は、規則違反しなければ、民間人が何人居ても問題無いのだ。

 日本国憲法下の歴代内閣に於いて、民間人閣僚の割合が最多なのは第1次小泉内閣の内、平成14(2002)年1月30日~2月7日の期間。

 首相を含めた閣僚17人に対し、民間人閣僚は3人で17・6%(議員任期満了又は衆議院解散により途中から形式的に民間人閣僚となった事例は除く)である(*1)。

 ただ、大河は、現役の軍人でもある。

 これは、

 ―――

『【国防法第61条】

 軍人は、政党又は政令で定める政治的目的の為に、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法をもつてするを問わず、これらの行為に関与し、或いは選挙権の行使を除く他、政令で定める政治的行為をしてはならない。


 2

 軍人は、公選による公職の候補者となる事が出来ない。


 3

 軍人は、政党その他の政治的団体の役員、政治的顧問その他これらと同様な役割を持つ構成員となる事が出来ない』

 ―――

 条文と照らし合わすと、明らかに抵触、或いは違反している可能性は高いだろう。

 これについては、大河や他の武士の閣僚も非難の的だ。

 法の下の平等を尊重する大河も、これについては、二重基準ダブルスタンダードを認めている。

(政治か軍か……)

 今更ながら、迷う。

 近衛大将は、言わば、帝の用心棒ボディーガード要職ポストであり、又、帝が直々に任命した為、問題視される事は無い。

 大問題なのが、国防大臣だ。

 これは、文民統制シビリアン・コントロールの観点からも、織田政権の足を引っ張っている事になる。

「……」

 大河の脳裏に、ある名言が駆け抜けた。

 ―――『有名無力、無名有力』

 戦後最大の黒幕フィクサー・安岡正篤(1898~1983)のそれだ。

『大体、人間は案外成功すると無力になるものです。

 有名になると無力になるものです。

 かえって無名である事が有力である事が多い。

 私は絶えず有名無力、無名有力という事を言う、特に若い人によく言う、君達は決して有名になろうとしてはいかん。

 有名は多く無力になる。

 そうではなくて無名にして有力な人になると事を思ったらなるべく無名でる事を考えなければならん。

 有名になったらもう何も出来なくなるのです』(*2)

 ———

 という訳で思い立ったが吉日。

 早速、大河は、二条城に登城し、

・国防大臣

・山城守

 を其々それぞれ、返上しに行く。

 ―――

『辞表


 この度一身上の都合により、万和2年10月31日をもって国防相と国司を退職致します。


 万和2年10月20日

          真田大河 「富国強兵」


 内閣総理大臣株式会社 織田信忠殿』

 ―――

 受け取った信忠は、困惑だ。

「急ですね」

「申し訳御座いません。民に法を示すには、自分が模範となるべきと考えた次第です」

「……意思は固いんですね?」

 二重基準の大河に対するは、国民はおろか、織田政権内部でもあった。

 無言なのは、いわずもがな対外戦争戦勝及び内戦鎮圧の英雄だからだ。

 誰もが二重基準に気付いていても、言えなかったのは、大河に忖度そんたくしていたからに他ならない。

 信忠としても更迭すると、国民の顰蹙ひんしゅくを買う事は間違いない為、辞任の方が政権の延命が図り易い。

「短い間だったが、有難う御座います。最後の仕事は、後任者をお選び下さい」

「では、国防相に柴田殿を。山城守を明智殿に御推挙します」

「……適任ですね」

 あれよあれよと言う間に、後任者が決まっていく。

 その時、血相を変えた柴田勝家が、襖を抉じ開けた。

「真田! 何故、辞任する!」

 大河辞任の噂を聞いて、駆け付けた様だ。

「それに後任に俺を指名したな? 何故だ?」

 ちょっと嬉しそう。

 日ノ本の国軍を束ねる事が出来る為、嬉しくない訳が無い。

「適任者なら貴殿の妻―――”越後の龍”が最適だろう?」

 手取川の戦い(史実では、1577年11月3日)でメタメタにボコられた勝家は、謙信が苦手だ。

 謙信が、寿退して大河の妻となり、景勝が上杉家の後継者になった今でも、彼女には、苦手意識がある。

「公私混同になってしまいます。国民の為には、縁故ではなく、適材適所で任命した方が最良です」

「そうだが……」

「若し、柴田殿が御不満なら、羽柴殿に―――」

「馬鹿もん! 誰が断ると言った? 猿より俺の方が適任だ!」

 大河の口車に簡単に乗せられ、勝家は、国防相就任を快諾した。

「(大河、貴殿は人が悪いな?)」

「(臨機応変です)」

 信忠の白眼視を、冷静沈着になす大河であった。


 その日の夕方。

「号外! 号外だよ! 真田様が大臣職と国司を辞任されるぞ~!」

 少年が大声で叫ぶ。

 わっと、都民は、殺到した。

 石油危機オイルショックのトイレットペーパー騒動の如く。

 一切、辞任の気配が無かった為、都民には、寝耳に水だ。

 都民は、京都新城を取り囲み、辞任撤回を要求する。

 1967年、第三次中東戦争(6日間戦争)で、イスラエルに惨敗した上に、国土の東部を占めるシナイ半島が占領された責任を取り、辞任を宣言したナセルを、国民が受け入れず、大統領の地位に留まる事を求めた様に。

「! 真田様だ!」

 露台バルコニーから姿を現した大河は、最後の挨拶とばかりに手を振る。

 平馬が用意した、マイクを使って喋る。

『急な発表で申し訳ありません。これは、国防法等、諸法に違反している現状を考慮しての判断です』

 まるでダライ・ラマの説法を聞く信者の如く、民衆は静まり返る。

「「「……」」」

『老兵は死なず、単に消え去るのみ―――これが、最後の私からの挨拶です。皆様の御支援、御支持有難う御座いました』

 軍帽を振って、別れを告げる。

 大河の行動に家族内から反対の声は上がらなかった。

 法の下の平等、に理解を示し、又、彼と共に多くの時間を過ごしたかったから。

 万和2(1577)年10月末、大河は、近衛大将の職を残し、全ての要職ポストから退くのであった。


[参考文献・出典]

*1:ウィキペディア

*2:『安岡正篤先生講演集』 一部改定

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る