第193話 内助ノ功

 与祢の昇進は、摂津国有年うね(現・兵庫県赤穂市)に居た”猪右衛門”―――山内一豊を喜ばせた。

「近衛大将の女官になったか」

 嬉しさの余り、酒を頭から浴びる。

 一豊という男は、

 ―――

『身体は太り過ぎで、目が少し赤く、志は広く、性質は温和で、自分の事は語らず、諸士に対して情け深く、礼儀正しく会釈をし、遊学を事とせず、部下を愛し、常に言葉は和やかで、口数は少ない。

 然し、戦場では多弁二なり、大声で叱咤し、言葉もはっきりしている。

 平常食事をする時、箸先をつけられるが、誠に上品である。

 酒は盃に2、3杯を限度として、茶の湯や能は僅かにもて玩ぶ程度である』(*1)

 ―――

 との評判通りの人物だ。

 又、頬には、花〇薫の様な痛々しい傷跡がある。

 これは、天正元(1573)年8月の朝倉氏との一乗谷合戦で受けた時のものだ。

 この時、矢を頬に刺したまま、一豊は敵将で射手の三段崎勘右衛門(? ~1573)を討ち取った(*2)。

「貴方、まだ気が早いですわよ」

 千代は諫める。

 然し、彼女も嬉しい。

 上司・羽柴秀吉は、大河を警戒しているが、夫婦は伝え聞く限り、彼に好感を持っていた。

 残虐な噂は絶えないが、その分、善政は、帝が認めている程、世間からも評価されている。

 又、織田政権の知能顧問ブレーンとしても活躍している。

 敵対するより仲良くした方が、山内家には、安泰なのは、自明の理だ。

「御挨拶に行かねば」

「そうですね。でも、今、山城様は休暇中。休暇明けに御予約しましょう」

「思い立ったが吉日だ」

 山内家の方針が、定まった。


 休暇中、大河が好んで行くのは、温泉である。

 今回、選んだのは、雄琴温泉。

 その入浴後は、夕食は豪華であった。

・近江牛

鮒寿司ふなずし

鴨鍋かもなべ

・地酒

・ちゃんぽん

うばもち

焼鯖素麺やきさばそうめん

・糸きり餅

能平のっぺい饂飩うどん

 など。

 近江国(現・滋賀県)名物の料理が並んでいる。

「「「うまー」」」

 (゚д゚)ウマー、と朝顔、お江、於国は近江牛に大興奮。

 肉食が解禁された為、牛肉を合法的に食べる事が出来る今、近江牛は現代以上に価値が高い。

 それを1頭丸毎焼いたのは、倹約家の大河の滅多に無い散財だろう。

「赤かったら食べるなよ? あたりかねないからな」

 大河が食べているのは、鴨鍋だ。

 誾千代、謙信、エリーゼ、お市、千姫とつついている。

 最近、エリーゼは、清浄規定カシュルートを守っていない。

 異教徒同様、

・豚肉

・血液

・乳製品と肉の組み合わせ

 例:・乳製品と肉が入った料理(シチュー、チーズハンバーグ等)

   ・同じ献立の中に乳製品を使った料理と肉料理が同時に存在する事

   ・乳製品と肉を同じ器具を使って調理する事

   ・肉料理を食べてから時間を空けずに乳製品を食べる事(逆も然り)

・宗教上適切に処理されていない肉

烏賊いか

たこ

海老えび

かに

牡蠣かき

・貝類全般

 を食べる(*3)。

 これは、担当の産婦人科医から、

「食事規定を守りたいのは、理解出来るけれど、子供が健康体で産まれてくる事を望みたいのであれば、出産までの期間だけでも良いので、均衡良く食べて下さい」

 との助言アドバイスを遵守しているのだ。

「大河、食べさせて」

「はいよ」

 箸を使って、エリーゼにあーん。

「大河、私にも」

「応よ」

 誾千代にも同様に行う。

「貴方、次は、私よ」

「へいへい」

 自分の食事はそこそこに、親鳥の如く大河は、女性陣に食事介助する。

「ちちうえ、おもちたべる?」

 華姫が、うばが餅を持って来た。

「おー、有難う」

 華姫からあーんされる。

(父上に出来た♡)

 初めての奉仕に華姫は、破顔一笑。

「! おい、累。頬についてるぞ?」

 然し、大河の関心は、直ぐに累へ。

 顔中、茶色くなった赤子を捕まえた。

「だー♡」

 彼女は嫌がって逃げるも、大河は逃がさない。

「全く仕方ないなぁ」

 抱っこして、優しく顔を濡れた手巾で拭く。

 育児は女性の仕事―――という考え方が強いこの時代に於いて、大河は主夫を率先している。

「累、幾つ食べた?」

「……」

 何故か自信満々で掌を大きく広げて見せる。

 5、と言いたいらしい。

「大食漢だな? でも、偏食は駄目だぞ? 美味しいのは、分かるけどな?」

 理解しつつ、優しく諭す。

 これが、大河の教育方針だ。

「だぁ……」

「分かれば良い」

 綺麗になった所で、アプトに預ける。

「若殿、私が食事に夢中にだったばかりに―――」

「あー、大丈夫だ。気にするな。忙しければ信松尼様やお市様と順番に看てくれれば良い。俺も看たいし、気軽に頼んでくれ」

「分かりました」

 子供は、男女関係無く全員で育てる。

 どんな時であっても。

 乳母や女性にだけ押し付ける事は、大河の信条ポリシーに反するのであった。

 

 夜も深まった頃、旅館に信忠がやって来た。

 尾張国から信長・濃姫夫婦も来て、織田家一同と共に飲み交わす。

「聞いたぞ? 又、耶蘇教徒を殺したそうだな?」

「兄上、誤解です。殺したのは、犯罪者です」

「知っているよ。神をもおそれぬのは、儂以上に”第六天魔王”だな」

「兄上、真田様に魔王は、失礼ですよ」

「おー。そうだな」

 お市に否定され、信長は、苦笑い。

 浅井長政死後、信長は、良心の呵責かしゃくからお市には、頭が上がらない所がある。

 宴会場には、織田家以外の者は居ない。

・信長

・濃姫

・大河(信長の義弟)

・お市

・三姉妹

・信忠

 の8人だけ。

 三姉妹は、露骨に信長を嫌い、目を合わそうともしない。

 全員、大河に抱き着いたまま、チビチビとオレンジジュースを飲んでいる。

 早く終われ、と思っている事に違いない。

「真田様、茶々を有難う御座います」

 濃姫が、祝儀を渡す。

「懐妊祝い、という事で―――」

「せっかちですね。出産時で御願いします」

 笑顔で断り、茶々の腹部を撫でる。

「あと、彼女に要らぬ圧力を与えないで下さい」

「あら? 気負わせる事になった?」

「はい」

 濃姫相手にも一歩も引かない大河。

(新婚当時の信長様そっくり)

 うっとりする濃姫。

 それに信長は、気付く。

「おい、大河。帰蝶を誘惑するな」

「え? してませんが?」

「貴様の女子おなごに対する無自覚は、時に目に余る。人妻だけは、控えるんだぞ?」

「は。心得ています」

 お市も広義でも人妻だが、現在は、寡婦だ。

 浅井長政が草間の陰で怒っていなければ良いが。

 お江が大河の後ろに隠れて、信長に舌を出す。

 べー、と。

「お江、止めなさい。兄上、申し訳御座いません」

「元気な証拠だ」

 隠居している為か、怒る事は無い。

 好々爺、と言った感じでめいの行動を温かい目で見詰めている。

「夫婦喧嘩は?」

「ありませんよ。一方的に責められているだけですから」

 大河の耳を、お初がかじる。

 ガジガジと。

「本当だな。天下の近衛大将も恐妻家かwww」

 信長は、大笑い。

 三姉妹と彼の結婚を認めたのは、信長の先見の明があった為だろう。

 お市経由で夫婦生活を伝え聞くが、大河がDV家庭内暴力に走ったり、育児放棄する様な事は無い。

 むしろ妻が時々ドン引きするくらい、愛妻家で育児にも熱心だ。

 濃姫が、尋ねる。

「市とは、事実婚なんでしょう?」

「ええ」

「”猿”と”熊”が狙っているから気を付けなさい」

「”熊”は、単純です。問題は、羽柴殿ですね」

「あら、分かっているじゃない?」

 お市が、大河にしな垂れかかる。

「帰蝶様、真田様は、”熊”よりも若く、”猿”よりも美男子です。残念ながら2人と私は、不釣り合いです」

 比較対象が、なのは、如何かと思うが、お市は既に大河と添い遂げる事を決めている様だ。

 大河としても三姉妹の保護者が近場に居るのは、心強い。

「母上、我々の心配は、杞憂でしたね?」

 それまで沈黙を守っていた信忠が焼酎を飲んだ後、口を開いた。

「心配?」

「はい。我々は叔母上が寡婦になった後、心配していたんですよ。独り身でしたから」

「……」

 大河は、じっとお市を見た。

 信忠が心配する様な態度は、これ迄見た事が無い。

 若しかすると、今も先夫を思い出し、枕を濡らす事もあるのかもしれない。

「ですから、真田殿と事実婚が決まった時は、安堵した次第です」

「……そうだったんですね」

 お市を強く抱き寄せて、大河は、宣言する。

「御心配には及びません。お市様は終生、幸せにしますから」

「!」

 我が目を信長は、疑う。

 長政が挨拶に来た時と同じ目をしていたから。

(……輪廻転生、というやつか?)

 大河は、お市を幸せにする為に出現した長政の生まれ変わりではないのだろうか。

 お市は、微笑んで更に寄り掛かる。

「兄上、皆様。私は、幸せ者ですよ。一生に2人もの愛妻家と結婚出来たのですから」

 そして、大河の頬に熱烈な接吻を行う。

 三姉妹も続く。

 お市と茶々は、右頬を。

 お初とお江は、左頬を。

 甘んじて大河は、その愛を受ける。

 時には重いが、両想いな以上、拒否する事は無い。

「この日ノ本一の果報者め」

「ぎゃ!」

 義弟の幸せな場面に信長は、嬉しくなり、その頭から酒をぶっかける。

「兄上! 真田様は、下戸なんですよ!」

「あ、済まん」

 お市に怒られ、直ぐに信長は謝る。

 その後、三姉妹も加わり、元天下人はこっ酷く叱られるのであった。


[参考文献・出典]

*1:『一豊公御伝記』

*2:*『一豊公御武功附御伝記』によるものだが、勘右衛門の死は元亀元年という説もあり

*3:https://about.caneat.jp/column/dietary-restrictions-jewish/


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