第188話 全員野球

 午後5時40分。

 バックネット裏の特別席に朝顔は、座っていた。

 横には、近衛大将・真田大河と、摂津守・池田恒興。

 女性陣は、大河の後ろだ。


 午後5時50分。

 最高責任者コミッショナーであり、名誉総裁を務める大河がマイクを渡す。

「挨拶どうする?」

「する」

 笑顔で受け取ると、朝顔は立ち上がる。

 すると、観客も一斉に立ち上がった。

 足の弱い老人や車椅子に乗った障碍者は、立てない分、頭を下げている。

 選手達と騎馬隊が、グラウンドに出て来た。

 選手達は、跪座きざを。

 騎馬隊は、馬上礼で朝顔に敬意を表す。

『皆様、今日こんにちは。

 只今ただいまから御挨拶をさせて頂きます。

 先程紹介を頂きました、朝顔です。

 この度、御招待頂き、生まれて初めて職業野球を観戦する事になりました。

 この様な貴重な場を設けて頂き、池田様、球場関係者、そして、ふぁんの皆様、本当に有難う御座います』

 10万人以上を目前にしても緊張しないのは、流石だ。

『選手の皆様の御健闘を祈ります』

 会釈すると、球場全体は万雷の拍手に包まれる。

 上皇公認のスポーツとなったのだ。

 昭和の時同様、国民的スポーツになっていくだろう。

 朝顔の挨拶の後、軍楽隊ミリタリーバンドが登場する。

 歌手は、居ない国歌斉唱が始まった。

 ♪

 国歌斉唱後は、試合開始プレーボールだ。

 球審は朝顔に尻を見せる事を恥じて、一旦、彼女に会釈した後、

「ぷれい!」

 と叫んだ。


 伝統の一戦だけあって、ファンの熱は凄まじい。

 11万4千人が大声で、応援するのだ。

 喇叭ラッパを吹き、メガホンやフライパンを叩く。

 湘南〇風の様にタオルを振る応援団も居る。

 球団旗も大漁旗の様に振り回すのも見られる。

 投げて打つ。

 カキーン。

 打球音は、ASMR自律感覚絶頂反応の様に心地良い。

 朝顔は、瞳を輝かせて身を乗り出して見る。

 昭和50(1975)年5月場所の一戦に興奮した昭和天皇の様に。

 京都出身の朝顔は、兎党に誤解されるかもしれないが、案外、情熱的な虎党の方が、お好みな様で、

「……」

 猛虎軍の攻撃となると、たこ焼きを食べる手が止まる。

「♪ ♪ ♪」

 お江は、たこ焼きに夢中で、

「……」

 試合に飽きたのか。

 お腹一杯になり、眠たくなったのか。

 スヤスヤと寝ているのは、於国。

 夢遊病の如く、大河の所まで来て、膝に頭を頭を預けて寝入っている。

「幼妻は、子供ね」

 何故か、大河の隣に移動していたお市が微笑む。

「子供ですから」

「じゃあ、私は大人?」

「ええ」

 お市が、手を伸ばし、大河の手を握る。

 試合ゲームは、打撃戦だ。

 まず、兎軍がタイムリーで先制すると、猛虎軍が、逆転本塁打でファンを喜ばす。

 今度は、兎軍が、タイムリーで再び優勢に立つと、猛虎軍が失策で同点。

 9回表終了時、4対4。

 投手戦だと球場では、盛り上がり辛いが、こうも接戦ともなると、観客は選手達の一挙手一投足に目が離せない。

 選手達も必死だ。

 上皇に見られながら野球が出来るなど、選手冥利に尽きる。

 何時もの試合以上に勝ちたい。

 両チームの士気が高いのは、当然の事だ。

 橋姫は、試合そっちのけで飲酒している。

「もう、そのたるごと置いて行っていいよ」

「え?」

 売り子は、固まる。

 16lものある樽をそのまま買う客は居ないから。

 ほろ酔い気分で橋姫は、続ける。

「大河、おごって~」

「応よ」

 普段、累の子守りの礼がある。

 全額払うと、橋姫はこ踊り。

「いえ~い」

 思わず雨乞いを披露する。

(雨が降るな)

 無自覚に雨乞いしたのだから、匙加減さじかげんが出来ていない。

「橋、目立つな。静かに見ろ」

「はーい」

 酔った事で素直に応じ、橋姫は、大河の首に抱き着く。

 酒臭さをほぼ0距離で感じ、大河は鼻を摘まんだ。

「おい、橋―――」

「zzz……」

「……ったく」

 熟睡している。

 片手には、何処で手に入れたのか、焼酎の瓶が。

 飲んだくれの親父にしか見えない。

 その時機タイミング好機チャンスと見たのか、

「兄者♡」

 お市の膝を伝って、大河の下へ。

「お江、指定席だぞ?」

「於国には甘くて私には、厳しいの?」

「……分かったよ。御出で」

「わーい♡」

 折角の指定席が無駄になったが、お江が可愛過ぎるから問題無い。

 寧ろ可愛過ぎるお江が罪人なのである(責任転嫁)。

 お江を胸元に抱き寄せつつ、

「朝顔も眠たい?」

「うん……」

 欠伸を噛み殺し、彼女の目には涙が浮かんでいる。

 午後6時から始まった試合ゲームは、現在、午後9時過ぎ。

 野球は、約3時間で終わる事が多い。

 慣れない環境で、熱狂した朝顔は、もう直ぐ充電が切れて、眠たいのだろう。

「じゃあ、この回で帰ろうな」

「うん……」

 大河が目配せすると、使いが審判団の下へ駆けて行く。

 打者は、物干し竿の様な長いバットで構える。

 投手が、球を投げ放つ。

 直球ストレートが甘く入り、ど真ん中へ。

 それを打者バッターが見逃す訳が無く、芯で捉える。

 ―――1938年、カブスは、パイレーツと熾烈な優勝争いを繰り広げていた。

 9月28日、カブスと首位のパイレーツとのゲーム差は、僅か0・5。

 両チームは、優勝を争う試合を戦っていた。

 試合は5対5の同点で9回裏を迎えたが、日没が近づいて既に辺りは薄暗く、このまま9回を終われば日没で再試合とする筈だった。

 2アウト2ストライクから、”口達者ギャビー”ハートネット(1900~1972)が放った打球は夕闇の迫るスタンドへ。

 この劇的なサヨナラ本塁打の3日後、カブスはパイレーツを逆転し、この年のナショナル・リーグを制覇した。

 世に言う『黄昏の本塁打ホームラン』である。

 天覧試合の最後を決めたのは、後に『霜夜の本塁打』と称される、名場面となった。


 長居した結果、女性陣が御眠になった為、日帰り旅行は、1泊2日となる。

 宿泊先は、池田城。

 大河は、恒興と酒宴だ。

 尤も、下戸で嫌酒家の大河が飲むのは、御茶だが。

「真田殿、今回、逢引を大坂にお選び下さり有難う御座います」

「いえいえ」

 恒興が、御茶を杯に注ぐ。

「肴です。どうぞ」

 大坂湾で獲れた刺身が出される。

「有難う御座います」

 帝と近しい近衛大将と飲み交わせるなど、滅多に無い事だ。

 又、大河は信長の義弟でもある。

 信長の忠臣である恒興は、義弟でも嬉しい。

「酒の席ですが、真田様。明智殿にお気を付けて下さい」

「はい?」

「あの者は、足利家再興を望んでいます」

「そうでしたね」

 足利将軍家は、12代以降、全員、不遇の死を遂げている。

 12代・義晴→悪性の水腫で病死(*1)(*2)(*3)

       病気を苦に自害(*4)

 13代・義輝→永禄の変で討ち死に

 14代・義栄→腫物で早逝

 15代・義昭→行方不明後、死亡認定

 ケネディ家の呪いを彷彿とさせる、受難続きだろう。

「近衛大将は、足利家については?」

「興味ありませんよ」

「噂では、最後の将軍が行方不明なのも、近衛大将が関わった、との御噂がありますが」

「はっはっはっはっは。根も葉も無い噂ですよ」

 軽く流すが、大河の目は嗤っていない。

(……ったな。こりゃあ)

 それ以上は、死、と判断した恒興は、追及を止める。

 噂は、まだある。

 大河の配下には、”配管工”なる秘密組織があるという。

”配管工”は、その一切を謎に包まれ、都市伝説では、事故死に見せ掛けて殺す。

 遺体は、鰐に食わせたり、化学薬品で溶かす等して証拠隠滅。

 死体が出なければ立件は困難な、司法の弱点を突いた犯罪だ。

「明智殿は、義昭殿を探しています。万が一、近衛大将が関わっていたらその時は―――」

「御助言有難う御座います。ですが、本件とは無関係ですから」

 御茶を啜って、大河は明確に否定した。

「……分かりました。では、もう一つ、御相談がありまして」

「はい」

「我が領内で布教中の異人耶蘇教徒の信者が不審な動きを見せていまして」

「……と、言いますと?」

「はい。これを御覧下さい」

 恒興が見せたのは、酒乱で暴れて捕縛されたスペイン人耶蘇教徒の調書であった。

 そこには、

 ———

『耶蘇会は宣教師を世界中に派遣し、布教と共に征服を事業としている。それはまず、その土地の民を教化し、而して後その信徒を内応せしめ、兵力をもってこれを併呑するにあり』

 ———

 と、ある。

 大河は、直ぐに察した。

「現在、耶蘇会摂津支部には、特別高等警察を潜入させ、調査させています。暴動が起きた場合、対応を検討しているのですが、抑えられるか如何か―――」

「分かりました。この件は、引き継ぎましょう」

 頭を下げて報告書を受け取る。

 その様に恒興は安堵すると共に、耶蘇教の終わりを確信したのだった。


[参考文献・出典]

*1:『言継卿記』

*2:『厳助大僧正記』

*3:『長享年後畿内兵乱記』

*4:奉公衆の進士晴舎から上野の横瀬成繁に充てられた書状

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