第140話 紅灯緑酒

 都政は都議会議員に任せ、大河の仕事も目に見えて減る。

 城門に設置されていた目安箱も、皇居の目前の都議会前に移動し、都議会が担う事になった。

 然し、仕事数は、変わらない。

 都政の仕事が減った分、朝廷との付き合いが増えたのだ。

 今回は、朝顔と共に出勤する。

『朝から済まないな。呼び出して』

「いえいえ」

『近く、青海の古格グゲ王国から達賴喇嘛ダライ・ラマなる高僧が来る。我が国の仏教の様子を見にな?』

「……?」

 朝顔は、首を傾げる。

・青海

・古格王国

・達賴喇嘛。

 全て、耳馴染みが無いのだ。

『朕も公家も恥ずかしながら、外国には疎い。仏教は、印度の国教ではないのか?』

 仏教は、帝の言う様に、現代のインド北部で産まれた。

 その為、仏教の発祥国はインドである。

 然し、現代で、インドでの仏教徒は、ヒンドゥー教徒(約9億人)やイスラム教徒(約1億8千万人 2014年時点)に比べると遥かに少ない。

 インド政府の統計によれば、仏教徒は、約800万人(2001年)としている。

 インド人僧侶・佐々井秀嶺によれば、「1億人以上」と言うが、現時点でそれは、証明されておらず、不明だ(*1)。

「陛下、恐れながら、印度には仏教徒は存在しないかと」

『何? 如何言う事だ?』

「宗教戦争で敗れたのです。袈裟を軍服と誤認されたイスラム教徒によって」

 インドで仏教が衰退した理由は、諸説あって定かではない。

 然し、この世界線では、その説が定説になっていた(*2)。

『……そうか。残念だな』

「ですが、猊下は、元と親しく、元の国教が仏教になる様に、その影響力は大きいです」

『……成程』

 日ノ本と元は、元寇があったものの、経済面では良好な関係であった。

 日元貿易が代表される様に、両国は元寇を除いて、貿易面では重要な国同士だったのだ。

 日本からの輸出品は、以下の通り。

・金

・銀

・銅

・水銀

・硫黄

・刀剣

・扇

・蒔絵製品

 等。

 元からの輸入品には、

・銅銭

・陶磁器

・茶

・書籍

・書画

・経典

・文具

・薬材

・香料

・胡椒

・綾

・錦

 等で他にも日本の禅僧が貿易船に便乗して中国大陸に渡り修行する例もあった。

 鉱物、工芸品を輸出し、教養品・嗜好品に代表される「唐物」を輸入した事によって日本の経済・文化に大きな影響を与えた。

 又、銅材を輸出して銅銭(元銭)を輸入するという構造も当時、貨幣を鋳造する事が出来なかった日本の特殊事情を反映したものである。

 更に日本刀は元において武具として珍重され、後世まで中国大陸への輸出が行われる様になった(*3)

 明に大陸内部に追いやられ、消滅の寸前にある元は、『昨日の敵は今日の友』。

 明と同盟を組み、清と戦っている。

『元や明、清とは戦争しない限り、仲良くやっていきたい。元の友好国・古格王国は、楽しみだな』

「は。饗応役、全力で努めさせて頂きます」

『うむ。―――して、朝顔、新婚生活は、如何だ?』

「は。毎日、楽しんでいます」

 朝顔は、大河の手を握る。

『はっはっはっはっは。良き事だ』

 帝は微笑み、女官に何事か、囁く。

 女官は、頷き、朝顔の前に桐の箱を置く。

 人間1人が入れる程、大きい。

「……これは?」

『結婚祝いだ。受け取りなさい』

「……?」

 首を傾げつつ、朝顔が、蓋を外す。

「!」

 中身は―――菊の御紋が入った黒振袖。

 それは、既婚女性の証だ。

『……渡す時機を失っていた。おめでとう』

「……有難う御座います」

 大粒の涙を流す。

 嫁入りを許してくれた彼等には、大恩しかない。

『真田よ。今後も彼女を頼んだぞ?』

「は」

 頷いた後、大河は朝顔を抱き寄せる。

 帝に見せ付ける様に。


 御所での歓待後、大河は朝顔と城下町を散策していた。

 急速な産業革命により、御所の近辺は、丸の内の様なビジネス街と化している。

「……誰も私に気付かないね?」

「皆、仕事で忙しいからな」

 誰もが、こんな所に元皇族―――前帝が居るとは思いもしない。

 銀ブラ事件の様に、御忍びを楽しむ。

 喫茶店に入店し、

「珈琲を四つ」

「畏まりました」

 大河と朝顔は、隣同士。

 小太郎達が、向かい側だ。

 御所に近い為、流石に店員は、朝顔に気付いたらしい。

 朝顔に用意された御絞りは、御所に献上される高級品であった。

 更に珈琲も、いの一番に届く。

 マグカップ、受け皿も菊の御紋が入り、他の客よちも高品質だ。

 気を遣われているのは分かるが、朝顔としては、既に一般人の気持ちなので、嬉しくは無い。

「……困ったね」

「仕方がない。現実だ」

 現代でも皇族が一般人と結婚し、臣籍降下した際、その地元の都道府県警の護衛対象者になる、という。

 ある皇女が婚約した際、臣籍降下が想定され、皇宮警察から警視庁にその任務が引き継がれた例がある。

 してや、帝を務めた皇女が一般人になった所で、守られないのは、流石に朝廷も心配だろう。

 もっとも、大河はこの国の誰よりも強い為、警備面では問題は無いが。

「……」

「沈むな。楽しもうぜ」

 朝顔を抱き寄せ、大河は彼女の珈琲に砂糖を入れる。

 元幼帝は、ブラックコーヒーが、御嫌いだ。

 酒も煙草も大河同様、たしまない。

 夫婦で共通項があるのは、波長が合う証拠と言え様。

 自分の嗜好を分かっている夫に、朝顔は喜ぶ。

「有難う」

「どう致しまして」

「主、メニュー表です」

「応」

 メニュー表を渡され、大河達は見る。

 優先されるのは、夫婦。

 次に愛妾だ。

「「……」」

 なので、小太郎達は、じっと待つ。

「この、あっぷるぱい? と、紅茶が美味しいそうね?」

「そうだな」

 掲載されているのは、文字と写真。

 以前迄は、文字だけだったが、平賀源内が発明したカメラやスマートフォンの御蔭で、客も想像で選び失敗する短所デメリットが無くなった。

「……でも、高いね?」

「高級店だからな」

 都会では、何処も物価が高い。

 現代でも最低賃金の高さの全国1位が、東京都である様に(*4)。

 例:東京都     985→1013円 令和元(2019)年10月1日発効

   全国加重平均額 874→ 901円

 山城国のそれは、日ノ本一だ。

 日ノ本全国から若者が集まるのも無理は無い。

 「……でも、この値段はねぇ?」

 現代に換算して5万円。

 他店では、無料の御冷も、ここでは、8千円。

 時折、来店客が、「入る店を間違えた」と青褪めるだけある高級店である。

 SNSソーシャル・ネットワーク・サービスで炎上しないのは、一見さんお断りで尚且つ、服装規定ドレスコードがある程、店側が客を選んでいるからだ。

 正装ではない大河達は、追い出されても可笑しくは無い。

 然し、

・朝顔が妻

・近衛大将

 の彼を誰が出入り禁止出禁に出来るだろうか。

「毎日じゃないんだから。良いよ。俺が払うから」

「……御免ね?」

「良いよ。皆も食え」

「「有難う御座います!」」

 兄貴におごられる舎弟の様に、小太郎達は挨拶する。

 呼び鈴を鳴らすと、給仕がすっ飛んで来た。

 待機時間は、数秒なのだが、

「遅れて申し訳御座いません!」

 エリアマネージャーだ。

 副店長や店長級では接客は困難、と判断されたのかもしれない。

 バックヤードからは、家政婦の様に社長が隠れて見ている。

 あくまでも想像だが、社長がエリアマネージャーに押し付けた様に見えてしまうのは、大河だけだろうか。

「あっぷるぱいと紅茶を人数分を―――」

「畏まりました!」

 土下座しての畏まりである。

「……」

 引きった笑みしか、朝顔は、浮かべる事しか出来ない。

 注文品は食べ〇グやミシ〇ランで満点を獲得出来る程の旨さであったのだが、朝顔には、この店が苦手になった事は言うまでも無い。

 

[参考文献・出典]

*1:ウィキペディア

*2:https://manapedia.jp/text/550

*3:佐伯弘次「日元貿易」『日本史大事典 5』平凡社 1993年

*4:厚生労働省 HP

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