第127話 噬指棄薪

 黄金週間ゴールデンウイークになると、山城国の人の往来は、激しくなる。

 地下鉄、路面電車、普通電車は乗車率100%。

 ほぼ5分毎に引っ切り無しに客を乗せて行く。

 これでも、緩和した方だ。

 以前は、朝の通勤ラッシュの如く、乗車率300%は当たり前であった。

 中には、圧死や窒息死の死亡事故や痴漢と言った性犯罪が相次ぐ。

 そこで、大河は、国有鉄道国鉄に数千億の予算を計上し、改革させたのだ。

 通勤ラッシュ対策→増便又は、車両数の増加

 死亡事故対策  →国有鉄道病院

 犯罪対策    →鉄道警察

 となった。

 本数等が増えた事で、利用者は、安心して鉄道を利用する様になった。

 然し、この様な時期になると、やはり、それでも混雑してしまうのだ。

 鉄道だけでなく、バスも新幹線も飛行機も。

 日ノ本一であり、世界一の人口を有する帝都故、こればかりは、仕方の無い事であろう。

『―――それでは、各公共交通機関の状況です。新幹線の予約は、満席で、地下鉄、路面電車、普通電車のグリーン車及び指定席も満席です。新幹線も京都空港発蝦夷行きが、満席で―――』

 テレビでは和装の女子アナウンサーが、報道を読んでいるが、全ての公共交通機関が満席なので、未予約の視聴者は歯痒い筈だ。

「……改革、未だ成らずか」

 頑張ったつもりだが、まだまだ改善点はあるらしい。

 テレビを消した後、寝転がって考える。

(……どうやったら混雑が緩和出来るかな?)

 リムジンの様な長い鉄道を作ると、曲道の際、脱線する可能性が多いにある。

 JR福知山線脱線事故の様な悲劇は、二度と御免だ。

(……賭けだが、国境を開放するか?)

 山城国は、近江国以外との国境線は、冷戦期並の共産圏並に厳しく管理されている。

 その対象国が、

・摂津国

・河内国

・大和国

・丹波国

・伊賀国

 だ。

 大河が掲げた富国強兵政策の下、人の往来を管理する事で、諜報員の入国を防いでいたのだ。

 然し、戦争の時代が終わり、中央集権化が成された今、連邦制は、日ノ本には、似合わない。

 それでも、大河が不安視しているのは、汎欧州ヨーロッパ遠足ピクニックの前例があるからだ。

 平成元(1989)年8月19日、ハンガリー人民共和国に集まった東ドイツ人亡命希望者1千人が、そこから隣国のオーストリアへ越境した。

 その83日後、ベルリンの壁が崩壊する。

 東ドイツの様な独裁国家では無いが、無計画に国境を開放すれば、最悪、政権が転覆する可能性があった。

 都民との軋轢も生じる事も否定出来ない。

(……短所があるが、国民の生活を思えば、仕方ないか)

 出入国管理の手続きを緩和し、

 ―――

『何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する』(*1)

 ―――

 に合わせつつ、更に、国民の生活を監視に努める。

 これが、大河の結論であった。

(……仮眠後、報告書にまとめておくか)

 構想をメモ帳に走り書き後、アイマスクを着ける。

 事務に育児に訓練と、最近は、目まぐるしく忙しい。

 睡眠時間も短くなり、寝不足気味だ。

「主、添い寝しましょうか?」

「ああ」

 愛妾達が、大河を挟む。

 前を鶫。

 後ろを小太郎が。

「若殿、顔色悪いですね?」

「そうか?」

「はい。熱もあると思います」

 鶫が額に自らのそれを押し当てて測る。

「! 高熱ですよ?」

「まじか……」

 小太郎が、大河の脇に体温計を入れる。

「……40度です」

 人の平均体温は、36度、とされる(*2)。

「やべーな」

 何がヤバイかというと、高熱ではない。

 それを無自覚だった自分が怖いのだ。

「アプト」

『は』

 襖が開き、隣室からやって来た。

「済まんが、軍医を呼んできてくれ。多分、風邪だ」

「は」

 即座に出ていく。

「……2人も離れた方が良いぞ?」

「「嫌です」」

 同時に2人は、拒否した。

 少し怒った顔で。

「若殿が、暫く奥方様に熱中していた為、寂しかったんですよ?」

「そうです。身も心も主に捧げています。今更、細菌位で怖くないですよ」

 癩病を受け入れてくれた上に厚遇してくれるのは、大河だけだ。

「平馬も言ってましたよ? 『行く行くは、若殿の御家族を守りたい』と」

「ほー、彼奴あいつと知り合ったのか?」

「はい♡」

 同じ境遇の仲間が、近くに居るのは、御互い心強い。

「それに羽田屋の時も私の為に怒って下さいましたよね?」

「あー……そうだっけ」

「記事で読みました」

 記事になった時、被害者は、大河と謙信のみ実名で、小太郎達の名前は、掲載されなかった。

 2人の知名度を比べると、記事にする程の者では無い、と判断されたのだろう。

 然し、羽田屋の発言が事細かく載り、誰の事を指しているのかは、自明の理だ。

 この事件後、羽田屋には悪い心象が付き、その払拭に苦労している。

「心身共に傷物にした若殿には、責任取ってもらいます」

 2人は、大河の手を握るのであった。


「風邪ですね」

 診断書に『風邪』と記される。

「薬を出しておきます。即効性で且つ強い為、常時、誰かお傍に居て下さい」

「御一人だと、何が起きるんです?」

 誾千代が、不安気に尋ねた。

「異常行動が見られる場合があります。例えば、夢遊病の様に眠ったまま歩き回ったり、突如、自殺を図ったり―――」

「何故、そんな危険な薬を?」

 謙信の怒った口調に、軍医は、ビビる。

「は。上様が御所望したのです。『直ぐに復帰出来る様に強力な薬を頼む』と」

「「……」」

 2人は、隣室の大河を想う。

 糞真面目な彼の事だ。

 自分よりも仕事や他人を優先する彼らしい。

 結局の所、優し過ぎるのである。

「服用後、異常行動する可能性がある為、最低でも3日間は、誰か一緒に居て下さい。その後、4日間、安静して頂ければ、完治します」

「では、1週間、という事ですね?」

「はい。御渡しします」

 7日分の薬が、誾千代に渡される。

「では、又、私はこれで」

「「有難う御座いました」」

 軍医が帰った後、2人は、一目散に隣室へ。

「大河、大丈夫?」

「具合は、如何?」

「大丈夫だよ」

 死相だが、大河は、空元気を振る舞う。

 然し、妻達を誰1人寄せ付けず、代わりに愛妾達を縫い包みの様に抱き締めている。

 妻達は、桃色のナース服を着て、彼の看護に当たっていた。

「真田様、冷却し~とです」

「おお、茶々、有難うな」

「兄様、漢方薬です」

「お初、助かるよ」

「兄者、背中拭いてあげる~」

「有難う。お江」

 茶々が額に冷却シートを貼って行き、お初が水と漢方薬を混ぜ合わせ、お江は、濡れた手巾でその背中をせっせと拭く。

 見事なコンビネーションだ。

「山城様、ウツボグサを摘んできました」

「有難う」

『優しく癒す』という意味があるウツボグサを千姫は、花瓶に挿す(*3)。

 エリーゼは、緑茶を作っていた。

 大河に渡す前に試し飲み。

「……濃いかな?」

「濃くても良いよ。好きだから」

「私より?」

「恋してるよ。濃いだけにな」

「分かってるじゃない♡」

 弱弱しい大河を看護出来る好機は、非常に貴重だ。

 若しかしたら、ハレー彗星並に生きている内に一度あるか無いか。

 エリーゼは、緑茶を置く。

 そして、旧約聖書を読み出す。

 隣室での話を聞いていたのだろう。

 中々、傍を離れ様としない。

 他の女性陣も。

「兄者、今晩、ここに布団を敷いて寝て良い?」

「有難う。でもね、うつるよ?」

「奥さんだから、良いの」

 笑顔で言われると、大河も苦笑いしか出来ない。

「う~ん。気持ちは、有難いんだけど、でも、一緒は、駄目だよ」

「そうなの? 鶫達は良いのに?」

此奴こいつ等はね? 奥さんじゃないの。だから、発症しても良いんだよ」

 お江の頭を撫でつつ、

「でも、お江は大切な奥さんだから駄目。これが、線引きだよ」

「……分かった」

 嫌々ながらも納得した様だ。

 やはり、「大切」と言うのが効いたのだろう。

 お江より年下の幼妻達は、この部屋にすら入れていない。

 華姫も累も。

 全ては、感染対策の為だ。

 風邪とはいえ、幼妻達や子供達を大事にするのは、当然の事だ。

 本心としては、誾千代達も居て欲しくないのだが。

 彼女達は、大河が言うよりも早く、隣に布団を敷く。

 看護は任せろ、と言わんばかりに。

「大河、隣、良い?」

「良いよ。謙信は?」

「累の世話があるから御免ね」

「いや、そっちに専念してくれ。アプトにも休みが必要だから」

「そうだね。じゃあ、又、明日」

「応」

 手を振って別れる。

 接吻も握手もしない。

 愛するが故に社会的距離戦略ソーシャルディスタンスを保つ。

 お初もお江と共に出て行く。

 部屋には、誾千代、千姫、茶々、エリーゼが残った。

 4人は、大河の左右に其々、陣取った。

 狭い単身用の寝室は、大所帯だ。

 修学旅行の夜を連想させる程の混み合っている。

 釈迦的距離戦略は、何処へやらだが、愛妻達が、これ程近くに居るのは、心強い。

「はい、これ」

「有難う」

 誾千代から薬と水の入った杯を貰う。

「錠剤なんだな?」

「そうだよ。粉末、嫌いでしょう?」

「よく知ってるな」

「妻だから♡」

 自信満々に胸を張る。

「「ち」」

 千姫、エリーゼは、舌打ちするも、言葉での否定はしない。

 2人共、誾千代が最古参で且つ、大河から最も愛されている事は無意識的に認めているのだ。

 服用すると、軍医の言う通り、直ぐに効き始める。

「……」

 頭がぼーっとし、体に力が入らない。

 ぼふっ。

 後頭部をしこたま、枕に叩き付けた。

 慌てて、妻達が、覗き込む。

 愛妻達も見上げる。

「大河、大丈夫?」

 エリーゼは、今にも泣きそうだ。

「ああ……」

 笑顔も浮かべるも、ぎこちない。

 初対面の人が見ても、分かる位の作り笑顔だ。

「……御休み」

 それが末期の言葉かの様に、大河は眠るのであった。


 日頃、睡眠以外、休んでいなかった大河の疲労はマックスになっていた。

 免疫力が弱まり、軽度の風邪でも高熱化したのが、今回の真相だ。

 休職した事で、業務は滞り、折角の近衛大将の職務を休まざるを得ないが、帝は理解を示す。

『山城守は働き詰めだからな。欲を言えば、朕の様に適度に休んでもらいたい』

 ブラックだった公務を繁忙期以外、ホワイトになった為、帝や皇族は、働き易い。

 保守派の憎悪を一手に引き受けた大河には、感謝だ。

『島よ、貴君が、代理か?』

「は」

『”鬼左近”の異名通りの活躍を期待している』

「は!」

 大河が召し抱えた家臣団は、何れも有能な人材ばかり。

 大河程ではないにしろ、彼等が居る限り、近衛大将や山城国に穴が開く事は無い。

 近衛大将代理となった島左近は、汗が止まらない。

 多汗症の様に、体中の汗腺から滝の様に噴出している。

(何て御方だ……)

 御簾越しとはいえ、帝から発せられる威圧感オーラに震えていた。

 現人神、という事では無いが、神武天皇以来、続くその伝統的な家系だけあって、初対面の”鬼左近”でさえ、気を抜けば、卒倒しそうだ。

(殿は、この御方と仲が良いのか……流石だ)

 帝が、大河を重用するのは、義理の家族だからではない。

 孤高の存在である自分に対し、敬意を接しつつも、言う時は、言ってくれる数少ない人物だからだ。

 日露戦争の際も、大河は、戦前に状況の説明に訪れ、戦後も同様に来た。

 隠蔽体質が多い政治家の中では、大河は、懇切丁寧に報告を怠らない。

 若し、秘密主義者で説明不足であったら、昭和天皇が、田中義一にした様に叱責していた事だろう。

 大河は、戦国・安土桃山時代版元勲である。

 明治時代の時も、元勲達は、明治天皇を育てた。

 ―――

『明治の新政府が出来て間もなく、16歳の少年天皇が、我儘をして”元勲”達の言う事を聞かないと、西郷隆盛は、

「そんな事では又、昔の身分に帰しますぞ?」

 と言って叱りつけた。

 すると、天皇は忽ち大人しくなったという話が伝えられている』(*4)

 ……

『天皇は山岡鉄舟に相撲を挑み、辞退する所を不意に体当たりしたが、山岡は咄嗟に身体を開いて天皇を捻じ伏せ、振る舞いの激しさを散々にかんしたと言う―――西郷は嘗て相撲にかこつけて明治天皇を殴り、女官漁りと止める様に忠告したと言う』(*5)

 ―――

 流石に彼等程、叱ったり、殴打する事は無い大河だが、帝が間違っている時には、はっきりと否定する事もある。

 帝が元勲達同様、大河を信頼するのは、当然の事であった。

『朕を本当に思ってくれるのは、山城守だけだ。復活するまで、御所には来させるな』

「は!」

 御所には、左近の荒々しい返事が響くのであった。


[参考文献・出典]

*1:日本国憲法第22条第1項

*2:北陸農政局 HP

*3:http://web.akikusa.ac.jp/web2018/21764127/main.html

*4:大宅壮一『実録・天皇記』

*5:鹿島曻『裏切られた三人の天皇ー増補版ー』

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