第126話 鳥語花香

 乳幼児は、乳母が育児する事が多いこの時代、謙信は自ら育てる事に決めた。

 乳母の仕事を奪う短所はあるものの、やはり自分の子は、自分で育てたい、という想いだ。

 大河も尊重し、反対はしない。

「……」

 累は静かな子で、滅多に泣く事は無い。

 生後3日で謙信の遺伝なのか、刀剣に興味を持ちだす。

 言葉も殆ど喋れない、というのに。

 そこで夫婦は真剣ではなく、木刀や模造刀を知育玩具代わりに渡す。

 それを累は、抱き枕代わりに抱いて、眠る様になった。

 四六時中、離そうとしない。

「色んな選択肢を与えたいのに、もう刀に夢中ね?」

「失敗だったか?」

「いや、良いんじゃない? 無趣味よりマシだから」

 乳を与えつつ、謙信は、気にしていない。

 大河も事務職をしつつ、時々、累を抱っこする。

 聡明な子らしく、既に彼女は夫婦を見分けている様で、大河の場合、緊張した面持ちで、じっと見ている。

 出産時、居なかった彼を警戒しているのかもしれない。

 只、明確に拒絶しない所を見るに、無意識的に彼を「父親」と認めているのだろう。

「兄者は、次は、おのこが良い?」

 お江がメモ帳片手に質問する。

 謙信に触発されて、自分なりに妊活を始めたのだ。

「順番的には、そうだが、女の子でも良いよ。結局は、運なんだから」

 現代では、産み分けが、研究されている。

 然し、専門医が科学的に立証した産み分け法を実践しても、残念ながら100%成功するとは言えない。

 最近の資料を見てみると、

 ―――

『男の子希望者→81~91%

 女の子希望者→70~80%

 の成功率』(*1)

 ———

 現代でも困難なのだから、この時代にお江がどれ程、男児を望んでも現代以上に産み分けは、難しい。

「……」

「落ち込むな。子供に性別の希望は無いから」

 事務を中断し、お江の頬を撫でる。

 今にも泣きそうな彼女だが、大河の優しい言葉に安心したのか、涙は引っ込む。

「ははうえ」

 哺乳瓶を華姫が、持って来た。

 学業で忙しい彼女は、育児に協力する義務は無い。

 それでもするのは、義妹が出来た喜びからだ。

「有難う。私は、今、大丈夫だから、御父さんの方について」

「はーい」

 元気良く返事後、大河の下へ。

「ちちうえ。つかれてる?」

「全然」

 と、言うも欠伸する。

 非常に眠たい様だ。

”一騎当千”も所詮は、人間。

 休息不要な生物は、存在しない。

「貴方、私の事は大丈夫だから。少し横になったら?」

「そうか? じゃあ、御言葉に甘えて」

 その場で横になる。

 寝室に行かない辺り、仮眠後、直ぐに謙信と育児を交代する様だ。

(……私より母上の言う事聞くんだ)

 少し、華姫は傷付く。

 深い意味は無いのだろうが、やはり、信頼度が違う証拠だろう。

「兄者、私も寝て良い?」

「良いよ。でも、その代わり、夜更かししちゃ駄目だぞ?」

「うん」

 大河に腕枕され、お江は、幸せ顔だ。

「ちちうえ、わたしもいい?」

「良いよ」

 片方の腕を差し出され、華姫も枕にする。

 大の字になった大河だが、それでも直ぐに眠り始めた。

 日頃から謙信や他の妻達に気を配っていたのだろう。

「……」

 お江は、大河の脇に顔を埋め、その体臭を全身で感じる。

 腋毛を剃っている為、大河の腋臭は、他人よりも少ない。

 又、香水も付けている美意識高い系男子である事から、不快臭ではないのだ。

「……」

 華姫も倣う。

 クンカクンカ。

 その様子に謙信は、苦笑いだ。

「累は、ああなっちゃ駄目よ」

「……」

 謙信の想いを知ってか知らずか、累は、大河を不思議な生物の様に見詰めているのであった。


 累誕生後、山城真田家は、彼女中心の生活様式に変わる。

 天守に授乳室が作られ、定期的に産婦人科医が来ては、謙信と累の体調を診る様になった。

 夜。

「ねぇ、誾」

「如何したの?」

 謙信に呼ばれ、誾千代が隣に座る。

「私、もう酒飲めなくなった」

「! そうなの?」

「うん」

 見ると、謙信の部屋の棚には、酒瓶が1本も置かれていない。

 大河に諭されて以降、断酒していたのは、知っていたが、本格的な禁酒に至ったのは、相当な変化だ。

 以前の彼女を知る人達が、今の彼女と会うと、同一人物とは思わないだろう。

「累は?」

「真田が添い寝してる。自分は、疲労困憊な癖に。全くもう、倒れたら虐めてやるんだから」

「その時は、私も参加するよ」

 弱点を極力、他人に見せない為、大河が倒れる時は、本当に急だ。

 そっと、隣室を覗くと、

「!」

 大河が、女性陣と共に寝ていた。

「謙信、提案なんだけどさ?」

「何?」

「出産祝いに旅行でも如何よ? ずっと城に籠りっ放しじゃ、駄目でしょう? 大河の為にも気分転換で行こうよ」

「……そうね」

 一般的な妻なら育児と家事に追われ、それ所では無いだろう。

 然し、ここは、一夫多妻。

 大河が手伝えない場合、他の妻達が、面倒を見てくれ易い。

 決して、母親が孤独に追い込まれる事は無いのだ。

「累の為にも、早い内に英才教育は、必要だと思うし」

「……流石に早過ぎない?」

 誾千代の言い分は、分からないではない。

 実際に、英語に関する資料だが、英語を学び始めた年が若ければ若い程、英語を一生ものに出来る可能性もあるのだ。

 英語だけでない。

 将棋も、幼い内に始めれば、遅くから始めた人と比較すると、強くなる可能性がある。

 無論、あくまでもデータ上の理論だけあって、中には、79歳で宅地建物取引士の国家資格を取得し、80歳で起業後、年商3億円を誇る実業家も居るだけに、一概には、言い切れないのだが。

 兎にも角にも、若い内から色々な経験を積ませたいのは、謙信達の本心だ。

 何れ、華姫を支える事になるのだから。

「……明日、大河に話して見ようか?」

「そうね。まぁ、快諾するだろうけども、真田の体調の方も心配」

「そうだね」

 累がすくすく育つ一方、大河の疲労は、目に見えて蓄積している為、2人は、心底心配するのであった。

 

 翌日。

 大河が一汁三菜を食べていると、

「だ、だ……」

 累が、匍匐前進でやって来た。

「おお、どうした?」

「……だ」

 大河の膝に乗り、甘える。

「? これか?」

 累が、興味を示したのは、拳銃であった。

「……」

 手を伸ばし、触れ様とする。

「しょうがないな」

 弾を抜き、ベレッタを渡す。

 アメリカでは、毎年1千人以上の子供が、誤射により事故死している。

 誤射を防ぐ為には、

・子供の手の届かない場所に置く

・弾を予め、抜いておく

 事だ。

 意外と子供は親の行動をよく見ている為、前者は無意味な事が多い。

 結局、拳銃と弾を別々に保管しておく事が、最良だろう。

「……」

 ペタペタと、触る。

 笑顔な所を見ると、刀剣に次に拳銃愛好家になったのかもしれない。

「好きか?」

「……」

 こくっと頷く。

「そうか。じゃあ、大きくなったら練習し様な?」

「……」

 再び頷き、め回す様に見る。

「はっはっはっはっは。可愛いな」

 累を抱っこすると、華姫は、不満顔。

 義妹に嫉妬している様で、大河の背中に回り込むと、指で突く。

「ちちうえのいじわる」

「御免な、累。お姉ちゃんが嫉妬している様だから」

 累を下ろすも、離れない。

 攀じ登り、腕に収まる。

「あらあら? 大河に惚れたのかな?」

「さぁ? でも、流石にそれは、不味いでしょう?」

「「「……」」」

 謙信の答えに女性陣は、無言で同意。

 親子婚は、当然の事ながら現代の日本でも認められていない。

 好色家の大河であっても、流石にその趣味は無い。

 ただ、累を可愛がっているのは、事実だ。

「累、お姉ちゃんと仲良くしなさい」

「だ、だ」

「華もな?」

「はーい」

 養子と実子を抱っこしつつ、大河は食事を再開するのだった。

 

 累が加入した事で、大河の親馬鹿は、更に加速する。

 専属の使用人であるアプトを、累に付けた。

 2人に求めたのは、家康と鳥居元忠の関係性だ。

 伏見城の血天井で有名な元忠が家康(当時8歳)の近侍になったのは、12歳の時。

 それから、関ヶ原合戦で亡くなる迄49年仕えた(*2)。

「私も鍛えた方が良いですか?」

「ああ、頼む。何れは、直臣にしたいからな」

「え?」

 揺籃ようらんの中、眠る累を見つつ、

「一生、使用人は嫌だろう? 城主になりたくはないか?」

「……まぁ」

 故郷を失い、目標が無いアプトは、ただ、生きる為、そして大河に恩を返す為に使用人として働いている。

 城主への夢は、出世していく島左近や宮本武蔵、大谷平馬等を見るに、羨ましい気持ちも無くは無い。

「……どうして、私をそこ迄高く買ってくれるんです?」

「・忠誠心が厚い

 ・美人

  だから」

「……」

 確かに、大河の周りに居る女性武人は、その傾向が強い。

 大河のフェチも少なからずあるだろう。

「最後、蝦夷だよ」

「蝦夷?」

「ああ。アイヌ人の多くは、俺の計画に快諾し、土地を提供してくれた。これは、希望次第だが、何れが、蝦夷を統治してもらいたい」

「!」

 現在、蝦夷は日本人の代理が、配置され、アイヌ人と共活動している。

 然し、大河は余りこれには、乗り気ではない。

 現地の状況は、現地人が専門家なのだ。

 アイヌ人の中には、未だに反日も多く、テロも少ないながらも起きている。

 その為、現地の指揮官は、アイヌ人自身に委任させたいのだ。

「私が……故郷に?」

「ああ、だが、嫌なら良いんだ。命令じゃないから」

「……有難う御座います。謹んで御受けします」

 自然と涙が流れる。

 無意識的に故郷への想いが募っていたのだろう。

「じゃあ、固定給も昇給だな」

「え?」

「近侍になるんだ。人前で出る場合もあるだろう? 出費も嵩む」

「……」

 小判が皿の様に、アプトの前に上乗せされる。

 他家と比べると、山城真田家は、羽振りが良い為、元々、高給だ。

 今の固定給だけれども、十分に事足りる。

 元々、大河に尽くしていたが、更にその想いを深める。

(大仕事だ……)

 握り拳を作り、やる気満々になっていく。

 この日を境にアプトは、使用人から累専属近侍になったのであった。


『参考文献・出典]

*1:医療法人 中川産科婦人科 HP

*2:阿部猛 編:西村圭子『戦国人名事典』コンパクト版 新人物往来社 1990年

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