第125話 春日遅々
桜が舞う頃、謙信のお腹も徐々に大きくなっていく。
大河も彼女の体調に合わせ、極力、傍に居る。
又、体調を壊した際には、風邪薬や胃薬等を医師の指導の下、行う。
その献身的な支えにより、妊娠は、順調であった。
妊娠期間は、
先々月の時点で8か月が経過していた為、今月、出産予定だ。
春と訪れと共に我が子の誕生は、夫婦共々、否、
「謙信様、大丈夫?」
「有難う、茶々。気遣ってくれて」
「祖父より漢方を貰いました。御身体に効くので、体調不良時にどうぞ」
「千、悪いわね」
入れ替わり、立ち替わりで謙信の様子を見に来る女性陣。
お江達は学校がある為、登校前と下校後しか来ないが、それでも学校の様子を楽し気に話し、謙信の出産に対する恐怖心を一瞬でも忘れさせてくれる。
彼女達は恋敵だが、子供に関しては別だ。
『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』という諺があるが、子供にまで嫉妬する程、異常ではない。
不妊の誾千代も、積極的に謙信を助ける。
「分かってると思うけれど、困った時は、何でも言いなさいよ? 困った時は御互い様なんだから」
「有難う」
”姫武将”は、これ位、男勝りでないと務まらない。
弱気になっている謙信も、誾千代に惚れてしまいそうだ。
「誾」
「何、大河?」
「疲れてるだろう?」
「え? そうでもないよ―――」
「良いから休め」
強引に腕を引っ張られ、誾千代は、大河の胸の中へ。
「……知ってたんだ?」
「夫婦だからな」
化粧でくまを隠したつもりだが、愛妻家には、やはり通じない様だ。
謙信も同様に、引っ張られる。
「もう、私も?」
「そうだよ」
頷いた後、大河は、謙信のお腹を擦る。
「……」
触れられるだけで、謙信は、安堵した。
その手は、大きくて温かい。
何度も交わった時等に握ったのだが、今回は人一倍、温かいのは、今までは「夫」としてだったが、「父親」に変わった為かもしれない。
「「「只今~!」」」
学校組が、帰って来た。
ランドセルを放り、一目散に3人の下へ来るのは、華姫とお江。
「ちちうえ~! ははうえ~!」
「兄者~! 謙信様~!」
学校では、
華姫よりも先に大河に抱き着き、その感触を堪能する。
「今日ね、抜き打ち試験で、満点だった」
『論語』の筆記試験の用紙を見せる。
赤い筆で『甲』と記されていた。
「おおー、凄いな」
「でしょう?」
胸を張る。
武家の子供は、将来の為に教養が必要不可欠で、元々、勉強家が多い。
普段はおっとりしているお江だが、その身は、名家の娘だ。
『論語』など、暗唱出来る程、簡単である。
「わたしも~」
お江に負けじと、華姫も見せる。
99点の漢字試験を。
「乙か? 惜しいな?」
「うん!」
間違えたのは、『
漢字検定1級並に難しい。
「じゃあ、次は、甲を目指すんだよ」
「その前に褒めて褒めて♡」
「よく頑張った」
犬の様に頭を撫でると、涎を垂らす程、華姫は、嬉しがる。
「私も~」
お江も
「甲の御褒美だ」
「きゃ♡」
お江の両脇に手を入れて、抱き寄せる。
「……兄者♡」
数mm先まで近付き、お江は、幸せ顔だ。
謙信達は、嫉妬しない。
寧ろ、愛でる。
「お江、目一杯、甘えなさい。御褒美なんだから」
「そうよ。又と無い好機だから」
一方、華姫は、不満顔だ。
義母とはいえ、同性が大河と仲良しなのは正直、嬉しくは無い。
「ちちうえ~わたしは~?」
「次だな」
と、言いつつも、華姫も抱っこする。
何だかんだで、大河は、華姫にショートケーキ並に甘々だ。
これ程、連れ子に適応しているのは、謙信としても嬉しい。
「この子にも優しくしてね?」
「分かってるよ」
謙信のお腹に接吻し、出産を心待ちにする大河であった。
数日後、主治医の指示により、謙信は入院する。
通常、妊娠後期(8カ月以降)に入ると、出産入院の準備を意識し始める。
出産日間近になってから慌てて準備するのではなく、余裕を出産予定日が近づくと、心身ともに緊張した状態になってていく。
臨月はお腹の赤ちゃんが子宮の方まで下がり、ホルモンバランスが乱れ、頭痛や腰痛、関節痛などの体調不良になり易い時期だ。
又、間近に迫った出産に対して不安になり、精神的に落ち着かなくなる事もある(*1)。
病院には、大河の代わりに信松尼が常駐する。
その間、大河は、他の妻達の相手だ。
長らく、謙信に付きっ切りであった為、妻達のストレスも溜まっていた。
「もう、貴方の所為で少し太ったわ」
大河の頭部を血だらけになるまで、
食べたい程、大好きなのだ。
千姫も、子泣き爺の様に背中に抱き着いたまま、離れない。
謙信に気を遣っていた時間が長く、その分、愛が溢れているのだ。
エリーゼ同様、少し太ったが、それだけで嫌いになる様な大河ではない。
誾千代、茶々、お江も居る。
「山城様、御一つ聞いても?」
「何だ?」
「若し、華様が求婚を迫ってきたらどうします?」
「「「……」」」
女性陣の視線が、一気に大河に集まる。
寝ていたお初達も薄めで反応を伺う。
何だかんだで狸寝入りを決め込んでいたのだ。
「おいおい、養子だぞ? 結婚出来ないよ?」
「では、養子でなければ結婚すると?」
「然う言う意味じゃない。これ以上の愛は、要らんよ、現状で十分だ」
「「「……」」」
「華には、見合った男を探さないとな。まぁ、俺に許可を求める程の漢は居ないだろうが」
大層な自信だ。
然し、”一騎当千”の娘に手を出す勇気を、世の男達は、持ち合わせていないだろう。
茶々の頬を舐める。
「又、化粧品、変えたな?」
「今晩の為に変えてみたんです」
「有難う」
4月下旬。
病院からの連絡を受け、大河は会議を中座し、急行。
一家総出で、出産に立ち会う。
自然分娩が最良なのだが、初産を必要以上に怖がった謙信は、無痛分娩を選択した。
現代の日本でも無痛分娩は、自然分娩より高額な費用がかかる事等から、選ばれる事は少ない。
然し、産みの苦しみを嫌がるのであれば、大河は、無痛分娩でも賛成だ。
大河達が到着した時、既に謙信は、赤子を抱いていた。
無痛分娩だったが故、すんなり、安産出来たのだ。
安産祈願も上手く行った理由の一つかもしれない。
「……」
我が子を抱く謙信は、笑顔を絶やさない。
約3kg、約50cmの新生児は、静かだ。
「これでも、泣き声、凄かったんだから」
「……済まんな。遅れて」
「良いよ。仕事だったんでしょう?」
「ああ。朝廷から急遽、呼ばれてな」
世界に疎い朝廷は、外交に関して、大河に助言や相談を求める場合がある。
それは、不定期で、育児休暇でも、国賓には、無関係だ。
その為、大河も呼ばれれば行くしかない。
「しょうがないよ。近衛大将でもあるんだし」
内心は、怒りや不満で一杯だろう。
何せ、1番大事な時に傍に居なかったのだから。
ただ、謙信も尊皇派なので、大河が断れないのは分かる。
故に責める事はしない。
高額な無痛分娩も大河が払ってくれたのだ。
ぐっと我慢し、耐える。
「ほら、抱いて」
「応」
白衣の赤子を抱っこする。
「……」
彼女は、両目を見開き、父親と初体面を果たす。
「……」
口をパクパクさえ、何事かを訴える。
「初めまして。御父さんだよ」
柔和な笑みを浮かべて、耳を近づける。
女児は、囁いた。
「天上天下唯我独尊」
と。
「……ん?」
聞き間違い、と思い、再び訊く。
「天上天下唯我独尊」
「……」
やっぱり、正解であった。
まさか、釈迦以来の大天才だとは思わなかった。
「「「……」」」
謙信を含めた女性陣は、固まっている。
「……お前、橋か?」
「バレた?」
最近、姿が見えないと思えば、赤子になっていた。
赤子の橋姫は、指を鳴らす。
と、同時に周りが停止した。
外の鳥も、時計も、看護婦も。
時間停止の能力を使ったらしい。
「……何故、赤子に?」
「面白いかな、と。最近、構ってくれないから」
「構ってるよ。親友だから―――」
「嘘ばっかり。でも、責めないよ。友達より家族の方が大事なのは、誰だって当然だから」
赤子から分離し、橋姫は、元の姿に戻る。
小麦色のギャルに。
「……で、何もしていないよな?」
「ちょっと力、高めただけだよ」
「力?」
「うん。病弱でね。風邪でも死んじゃいそうな位だったから」
「……分かった。有難う」
現代程、衛生環境が整っていない為、乳幼児の死亡率は高い。
例えば、昭和25(1950)年の乳児死亡率は、約60%(*2)。
平成29(2017)年のそれは、約2%(*2)なので、単純計算で言えば、約30倍だ。
1950年代以前に
「何故、そんな事を?」
「この子が早逝したら、貴方自殺するから」
「……親馬鹿で?」
「そ。”一騎当千”も子供の死には、耐えられないのよ」
「……」
予言を大河は、否定しない。
養女でも、あれだけ可愛がっているのだから、実子の死は、発狂しても可笑しくは無い。
「……分かった。返礼には、何が欲しい?」
「良いよ。友達だから―――」
「命の恩人だ」
「……分かった。じゃあ、宝石を頂戴」
「金剛石?」
「うん。指輪でね?」
「分かった」
「えへへへ♡」
笑顔を浮かべて橋姫は、消えていく。
と、同時に、時間が動き出す。
「可愛いでしょう?」
謙信は、自慢げに言う。
先程の記憶は、橋姫が消した様だ。
赤子も釈迦の言葉を引用する事無く、眠っている。
「ああ。全くだ」
華姫とお江が、大河に攀じ登り、その顔を覗き込む。
「かわいい~」
「兄者、名前、決めたの?」
「ああ」
その場で紙に書く。
『累』
と。
その字は、余り意味が悪い。
―――
『【累】
他から受ける災い。
巻き添え。
迷惑』(*3)
―――
その為、意味を重視した場合、余り、子供の名前には、相応しくないだろう。
直後、大河は、村雨を抜く。
「「「!」」」
一同は、どよめいた。
「大河……?」
「案ずるな。斬らないよ」
微笑後、累に柄を握らせる。
真剣を乳幼児に触れさせるのは、異常だろう。
「産まれた直後で悪いが、累。お前には剣術家になってもらいたい。それが、俺の望みだ」
「……」
累は、眠ったまま答えない。
名前の由来は、江戸時代に活躍した男装の女性剣客・佐々木累(? ~ ?)だ。
彼女は、後に池波正太郎の小説等でも登場している。
大河の想いが通じたのか、累は、柄を強く握った。
そして、頷く。
「! おい、快諾したぞ!」
大河は、累を抱き締め、小躍りする。
普段、見せないその陽気さに、病室は温かな笑いに包まれるのであった。
[参考文献・出典]
*1:https://junyu-fuku.com/blog/trouble-of-pregnancy/list-what-need-to-hospitalization-for-birth/
*2:厚生労働省 厚生統計要覧平成30年度
*3:goo辞書
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