第124話 挙案斉眉
長らく愛していた物を断つと、人の嗜好は、変わる場合がある。
「……」
スースー、と寝息を立てる謙信。
村上茶を数杯飲んだだけで、酔い、この状態だ。
大河を腰に両手で抱き着いた状態で。
「”軍神”は、思いの外、可愛いですね♡」
皿を拭きつつ、晶は愛でる。
「だからだよ。これも惚れた理由の一つだ」
付き従う小太郎&鶫のコンビもカウンター席に突っ伏し、寝ている。
用心棒失格だが、彼女達も人の子だ。
眠らない訳にはいかない。
「叱らないんですか?」
「良いんだよ。働き詰めだから」
2人を抱き寄せ、その頭を撫でる。
「「……」」
寝ているのにも関わらず、2人は、笑顔になった。
パブロフの犬並の条件反射だ。
寝ても尚、大河の手を判別出来るのは、晶には、出来ない。
「入るぞ~」
髭もじゃの泥酔者が来店した。
「「「……」」」
店員達は、白眼視。
閉店間際。
然も、泥酔者は入店禁止だ。
直ぐに自警団が駆け付けるが、
「「「う」」」
大河を見る也、その足が止まる。
領主が居る手前、争いごとは、気が引けるのだ。
無論、彼女達に非は無いの場合でも。
「うん?」
泥酔者は、大河を見付け、絡む。
「よー、兄ちゃん。若いのに侍らせてんな? どれどれ?」
酒臭さを撒き散らせつつ、泥酔者は、彼女達を嘗め回す様に見る。
「
その間、晶が紙に何かを書き、見せる。
『羽田屋』
と。
(……歌舞伎役者か)
羽田屋は最近、人気が出て来た歌舞伎役者の屋号だ。
この男は、演技力と顔の良さで人気俳優なのだが、酒癖が悪く、出禁になった店は数知れず。
女癖も悪く、成功者にも関わらず、長らく独身なのはその二つが最大要因である。
大河も歌舞伎役者には、チャラく酒乱の心象がある為、余り関わりたくは無い。
「……」
妻達を
それに気付いた晶が、さっとバックヤードに引っ込んだ。
他の店員も続く。
基本的に温厚篤実な大河であるが、怒った時の怖さは、スターリンをも凌ぐ。
だが、無知な羽田屋は、尚も絡む。
酒と女以外、興味が無いのだろう。
山城国で生活する以上、必要最低限の知識が無いのは、住民失格と言え様。
「なぁなぁ、兄ちゃん。無視するんのかい?」
灰皿に酒を注ぎ、大河の前に差し出す。
「ほら、奢りだ。飲めよ」
「……」
「んだよ、ビビってるのか? 気色悪い野郎だな? 傷物は要らんから、少女か年増、一晩貸してくれよ。ほらよ」
小判が、大河の前に置かれた。
「……羽田屋」
「んだよ? 俺の事知ってるのか? なら、話が早い―――」
「金は要らん。腕相撲したら自由にしろ」
「お、自信満々だね?」
腕を捲る羽田屋。
腕力には、自信があるらしい。
謙信達を起こさぬ様、大河はテーブル席に移動する。
「勝負は、1回きりだ」
「おー、随分な自信家だな。女だったら惚れる所だぜ」
2人は、組み合う。
その際、羽田屋は初めて違和感を覚えた。
「……え?」
細腕にも関わらず、力強い。
まるで歌舞伎座と組み合っている様な感覚だ。
(……不味ったか?)
今更、後悔するも、引くに引けない。
「じゃあ、やるぞ?」
「お、応……」
力を入れるも、やはり、動かない。
一方、大河は涼しい顔だ。
「……その程度か」
「! いや、まだまだ!」
脂汗を噴出させつつ、全力を出すも、言わずもがな。
「両手でやっても良いんだぜ?」
「……」
自尊心が傷付けられても尚、勝てない。
1分程経っただろうか。
徐々に大河の雰囲気が、変わり始める。
「手前は、罪を犯した」
「え?」
「一つ、愛妻達を娼婦と見た事。一つ、愛妻達を罵倒した事」
「……」
大河の額には、角が生えている様に見えた。
その背後には、炎も。
「一つ、俺に喧嘩を売った事だ」
次の瞬間、大河が動く。
思いっ切り、拳を叩き付けた。
と、同時に羽田屋のそれが、曲がってはいけない方向に曲がる。
―――上腕骨骨幹部骨折。
肩関節とは、肘関節の間を繋ぐ骨で、骨幹部とはその中央部に当たる。
その多くは交通事故等の大きな力がかかると成り易い 。
又、投球動作や腕相撲の様に、上腕骨に大きな捻じる力が瞬間的に加わる事でも発生する。
比較的若者の発生が多く、腕相撲で負ける際に発生する事も多い(*1)。
「ぎゃあああああああああああああ!」
泣き叫び、羽田屋は、のた打ち回る。
骨折は、なった人にしか分からないが、その激痛は耐え難い。
「終わりじゃねーよ」
先程の灰皿を持って来ると、大河は振り被り、羽田屋の頭を思いっ切り、殴る。
「ぐえ!」
かち割られ、出血。
と、同時に羽田屋は、倒れた。
その顔面に蹴りを入れる。
灰皿も忘れない。
キャッチャーミットの様に顔は腫れ、歯も数本折れ、血だらけの羽田屋はもう見る陰も無い。
整形手術をしなけば、歌舞伎役者として生きていけないだろう。
「糞が」
灰皿を叩き割った直後、晶がやって来た。
「もう、弁償して下さいね?」
「この馬鹿の実家に請求しろ」
「そうします」
店員達は恐怖で来ないが、晶には慣れっこだ。
夜の店は、現代でもそうだが、荒事が多い。
昭和の時代には、用心棒として暴力団が雇用されていた場合もある。
荒事に慣れないと、この業界では、適応出来ないのだ。
「でも、人気者の歌舞伎役者ですよね? 顔、破壊しちゃってますけれど?」
「これでも1割しか力を出してないよ」
「……」
腕を折り、頭を割り、顔面はボコボコ。
それでも、1割なのは、大河が単細胞ではない証拠だ。
「実家に伝えてやれ。飲み代と迷惑料だ」
羽田屋の財布から全ての小判を抜き取り、大河も一部出す。
「今後は、出禁にします」
「そうしてくれ。酒乱は、大嫌いだ」
そう言う大河の横顔は、まだ怒っていた事は言うまでも無い。
羽田屋暴行事件は、直ぐに瓦版沙汰となった。
『【羽田屋重傷! 事実上の引退か?】
泥酔した上で、山城守に絡み酒をした羽田屋は、返り討ちに遭った。
目撃者の証言によれば、羽田屋は山城守の奥方を罵倒した事で、彼の逆鱗に触れた様である。
事件現場となった居酒屋の経営者も、「全面的に非があるのは羽田屋」として壊れた備品の弁償を羽田屋に求めている。
救急病院に運ばれた羽田屋は、
・上腕骨骨幹部骨折
・両頬の陥没骨折
等の重傷で、整形手術を受けない限り、役者業は事実上、廃業と見られる。
先代の羽田屋は、直ぐに山城守に謝罪しに行き、警察から事情説明を受けている―――』
元々、先輩役者の妻を寝取ったり、娘に手を出す。
又、既婚者にも関わらず、多目的厠で娼婦と長時間、行為に及ぶ等の悪行もあった為、誰も被害者に同情しない。
擁護者すらも現れない。
数々の悪行が世に広まった為、羽田屋の人気は、急落していく。
「誠にこの度の非礼は、我が家始まって以来の事でして、本当に、本当に申し訳御座いません」
先代は、何度も何度も頭を下げる。
歌舞伎役者の谷町では無いが、大河は文化の貢献者である。
これまで、
・相撲
・弓道
・柔道
・将棋
等の普及に努め、その影響力は計り知れない。
大河の匙加減次第では、歌舞伎座を壊す事も出来るのだ。
先代は、歌舞伎座の死を覚悟する程、震えていた。
「今回の事件と歌舞伎は、共通項ではない。本人の素行の問題だ」
『殲滅』と書かれた扇子を握りつつ、大河は答える。
然し、その目に光は無い。
大広間には、大河と先代だけ。
当事者である謙信は、景勝と華姫に預け、この場に居ない。
大河の背後に控える用心棒が、向ける視線も、氷の様だ。
「では、歌舞伎の方は、存続で宜しいでしょうか?」
「ああ、但し、輩を出さぬ為にも躾に力を入れる事だ。俺は怒っていないが、忠臣が黙っていないかもな」
「……善処します」
言葉の真意を悟った先代は、頷く。
加害者を付け上がらせたのは、自分だ。
広義では、自分にも非があるだろう。
「吉報が届きます故、明日の瓦版をお楽しみに下さい」
その夜、入院中の羽田屋の下に先代が尋ねる。
「親父、あの糞野郎、領主だったんだな? 面、知らなかったぜ」
「……今日、若殿様に御逢いして来た。『怒っていない』そうだ」
「そいつは良かった。じゃあ、復讐が出来そうだ」
短刀を握り、羽田屋は布団に突き立てる。
「……本気なのか?」
「ああ、廃業したんだ。死なば諸共だ」
「……」
顔面を包帯で巻かれたその様は、ミイラ男の様だ。
「分かった。復讐に協力し様」
「流石、親父だ」
「その前に痛いだろう? これを飲め」
粉末を取り出し、杯の水に混ぜる。
「痛み止め?」
「ああ。直ぐに効くよ」
「そりゃあ有難い」
躊躇い無く、羽田屋は、飲む。
「……甘いな」
「そういう物だ」
眠気が出て来た。
「即効性だな。少し眠るよ。御休み」
「ああ、御休み―――永遠にな?」
「!」
微かに聞こえた言葉に羽田屋は、二度見する。
襖が開き、島左近が入って来た。
大きな槍を構えて。
額には、『天誅』と書かれた鉢巻きを巻いていた。
「……え?」
睡魔の中で胸を突かれる。
一瞬で心臓が貫かれ、羽田屋は、ぐったり。
「流石、”鬼左近”殿。名手ですな」
「実子だが、薄情だな?」
「馬鹿息子ですから」
先代に涙は無い。
その様から苦労が、見て取れる。
「若殿様に御伝え下さい。『約束を果たしました』と」
「分かった」
数時間後、号外が出される。
———
『【当代・羽田屋刺殺】
入院中の当代が、剛狂で同じく入院中の者に刺殺された。
犯人は、歌舞伎役者の後輩で、当代に妻を寝取られた事を動機としており―――』
———
号外にも関わらず、詳細が載っているのは、黒幕が初代羽田屋だからだ。
華やかな歌舞伎役者では、歴史を紐解けば、結構、どす黒い。
例えば、初代・市川團十郎(1660~1704)は、舞台に出演中に同業者に刺殺された。
12代目・片岡仁左衛門(1882~1946)は、初代・市川團十郎同様、怨恨で住み込みの座付き見習い作家に家族諸共殺された(=片岡仁左衛門一家殺害事件)。
出雲阿国以来の歴史を誇る文化にも関わらず、殺人事件が、度々、発生しているのは、闇が深い。
容疑者が死亡した事により、2代目・羽田屋暴行事件は、沈静化していく。
その後、2代目は、記録や家系図等から抹消され、完全に亡き者とされるのであった。
4月。
桜が舞う頃、華姫は初等部に入学する。
国立の学校は、学費が無料だ。
但し、入学者は、得意科目を伸ばす事を常に求められる。
体育会系であれば蹴鞠や相撲を。
理数系ならば、医学や科学を。
と、言った具合だ。
華姫が、入学出来たのは、縁故が理由ではない。
入学前に受賞した紫式部文学賞が、最大の理由だ。
その為、彼女は、文学部にしか入学資格が無い。
誰でも入学が出来るのだが、得意を更に伸ばすのは、非常に競争率が激しい。
落第者や退学者も多く、外見では天国だが、内面は、地獄なのである。
「はじめまして、はなひめです」
入学初日。
他の児童には、保護者が付き添っているが、華姫のみは、別だ。
信松尼とアプトが、養父母代わりに来ている。
パチパチパチパチ……
拍手は、
やはり、観衆のお目当ては、大河・謙信の夫婦。
彼女達では、残念ながら「外れ」なのだ。
「ねぇねぇ、わかとのさまは?」
「御免ね。奥様についてるの」
「やさしい~」
アプトの説明に、女児達は感心する。
童顔である大河は、実年齢より若く、時には幼く見られる事があり、この手の子供達には、「御殿様」というより「お兄ちゃん」の心象が強いのだ。
男児も残念がる。
「ぶどーのこころえ、おしえてもらいたたかったのに」
「”鬼左近”様等の様に御強くなれば、何れ、御会い出来ますよ」
信松尼の助言に、男児達は、
「「「……」」」
真剣に聞いている。
男児に産まれた以上、山城守に仕える事が夢、と語る者も多い。
実際に小姓から開始するのが、通常なのだが、評価されれば、どんな者でも高位に就く事が出来る。
全員に平等な好機があるのは、大河の下に有能な才能が集う理由の一つだ。
会場には、お江、朝顔、於国、楠も居る。
彼女達も又、今回、初等部への入学者達だ。
其々、口々に言い合う。
「兄者が居ない……」
「仕方無いわ。今は、謙信に付きっ切りなんだから」
「何で私まで?」
「知らなかったの? 華が寂しくならない様によ」
彼女達は、例外で縁故で入った数少ない児童だ。
華姫が入学すると知り、縁遠い学校に興味を持ち、彼女の学校内での保護者として入学するに至った。
無論、元帝の朝顔も居る一同に、無礼を働く馬鹿は居ないが。
お江と同年代の女子生徒達がやって来た。
先頭に居るのは、
溢れるカリスマと男児なら誰もが二度見するその美貌は、演劇部の主演女優級部員ならではだ。
傍に居るのが、
開校間もない学校だが、現代同様、スクール・カーストが既に築き上げられていた。
「初めまして。私は、この学校の初等部を女王―――」
「あ?」
スケバンの様な声で、お江が、振り向く。
「「「ひ」」」
取り巻き達が、一瞬で失禁した。
何を隠そうお江は、大河に普段、甘えているが、それ以外には結構厳しい。
大河が反独裁を標榜している所に感化されたのか、自称「統治者」が大嫌いだ。
「……御免なさい」
名乗る事も出来ず、女王蜂は、平伏す。
新女王蜂・お江の誕生であった。
[参考文献・出典]
*1:一般社団法人 日本骨折治療学会 HP
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