第123話 雲蒸竜変

 3月のある日。

 朝から号外が、山城国中に配布される。

「大変だ! 雑賀孫市が捕らえられたぞ! さぁ、皆、貰ってくれ!」

 大河を撃った狙撃手の捕縛に国民は、飛びつく。

「ほぇ~。大罪人が呆気なく捕まるとはな」

「紀伊では、死亡宣告されてたんじゃなかったっけ?」

「馬鹿。あれは、失踪宣告だよ」

 虚偽報道防止法により、山城国では記事を出す時、二重三重の事実検証ファクト・チェックが行われる。

 1分1秒が争われる号外を出す、という事は、その報道機関が自信満々且つ廃刊覚悟だという事だ。

 現在のウトロ地区に隠れていた孫市は敗走しても尚、傭兵としての自覚を失ってはいなかった。

 三条河原の処刑場には、真っ白な死に装束に身を包んだ孫市が、姿を現すと、

「死ね! 糞野郎!」

 野次馬が、腐った生卵を投げつける。

 頭部に当たり、黄身が、孫市の頬を滴り落ちた。

 孫市の民衆への風当たりは、凄まじい。

 非戦闘員を殺傷し、保障も謝罪も無いからだ。

 もっとも、傭兵である彼は、依頼人の要望に応えただけなのだが、被害者にそんな道理は通じない。

 大河が愛妾を伴って現れると、

「御殿様! そいつを八つ裂きにして下さい!」

「殺して下さい!」

 死刑支持100%の声が飛び交う。

 鶫が大河の傍に控えつつ、干し柿を与える。

「最後だ」

「要らん」

 断固拒否し、孫市は、大河を無表情で見た。

「水をくれ」

「無い。干し柿で我慢しろ」

 鶫に日本刀を喉元に突き付けられても尚、孫市の態度は変わらない。

「水が欲しい」

「これから死ぬのに?」

「傭兵だが、高潔に死にたいんだ。敵の温情に甘える程、俺は弱くない」

 その言葉を聞いた野次馬は、腹を抱えて嗤う。

「あの馬鹿、まだあんな事言ってるぞwww」

「こいつは、傑作だ。腹が痛いwww」

 鶫も小太郎も唇を噛む。

 野次馬程態度には出さないが、同じ様な気持ちなのだろう。

「……」

 大河は、石田三成の最期を連想していた。

 ―――

 関ヶ原合戦敗戦後、三成が京都の町を引廻されている最中に水が飲みたくなったので、警護の者に伝えた所、水が無かったので干柿を差出された。

 三成は、

「痰の毒であるから食べない」

 と言って断った。

「間もなく首を刎ねられる人が毒を断つのはおかしい」

 と笑われたが、三成は、

「そなた達小物には分からないだろうが、大義を思う者は、首をはねられる瞬間迄命を大事にするものだ、それは何とかして本望を達したいと思うから」

 であると答えた(*1)。

 尚、横浜一庵から柿100個が送られた際の礼状に「拙者好物御存知候」と書いている(*2)事や、他にも三成への柿の贈答が記録された事から、三成の好物が柿だった事は広く世間に知られており、干柿の逸話とも関連がある可能性がある(*3)。

 ―――

 なので、大河はわらわらない。

 むしろ、感心する。

「御奉行様、彼の罪状は?」

「は。

・外患罪

・内乱罪

・騒乱罪

・放火罪

・殺人罪

・傷害罪

・暴行罪

・凶器準備集合罪

・結集罪

・過失致死傷罪

・住居侵入罪

・名誉毀損罪

・業務妨害罪

・窃盗罪

・不動産侵奪罪

・強盗罪

・恐喝罪

・横領罪

・盗品等関与罪

・文書等毀棄罪

・建造物等損壊罪

・器物損壊罪

 等です」

「……分かりました。有難う御座います」

 高潔な軍人は、大河の好みである。

 然し、1発目の外患罪の刑罰は、死刑しかない。

 又、被害者やその遺族の心情を思えば、どれ程、孫市に同情しても、死刑は変えられないだろう。

 大河も又、被害者の1人であり、又、三権分立の観点からも、自分1人の想いだけで死刑の回避は、公私混同だ。

「……孫市、孫六は、名狙撃手か?」

「ああ。俺に似てな。あいつは、今?」

「保護してるよ。お前の大事な弟なんだろう?」

「……名君なんだな」

 一族郎党、連座制で処刑など、よくあるこの時代に於いて、政変未遂の実行犯の

家族が保護されるのは異例だ。

「彼は今、我が軍に入隊する為に狙撃の訓練をしているよ。孫市以来の狙撃手になる日は近い」

「……高く買ってくれるのは、有難いが、何故我が家を優遇する?」

「武人の家だ」

 公言はしないが、大河が孫市(正確には、家族)をこれ程気に入っているのは、者別ジェベ(『元朝秘史』。『元史』では哲別)の例が理由であった。

 1201年、ジルゴアダイはタイチウト氏の首領タルグタイ・キリルトクに従って、タルグタイの族子にあたる成吉思汗チンギス・ハンと戦った。

 戦いの最中にジルゴアダイは毒矢を放ち、それが成吉思汗の首に命中するが、ジェルメの看病によって一命を取りとめた。

 この戦いの最中、成吉思汗は敵側から射られた矢によって騎乗していた愛馬を失った。

 戦後、汗が自分の馬を射た者を探し求めると、ジルゴアダイは自らが狙撃したと名乗り出る。

 ジルゴアダイは馬ではなく汗自身を狙ったと答え、更に助命を受ければ忠義を尽くすと言った。

 汗は、ジルゴアダイの誠実な人格を称え、彼を許して臣下に迎えた。

 この時、汗はジルゴアダイに者別(=モンゴル語で「鏃が木製である矢」)の名前を与え、彼に名前を改めるよう命令した。

 汗の元で者別は百戸長に任ぜられ(*4)、1206年の成吉思汗の第二次即位の際に千戸長ミンガンの地位に就く(*5)。

 以来、者別は優秀かつ忠実な汗の将軍として名を馳せ、「四狗しく」の1人に数えられた。

 孫市は惜しいが、彼と似る孫六なら四狗になれる可能性がある。

 又、紀州には、雑賀鈴木氏が必要不可欠だ。

 大河の計算を見抜いた孫市であったが、それに乗っかる。

「飼い犬に手を噛まれない様に気を付けるんだな?」

「御忠告有難う。辞世の句は?」

 水の入った桶を孫市の前に置く。

 逝く者への敬意だ。

「要らん。有難う」

 桶を頭から被り、孫市は水を飲む。

 その後、斬首刑に処され、彼の生首は数日間、さらされるのであった。

 

 謙信の妊娠は、無事に進む。

 徐々にお腹が大きくなっているのだ。

 その為、彼女は、日々を安静に過ごす。

 断酒し、日頃の日課であった訓練も中断し、政務も産休補助員が変わりに行う。

 子供の為とはいえ、今まで行って来た事を止めざるを得ない為、当然、ストレスも溜まっていくばかりだ。

 それを軽減するのが、大河の役目である。

「御免ね。常に一緒で」

「良いよ。愉しいから」

 謙信が呼べば、風の如く行き、その傍から離れない。

 誾千代や他の妻達も謙信を支える。

「子供が生まれたら、育児に専念しないといけないから。今は、目一杯、大河に甘えて良いよ。その代わり、出産後は、私達が独占するから」

 産休補助員になった妻達は、分担して政務に取り掛かっている。

・北陸道からの報告書

・朝廷から手紙の返事

・来客者への対応

 ……

 大河が謙信に集中している今、その仕事も一部、熟さなければならない。

 仕事場で彼女達が仕事する中、謙信は、自室で大河と2人きりだ。

「……怖い」

「出産?」

「うん……」

 大河にしがみ付く。

”越後の龍”と恐れられる”軍神”も、人の子だ。

 初めての出産の恐怖は、当たり前だろう。

 死産したら……

 障害児だったら……

 ちゃんと育てれらるか……

 色々な考えが、常に頭に過っている。

 そんな時、大河は、常に傍に居てくれるのは、有難い。

 謙信の想いを見透かした様に、大河は諭す。

「赤ちゃんは授かり物だ。不幸な事は、余り考えるな。その時は、その時だ」

「……死産したら?」

「その時だ」

「障害児だったら?」

「捨てる訳無いよ。子供なんだから」

「……育てられる自信が無い」

「華が立派に育ってるんだ。今度は、2人でな?」

「……うん」

 打てば響く、とはまさにこの事で、謙信が無意識的に求めていた回答を大河は、瞬時に出す。

「……今晩、外出したい」

「何処が良い?」

「居酒屋」

「……」

「大丈夫。飲まないから。その時は、張り倒してでも止めて」

「……分かった」

 大河に寄り掛かり、その耳朶じだを甘噛み。

「酔ってるのか?」

「そうよ。貴方にね?」

「ふん」

 鼻で笑う大河。

 その顔が赤かった事は言うまでも無い。


 政変未遂後は、焼け野原が目立った京であるが、その後の復興は凄まじい。

 人気者の大河が自ら陣頭指揮し、更に謙信の妊娠が判った事等で、国民の士気は高いのだ。

 その為、数か月程で元の日常を取り戻し、政変未遂はまるで無かったかの様な感じさえある。

 赤線の中にある居酒屋が、大河御勧めの店だ。

 ノーパンの女性達が接待している為、家族連れや夫婦には縁遠いのは、誰の目で見ても分かるだろう。

 客層は、男性9:女性1。

 言わずもがな、男性は、好色家。

 女性は、同性愛者である。

 謙信と愛妾を連れて来店した大河を、店員や常連客は見て見ぬ振り。

 プライベート中、下手に関われば目を付けられ斬られる、とでも思っているのだろう。

 もっとも、大河は、スターリンの様に沸点は低くは無いのだが。

 兎にも角にも、プライベートを邪魔されたくないのは本心だ。

「若様、どうぞ」

 接客するのは、店主自ら。

あきら、儲けている様だな?」

「若様の御蔭ですよ」

 瓶底眼鏡が特徴的な若女将は、胸を張る。

 大河が公娼制度を作った事で、職業差別に遭い易い娼婦が、公然と仕事出来る様になったのだから。

「何、知り合いなの?」

 謙信は、ムッとした。

 愛されている事は分かっているが、知り合いの女性が居るのは正直、不快だ。

「ここら辺を整備していた時にな? ほら、女性だけの窃盗集団が、居ただろう? 彼女がその頭目だ」

「あー……」

 思い出した。

 ここ一帯では、昔、娼婦に化けた窃盗犯が居た事を。

 彼女は、男性を夜道に誘い込み、行為の隙に仲間が荷物を分捕る。

 犯罪に気付いた時、男性は全裸。

 それを嘲笑うかの如く、女性陣は夜の青線に消えていく。

 被害者が悪徳商人ばかりであった為、民衆からは義賊の様に捕らえられ、警察が探しても、一向に見付からなかった。

 然し、経営者になっているとは予想外だ。

「……」

 じっと謙信は、見る。

 瓶底眼鏡の下は、確かに、美人だ。

「そんなに見詰めないで下さいよ。”越後の龍”様から若様を寝取る様な愚行は、犯しませんから」

「……分かったわ」

 頷くも、信用無いのか、謙信は、大河を抱き寄せる。

「それで、この店の御勧めは?」

紫河車プラセンタ―――乾燥させら胎盤です」

 大多数の現代人は、ドン引きするだろう。

 然し、一部の人々には、好まれている事は事実だ。

 ―――

『胎盤食は、

・滋養強壮

・更年期障害防止

・エイジングケア

・産後の貧血

・抜け毛対策

・母乳分泌不全の改善

・鬱病対策

 等ど様々な効果があるともいわれているが、胎盤食を実行した女性の人数や効果に関する科学的な調査研究結果はない。

 野生環境の中で捕食者から出産の形跡を消す為に胎盤を食べるともいわれている。

 幾つかの研究では妊娠したラットにおいて胎盤の摂取が痛覚の閾値を増大させうる事が示された。

 胎盤を摂ったラットは自然発生のオピオイド増大による痛覚脱失が起こるのである。

 エンドルフィンやダイノルフィンといった内在性オピオイドは阿片の成分に近縁の自然化学物質であり、中枢神経系に作用する。

 この内在性オピオイドは出産時に増大して、母体に痛覚への耐性を与える。

 胎盤と羊水とを合わせて摂取した場合、痛覚閾値へのオピオイドの作用は飛躍的に増大した。

 胎盤の代わりに肉を与えられたラットでは痛覚の閾値の増大はなかった。

 尚、人においては同様に胎盤食で痛覚脱失が引き起こされるとする研究結果は出ていない。

 胎盤を崇拝する文化は多い一方で、出産後に胎盤を食べる風習は稀である。

 産後鬱病やその他妊娠合併症を防止する効能があると信じて胎盤食を推奨する人もいる。

 然し、英国王立産婦人科学会の産科医・広報担当は産後鬱病の理論についての論争で、

「動物は栄養をとる為に胎盤を食べる。然し、人間の場合は既に充分滋養が与えられていて利点はなく、それをする理由がない」

 と胎盤を食べる事に医学的根拠はないとした。

 その一方で、米国のサウスフロリダ大学とネバダ大学ラスベガス校の医療人類学者の調査によれば胎盤を食べた産婦の3/4が、

・気分がよくなった

・元気になった

・母乳の出がよくなった

 等、ポジティヴな体験をしたという。

 人間の胎盤は漢方における生薬として用いられており、乾燥させたものは「紫河車」と呼ばれる。

 効能は、

・消耗症

・不妊症

勃起不全インポテンツ

 等』 (*6)。

 ―――

「……不要」

「じゃあ、これは如何ですか?」

 晶が棚から出したのは、村上茶。

 禁酒中には、有難い故郷の御茶だ。

「……」

 謙信は、故郷の御茶をたしなむのであった。


[参考文献・出典]

*1:『明良洪範』享保以降成立 『明良洪範』国書刊行会1912年

*2:某年10月7日付石田三成自筆書状『廓坊文書』

*3:谷徹也『シリーズ・織豊大名の研究 第七巻 石田三成』戎光祥出版 2018年

*4:コンスタンティン・ムラジャ・ドーソン『モンゴル帝国史』1巻 訳注:佐口透 東洋文庫 平凡社 1968年3月

*5:岩村忍『元朝秘史 チンギス=ハン実録』 中公新書 中央公論社 1963年6月

*6:ウィキペディア

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