第121話 温厚篤実

 お初の妊娠説は結局の所、想像妊娠であった。

 原因は、妊娠に対する、

・過度な願望

・過度な恐怖

 とされる。

 女性陣の中で大河に普段から当たりがきついお初は、彼と交わった事で、「妊娠するのでは?」と思い、不安に駆られ、発症したと思われる。

 対処は、医師の診断を受ける事。

 想像妊娠の事実を認識すると症状は、減退するのだ。

「……」

 真相が判ったお初は、何とも形容し難い表情を浮かべている。

 妻として内心、妊娠を喜んでいた一方、誤報だった事に落胆し、感情が相殺されいているのかもしれない。

 然し、産婦人科医は、続ける。

「今回は想像妊娠でしたが、妊娠検査薬を騙す程、巧妙な事でした。今後、検査次第では何方どちらかが、妊娠しても可笑しくはないと思われます」

「分かりました。有難う御座います」

 お市が頭を下げた。

 その横では、大河が女性陣に拘束されていた。

 猿轡さるぐつわを噛ませられ、首輪と足枷。

 両手には、手錠。

 その上、股間には貞操帯が。

”一騎当千”のこの姿は、流石に領民に見せれない。

 産婦人科医も見て見ぬ振りだ。

「娘達の中で誰が1番、妊娠に近いですか?」

「ええっと……」

 検査結果を医者が見る。

「……謙信様です」

「! 本当ですか?」

 謙信が、距離を詰めた。

「はい。というか、妊娠されています。8か月です」

 そう言って医者は、エコー写真を見せる。

 平賀源内が作った最新の絡繰りは、医学を大幅に進歩させていた。

「……」

 謙信は、固まった。

 他の女性陣も。

「悪阻、無自覚だったんですか?」

「(……はい)」

 恥ずかしさと嬉しさで謙信は、小声だ。

「これからは禁酒して下さい。良いですね?」

 強い言葉で言われ、謙信は、

「……」

 無言で頷く。

 大河が現代で得た最新医学により、山城国は固より、日ノ本での妊活は、大きく変わっている。

 その代表格が、「妊婦の禁酒」だ。

 最新の研究により「何ml以下の飲酒量であれば胎児に影響がない」という様な安全量や時期は存在しない事が判ってきている(*1)。

 ―――

『・妊婦への影響

 例:妊娠経過の悪化(流産や死産等)

   鬱症状の悪化等、精神症状・疾患の危険性

 ・赤ちゃんへの影響

 アルコール(エタノール)とその代謝産物であるアルデヒドは胎盤を通り、赤ちゃんの体の細胞の増殖や発達を障害し、先天異常(発育遅延や、精神発達の遅滞に繋がる中枢神経障害、頭蓋骨や顔面他様々な形成異常)を引き起こし「胎児性アルコール症候群」と呼ばれる。

 飲酒した妊娠時期と赤ちゃんの障害の関係は、妊娠初期は特異的な顔貌等、様々な奇形が生じ、妊娠中・後期は発育遅延や中枢神経障害が生じるとされている』

 ―――

 そして「胎児性アルコール症候群」による特異的な顔貌や低体重等は、赤ちゃんが成長すると共に次第に目立たなくなるが、発達障害や鬱病等の精神科的問題が、成長過程で明らかになってくる事もあるとされている(*2)。

 つまり妊娠全期間のみならず、生まれた赤ちゃんの成長過程にも影響を及ぼす可能性があると判っているのだ(*3)。

 これらの事は、大河が紹介した妊活事業により、産婦人科学会では、ほぼ常識となり、妊婦が飲酒した場合、赤ちゃんへの、

・殺人未遂罪

 万が一、死産になった時は、

・殺人罪

 が適用される。

 今回の場合は、謙信が無自覚であった為、不問に処される可能性が高い。

「申し訳ありませんが、皆様、御殿様を解放して下さいませんか? 大事な御話ですので」

「分かりました」

 医者の頼みに誾千代が快諾し、大河の全ての拘束具を外す。

「……真田」

「おめでとう。第一子だな?」

「……うん!」

 落涙し、大河に抱き着く。

”姫武将”として妊娠は縁遠い、と思っていたから。

 一方、夫の方は、落ち着いている。

 妊娠初期と臨月以外、謙信との性交は、出来難くなったが、それでも、授かり物だ。

「……良かったね」

 誾千代も感涙していた。

 自分は、不妊であったが、親友のは、自分の事の様に嬉しい。

 他の女性陣も嫉妬する事は無い。

 全員で謙信を取り囲み、祝福する。

 おめでとう、と。

 その間、大河は、尋ねた。

「先生、性別は、分かりますか?」

「女の子です」

 その瞬間、華姫の顔が曇った。

「……」

 アプト、橋姫は、勘付く。

 嫉妬している、と。

(これは……危機)

 自分の立場を危うくしかねない、新星に華姫は、一気に劣勢を感じるのであった。


『”軍神”御懐妊!』

 吉報は瞬時に山城国は勿論の事、日ノ本中に轟く。

 岐阜県発祥の口裂け女が、携帯電話もメールもSNSも無い時代に日本中に広まった様に。

 時に会話というのは、人々の予想以上に広まるのが早いのだ。

「……」

 越後国に居り、報告を受けた景勝は数度、頷く。

「上様、子供を見に行きましょう」

 提案したのは、直江兼続。

 17歳の若武者だが、急遽、景勝の目に止まり、最側近の1人として活躍している。

「……」

 分かった、と景勝は目で答えた。

 初めて会った時は失声症の如く、喋らない為、一苦労したが、今では阿吽の呼吸だ。

「……」

 景勝が立ち上がると、家臣団も続く。

 謙信とは血が繋がっていないが、”軍神”と”一騎当千”の養子の雰囲気は、凄まじい。

 触れるだけで斬られそうな程、威圧感がある。

 無論、家臣を手討ちにした事は無いが。

 彼の背後に戦国最強(最恐)の武将が居ると、家臣団は殆ど戦功が無い彼を、勝手に魔王の様に恐怖する。

 景勝も舐められる事は無い為、それを十分に利用している事は言う迄も無い。

 御館の乱の時の反省を踏ませて、居城の警備を固める。

 一苦労した経験が、後の警戒心に役立っているのだ。

 2月初旬。

 越後国を出国する。

 遅くなった新年の挨拶と、近衛大将就任の御祝いも兼ねて。


 景勝が山城国に入国すると、大友家、島津家、織田家の使者も来ていた。

 上杉家とは違い、領主ではない。

 謙信懐妊、という事で上杉家に配慮し、領主直々の御祝いを見送ったのだろう。

「暫く見ない間に立派になったな? おとこだ」

「……」

 義父に褒められ、景勝は、微笑む。

 誰だって”一騎当千”に認められるのは、嬉しい。

「名前の方なんだが、景勝にも考えてもらいたい」

「!」

「家族なら当然だろう?」

「……」

 荷が重い、と景勝は、珍しく嫌な顔をする。

「嫌なら無理強いはしないが」

「ちちうえ~」

 とてとてと、華姫が、走って来た。

「わたしがいちばん!」

 そして、大河に抱き着いては、離さない。

「嫉妬しているのか?」

「うん!」

 華姫が考えた作戦は、真っ向勝負。

 彼女の好意をファザコンと思っているのか、大河は全然、気付いてくれない。

 だったら、真正面から攻め様、というのだ。

「1番だよ。跡継ぎだから」

「……」

 断言してくれるのは嬉しいが、残念ながら、人間は嘘が吐ける生物だ。

 今、本心でも将来的には、どうなるか分からない。

 幾ら、大河でも実子を優先させる筈だ。

 不満気に大河を睨み付けると、その頬に接吻する。

「ちちうえ、じじょよりわたしをたいせつにしてくださいね」

 ちょっと大人な雰囲気を醸し出すと、

「分かってるよ」

 笑顔で大河は、頭を撫でる。

「むー……」

 感触は、気持ち良いが、それで機嫌が直った訳ではない。

 景勝が宥める。

「……」

 父上を困らせるな、と。

「……は~い」

 景勝が居る手前、無理は出来ない。

 ぎゅっと、大河はテディベアの様に背後から華姫を抱き締める。

「あ……」

 吐息、体温、感触……その全てが、近い。

「只今」

「おお、お帰り」

 在京上杉軍に報告した謙信が、帰って来た。

 相当な祝福を受けたのだろう。

 その顔は、林檎の様に赤い。

「……」

 初夜の生娘の様に、もじもじしつつ、大河の横に座る。

 普段は、彼の前で全裸で闊歩しても恥じらう事が無い豪胆な人物なのに。

 震えた手が、大河に伸びる。

 ゴリラと思しき強さで、大河の手を握る。

 人生初めての妊娠だ。

 頼れる人が、大河しか居ないのだろう。

「怖いよな?」

「うん……」

「政務の方は、産休だ。俺も極力、傍に居るから」

「有難う……」

 山城国では、現代の日本で認められている産休制度がある。

 この法律は、雇用主に義務付けられており、違反した場合は、死刑と重い。

 子は国の宝、と考える大河の強い意向だ。

 これが、毎年、ベビーブームが続く山城国の理由の一つである。

「じゃあ、今日は、皆揃ったし、一緒に寝様か?」

「うん」

「わーい!」

「……」

 謙信、華姫、景勝の順に頷く。

 その晩、4人は、家族水入らずで寝るのであった。


 幸せは、続く事がある。

 華姫が、筆名で応募した作品が、紫式部文学賞を受賞したのだ。

 受賞者は、帝に拝謁する事が出来る為、華姫のテンションが高い。

「ちちうえ、みてみて! これがわたしのさくひん!」

 華姫が、見せ付けたのは、『吾輩は犬である』。

 まさかの長編小説である。

 然も、夏目漱石より早いとは思わなんだ。

「ほぉ……11話もあるのか?」

「うん!」

 才媛、と証明されて華姫の鼻は、天狗の様に高い。

「じゃあ、おめかしして行こうな?」

「うん!」

 大きく頷いて、大河の手を握る。

 独占したい所だが、もう一方の手は、謙信が。

 更に大河の胸に寄り添っているのは、誾千代だ。

 後方には、エリーゼ、千姫も居る。

 祝福の期間は、終えたのか。

 妊娠発覚直後より、距離が近い。

 全員、西陣織の和装に着替え、御所へ行く。

 ……

 帝は、上機嫌であった。

「山城守よ、先日の防衛戦、実に大儀であった」

 日露戦争は、信長が説明した為、大まかな内容は、帝に伝わっている。

 更に、忠臣が妊娠し、その上、養女が文壇デビューしたのだ。

 喜ばない訳が無い。

「上杉よ、貴君も遂にこうのとりが来たな? おめでとう」

「はい……」

 帝に直接、祝福され、謙信は肩を震わせる。

「山城守よ、貴君の女好きも大概だな? 少し位、控えたら如何だ?」

 御簾越しだが、帝は微笑む。

 好色を天皇からとがめられた人物は記録上、伊藤博文しかいない。

 非公式では、大河が初めてとなった。

「は。努めます」

 ひざまずいたまま、大河は、答えた。

「もう一つ。以前、山城守が提案した『機能六条』の真意を聞かせてくれ」

 信長が、中央集権国家構想を進める際、大河は、朝廷に『機能六条』を提案していた。

 内容は、明治19(1886)年に伊藤内閣と明治天皇の間で交わされた約束事だ。

 これによって、天皇と内閣の関係を規定すると同時に、明治天皇が親政の意思を事実上放棄して、天皇の立憲君主としての立場を受け入れる事を表明した(*4)。

・内閣に於て重要の国務会議の節は、総理大臣より臨御及上奏候上は、直に御聴許可

 被為在事

・各省より上奏書に付、御下問被為在候節は、主務大臣又は次官被召出、直接御下問

 被為在度事

・必要之場合には地方行幸被為在度事

・総理大臣又は外務大臣より、内外人至当之資格ある者に御陪食を願出候節は、御聴

 許可被仰付事

・国務大臣、主管事務上に付拝謁願出候節は、直に御聴許可被為在事

・御仮床又は入御之節は、国務大臣御内儀に於て拝謁被仰付事 但書面又は出仕等の

 伝奏にては到底事情を難尽、為めに機務を処理するに於て往々機会を失する虞有之

 候事

 要約すると、

 ―――

『第1条

 →太政官時代には(実際の事例は少ないものの)原則として天皇は何時でも閣議に臨御して自由に意見を述べる事が出来たが、今後は総理大臣の要請が無い限りは閣議には加わらない事になり、総理大臣が閣議の主宰者である事を確認。

 第2条

 →天皇の国政に関する顧問は所管大臣と次官に限定した(元田の存在は例外であったが、専門の教育問題や天皇の個人的な問題以外での発言は事実上封じられる事になった)。

 第3条、第4条

 →天皇が好き嫌いで儀式を拒絶したりしない事の確約。

 第5条、第6条

 →決して壮健とは言い難い天皇の体調に配慮しつつも、健康問題を理由として無暗に大臣との謁見を拒んだり、公務を滞らせる事態を最低限に留めて国務への影響を防ぐ事とした(特に森有礼の御用掛任命の際の公務復帰拒否の様な事態を防止する点が重要視された)』

 ―――

 これ以後、天皇は閣僚と直接謁見して政策について下問したりする様になり、又、以前は「外国人」に対する恐怖から渋りがちだった外交団との謁見にも応じる等、天皇自らが立憲君主としての振る舞いを積極的に行う様になった。

 特に、明治20(1887)年に条約改正や欧化政策に対する反発から伊藤に対して宮内大臣を辞任を要求する意見が宮中側近側より出た際には、天皇は伊藤の辞任を認めず、引き続き宮内大臣の職と憲法草案作成の職務にあたる様に指示し、宮中側近側にあった農商務大臣・谷干城が条約改正案反対の上奏を行おうとした際には元田による谷への謁見の勧めにも関わらず、「機務六条」の原則を理由に外務大臣の職務を犯すべきではないとしてこれを受け入れずに、谷の更迭を許した。

 以後、明治天皇は御前会議等の内閣の要請がない限りは、内閣の政策に直接参与する事は次第になくなり、立憲君主としての立場を明確にする様になる。

 この天皇と内閣との関係は大日本帝国憲法・内閣官制においてもほぼそのまま引き継がれる事になる。

 又、伊藤を明治政府の中心的人物として重んじる様になり、立憲政友会結党の際に意見の相違はあったものの、両者の間に強い信頼関係を形成する事になった(*5)。

 明治時代同様、朝廷の保守派は反発していたが、日西戦争、日露戦争の連勝により、その勢いは低下。

 なし崩し的に認められたのである。

 帝の自由を奪う事と同義であるが、大河を信頼する帝や朝廷の改革派が快諾したのも成功の要因だ。

「朕は、この国の象徴である。山城守、今後も忠節を尽くしてくれ」

「は」

 プレッシャーを感じつつ、大河は、更に頭を下げるのであった。


[参考文献・出典]

*1:日本産婦人科医会「飲酒、喫煙と先天異常」

*2:厚生労働省「e-ヘルスネット 胎児性アルコール症候群」

*3:https://woman.mynavi.jp/kosodate/articles/7111

*4:『明治天皇紀』

*5:坂本一登『伊藤博文と明治国家形成―「宮中」の制度化と立憲制の導入―』吉川弘文館 1991年

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