第119話 廓然大公

 樺太海戦でのバルチック艦隊の死者は、5千人。

 捕虜は、6千人を数えた。

 たった数時間で5千人もの死者を出したバルチック艦隊は、文字通り、壊滅状態であり、水兵達の精神的ショックも激しい。

 余りの惨状にCSR戦闘ストレス反応(戦争後遺症とも)の発症者が相次ぐ。

『昨日の敵は今日の友』の精神の下、大河は彼等を保護し、病院船に乗せ、シベリアに送る。

 軽傷者と一緒に。

 重傷者やロジェストヴェンスキー等の高官は、俘虜収容所に送られる。

 彼等は、拷問を危惧していたが、大河は、その予想は外れた。

 重傷者を適切に治療させ、高官には敬意を払って接する。

 出羽国(現・秋田県等)に設置されたそこで、2人は出会う。

「初めまして、中将。真田大河と申します」

 非武装で現れた敵将に、ロジェストヴェンスキーは目を丸くした。

「……武器は?」

 対して、ロジェストヴェンスキー達の方は帯刀したままだ。

「ありませんよ」

「……斬られる心配は、無いんですか?」

 流暢なロシア語も然る事ながら。

 物腰の柔らかい雰囲気に彼等は、困惑するばかりだ。

 何せ髭面で熊の様な大男を心象していた為、その差異に呆気にとられている者も居る。

「貴国の軍人は、一部の時代を除き、高潔ですからね。若し、斬りかかっても、素手で殴殺出来る自信もありますし」

「……」

 前言撤回。

 この男は危険だ、と彼等は悟った。

 童顔で少年の様だが、人は見かけによらない。

 大河が非武装なのは、ロシア帝国の軍人、アレクサンドル・コルチャーク(1873~1920)が大きく関係している。

 彼は、日露戦争で旅順攻囲船で活躍し、海でも高砂を撃沈する等、戦果を挙げた。

 その後、捕虜になるも、帰国を果たす。

 然し、ロシア革命の際、司令官を解任されてしまう。

 その際、コルチャークは抗議の意味を込めて、日露戦争の時に授与された軍刀を海に投げ捨てた。

 日本軍でさえも軍刀を奪う様な真似をしなかった、と言い放って(*1)。

 又、203高地で乃木希典と戦ったアナトーリイ・ステッセリも騎士道精神の持ち主だった様で、水師営の会見では乃木大将の2人の子息の戦死について弔意を述べ、乃木大将から帯剣のままでの降伏調印という礼遇を受けた事に深く謝辞を述べた上でお互いの健闘を称えあった。

 更に乃木の殉死を知ると匿名で香典を送る等している(*2)。

 一方、ソ連の軍人の心象は悪い。

 無教養で非戦闘員をいたずらに殺傷し、女と見れば暴行する。

 ベルリンや満州等での戦争犯罪を知れば知る程、ロシア帝国の方が良かったと言え様。

「お座り下さい」

「……有難うスパシーバ

 ロジェストヴェンスキー達が座った後、大河も倣う。

 どちらが、捕虜か分からない。

 大河に御供する鶫達や家臣団は、殺気を保っているが、彼等が動かない所を見ると、「何があっても、俺が対処する」と事前に厳命されたのかもしれない。

 その視線の鋭さと良い、部下に慕われている事も分かる。

「申し訳御座いませんが、重傷者の方々は、完治する迄、収容所に居て頂きます。宜しいですね?」

「……ああ」

 WWI期、徳島県には、板東俘虜収容所があり、ドイツ軍捕虜を多数、収容した。

 然し、所長の松江豊寿大佐は、彼等を人道的に扱い、後にこの出来事は、映画化を果たしている。

 秋田県のここは、後に『バラダー顎鬚の楽園』になるかもしれない。

「……我々は、何時、帰れる? 処刑されるのか?」

「「「……」」」

 中将の言葉に、彼の部下達は、生唾を飲み込む。

 高官、としての地位からその様に予想しているのだ。

「処刑はしませんよ。テロリストや戦争犯罪人ではありませんからね」

「は?」

「帰国日の方ですが、現在、貴国と交渉中です。ですが、貴国の陛下が、拒否し、交渉は、難航しているのです」

「「「……」」」

 予想は、出来ていた。

 独裁者は、失敗を嫌う。

 独ソ戦にて、スターリンは、捕虜になった軍人を「内通者」と断定。

”雷帝”が、彼等に敗戦の責任を押し付けて、自己保身に走っても何ら可笑しくは無い。

 然し、彼等は握り拳を作り、その瞳は血走っていた。

 目の前に居る敵将は、これ程、厚遇してくれるのにも関わらず、祖国の皇帝の酷さに堪忍袋の緒が切れたのだ。

 握り拳からは、軈て血が滴り落ちていく。

 ロシア皇国最強の軍人達が、反体制派に転向した瞬間だ。

「……真田様、計画を教えて下さい」

 大河は、この時を待っていた。

「「ひ」」

 鶫達が、小声の悲鳴を上げる。

 それもその筈、口元が耳元まで吊り上がった、チカチーロの様な残虐な笑みを浮かべていたから。


 2月23日。

 奇しくも後年の2月革命勃発日のこの日。

 帰国を果たしたロジェストヴェンスキー達や重傷者は、シベリアにて、反体制派の貴族と結託し、一斉蜂起した。

 その数、数万。

 激怒した”雷帝”は、跡継ぎのイヴァンを鎮圧の責任者として派兵する。

 然し、反乱軍には、中国大陸に駐留していた軍も加わった。

 これにより、三つ巴の一角が撤退した事で、中国大陸は、モンゴル帝国VS.明の内戦となる。

 反乱軍は、進軍する度に規模を拡大し、首都を目指す。

 今迄の独裁の竹箆しっぺ返しだ。

”雷帝”が送った正規軍も反乱軍と直接衝突する事は無く、相対すると同時に吸収合併。

 両軍は、『ロシア解放軍』と名を変え、再び、進軍を開始する。

 実子に裏切られた事を悟った”雷帝”は、発狂。

 最後まで付き従っていた忠臣でさえ、信じられなくなってしまう。

 そして、ロシア解放軍が首都に入り、宮殿に攻め込む。

 数万人もの軍人が、弓や刀、銃で武装し、柵を押し倒していく。

 その様は、さながらサイゴン陥落の如く。

 近衛兵は、居ない。

 彼等も又、皇帝に不満を持っていたからだ。

 解放軍の侵入に協力し、道案内する始末である。

 抵抗するのは、甘い蜜を吸う事が出来た親衛隊オプリーチニキくらい。

 然し、多勢に無勢で、殺されていく。

 ルーマニア革命の国家保安局セクリターテの様に。

 恨みを買っていただけあって、直ぐに殺される事は無い。

 生きたまま四肢を切断される等の拷問に遭った後、順次殺害されていく。

 詩人は、後に記録した。

『私は、昔、ノヴゴロドで何千という女や子供の死体が、線路や公道沿いに散らばっているのを見た。

 彼等は、アレクサンドロフの禿鷹共に殺されたのだ。

 女子供の涙が、私の胸の中で煮えくりかえる。

 殺人鬼の”雷帝”とその一味には、その涙を、奴らの狼の血で償ってもらおう。

 憎しみに燃えた復讐者は、容赦しない』

 と。

 解放軍の司令官は、ロジェストヴェンスキーであった。

「陛下、勝利は、近いですな」

「ああ」

 臨時の玉座に居るのは、イヴァン。

”雷帝”の後継者だが、独裁的な部分が無い為、解放軍の長を務めている。

 後継者が、方法は、過激だが、帝位を継承するだけなので何ら問題無い。

 近隣諸国も、”雷帝”よりイヴァンの方が、話が通じる事が分かっている為、内戦に関与する事は無い。

 安易に出兵し、飛ぶ鳥を落とす勢いの解放軍と敵対するのは、非常に危険だ。

 イヴァンの隣には、仲の良いフョードルも居る。

「……」

 相も変わらず、聖書を熟読しているのは、健気だ。

 もう直ぐ、実父の死体と対面するというのに。

 軈て親衛隊の抵抗は無くなり、”雷帝”の捜索活動が始まる。

「ぶっ殺せ!」

「いや、生け捕りの上、嬲り殺しだ!」

 復讐心に燃える彼等は、ロマノフ家の処刑の死刑執行人の様だ。

 捜索隊は、ノヴゴロドの犠牲者の遺族で構成されている。

 他にも自薦があったが、次期皇帝のイヴァンが、決定したものである。

 宮殿の部屋を全て開け、探す。

 そして、祈禱所にて、見付けた。

「居たぞ!」

 右手で聖書を携え、左手で錫杖を携帯する”雷帝”は、酷く怯え、抵抗は無い。

 直後、殴打され、倒れ込む。

 歯が飛び、口から出血した。

 人々から恐れられた”雷帝”は、今では、小物だ。

 幸か不幸か、生け捕り派に捕らえられた為、その場で殺される事は無い。

 だが、帝冠と錫杖は奪い取られ、丁重にイヴァンの下へ渡される。

 宮殿の前の広場で、”雷帝”は実子と面会した。

「……」

 げっそりとやつれた”雷帝”は、白髪が激増している。

 イヴァンを前にしても何も言わない。

「陛下、処刑を!」

 ロジェストヴェンスキーの声に解放軍は勿論の事、民衆も支持する。

「「「処刑カーズニ! 処刑カーズニ! 処刑カーズニ!」」」

 ……

 現代、日本では死刑制度が維持されているが、対照的にロシアは、死刑廃止国だ。

 ソ連時代末期の1988年に当時の民主化と人道主義の観点から、死刑の適用対象から60歳以上の高齢者と経済犯罪を除外した。

 その後は非常に悪質な故意殺人に対してのみ死刑制度が存置されていた(*3)。

 1996年の欧州議会加盟時に死刑執行を停止。

 1999年に憲法裁判所が死刑判決を正式に禁止した。

 然し、一部の下級裁判所は死刑判決を継続している。

 停止は2007年初めに期限切れとなる。

 ロシアが2006年5月に欧州評議会議長国に就任した事を契機に、欧州諸国から死刑廃止議定書批准を求める声が上がっている(*4)。

 だがテロ事件頻発を背景に、死刑復活を求める世論が高まりを見せている。

 プーチン大統領は死刑廃止を行う事を示唆しているものの、詳細な具体策を明らかにしていない。

 2006年2月9日には多数の児童が殺害された2004年9月の北オセチア共和国で発生したベスラン学校占拠事件(犠牲者数386人)の被告人(32人居た犯行集団唯一の生存者とされている)に対し、検察当局が死刑を求刑した(*5)。

 然しながら、結局、2006年5月16日の判決公判では終身刑が宣告された。

 尚、同人は刑務所内で復讐の為、殺害される危険から身柄を守る為、偽名で安全体制の整った刑務所に収監されているとされるが、当局は彼の生死を含む現状の情報を一切公開していない。

 又、チェチェン人武装勢力によるMi-26ヘリコプターの撃墜事件(2002年8月19日発生、犠牲者数127人)では、地対空ミサイルを使用し墜落させた実行犯に対し、2004年4月に終身刑が宣告され確定している(*6)。

 尚、憲法裁判所が、2009年11月19日に死刑廃止を定めた欧州人権条約を批准する迄死刑執行を禁じる決定を出した為、事実上廃止された。

 但し、国民の間には、死刑復活論も根強い。

 ―――

『【死刑復活 ロシア人の3分の1が賛成】』(*7)

 ―――

 イヴァンは、大声を上げた。

「急所を避け、1人ずつ好きな場所を刺せ! 医療従事者は、その度に傷を塞げ!」

「「「おー!」」」

 歓声が上がり、生殺しが始まった。

 その後、イヴァンが帝位を継ぎ、ロシア皇国の恐怖政治は終わりを迎えるのであった。


[参考文献・出典]

*1:NHK『その時歴史が動いた』コミック版 世界史革命編 (ホーム社漫画文庫) 2006

*2:ウィキペディア

*3:朝日新聞 1988年2月24日

*4:IPS2006年7月21日

*5:朝日新聞 2006年2月11日

*6:BBC   2004年4月29日

*7:スプートニク日本 2019年11月8日

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