第117話 一死報国
後世の日露戦争でバルチック艦隊が、日本海に到着したのは、出航から約7か月後の事である。
その為、大河には準備期間があった。
・蝦夷
・北方領土
・樺太
・対馬
・旧琉球
等、本土から離れた島々に飛行場を作り、兵士達にはロシア人娼婦を抱かせ、ロシア語を学ばせ、ロシアに対する免疫を付けさせる。
———
『知彼知己、百戰不殆。不知彼而知己、一勝一負。不知彼不知己、毎戰必殆』
(『彼を知り己を知れば百戦殆ふからず。彼を知らずして己を知れば一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば戦ふ毎に必ず殆ふし』(『孫子』)
———
と説かれている様に。
先ずは、敵を知らなければならない。
太平洋戦争でも、日本は欧米文化を規制した一方、アメリカは日本を研究し、その後の勝因の一つになった。
紀元前500年頃の『孫子』が、20世紀でも通用している所を見ると、人間は古代から不変な証拠だろう。
その結果、真田軍に多数のロシア人専門家が、誕生する。
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ロシア人通事から習った覚えたてのロシア語が飛び交う。
華姫もキリル文字を書いている。
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「そうだね」
大河は、
女性陣は、サラファン姿だ。
刺繍を施した亜麻のブラウスの上に重ねて着る、肩紐の付いたワンピースドレスのそれは大河が輸入し、現在、京で大ブームになっている。
とてもロシア皇国から宣戦布告を受けた国とは思えない状況だ。
潜入中のロシア人諜報員も困惑している事だろう。
誾千代、謙信、エリーゼ、千姫に囲まれつつ、大河は
「皆もお食べ」
相も変わらず、膝は幼妻達と養女が占領している。
楠、於国、お江、朝顔、華姫の5人分は流石に重いが、口に出すと、文字通り、袋叩きに遭うのは、必至。
”一騎当千”を尻に敷く事が出来るのは、帝と女性陣だけだ。
「兄者、食べさせて~」
「わたしも~」
小鳥の様に口を出す。
「はいよ」
箸で御餅を綺麗に切り分け、お江、華姫の順に口に運ぶ。
「「……」」
味を堪能し、2人は無言だ。
朝顔達も食べている。
「……ん!」
詰まったのか、楠が苦しみ出した。
於国が、背中を擦る。
「大丈夫?」
「……」
無理そう、と涙目で首を横に否定した。
「待ってろ」
冷静に大河は、言うと、4人を下ろし、楠を立たせる。
そして、背後から彼女の腹部に手を回し、横隔膜下部を突き上げる様に圧迫。
片手は拳を握り、臍と胸骨の剣状突起の間に付け、もう片方の手はこの拳を握る様にする。
所謂、
胸部外科医のヘンリー・ハイムリックが発明し、1974年に紹介した事で世界的に有名になった誤飲で窒息しかけている患者に対する応急処置は当然、この時代に無い。
「……けっほ」
餅が、飛び出す。
「……大丈夫か?」
「う、うん……有難う」
助けられ、恥ずかしくなった楠は、目を合わす事は無い。
然し、耳が真っ赤だ。
「可愛いなぁ♡」
「きゃ」
愛玩動物を可愛がる様に楠を抱き締める。
「もー、何すんのよ?」
「いや、可愛いなぁと」
楠を更に強く抱擁する。
「「「……」」」
女性陣の白眼視を物ともせずに。
イギリス、スペインの猛反発を受けたバルチック艦隊は、止む無く経路を戻り、北極海から日本を目指す。
寄港地のスペインで何も補給出来なかったのが、痛い。
然し、凍っているとはいえ、本国に直接、寄る事が出来、更に航海期間も短縮出来る長所がある。
アレクサンドロフに一旦、帰ったロジェストヴェンスキーは、報告する。
「誤認したのは、兵士達が、疲労困憊である事は間違いないです。陛下、彼等に一旦、休息を」
「ならん」
”雷帝”は、錫杖を振り上げた。
直後、硝子の机を叩き割る。
「誤認し、外交問題を作った上、休ませてくれだと? 貴様、無能なのか? ああ?」
「……」
スターリンの様に顔色が青ざめて残酷な目つきになり、その瞳が黄色を帯びると、”雷帝”が激怒している証拠だ。
但し、スターリンが、有能な軍人達をも粛清した結果、後の独ソ戦で大いに苦労した様な愚行は犯さない。
”雷帝”は、時に、恐ろしい程、冷静沈着なのだ。
特にロシア海軍の創設者であるロジェストヴェンスキーを粛清する事は無い。
「軍人は、国に仕え、国の為に死ね。一死報国だ!
「……」
殺意をぎりぎりで抑える。
これ程の無能な君主に仕えるのは、正直、限界だ。
然し、退職後は、命が無いだろう。
今、自分が生きながらているのは、軍人だからだ。
兵士は畑から獲れる、と本気で考えている”雷帝”は、何時も先軍政治だ。
だが、”雷帝”は、知らない。
一度、離れた民心を再び取り戻す事は、ほぼ不可能な事を。
「父上」
イヴァンが、割って入る。
「この時間すら惜しいでしょう。私が御送りします故―――」
「連れて行け!」
追い出される様にロジェストヴェンスキーは、部屋を出ていく。
「イヴァン様、有難う御座います。もう少しで刃傷沙汰になっていた事でしょう」
「こっちも済まんな」
2人は、廊下で横になって歩く。
王族と軍人は、当然、対等ではない。
然し、2人は、親友だ。
ロジェストヴェンスキーが、不敬罪に問われる事は無い。
「中将、日本に行った時、真田大河という男に会って来てくれ」
「無敵艦隊を破った英雄ですね?」
「ああ、彼が手紙を寄越して来た」
「手紙?」
実物を渡す。
「……計画?」
「興味深いだろう?」
「ええ。只、全容が分かりませんね」
「勝つにしろ、負けるにしろ。中将は、彼奴と会う機会があるだろう。その時、『乗る』と言ってくれ」
「……内容が、分からないのに?」
「父親よりマシさ」
実父より敵に頼る程、イヴァンは、追い詰められていた。
(……イヴァン様が壊れる前に、手を打つか)
親友と祖国の為に、ロジェストヴェンスキーは、一肌脱ぐ事を思い立った。
「経路を変えたか」
諜報員からの報告書に大河は、呟く。
”雷帝”には、敵が多い。
その分、『敵の敵は味方』になる場合がある。
大河は、極東に追放された貴族と秘密裏に接触し、支援していた。
「主、嬉しそうですね?」
小太郎が、御茶を置く。
「当たり前だ。スペイン帝国の次にロシアを倒す好機なんだからな」
今回、彼の傍に居るのは、謙信と茶々だ。
茶々が、心配そうに問う。
「真田様、ロシアに行くんですか?」
振り返って見上げるその顔は、今にも泣きそうだ。
「行く訳無いよ。全部、絡繰り任せだから」
「え?」
「これからの戦は、全て絡繰りが行うんだよ」
笑顔でそう言うと、大河は、スマートフォンを取り出し、動画サイトで『湾岸戦争』と検索する。
平成2(1990)年夏のイラクによるクウェート侵攻を契機とし、翌年に開戦したそれは、歴史上、初めて戦場での様子が家で観れる戦争であった。
———
『―――我々の目的は、明白です。
・フセインのクウェートからの撤退
・クウェート正統政府の復活
・クウェートの解放
です。「何故今?」「何故待てない?」と言う人も居るでしょうが、答えは、簡単です。
世界は、もうこれ以上待てなかったのです。
フセインには、国連決議に従う様何度も何度も警告して来ました。
フセインは、傲慢にも全ての警告を無視し、この紛争をイラクと我が国の戦争に摩り替え、そして失敗したのです。
この戦争が、第二のベトナムにはならない事を強調したい。
我々は、世界中から最大の支持を受けており、この行動に関し、後ろめたさを感じる事は何も無いのです。
この戦争が長引かず、被害が最小限である事を望んでいます』
———
大統領の演説後は、国防長官の出番だ。
———
『大統領の指示で昨日午後、私は軍事行動指令に署名した。今夜の標的は、イラクとクウェート国内にあるイラクの攻撃能力を破壊するのが、目的である』
記者からの質問が、飛ぶ。
『フセインの居場所は、判ったか?』
参謀本部議長が、答える。
『我が国は、イラクのフ大統領を標的としていない。爆撃の標的はイラクの軍事指令系統を破壊する事である』
———
そして、米軍による攻勢が、始まった。
ベトナム戦争で敗戦し、国民の自信が喪失しかけていた時期であるが、今回ばかりは冷戦が終わり、ソ連やチェコ・スロバキア、ハンガリー、ポーランド、東ドイツが多国籍軍側として参戦する等している為、負ける要素が殆ど無い。
孤立無援の大日本帝国を、連合軍がボコボコにした時以来の出来事だ。
ステルス機が、バクダッドを空爆していく。
海上の軍艦からも、トマホーク・ミサイルが飛んでいく。
茶々が観るどの絡繰りも、人間は、乗っていない。
「……」
徹底的にボコボコにされていくイラクの様子に、目を背けた。
「有難う御座います。もう良いですわ」
「これが、俺が目指す専守防衛だ」
外征はしないが、侵略者には、容赦しない。
WWII時、枢軸国、連合国の戦闘機が領空侵犯した際、問答無用で攻撃したスイスを模範とした方針だ。
「……平和が、一番です」
「同感だ」
大河に接吻し、茶々は、その顎を犬の様に嘗める。
「御出兵しないのであれば、安心です」
「私もよ」
謙信は、握力を強める。
「黙って参戦したら私が殺すからね」
「おいおい、平和主義者じゃなかったのかよ?」
「貴方の所為よ。貴方を失う位ならば、先んじて殺すわ」
意味が分からないが、兎にも角にも”軍神”も茶々同様、出兵には、反対の様だ。
「有難う」
茶々と接吻後、謙信にも行う。
小太郎と鶫が、物欲しげに見るが、彼女達は、無視だ。
「真田様、最近、知ったのですが、遊女は、好きな人の為に小指を落とし、預けさせるらしいですよ?」
「ああ、『切り指』だろう?」
切り指―――手の指先を切り落とす事で、切るには介錯の女性を頼み、入口の戸は密閉し、掛けがねをかけ、
・血留薬
・気付薬
・指の包み紙
等を用意する。
木枕の上に指を乗せ、介錯の女性に剃刀を指の上に宛がわせ、介錯の女性に片手で鉄瓶、銚子を上から力任せに打ち落とさせる。
この時、指は拍子で遠くに飛ぶ。
新町吉田屋で某太夫が2階で指を落とした所、指の所在が分からなくなり、男が承知しないので又、他の指を落としたという話がある。
指は神経が細やかな所で切れば激痛に苦しむ事になる(*1)。
現代人の感覚だと、「異常」に見えるだろう。
然し、戦前の阿部定事件の様に男女の恋愛は、時に何に発展するか分からない。
当人同士の問題であるが故に、他人に「異常」と見られても、当人同士には、「純愛」な場合があるのだ。
「……で、したいのか?」
「はい。真田様が御好きなので」
「有難う。でも、不要だよ」
「そうですか?」
「ああ、そのままの方が良いからな」
バルト海を再び出航し、バルチック艦隊が北極海を抜けたのは、1月中旬の事であった。
この時期、これ程の速さで凍った海を抜ける事が出来たのは、”雷帝”の鞭の厳しさに他ならない。
嫌々であるが、『火事場の馬鹿力』―――要はやけくそである。
砕氷船が氷を砕き、時には、大砲で破壊したのが、功を奏した。
ベーリング海を南下し、オホーツク海を北上。
ジグザグな経路は、経費が馬鹿にならないが、これは、環境等の問題だ。
そのまま、太平洋を南下し、日本に向かうのは、出来なくは無い。
然し、親潮に流され、アメリカ方面に行ってしまう可能性もある。
又、万が一、漁民と遭遇するのも、本意ではない。
誤認した直後であった為、神経が過敏になっているのだ。
2月。
遂に、バルチック艦隊が樺太に近付いた。
[参考文献・出典]
*1:ウィキペディア
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