第62話 読書三到
万和元(1576)年6月下旬。
スマートフォンで梅雨が近付いていた事を知った大河は、帰国の準備を始める。
望月を1人、京に残したのも忍びない事も関係している。
「ほう、未来人はこの様な物で天気を予知出来るのか?」
家康は、スマートフォンに興味津々だ。
「家康様、恐れながら『予知』ではなく『予報』です」
「おう、済まなんだ」
千姫から事前に未来人である事の説明を受けていた家康は、思いの
『鶴の一声』ならぬ「千の一声」が効いているのだろう。
「では、あの最新鋭の大筒も?」
「そうですね」
「成程な。以前から正体が気になっていたが、まさか未来人だとはな」
「……何故、儂に?」
「最近、貴家の忍びの方が煩かったので、知りたいのであれば、情報提供した方が良いと判断したまでです」
「御爺様?」
大河に寄り添っていた千姫が、驚いた目で見る。
「済まんな。千よ。他意は無い。家を守る為ぞ」
「……」
不信感。
今の千姫の表情は、その3文字が似合う。
2人に頭を下げた後、家康は、続ける。
今川義元以来”海道一の弓取り”の異名を持つにも関わらず、詫びるその様は、孫娘に嫌われたくない祖父そのものだ。
「知っての通り、我が家は元々、今川家、織田家の間に位置していた。その為、どうしても生き延びる為には策を選ぶ時間が無い。だからこそ、情報を最優先にしているのだ。山城同様にな?」
「……分かっていますよ。世界で初めて特殊部隊を御創りした家康様ですから」
「何の話だ?」
「服部半蔵様等の忍者を集めていますよね? あれは、自分の言う所の時代の特殊部隊の扱いになります。家康様は、その手の分野の
「そ、そうなのか……?」
無自覚の様だが、褒められている為、家康も悪い気はしない。
「むー」
大河が怒っていない事で、千姫も怒りのやり場に困る。
不快感は、払拭出来ない。
私生活を覗かれていたのだから。
「今後、我が国で情報収集するのは、御控え下さい。他の大名の様に敵対行為と見做し、対応しますから」
「……分かった」
濁った笑み―――表現すると「にっごり」と言った感じか。
「「「……!」」」
忠勝達でさえ、圧倒される。
千姫を抱き寄せ、大河は、圧倒的な秘めていた狂気を一部、曝け出す。
「……!」
家康の腰が抜ける。
へたり、と後ろに手をついた。
三方ヶ原で信玄の奇策に驚いて以来の事だ。
あの敗走時、家康は死の恐怖に怯え、脱糞した。
震える家康の背後には、その時の慢心を忘れぬ様、絵師に書かせた『
言わずもがな、大河は、信玄の同一人物でもなければ、子供でも無い。
又、部下でも無い。
その圧倒的な雰囲気は、信玄入道を彷彿とさせる。
―――死。
今まで、幾多の戦いで生き延びた家康は、人生で最もそれを身近に感じた。
「わ、分かった……もう、貴国には、手を出さない」
「御理解頂ければ幸いです」
(山城様、凄いですわ)
(主、格好良い♡)
(山城守は、軍神か?)
家康をも圧倒させる大河に3人は、感心しきりだ。
「……」
唯一、注意深く見詰めているのは、エリーゼ。
大河の狂気性を唯一、知る彼女としては、何ら驚きは無い。
この会見以降、徳川家は山城真田家に対し、一切の情報活動を行う事を止めた。
会見後、宿舎に戻ると、
「ちちうえ~」
華姫が、アプトから繋いでいた手を離し、とてとてと駆け付ける。
「はい、あげる~」
「おお、蜜柑か」
手渡されたのは、蒲郡蜜柑。
現代では、最上級の蜜柑として有名だ。
「蜜柑狩りに?」
「はい。華様の御希望で」
見ると、謙信達が蜜柑を剥いていた。
「お帰り。会見、疲れたでしょう? さ、お食べ」
蜜柑には、美肌効果がある為、女性に好かれ易い。
又、
・発癌性抑制
・免疫力向上
・2型糖尿病予防
・骨粗鬆症予防
・風邪予防
・動脈硬化予防
・脳梗塞予防
等、良い事尽くめだ(*1)。
「たべて~」
「有難う」
華姫自らが手で剥いた蜜柑を食べる。
「おお、美味しいな」
「でしょ~?」
ちゃっかり、何時ものポジション―――膝の上を占領する。
「あ~、華様、駄目でしょう? そこは、兄者公認の私の場所なんだから」
「待て待て。私の所だ」
お江と朝顔も寄って来て、膝の上で言い争う。
正直、お江はもう良い歳なので、そこまで甘える必要があるのかは分からないが、実父を早くに亡くした衝撃から、大河にその分、甘えたいのかもしれない。
ファーザー・コンプレックス、親ラブ族の類と言えるだろう。
「おい、3人娘。喧嘩するなら、今後、ここは誾と謙信専用席とする」
「え? 私?」
急に振られ、誾千代は、戸惑う。
「お義母様達、
「はっはっはっ。元気だな。じゃあ、堪能し様」
謙信が動き出すと、3人は慌てて大人しくなる。
「もう、大河。冗談だよ。ね? お江、華?」
「「ね~」」
直ぐに態度を改め、猫撫で声で大河に甘えた。
大河が誾千代達ばかりを愛する為、膝だけでも死守したい、という事らしい。
膝はそこまで大きく無い為、3人だと乗車率100%以上。
以上というのは、左右に座るお江、朝顔の体が食み出ているからだ。
都心の満員電車並に人員充足の為、大河には重さしか感じられない。
「あー、重いな」
つい、口走ってしまう。
が、次の瞬間、
「「「!」」」
ぎろり。
六つの目が、大河を貫く。
「淑女に失礼だぞ?」
「兄者、女性に失礼」
「ちちうえ、だめ!」
3人に怒られ、
「……済まん」
『蛇に睨まれた蛙』の如く、大河は、小さくなる。
駿府城で家康を恫喝した武人も、家族には弱い。
コロ○ボ刑事並に愛妻家なのだが、徳川秀忠並の恐妻家になる未来も見えて来た。
それも8人も娶っている為、一夫一妻制より8倍だ。
(早死にするな)
”一騎当千”の異名を持つ大河であったが、妻達は、”一騎当千”以上に怖い存在なのだった。
・祝言披露
・軍事行進
・謁見
徳川家での目的を全て終えた一行は、もうここでのやる事が無くなった。
観光地に行っても良いのだが、如何せん東山動物園やトヨタ産業技術記念館、リニア・鉄道館等が存在しない為、行く場所も限られる。
そこで、熱田神宮に向かう。
「「……」」
神聖な場所故、流石に普段、元気一杯なお江や華姫は、静かだ。
他の女性陣も厳かに1人ずつ参拝していく。
現代では、初詣に約200万人以上の参拝客が訪問する(*2)のだが、繁忙期では無い為、すんなり終える事が出来る。
唯一、鳥居さえ潜らないのは、エリーゼだ。
「……」
敬虔なユダヤ人として、これ以上は、進めないのである。
一方、無神論者を自称する大河だが、『郷に入っては郷に従え』の精神もある為、抵抗無く主祭神の熱田大神に挨拶する。
その際、彼女の事を紹介する事も忘れない。
鳥居前に戻ると、エリーゼは、不満顔だ。
「無神論者の癖に厚顔無恥ね?」
「現地の神様に挨拶するのは、当然の事だよ」
「じゃあ、ヤハウェにも挨拶出来る?」
「エルサレムに行けばな」
エリーゼには、大河の多神教観が、理解し辛い。
「じゃあ、行きましょう?」
ごく自然に、腕を絡めとる。
直後、女性陣の白眼視が、エリーゼへ。
「そりゃあ無理な話だ」
無理矢理離れ、千姫と手を握る。
「あ」
いきなりの事であった為、覚悟が出来ていなかった彼女だが、嬉しそうに握り返す。
「如何して?」
「時間旅行したのを忘れたのか? この時代にイスラエルは無いよ。オスマン帝国の一部だ」
「じゃあ、何時、出来るの?」
「372年後だな」
今は、万和元(1576)年。
イスラエルが誕生したのは、昭和23(1948)年の事だ。
尤も、これは、このままいけばの話で、時間の逆説がある以上、これよりも早くなったり、遅くなったり、最悪、未来永劫、無い可能性もある。
「死んでるじゃない?」
「そうなるな」
「じゃあ、私は、如何なるの? 帰れないじゃない?」
ほろほろと泣き出す。
「小太郎」
「は」
ぷっと吹き矢が放たれ、エリーゼの首筋に刺突。
「ぐ!」
瞬時に彼女は昏倒し、小太郎に抱き抱えられた。
「主、如何しましょう?」
「暫く介抱してやれ。今日1日は、時間がある」
「は!」
大河程現実主義者ではないエリーゼは、すんなり、環境に適応する事は難しい。
無理が祟ると、適応障害になる可能性もある。
異人が殆ど居ないこの国で、信用出来るのは、大河だけ、という人間関係も影響しているのだろう。
「この薬、即効性ですね?」
「21世紀の薬学を基に薬師に作らせたからな。大丈夫な筈だ」
女性陣が続々と鳥居を潜り、戻って来た。
「如何したの?」
「ああ、誾。何でも無いよ。只の日射病だよ」
「……そう?」
大河の嘘に気付いた様だが、問題視しない。
他の女性陣も。
「さ、帰ろう。京へ」
逆の手を誾千代が握る。
正妻として当然と言わんばかりに。
「ちちうえ~」
華姫はアプトに捕まり、大河の頭部に乗せられる。
肩車に御機嫌顔だ。
「えへへへ」
茶々が言う。
「じゃあ、帰り道、真田様の手を巡って順番を決めましょうか?」
「賛成」
お江が真っ先に挙手した。
「駄目よ。次は、私なんだから」
婦人会副会長の謙信が自薦する。
「じゃあ、謙信様が、2番目で。3番目は、私―――」
「茶々、そこは、私に譲りなさいよ。側室の1番なんだから」
「楠、なんなら、幼い順からで―――」
「それだと朝顔様が1番じゃない!」
わーきゃー騒ぐ女性陣。
『女三人寄れば姦しい』とはこの事だ。
「喧嘩するなよ」
苦笑いしつつ、大河は、千姫の手をしっかりと握り締める。
季節は、初夏。
梅雨に入る前の平和的な日常が、そこにはあった。
同時期、島津領琉球。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
「糞! 何だこの風は?」
風速30m以上の所謂、『猛烈な風』が、琉球を襲っていた。
木製の家々は成す術なく吹き飛ばされ、軽い人間も又、宙を舞う。
「「「……」」」
多くの人々は、ガマに隠れ耐え忍ぶ。
本土は、未だ知らない。
この台風が、伊勢湾台風並に被害を出す事になろうとは。
[参考文献・出典]
1:https://mikannoki.com/2018/07/12/mikannoeiyoutokonou/
2:まっぷる MAPPLE TRAVEL GUIDE
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