天変地異
第63話 無辜之民
小雨が降る中、一行は、早々と徳川領を出国する。
家族旅行を兼ねた新婚旅行の帰国を早めたのは、天気予報が予想する梅雨が、「豪雨」だったからだ。
1時間に160mm。
これは長崎県長崎市長浦岳(1982年7月23日)と千葉県香取市(1999年10月27日)が記録した153mmを超える新記録だ。
又、鴨川は信玄堤の為、被害は少ないと思われる。
然し、領主が居ない以上、領民の混乱は避けられない。
だからこそ、帰国を早めたのだ。
東海道を来る時よりも早めの速度で行き、翌日には京に戻る事が出来た。
二条古城に帰った途端、ザーザー振り。
天気予報で確認すると、
・最大風速75 m/s
・平均速度30km
・中心気圧900hpa前後
と、伊勢湾台風並の台風が近付いていた。
「……不味いな」
ぽつりと、夜着の大河は漏らす。
耐震補強工事には熱心だったが、台風の事は、てんで忘れていた。
そこで休む間もなく、指示を出す。
「望月!」
『は!』
直後、襖が開き、軍服の彼女が、現れた。
公休日の筈なのに、仕事熱心だ。
城では、大河の半径10m以内に常に居る。
「非常事態宣言を出す」
「? 何かありましたか?」
「台風が来る。領民は老若男女全員、避難所に誘導しろ! 真田軍、皇軍も投入しろ!」
「は、は!」
大河の大声に驚きつつ、望月は飛び出す。
それだけ切羽詰まっている証拠だ。
隣室で寝ていた華姫が、起きて来た。
「な~に?」
遅れてアプトも。
「おお、済まんな。丁度良かった。華、手伝ってくれるか?」
「なにを~?」
のほほんとしている。
目を擦り、今にも眠ってしまいそうだ。
「そろそろね。大きな嵐が来る事が判ったんだよ」
「あらし?」
「うん。だからね。華には、仕事を与えたい」
「!」
仕事、と聞いて華姫の眠気は、一気に吹き飛ぶ。
そして、大河の前で正座した。
「何をすれば良いのでしょうか?」
数秒前と違い、別人だ。
謙信の養女の手前、有事の時は凛々しくなるらしい。
元々、大河に頼られたい、という気持ちがあったのかもしれないが。
アプトもその態度に眠気が吹き飛ばされた様だ。
「……!」
目を白黒させて、華姫を見詰めている。
「地下に避難所がある。そこに皆を案内出来る?」
「は。仰せのままに」
「流石だ。頼んだぞ?」
頭を撫でると、それ迄の凛々しかった表情は、一変。
「ちちうえ♡」
のほほんモードに戻った。
頬に接吻し、夜着のまま、手を振ってアプトと共に出て行く。
「じゃあ、いってくるねぇ~」
「頼んだぞ?」
布団からごそごそと小太郎が、起き出す。
言わずもがな、全裸だ。
今晩は、皆、疲労困憊で誰も来なかったのだが、痴女だけは、五輪選手並に体力らしい。
「主、台風とは?」
「その前に服を着ろ」
「は」
40秒以内にくノ一の制服に着替える。
「早いな」
「主の教え通りですから」
大河も、30秒程で夜着から動き易さを重視した迷彩柄の軍服を着ていた。
「今日は、違う意味で不眠だな」
大河の命令は、瞬く間に国中に浸透する。
領民の多くも深夜の命令であったにも関わらず、誰1人、違反する事無く、避難所へ行く。
成功出来たのは、
・日頃から大河が名君として支持されている事
・山城国が、蝦夷地、出羽国、陸奥国等に比べ小国
・命令系統がしっかり確率されていた事
が、理由だろう。
大河が避難所としたのは、地下道であった。
そこは、現在の京都市営地下鉄の経路に混雑緩和の為に隧道を造っていたのだ。
100万都市をこんな小国では、バングラデシュの様に直ぐに人口密度が世界一になってしまう。
マンションを造る案もあったが、折角の伝統のある京の壮観が損なわれる、とし、保守派の公家達に廃案にされていたのだ。
今回ばかりは、彼等が廃案にしてくれた御蔭で、隧道が使用出来る。
万一、マンションだとこの風速に耐えられる保証は無いからだ。
御所の皇族達も御所の地下にある皇族専用の地下道に避難する。
台風が、近畿に上陸したのは、その僅か1時間後の事であった。
(……目も開けられんな)
大河は、御所の真田軍詰め所を災害対策本部前に居た。
望月、小太郎、エリーゼと共に。
他の女性陣は、二条古城の地下壕に避難済みだ。
横殴りの雨は、顔面を打ち付け、目さえも開けれない。
30分位、滝行の様に打たれ続けば、肺炎になるだろう。
一旦、詰め所に戻り、焚火に当たる。
望月が、尋ねた。
「何時頃、止みそうですか?」
「予報では、明け方だな。只、油断大敵だ。天気は、急変するのが常と思え」
「は」
災害大国・日本で育った大河は、この程度の台風でさえ、驚きはしない。
だが、安土桃山時代の防災レベルを考慮すると、被害は甚大になる筈だ。
椅子に座り、考える。
「……」
脳裏にあるのは、信玄堤だ。
上流で雨水が溜まれば、一気に氾濫するだろう。
現代の知識と技術を応用した為、不備は無い筈だ。
然し、3・11の様に、人間がどれ程、防災に尽力しても自然には敵わない事が判った。
「私が、鴨川の方を確認に行きましょうか?」
「行くな。二次災害になったらどうする?」
行こうとした小太郎の手を握り、止める。
「……分かりました」
「俺達に出来る事は、伝令があれば、それ次第で動く。それが仕事だ」
「……はい」
力無く小太郎は、頷く。
「さてと」
それまで沈黙を守っていたエリーゼが、突如、動き出す。
大河の横に座ったのだ。
「んだよ?」
「色々、熟考したんだけど。貴方を離婚させるのは、アイヒマンを改心させる位、難しいって判断に至ったの」
「……」
アイヒマンと比べられるのは心外だが、離婚したくないのは、事実だ。
「そこで、私が正室になろうと思うの?」
「そりゃあ無理だ。正室は、1人だ」
「正室が1人だけって誰が決めたの? 全員、正室で良いじゃない?」
「そんな無茶な―――」
「貴方、平等に妻を愛しているんでしょう? だったら、全員を正室にするべきよ。誰も困らない」
「……」
飛んだ暴論だ。
然し、平等に好機が与えられるのは、分からないでは無い。
問題は、前例のない事だ。
「前例はあるわ」
「!」
流石、世界最強のイスラエル軍。
読心術もお手の物という訳らしい。
「勉強不足の貴方に教えてあげるわ。この国で正室が原則1人になったのは、武家諸法度以降の事よ」
「!」
慌ててスマートフォンで確認すると、確かにそうある。
その最たる例が、豊臣秀吉であった。
彼の側室・淀殿(茶々)や京極竜子(松丸殿)は、当時の資料では、正室扱いされ、又、平安時代の公卿等に複数の正室を迎える例が見られる(*1)。
「……」
「如何? 私を正室にしてくれれば、更にハト派になるわ」
という事は、言外に譲歩しなければ、妻達を殺す、とも聞こえる。
「……随分と狂暴なんだな?」
「可愛いでしょう? 貴方が惚れただけあって」
「……」
大河は、深い溜息を吐いた。
「ヤハウェに誓えるか?」
「「!」」
「勿論♡」
エリーゼは、大河を抱き締め、その頬を舐める。
「……小太郎、証文を作れ」
「! 主―――」
「命令だ。二度は言わん」
「……は」
大河が譲歩したのは、妻想いからだろう。
悔しそうに、唇を噛むその様に小太郎と望月は、エリーゼに対する憎悪を募らせるのであった。
『㊞ 証
私、エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルトは、ジョン・スミス(真田山城守大河)を愛し、又、彼の愛する女性達に一切、危害を加えない事をヤハウェに誓う。
万和元(1576)年6月25日
エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルト』
非常に簡素な証文だが、御所専属の宮司が祈祷を込めている為、公文書扱いとなる。
「これで、はれて夫婦ね?」
夢が叶い、エリーゼは、心底、嬉しそうだ。
一方、大河は、テンションが低い。
誾千代達を守る為に彼女達を事実上、裏切った訳になるのだから。
(絶対怒るな。特にお江辺りは―――)
「大丈夫。皆離れても私が食べさせていくから」
「は?」
「私は、貴方の事を誰よりも思っている。一夫一婦になっても離れないから」
「……」
駄目だこりゃあ、と大河は、諦めた。
名プロゴルファーが性交依存症を発症した様に、エリーゼは、大河依存症の様だ。
狂気を孕んだ彼女には、死ぬ迄悩まされる事になるかもしれない。
否、死後も勝手に
「主……」
「御出で」
「は」
小太郎を抱き枕の様に抱擁する。
愛妾という身分だが、最近では、大河の癒しの道具と化す事が多い。
「いや~
自分好みに躾けている為、小太郎の体臭も石鹸の香りだ。
ずーっと嗅ぎ続けても飽きない。
「む」
イラッとしたエリーゼは、背後から大河を逆に抱き締めた。
「私だけを見て」
「嫌だよ」
「皆、殺すわよ?」
「言った傍から破談するのか? ヤハウェ様も御困りになるだろうな」
「……」
今度の主導権は、大河だ。
小太郎を抱き締めたまま、エリーゼを振り解く。
「今後、俺の正室として振る舞いたいのであれば、先ずは、礼儀正しく振る舞え。話は、それからだ」
「……分かったわ」
自らが人身御供になった事で、妻達の延命が出来た。
「望月」
「は!」
急に呼ばれ、望月は、背筋が震える。
「気負い過ぎてるぞ? 今は、休め」
「え?」
「気付かないと思ったか? こう見えて馬並に広い視野なんだよ」
大河は、微笑むと、八つ橋を差し出す。
「さ、長丁場だ。ここが踏ん張り所だぞ?」
「は!」
動く時は、動く。
休む時は、休む。
メリハリを重視する大河ならではだ。
「主」
「有難う」
小太郎に食べさせてもらい、大河は、満足気である。
「むー」
不満顔のエリーゼ。
八つ橋を食べつつ、望月は、監視していた。
大河を守る為に。
(司令官が危険視する程の人物……多分、タイマンでは、勝てない。だったら刺し違えるのみ)
部下思いの大河の事だ。
必ず墓参りに来て供花してくれる、と思われる。
大河への恋心をひた隠し、殉職する事も想定する望月であった。
[参考文献・出典]
*1:ウィキペディア
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