第59話 二律背反

 エリーゼを事実上、手引きした千姫は大河の庇護の下、安全だ。

「……山城様♡」

 あの日以来、益々大河の事を想っている。

 下手の横好きで作ったぐるみに『真田山城守大河』と名付け、非番の際、ずっと一緒に過ごしていた。

 本当は大河の体毛を植毛し、彼の愛用する香水を吹きかけたかったのだが、「気持ちが悪いからやめろ」と一蹴された事は、秘密だ。

 ただ、この一件以降、千姫は側室の末席となり、妻達の中で最も低位となった。

 暗殺者を手引きした彼女の罪は、刑罰が死刑のみの外患誘致罪とも解釈出来る程の重罪であった。

 にも関わらず、無罪放免なのは、大河の恩赦以外何物でもない。

 法治国家を目指していたのに『泣いて馬謖を斬る』事が出来なかったのは、矛盾性を感じる。

 現代なら「上級国民」として千姫は非難され、大河の支持率も「公私混同」として非難されるだろう。

「真田様は、愛を選びましたね?」

 護衛の稲姫が静岡茶を淹れつつ、微笑む。

「そうですわ。山城様は、本当に……御優しい方ですわ」

 二律背反は、苦しい事だ。

 真面目な大河は悩んだ末、非難される覚悟で千姫を選んだ筈である。

 恐らく被害者が一般人なら、奉行所も忖度そんたくし、極刑にしていただろう。

「末席でも山城様の御傍に居れるだけで……幸せですわ」

「千様……」

 日野富子等、過去の悪女と並び、世間体が悪い千姫は大河以外に結婚相手は居ない。

 彼無しでは、生きられないのだ。

「……次の当番日、私も御一緒させてもらえませんか?」

「稲?」

「夜伽の際、万が一に備えて、私も参加させて頂きます。宜しいでしょうか?」

「!」

 稲姫の目は、真剣だった。

「……同衾するって事?」

「はい。念には念を入れよ、と申しましょう」

「……真面目ね」

 千姫は微笑み、頷くのであった。


 時間が空いた時、大河はちょくちょく信松尼に会いに行く。

 放置しておくと、彼女の実家―――名家・武田氏から「令嬢を冷遇している」と誤解される可能性があったからだ。

「本日もいらっしゃって下さったのは、有難う御座います」

「いえいえ。瀬田の方の話は、まとまりました。あそこに寺を創建出来ます」

「費用は?」

「ああ、こちらの方から御支払いします故、お気遣いなく―――」

「え? でも―――」

「信玄堤の御礼です。彼が居なければ、鴨川は今も氾濫していますから」

 謙信を娶りながら、大河は、信玄を尊敬している。

 その娘の信松尼は、その度に笑顔だ。

「有難う御座います。では実家の方には、私の方から伝えておきます」

 これで、信松尼の夢が叶った。

 亡き父も今頃、極楽浄土で、遺言が成就した為、大喜びしている筈だ。

「今日はもう一つ、エリーゼの方なのですが」

「ああ、彼女はですね。平安神宮近くの会堂シナゴーグラビに御相談し、診てもらっています」

「……そうか」

 猶太ユダヤ教徒のエリーゼは、仏教徒の信松尼に心を開くか如何か分からない。

 その点、ラビの方なら可能性は高いだろう。

(初めからそっちの方が良かったな)

 内心で大河は、判断ミスを自省する。

 障子の向こうで、侍女が言う。

『信松尼様、えりーぜ様が、御帰宅しました』

「通して下さい」

『は』

 障子が開き、手錠と足枷のまま、拘束されたエリーゼが、姿を現す。

 あの日以来の再開だ。

「……ひぐ」

 大河を見るなり、彼女は泣き出す。

 精神的に不安定の様だ。

「……」

 小太郎が念の為、短刀を握る。

 自暴自棄になり、拡大自殺する可能性を考えたのだろう。

「信松尼様、済みませんが、2人きりにさせて下さい―――」

「! 主?」

「分かりました。では、終わり次第、呼んで下さい」

 信松尼は頭を下げ、出ていく。

「……」

 エリーゼは小太郎を一瞥すると、大河の前に座った。

「……聞いたわ。ここ、近世だってね?」

「そうだよ」

「何時から居るの?」

「もう1年位か?」

「そうなんだ」

「……」

 ちらちらとエリーゼは、小太郎を見ている。

 関係性が、気になるのだろう。

「彼女は?」

「奴隷だよ」

「!」

 論より証拠。

「きゃん♡」

 小太郎がエリーゼを挑発する様に、わざと艶めかしい声を出しつつ、大河に抱き寄せられる。

「……ISに成り下がったの?」

「あんな性犯罪者の集団と一緒にするな。こっちは、合意の上だよ。愛妾も兼ねている」

「……ラビも呆れていたわよ。5人以上と結婚するなんて」

 一夫多妻制は、モーゼ出現以前から古代イスラエル人達によって実践され、ヘブライ人男性によって結婚出来る女性の数は制限すらされてはいなかった。

 ———

『初期猶太人社会においては一妻多夫が行われていた形跡は無いが、一夫多妻制は確立された慣行であり、最も記録をさかのぼる事の出来る古代から、比較的近代まで行われていた事が分かっている』(*1)

 ———

 又、彼等のその他の一般的慣行として、妾の存在が挙げられる。

 後世に入り、エルサレムの『研究タルムード』は妻への適切な処遇がされる様、夫の能力に基づいてその数を制限する様になった。

 同時に一部のラビ達は、男性が4人以上の妻を娶らないよう忠告している。

 猶太教における一夫多妻制は、神ではなくラビ達によって禁じられる様になった。

 ラビ、ゲルショム・ベン・ユダ(960~1040)は11世紀、東欧系猶太教徒アシュケナジーに対し一夫多妻を禁じ、そしてそれは1千年もの間に渡って(1987年まで)継続した事が記録されている。

 一方で、地中海沿岸猶太教徒スファラディー は一夫多妻を実践し続けた。

 ハイファ大学の社会・文化人類学教授によると、それはイスラエルの18万人の遊牧民ベドウィン達の間では一般的であり、増加しているとの事だ。

 又、イエメンに住む地中騎亜沿岸猶太教徒スファラディー達の間でも常習的であり、ラビ達も猶太人達に4人までの結婚を認めている。

 近代イスラエルにおいては、もしも妻が不妊症だったり、精神病に冒されている場合、師達は夫が第一妻と離婚する事無く2人目の妻を娶る権利を与えている(*2)。

「折角、ユダヤ教に改宗してもらおうと思っていたのに」

「ありがたいけど、大丈夫だよ案ずるな」

 大河は欧州で差別の対象となっているユダヤ人を多数、お雇い外国人として受け入れている。

 その結果、山城国は経済大国となった。

 その返礼として、大河は会堂シナゴーグの建設費用や維持費に個人的な寄付を行っている。

 政教分離の原則上、公金から助成金を出す事は不可能だが、給金の一部を寄付しても、何ら問題無い。

「……私は如何なるの? 死刑って聞いたけれど」

「恩赦で無罪放免だ」

「……でも、帰れないわよ?」

「ここに居たらいい」

 小太郎を気にしつつ、エリーゼは抗議する。

「嫌よ。私の事、捨てたじゃない」

「あのなぁ……」

 捨てたも何も、大河としてはエリーゼと付き合っていた気は無い。

 そもそも激戦下で、恋愛する程の余裕は無かったのだから。

「……もう、貴方の事は嫌いよ。死んでやるから―――」

「死ぬのは自由だが、ヤハウェはどう思うか?」

「う」

 アブラハムの宗教(耶蘇教、回教、猶太教)では、自殺は禁じられ、欧米諸国やイスラム教国では自殺を罪と考えられている。

 耶蘇教を信仰していた細川ガラシャも、関ヶ原合戦の際、西軍が攻める中、自害する事が出来ず、泣く泣く、部下に討たせている程だ。

 又、猶太教でも、要塞マサダがローマ軍1万5千に包囲された中、ユダヤ人約1千人は集団自決を選び、その際、猶太教の教えに違反しない様に、籤引くじびきで誰かが殺人者となり、仲間達を殺害していき、最後に残った者が自殺する、という方法を採った。

 敬虔な猶太教徒であるエリーゼは、出来ないのだ。

「……で、私は性奴隷になる訳?」

食客しょっかくだよ」

「……」

 嫌そうなエリーゼ。

 恋人でもなければ、妻でも無い。

 又、愛妾でも無いので食客は、大変不満なのだろう。

「貴様、失礼であろう!」

 到頭、小太郎の堪忍袋の緒が切れた。

「主が、どれ程の想いで貴様に恩赦を与えたのか―――」

「うっさい。黙れ。死ね」

「!」

 1に100で返すエリーゼ。

「あ、主ぃ~」

 子供の様に号泣し、小太郎は大河に抱き着く。

 メンタルが、豆腐並だ。

「おいおい、強くなれよ」

「だ、だってぇ~!」

「おー、よしよし」

 子供を宥める様に、小太郎の背中を擦る。

「……」

 エリーゼの視線は、ゴミを見る様なそれだ。

「愛妾なんでしょ? まだ子供じゃない?」

「そういうもんさ」

「……貴方を1から教育した方が良いわね」

 沸々と、エリーゼの中で何かが沸騰する。

「良いわ! あの時の様に教育係になるわ!」

「はぁ?」

「貴方の乱れた生活を正すわ! で、妻を半分にする!」

「……」

 呆れて物が言えない。

「おいおい、俺は、そんな気無いぞ?」

「駄目よ。私達は愛を誓い合った者同士なんだから」

「……」

 話が通じない。

「小太郎」

「は」

 既に泣き止んでいた小太郎が、吹き矢を放つ。

 漢方医が作った特製のそれは、鎮痛剤が入っており、

「うぐ」

 首に受けたエリーゼは、倒れる。

 戦場で傷付いた沢山の人々を見て来た大河だが、心の病までは心得が無い。

 又、現代ほど精神病に理解が無く、医学書も少ない為、八方塞がりだ。

「……」

 唯一の頼みの綱であるスマートフォンを見る。

 医学の知識や技術は全く無い大河だが、これを使えば何とかなるかもしれない。

(……いや、まてよ)

 ふと、ある名医を思い出す。

「小太郎、曲直瀬道三は、何処に居る?」

「信長様の主治医です」

 専属の主治医なら、安土城からここ迄来るのは難しいだろう。

「じゃあ、田代三喜は?」

「天文13(1544)年に亡くなっています」

「永田徳本は?」

「私が知っています」

 壁に耳あり障子に目あり。

 障子が開き、信松尼が現れた。

「祖父、父上の侍医でしたから。御呼び出来ます」

「分かった。頼む」

 大河が挙げた3人の医者は、”医聖”と称される程の名医中の名医だ。

 三人寄れば文殊の知恵。

 又は、意見を求める行為セカンド・オピニオンの観点からも3人同時に診て欲しかったが

 エリーゼの治癒が見えて来た。

「ああ、それと信松尼。今週末、空いているか?」

「? 何ですか?」

「家康に挨拶経由で犬山温泉に旅行に行くから。1泊2日。行くなら用意をな?」

 犬山温泉は、美人の湯で有名の名湯だ。

 小太郎も初耳らしく、驚いている。

「全員ですか?」

「ああ。家族旅行だ」

 心身共に疲労困憊な時には、名湯に入るに限る。

「皆で行くか?」


[参考文献・出典]

*1:『ユダヤ百科事典』

*2:https://www.islamreligion.com/jp/articles/326/ 

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