第58話 九腸寸断

 医者の診断で、エリーゼが病んでる事が確定した。

 ただ、この時代、精神病への今ほどの理解が進んでいない。

 精神病が日本で初めて医学書に載ったのは、江戸時代の事とされる。

 漢方医・香川修徳(1683~1755)が著した『一本堂行余医言』(1807 全30巻)に統合失調症等の病気が紹介されている。

 その為、エリーゼの症状の詳細は、分からない。

「真田様、申し訳ありませんが、私に判りかねます。恐らく、不治の病かと」

「……分かりました。有難う御座いました」

 医者が去った後、大河は睡眠薬で寝静まった戦友を見る。

「……」

 念の為、エリーゼは手首には手錠が。

 足首にも枷が装着され、身動きがとれない。

 医療拘束は、人権的価値観から現代では、反対意見もある。

 然し、エリーゼの様に暴れて他人を殺傷する危険性がある場合、致し方ないだろう。

 戦友のこの姿は辛いが、妻達や家臣団を守る為に、大河は泣く泣く指示したのだった。

「……大丈夫ですか?」

 ふわっと、茶々が背後から抱き締める。

 他の妻達も、

「「「……」」」

 襖を少し開け、大河の様子を見詰めている。

 何だかんだで優しい彼女達は、竹馬の友が病み、悲しむ大河に同情しているのだ。

「有難う」

 と、言いつつ、大河の肩は震えていた。

 何時も明るくて優しい夫の初めて見るその姿に茶々は、心を痛める。

「今は、御辛抱の時です」

「ああ、そうだね。じゃあ、茶々にその分、甘えるよ」

「え? ―――きゃあ!」

 茶々を一本背負いし、床に強打する直前、抱きとめる。

 大河の目は、薄っすらと涙を浮かべていた。

「……優しいよ。茶々は」

「……真田様?」

「有難い話だ」

 茶々を抱き締める。

「……痛い、です」

「済まんな。辛抱の時だ」

 大河に強く強く抱かれ、茶々は抱き返すのだった。


 翌日。

 大河はエリーゼが持って来たスマートフォンを起動させる。

 幸い電池の方は、ソーラー型充電器がある為、これが壊れさえしなければ、大丈夫だ。

 問題なのは、Wi-Fiの方だ。

 この安土桃山時代に、通信回線が無い筈だが。

「……お?」

 検索エンジンが開いた。

 早速、

 ———

『織田信長』

 ———

 と打ち込むと、直ぐにその肖像画と辞書が先頭に出る。

 これは、便利だ。

 大河は、ほくそ笑む。

 通信費用はどうなるのかは分からないが、使いたい放題だ。

 今度は、次の単語で検索してみる。

『妄想 ストーカー』

 すると、出て来た答えは、

 ―――

『【クレランボー症候群】

 実際には全く恋愛対象とされていないのにも関わらず、相手が自分に恋愛感情を持っており、それも相手の方が自分より強い真剣な感情を持っていると一方的に思い込む被愛妄想。

 相手から否定的な反応に遭うと、それは相手の未熟な人格による歪んだ愛憎の所為だと妄想しつつフラストレーションを募らせ、自分が再び恋愛関係の優位に立てたつもりになれる様、相手を打ち負かす事に執念を燃やし、中傷、脅迫、訴訟、暴力等による攻撃を行う所に、とりわけその特異な異常性が見られる。

 相手から強い異性感情を持たれているという妄想が消える事は、まずあり得ない』(*1)

 ―――

「……」

 症状から察するにこっちの方が適当に思える。

 特に『実際~被害妄想』の前半部分は、今の症状に当たって言え様。

「真田様、申し訳御座いません」

 振り返ると、千姫に付き添われた果心居士。

 流石に以前の様な不法侵入は、犯さなかった様だ。

「真田様の女性関係の管理人として御連れしたのですが、御迷惑をおかけしました」

「いえいえ。気にしていませんから。迷惑料として、奇術で治して下さい」

「! それだけでいいんですか?」

「ええ」

「分かりました。では、早速、行います」

 慌てた様子で果心居士は、眠るエリーゼの額に手を翳す。

「―――」

 額は、光り輝く。

「……これで治ったかと」

「『かと』?」

「はい。私は医者ではない為、完治には自信が無いのです」

「……」

 はー、と深く溜息を吐いた後、大河は、尋ねる。

「それで、元の時代に戻せるのか?」

「出来ません」

 今度は、はっきりと断言した。

「以前、連れて来た男が帰る際、時代を間違え、消失しましたから。連れて来る事は出来ても、帰る事は私の今の技術では、不可能です」

「……分かった」

 と、なると、大河の帰りも無くなった訳だ。

 千姫も傍で聞いてきて、呆れている。

(有能な奇術師なのに?)

 只、一般人では出来ない技を得ている為、その点に関しては神業と言えるだろう。

 ポンコツ感は否めないが、彼が不可能と断言する以上、出来ないと思われる。

 納得し辛いが。

「千姫、その馬鹿の入城を今後、永久に禁ずる」

「! は、は!」

 千姫は家臣の様にひざまずき、果心居士の方も、

「……」

 異論反論は無い。

 日ノ本一の奇術師・果心居士の出禁が決まった。

 二条古城初の事例である。


 エリーゼはその後、信松尼が介護する事になり、彼女の区画に送られる。

 現在の症状は、意識混濁だ。

 目は空いているが、ボーっとし、飲食すら自力ではままならない。

 その間、大河は、エリーゼの情報を集める。

「……成程」

 日刊紙に彼女の記事があった。

 ―――

『【エリーゼ・ヴィーゲルト軍曹、大戦果!】

 国防軍が誇る人気者、エリーゼ軍曹がシリアでの戦闘で10人殺害し、シリア民主軍から勲章を受けた。

 有給休暇を使ってシリアで義勇兵として民主化の為に戦う現代版ジャンヌ・ダルクに国防軍の広報官は、御満悦だ。

「友好国の為に単身で戦う彼女の姿に、国防軍からは、何人もの義勇兵の希望者が出ている。政治問題で対立している我が国とシリアではあるが、民主化が達成された場合は、友好国に成り得るだろう」……』

 ―――

 民間の新聞社なのだが、まるで国営紙の様な記事だ。

 イスラエルは国としては、シリア内戦に関与していない。

 然し、中国人民解放軍が、「中国人民志願軍」の名で朝鮮戦争に介入していた様に、イスラエルも義勇兵の名の下に敵対国を弱体化させる為にシリアに派兵しているのかもしれない。

 シリアにしてみれば、ISに民主派に外国軍が加われば、ロシアの加勢無しでは、生存出来ないだろう。

 だからこそ、ロシアが派兵し、数少ない友好国を延命させている訳だが。

「……ん?」

 別のインタビュー記事に大河の事が、載っていた。

 ———

『―――

 記→記者 エ→エリーゼ

 記: 仲良くなった日本人と恋仲になった様ですが、その後はどうなりましたか?

 エ: 順調です。

    彼はユダヤ教に偏見が無い為、嬉しいです。

 記: 以前から軍隊内で日本語教室を開く程の親日家ですが、やはり、御親族が、

   大戦時、杉原千畝氏に救われた事が理由でしょうか?

 エ: 彼が我が国では、最も有名な日本人ですが、彼の他に、

   ・根井三郎氏

   ・樋口季一郎氏

   ・安江仙弘氏

   等、異教徒で外国人で然も、ナチスの同盟国でありながら、多くの日本人が、

   親族を救って下さいました。

    日本赤軍の事件の所為で、日本人を恨む方々もいらっしゃるでしょ

   うが、我が家は、彼等の善行を忘れません。

    私が居るのは、彼等の御蔭ですから。……』

 ———

 長文のインタビュー記事は、日本語版でも配信されていた。

・イスラエルは、治安の悪い国

・イスラエルは、パレスチナの侵略国家

 等、日本人の一部が持つ、負の心象を払拭させたいのかもしれない。

(成程。初対面から好意的だったのは、こういう訳か)

 最初は、只の御人好しかと思っていたが、この様な背景だと納得出来る。

「……」

 大河自身は付き合っている感覚は無かったのだが、親日家で純粋な彼女は、思い込み、結果、病んでしまった、と思われる。

 大河に全く非は無いが、この様な背景だと、同情せざるを得ない。

 思えば、『舞姫』のエリスも最後は発狂していた。

 モデルとなった人物は、発狂こそしなかった様だが、森鷗外を追い、日本に迄来た。

 その後、

・小金井良精(1859~1944 森鷗外の義弟、星新一の祖父)

・三木竹二(森鷗外の弟 1867~1908)

 の説得の下、帰国した。

 現代的感覚だと追い返すのは、非情を感じるが、この時代、国際結婚は今以上に抵抗感がある。

 大富豪と結婚したモルガンお雪(1881~1963)も寡婦となった後、米国籍を剥奪され、無国籍者になったほど人種差別が横行していた時代なのだ。

 エリーゼと森鷗外が相思相愛であったとしても、双方、又はどちらかの家族が強行に反対し、破談になっていた可能性が高い。

 時代を超えて、同姓同名の彼女は森鷗外の如く、大河を探しに遥々、日本にまで来て、その上、時間旅行したのだ。

 大河の場合は現実主義者であった為、この状況下を楽しむ事が出来ているが、彼女は、純粋で更には、病んでいる。

 大河と同じ位に楽しめる余裕は無いだろう。

 帰り道が無い以上、城内に留めるしかない。

 安土桃山時代、外国人は貿易船の増加で見慣れているとはいえ、現代程ではない。

 赤毛や碧眼等、日本人には無い部分を珍しがったり、怖がる人々も居るかろう。

「お悩みね?」

 誾千代が茶を出す。

「ああ、全くだよ。あの野郎が勝手に連れて来たからこんな事に……」

「好きなの?」

「全然。戦友だよ。好かれていたのは、予想外だったがな」

 シリアでは性欲処理の際、民主派が用意した慰安婦で事を済ましていた。

 男達が集まる戦場では、娼婦は高給取りだ。

 娼婦と結婚する軍人も居れば、高級将校以上に稼ぐ娼婦も居る。

 性病検査も民主派が行っていた為、かれこれ、大河は性病に罹った事は無い。

 人を殺せば殺す程、褒められ、娼婦も抱ける。

 これ程、適当な職場は無い。

「じゃあ、追い出す?」

「出来なくは無いが、一応知り合いだしな。本当、厄介者を押し付けて来やがって」

「……」

 すっと、誾千代が、抱擁する。

「私達に気を遣っているんでしょう?」

「……そうじゃないよ」

「大丈夫。追い出した時の貴方の方が嫌いだから、居させてあげて」

「……良いのか?」

「You’re never wrong for doing the right thing.(正しい事を心がける)―――貴方が、2番目に教えてくれた南蛮の言葉じゃない?」

「……」

 暫く沈黙した後、大河は呟く。

「本当、俺って誾に甘えてばかりだよな?」

「え?」

「いっつも耐えさせて、本当は、嫌だよな。あんなに女性を侍らせて」

「……いや―――」

「分かってるよ。その分、辛い思いさせている事を分かってるから、俺は、誾が1番好きなんだ。有難う。今回も耐えてくれて」

「……うん」

 最初の夫を早々に無くした誾千代は、大河との結婚を大いに喜んでいた。

 然し、今では唯一の正室の立ち位置だが、側室の増加に伴い、大河と2人で居られる時間は、少なくっている。

 只、その分、大河は何よりも誾千代を最優先にし、又、側室を作る際は毎回、誾千代に許可を求め、華姫を養女にする時も相談の手紙を送っていた。

「……誾」

 大河は跪き、その手の甲に軽く接吻する。

「この問題が一旦片付いたら、旅行に行こう」

「又?」

「ああ。今度は、2人きりで」

「……でも、皆は?」

「済まないが、留守番だ。誾が1番だから」

「……有難う♡」

 大河の想いの強さと素直さに、誾千代は、ボロボロと泣き出す。

 そして、強く抱擁する。

 もう二度と離さない、とでも言う様に。

「……ご、免な、さい……泣き虫で」

「そういう所も惚れたんだよ」

「……馬鹿」

 顔を真っ赤にし、誾千代は大河と接吻する。

(……)

 空気に徹していた小太郎は、空気を読み、消失。

 その後、2人は久々に愛を育むのであった。


「……大河、さっきの話なんだけどね?」

「ああ」

 布団の中で、2人はピロートークをしていた。

「やっぱり、婦人会の終身名誉会長が率先して抜け駆けしちゃ駄目だと思うの」

「そうか?」

「うん。皆が厳しく律している以上、私も破ったら人はついて来ないから」

「……分かった」

 大河としては、誾千代を最優先に考え、又、本心から2人で過ごしたかったのだが、彼女がそう言う以上、強要は出来ない。

「You’re never wrong for doing the right thing.大河が、教えてくれた言葉を実践しているからね?」

「分かったよ。その分、俺も頑張るから」

「2回戦?」

「そういう事さ」

 再び抱き合う2人。

 その夜以降、2人の絆は更に強くなっていくのであった。


[参考文献・出典]

 *1:ウィキペディア

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