第45話 斬釘戴鉄
「……?」
アプトが目を覚ます。
視界に映ったのは、見知らぬ天井であった。
「お早う御座います」
尼僧が覗き込み、目が合う。
「初めまして。信松尼と申します」
剃髪しているが、頭の形が良く、美人だ。
直接、会話した事は無いが。
「……えっと―――」
「アプトさんですよね? 存じ上げて居ます故、自己紹介の方は―――」
「いえ、そうではなく、ここは何処ですか?」
城内っぽいが、武田信玄の肖像画が飾られ、武田の有名な赤い鎧が飾られているその部屋をアプトは知らなかった。
「私の寺です。ただ、あるのは仏壇だけで鐘等は御座いませんが」
口を手で隠して、信松尼は、微笑む。
その様に同性のアプトさえ、心が癒された。
「……私は……?」
「真田様の御配慮により、ここで休養になりました」
「……生かされているの?」
「真田様は滅多な事で殺人を行いません。常に人の為です。『天涯孤独なら俺の為に生きよ』と」
「……」
信松尼は、すっと茶封筒を渡す。
「これは?」
「休養中の御小遣いです。足りなくなったら、又、御渡ししますから」
「……」
中身を見ると、現代換算で家を1軒買える位の大金が収められていた。
「……私は織田を撃ち、死にたいのですが?」
「希死念慮ですね。私も同時期がありました」
義信が勝頼等を虐殺した際、信松尼は彼等の後を追う事も考えた。
然し、尼僧としてそれは出来ず、結局修羅の道を選んだ。
尼僧の立場上、それは間違った事だろうが、後悔は無い。
「信長様を討ちたい夢は、正直、御勧め出来ません―――」
「介抱してくれたんだろうけども、その事で貴女に許可を求める気は無いわ」
「話を聞いて下さい。続きがあります」
「……」
強い口調で言われ、アプトは、黙り込む。
「真田様は織田家と蝦夷に居るアイヌの有力者に
A4で100頁はあろうかという記録書が、置かれる。
表紙には、『
これは、公文書の複写になる可能性が高い。
後に国立国会図書館で保存されるだろう。
「慎み深い真田様は蝦夷にて、貴方の御両親の埋葬場所を見付け、殺人犯をその場で殺害しました」
「!」
「どうぞ」
仏壇の前にあった骨壺が、アプトの前に置かれる。
「……これは?」
「御両親様です」
「!」
「では、私はこれで。御用がありましたら御呼び下さい」
頭を下げ、信松尼は出て行く。
素っ気無いが、アプトには優しさが感じられた。
何故なら既に彼女の両目には、涙が溢れていたから。
「……」
恐る恐る骨壺を開ける。
成人2人の骨が、丁寧に収められていた。
それを見た瞬間、一気に涙腺が崩壊する。
「う、う……!」
そして、骨壺を抱き締めた。
意外な形での再会となるが、アプトは純粋に嬉しい。
骨になっても親は親だ。
その嗚咽は、天まで届いただろう。
落ち着いた頃に、アプトは報告書を開いた。
最初に織田側の主張。
次に蝦夷共和国側の言い分。
最後に両者のそれが要約されたものが、掲載され、大河の主観は一切含まれていない。
「……え?」
開戦した契機は、和人の侵略―――では無かった。
―――
『【織田家】
元々、松崎氏からの救援要請に応えただけであり、又、蝦夷地は、鎌倉時代に安藤氏が蝦夷管領になって以来、我が国固有の領土である。
今回の討伐は、侵略戦争ではなく、アイヌ人が不当に占拠していた土地を奪還しただけである。
アイヌ人と敵対する気は一切無い』
【蝦夷共和国】
和人との戦いの契機は、正統14(1449)年の土木の変以後、明の北方民族に対する影響力が低下すると明との交易が急激に衰え、和人への依存度が高まった。
康正2(1456)年、アイヌの男性(*)が志濃里の鍛冶屋に小刀(マキリ)を注文した所、品質と価格について争いが発生した。
怒った鍛冶屋がその小刀でアイヌの男性を刺殺したのが発端である。
この事件後、首領コシャマインを中心にアイヌが団結し、翌年に和人に向け戦端を開いた。
広範囲で戦闘が行われ、事件の現場である志濃里に結集したアイヌ軍は小林良景の館を攻め落とした。
アイヌ軍は更に進撃を続け、和人の拠点である道南十二館の内10迄を落としたものの、長禄2(1458)年に武田信広によって七重浜でコシャマイン父子が弓で射殺されるとアイヌ軍は崩壊した―――』(*1)
―――
本当に小さな出来事が、数世紀にも及ぶ戦乱になるとは思ってもみなかった事だろう。
恐らくは小さな火種が、溜まりに溜まってその殺人事件の際に爆発したと思われる。
アプトは、正直思った。
(これが聖戦? 当事者同士で話し合ってよ)
彼女はアイヌ人だが、コシャマイン等の主流派では無い。
少数部族で和人とは比較的仲が良く、こんな契機であれば、中立派として戦争に参加した方が良かっただろう。
両親も難しい舵取りだっただろう。
アプトの中で、アイヌ人としての自己同一性が崩れていく音がした。
和人への嫌悪があったが、今ではアイヌも同じくらい嫌いだ。
自分の自己同一性を否定しているが、それでもアプトは、これで故郷への未練を断ち切る事が出来た。
と、同時に信長への憎悪も徐々に薄れていく。
急速に。
両親の骨壺を目前にすると、復讐心が不思議と如何でも良くなってきたのだ。
『『生きて』』
「!」
辺りを見渡すも、誰も居ない。
(……まさか?)
骨壺を見る。
当然、骨なので、喋る筈がない。
然し、先程の言葉は、両親の声に似ていた。
「……」
気のせいかもしれないが、アプトは、その助言に従う事にした。
(生き様……ずっと)
時を同じくして、大河は、謙信の部屋に居た。
お江、小太郎と共に。
お江が居るのは部屋に行く途中、ばったり出会い、一緒に過ごす事になったのだ。
幸い朝顔に次いで幼いお江を謙信は大層可愛がっており、今回、特別に入室は許された。
「真田。景勝が近く登城する。その書状だ」
「有難う」
挨拶文を渡されて読む。
———
『初めまして。
上杉謙信の養子・景勝です。
御挨拶が遅れて大変申し訳御座いません。
近く、安土城に登城する機会がありますので、その際、二条古城にも御挨拶に伺いたく思います。
義母を宜しく御願いします。
上杉景勝』
———
挨拶が遅れたのは、超ポーカーフェイスで無口が理由かもしれない。
若しくは、新婚の義母に配慮して敢えて遅らせたのか。
謙信同様、義に篤い景勝の事。
恐らく、後者が真相と思われる。
「義理の息子となる訳か?」
「然う言う事。今は景虎が代理だけど」
「! 景虎が居るのか?」
「ええ」
上杉景虎は、北条氏康の実子だ。
史実では謙信の死後、その跡目を景勝と争い、敗れている。
謙信の口からは景勝しか聞いていなかった為、景虎が実在するとは思わなかった。
(これは、御館の乱ルートだな)
軍神・謙信の唯一無二の汚点と言えるのが、跡継ぎを指名しなかった事だろう。
江戸時代からこの謎の考察がなされ、
・後継者を景虎又は景勝のどちらかとする説
・2人とする説
・決めていなかったとする説
等、諸説が挙げられている(*2)。
「謙信、跡継ぎは、決めているのか?」
「? そりゃあ勿論、景勝よ。景虎も筋は良いけれど、私の義を受け継いでいるのは景勝だから」
「……その事を景虎は?」
「知っているわ。話している。だからこそ代理なのよ。景勝が成人する迄のね?」
「……」
上杉景勝は史実では、弘治元(1556)年生まれ。
景虎は、天文23(1554)年生まれ。
2歳しか違わない。
本心は如何思っているかは、景虎しか知る由も無いが。
外見上、たった2歳違うだけで、代理と跡継ぎでは雲泥の差だ。
家臣からは代理の間だけで支持され、景勝が成人すると、一気にその家臣に成り下がる。
屈辱的としか、言い様が無い筈だ。
「……謙信、越後に行っても良いか?」
「!」
お江が、振り返った。
謙信も目を白黒させる。
「如何して?」
「第六感というか……嫌な予感がする」
「政変?」
「……まぁ、そんな事だ」
「大丈夫よ」
ケラケラと謙信は、大笑い。
「越後は、貴方の思う以上に一枚岩だから。心配性よ」
「……然うだと良いんだが」
越後への出張が無くなり、お江も安堵する。
「兄者、駄目だよ。謙信様ばかり贔屓しちゃ」
「そういうつもりじゃ―――」
「姐さん女房が好きなのは、分かるけれども幼妻もちゃんと見なきゃ駄目だよ」
両頬をハムスターの様に膨らませるお江。
ちょっと可愛い。
又、普段はのほほんとしている癖に「姐さん女房」「幼妻」を知っている辺り、教養も身に付き始めている様だ。
「分かってるよ」
「じゃあ、問題。私の好きな物は?」
「
「違う。兄者だよ」
夫を物扱いである。
「もうちょっと私も見てよ」
ぐすんぐすんと、泣き始める。
「もう、真田。謝りなさい。こんな可愛い幼妻を泣かせて」
「御免な」
大河に悪事を犯した自覚は無いが、お江が泣く程悩んでいるのならば、謝る他無い。
「おーよしよし」
大河に抱き締められ、
(兄者、優しい……良い匂い)
その愛を
山城国は安土桃山時代に入ると、戦後のベビーブームの様に人口が一気に増えた。
これは、平和になった途端、心に余裕が出来、戦国時代以上に子供を求める家庭が増えたからである。
人口も数十万人から日ノ本で唯一、100万人を超えた。
徳川家康が江戸で天下普請(江戸城の再建築のこと)を始めてから約20年後 、 江戸の人口は京都に遠く及ばず、伊達氏の城下町・仙台と同じ位だったと言われる。
それが寛永末期(1640年頃)に京都に追いつき、元禄8(1695)年 には人口は85万人に達し日本一の都となった。
その後も人口は増え続け、18世紀に100万人、天保8(1837)年には128万人となり、 欧州最大の都市ロンドンの85万人を大きく上回り、世界最大級都市になった(*3)。
元々、江戸より人口が多かった京だが、大河が推し進めた、
・公立校(寺子屋)無償化
・乳児院設置の補助金拠出
・成人以下の乳幼児の医療費の無料化
等、諸国には無い改革を行った為、子供が産み易く育て易い環境が整った為でもあろう。
山城国の平均年齢は、22歳。
若さ溢れる元気な国だ。
天守に居ても城内保育所から、子供の遊ぶ声が聞こえる。
「子供の数が増えたね」
「それもこれも全部、提案者の誾の御蔭だよ」
「そう? 有難う♡」
茶室にて誾千代は、大河の為にお茶を
「はい、どうぞ」
「作法は知らんよ」
「良いのよ。私も知らないし」
2人は、適当な作法で御茶を飲む。
「宇治茶は、美味しいな」
「こっちの村上茶も。後で謙信に感謝しなくちゃ」
「然うだな」
誾千代が大河の右腕になっているのは、彼が気に入った文官が居なかったからだ。
その為、姫武将としての役割を事実上、引退し、現在は政治家が本業になっている。
この時代、女帝等、女性の君主は存在しても、女性政治家は中々見当たらない。
恐らく、世界始めての女性政治家だろう。
不妊の誾千代は人一倍子供が好きで、女性が安心して子供を産み易い様に先の事を立案し、大河の名前で実行した。
若し、彼女が尼僧だったら、
・太原雪斎
・安国寺恵瓊
・金地院崇伝
・南光坊天海
と並ぶ、この時代を代表する黒衣の宰相として名を連ねていたかもしれない。
「国勢調査でこの国は、100万の大国となった。次は、1千万人を目指そう」
「出来るの?」
「ああ、可能だよ」
1千万人以上の都市部の事を
その定義は様々ではあるが、国際連合の統計局の定義によると、人工建造物・居住区や人口密度が連続する都市化地域である都市的集積地域の居住者が少なくとも1千万人を超える都市部だとしている。
従ってその都市の行政区域のみの人口ではなく、都市的集積地域としての実質的な都市部を他の区域まで形成している場合は、その区域の人口も含める事になる。
逆に
因みに重慶市の平成28(2016)年の都市的集積地域の人口は744万人であり、1千万人以上の巨大都市とは評価されておらず、他の多くの都市圏人口の指標においても1千万人以下の評価である。
この国連の統計によると平成30(2018)年現在、世界最大の巨大都市は、人口3805万人の東京である。
これは東京都のみの人口ではなく、同じ都市的集積地域である横浜市やさいたま市や千葉市等、周辺都市の人口も加算されている。
昭和30(1955)年に当時、世界最大の巨大都市であったニューヨークを抜いて以来世界一を維持している。
世界で最初に人口1千万人以上の巨大都市になったのはニューヨークであり、その後、東京が初の2千万人超えと3千万人超えを果たしている。
昭和50(1975)年には、
・東京
・ニューヨーク
・メキシコシティ
の3都市のみが巨大都市だとされていたが、平成31/令和元(2019)年には発展途上国の大都市の急激な成長もあり、38都市にまで急増している。
国連の報告書によると、令和12(2030)年にも世界一の巨大都市は東京が維持していると予測されている(*1)。
「子供は国の宝だ」
「うん♡」
子供が出来ない分、我が事の様に喜ぶ若夫婦であった。
[参考文献・出典]
*1:ウィキペディア
*2:伊東潤 乃至政彦『戦国関東史と御館の乱 上杉景虎敗北の歴史的意味とは?』洋泉社 2011年
*3:https://www.jk-tokyo.tv/zatsugaku/35/
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