第41話 臥薪嘗胆
万和元(1576)年4月8日。
今日は、
日ノ本各地の寺院では、盛大に釈迦の誕生日を祝っていた。
———
『釈迦! 祝!! 生誕祭!!!』
———
と銘打たれた大きな看板の寺院に、沢山の人々が集まっている。
その数、約5万人。
もう歌手の公演並だ。
そこでは出店が並び、精進料理が振る舞われ、高僧が無料で説法を行う等、祭の様な雰囲気だ。
寺院に客層を奪われた反対側の商店街の方では、閑散としている。
然し、店主達は、張り切っていた。
「今日はお殿様が来るぞ! 皆、気合入れろよ!」
「絶対に粗相の無い様に!」
大河が来る事は、事前に城から伝えられている。
大河としては予約無しで買物したいのだが、高位になり過ぎた結果、万が一品薄になった時の来店を恐れた商店街側が「精一杯の御持て成しをするから、来店時は、事前に御報告下さい」という慣習が理由だ。
独裁者ではない為、品薄程度で大河の機嫌が損なう事は先ず無いのだが、やはり行き過ぎた配慮―――忖度の結果である。
ふらっとコンビニに行く様な、ラフな格好で外出出来ないこの窮屈な生活は、大河には、ストレスだが、市民生活に支障が無い様にするのは高位者の務めであろう。
商店街は入場制限され、客は
「わー、この毛皮、凄い」
現代ならば確実にワシントン条約で引っ掛かる動物の毛皮に茶々は、興味を示す。
「被り物に良いかも? 真田様は?」
「お江が似合うかもな? お江、如何だ?」
「兄者の贈答品?」
「ああ。多分、可愛くなると思うぞ?」
某作品の前田利家の様になるだろう。
「試着して良いですか?」
「勿論、無料で貰って下さい」
店主は、スライディング土下座する。
「いやいや、払いますよ」
城主なのに低姿勢な大河。
益々、店主は申し訳無さを感じる。
悪い事など何一つしていないというのに。
更に、加害者・大河が無欲なのが質が悪い。
素であるが故に、冗談が通じないのだ。
「兄者、可愛い?」
「おお、可愛いぞ。店主さん、買いますね?」
「はは~!」
着飾ったお江に満足し、店主の前に現代換算で10万円は置く。
「こ、これ程?」
「貸切ってくれた分の御礼ですよ。有難う御座いました」
どこまでも平身低頭な大河に店主は、謎の申し訳無さで失禁しそうだ。
店を出ると、茶々が
その後ろに居るお初の頭部には、猫耳が装着してある。
「如何です?」
「おお、綺麗だな」
「そればっかり。他の美辞麗句は、無いんですか?」
「でも、事実だ。お初のそれは?」
「化猫遊女です。ほら、お初、隠れてないで出てきなさい」
「にゃ、にゃ~ん」
顔を真っ赤にしたお初が、茶々の背後から出て来た。
「おー」
茶々は白塗りの美人花魁だが、お初は猫耳カチューシャ(白)の遊女だ。
御丁寧にも、臀部の部分には、尻尾が付いている。
全て南蛮産だ。
この時代にこの様な物がある製造元の南蛮では、一体、何が起きているのだろうか。
「お初様、可愛いです」
小太郎も興奮を禁じ得ない。
その証拠に、鼻血を吹き出さんばかりの勢いだ。
「み、見るなぁ……」
恥じらうお初。
残念ながらそれは、男心を
見るな、と言われても見てしまう大和である。
「可愛いじゃん」
「!」
ポッと、更にその顔は赤くなる。
ノ〇ベルの社員が居たら、その余りの可愛さに触発されて『女梅』という商品を出すかもしれない。
「(……何で素直に言えるのよ。馬鹿)」
ごにょごにょと何か言うが、残念ながら、大河には聞こえない。
「兄者、猫耳好きなの?」
「好きだよ」
「じゃあ、私も欲しい」
「どれが良い?」
黒や赤、黄色等、多くの種類がある。
「真田様、私のも選んで下さい」
「分かった。文句は言うなよ?」
「「はい♡」」
お初のが白なので、白以外を選んだ方が、無難だろう。
センスが問われるが、如何せん、大河には流行りの色が分からない。
(日本流行色協会がこの時代にあればなぁ)
熟考する事、約10分。
お江のは、桃色。
茶々のは、赤色である。
「兄者の選んだ猫耳~♡」
上機嫌なお江と比べ、
「何故、赤色なんです?」
懐疑的な茶々。
怒ってはいない為、純粋に疑問なんだろう。
「色々、脳内で着せ替えしたんだ。その結果、適当だと思ったんだよ。嫌なら―――」
「真田様が適当と思われたのでしたら不満は無いですわ。ただ、赤色は火を連想する為、余り良い心象が無いんです」
「あー……」
そこまでは、考えもしなかった。
最近の研究では、小谷城は落城の際、実際には炎上していなかった事が判明している。
然し、大河ドラマでは「落城感が一目で視聴者に伝わり難い」との理由で
時間の逆説か、ここでは三姉妹が間近で目撃し、お江が記憶喪失になる程なのだから、『𠮷原炎上』並に燃えたと思われる。
大河も自分の学んだ歴史観を押し付ける事は無い。
目の前の事が、事実であり、真実なのだから。
「やっぱり、こっちが良いな」
茶々から赤色の猫耳を外し、代わりに紫色を買う。
「真田様―――」
「嫌な事を思い出すのならば、赤は駄目だ」
「赤のは?」
「誾のにするよ。捨てるのは勿体無いからな。あいつが拒否すれば、他の者。全員が拒否したら質屋に出せばいい」
「……」
「済まんな」
「い、いえいえ。こちらこそ」
想ってくれた上での配慮は、素直に嬉しい。
幸福感で、茶々は、満たされていく。
「あー、姉様、顔、赤い」
「煩い!」
軽く小突く茶々であったが、にやけていた事は言うまでも無い。
昼頃。
一行は、寿司屋で昼食を摂る。
「
「お江、付け過ぎだ。
お初が、涙目のお江の目元を手巾で拭く。
まるで母親だ。
「はい、真田様♡」
「有難う」
茶々が箸で掴んだ鮪が、大河の口に持っていかれる。
自分で食べたいのだが、茶々がどうしても許してくれない。
「真田様も食べさせて♡」
「何が良い?」
「卵」
「子供だなぁ」
「年下ですから♡」
では、年下にそんな事をされている大河は、何か?
という話になるが。
兎にも角にも、2人はラブラブだ。
バカップル、と言っても過言ではない。
「(ほぇ~、真田様は、愛妻家だねぇ)」
「(し! あれは偽装だよ。裏ではえぐい事していると思うよ。色んな女性を摘まみ食いしているんだから)」
「(寡婦に病人に尼僧……嗜好がバラバラだなぁ)」
客や店主は囁き合う。
大河は名君だが、やはり300人討ちや御所での騒乱、甲斐での戦功の点から、恐れられている部分もある。
―――怒らせたら問答無用斬られる。
―――機嫌を損ねたら妻娘共々、嫁に獲られる。
―――激怒させたら、家ごと徹底的に破壊させる。
等、根も葉もない噂が拡散しているのだ。
基本的に殺人が大好きな面以外では、温和な大河は市民に対して低姿勢の為、そんな事はしないのだが。
ゴシップ紙の瓦版が、その情報源なのかもしれない。
(……今の内に虚偽報道禁止法を作るか)
言論の自由は認めているものの、虚偽報道までは、認めていない。
報道機関であるならば、公正中立を信条とする必要がある。
幸い、山城国に限って言えば、大河はやりたい放題出来る。
独裁者に成る気は更々無く、又、市民生活を尊重したいのだが、虚偽報道で読者を右往左往させる新聞社は、廃刊に追い込まざるを得ない。
「仕事の顔しちゃ駄目だよ。兄者」
思い詰めた表情を、お江に見抜かれた。
昔ならば、アカデミー賞受賞男優並の演技力で、嘘を吐き通す事が出来たが、結婚後は弱体化している様だ。
「御免ね。もうしないから」
「指切り拳万」
「はいよ」
今度の嘘は、バレなかった。
指切り拳万しつつ、大河は心の中で謝る。
(御免な、お江。俺は仕事人間なんだ)
昼食後、再び散策すると、商店街の出口の方に人だかりが出来ていた。
「さぁ、寄ってらっしゃい! 見てらっしゃい! 人間動物園だよ!」
狐目の男が、呼び込みを行っている。
「何だ、あれは?」
「おお、御殿様が、来られたぞ! 道を開けろ!」
近くに居た人に聞けば、この対応だ。
まるで待っていたかの様に、客達は大河達の為に道を譲る。
一部の老夫婦なんかは、土下座して、顔さえ見ない。
崇敬過ぎた結果なのか、怖がっているのか。
庶民出身の大河は、どうもこれには、慣れない。
「御殿様、御待ちしていました。御覧下さい」
「!」
動物園で見る檻に少女が、監禁されていた。
15歳前後だろうか。
腕には、菱形模様の刺青が施されている。
時間旅行前、日本の図書館で読んだアイヌ文化の一つだ。
有名所で言えば、成人女性の口元の刺青だろう。
髭を模した物であると思われているが、神聖な蛇の口を模したとする説もある。
まず年頃になった女性の口の周りを、ハンノキの皮を煎じた湯で拭い清めて消毒する。
ここにマキリ(小刀)の先で細かく傷をつけ、シラカバの樹皮を焚いて取った煤を擦り込む。
施術にはかなりの苦痛が伴う為、幾度かに分けて、小刻みに刺青を入れる。
シーボルトは北海道流沙郡平取のアイヌ集落に調査に入り、
———
『アイヌの入れ墨は女だけに行われ、まだ7、8歳の女の子の上唇のすぐ上に、小刀で横に多発性に傷をつけ、そこに煤を刷り込む所から始まる。
口髭の様になるが、両端が口角部で上に向かう。
口の周囲の入れ墨が済むと、手背と前腕の入れ墨が行われる。女が結婚するともう入れ墨はしない』(*1)
———
と記している。
彼女には、それが無い為、アイヌ民族の中の少数派の部族なのかもしれない。
アウシュビッツのユダヤ人の様に痩せ細り、今にも餓死しそうだ。
然し、顔は整い、濃紺色の瞳は日本人とは程遠い為、やはり、アイヌ人なのだろう。
「……彼女は?」
「名前は、剥奪し、御殿様に名付け親になって頂きます」
「俺?」
「はい。献上品ですから」
男は、下卑た笑みを見せる。
心底、アイヌ人を馬鹿にしている様だ。
「ウー!」
犬の様な唸り声が聞こえた。
その元を見ると、女性の隣の区画に日本狼が。
体長114cm、尾長約30cm、肩高約55cm、体重推定15kg。
定説通りのスタイルだ。
尾は背側に湾曲し、先が丸まり、吻は短い。
日本犬の様な段は無く、耳は短い。
「これは?」
「蝦夷で先程の女子と共に捕らえた獣です。寒さに強い狼は、御殿様の好みかと」
日本狼は、確認された最北は東北地方だ。
蝦夷で生きていたこの日本狼は、新種なのかもしれない。
「分かった。他には?」
「最後ですが、『鍬形』です。御存知ですか?」
「ああ」
鍬形は、厚さ1~2mm程度の鉄や真鍮の板をV字型に加工したもので、表面は漆や皮、銀メッキされた金具等で装飾されていた。
これは何らかの呪具であったと考えられており、原材料の高価さや製造加工の困難さではなく、この物体に宿ると考えられた霊力の強力さ故に重視された。
鍬形以外の宝物はヤップ島の石貨等と同じ様に、稀少財としてアイヌの有力者の間で流通していたが、鍬形は他人に譲られる事は無く、持ち主が死ぬと岩陰等の隠し場所に隠されたまま行方知れずとなり、朽ち果てていった(*2)
大正5(1916)年、夕張郡角田村(現栗山町)で発見された鍬形7個の内4個が東京国立博物館に保存されている(*3)。
以前、東京国立博物館に収蔵されたアイヌの鍬形『キラウシトミカムイ』(角ある宝神)を彷彿とさせるそれは、アイヌ人の自己同一性だ。
「これも献上します」
「そうか……小太郎」
「は」
雰囲気で大河が何を欲しているのか、小太郎は、直ぐに察した。
村雨を渡すと、数瞬で抜刀し、男の胸を貫く。
「な……?」
「「「!」」」
突然の事に市民は、驚いた。
大河は、顔面に返り血を浴びる。
「な……ぜ……?」
男は、吐血した。
「俺はな、人身売買が嫌いなんだよ。されかけたし、尚更な?」
わざと心臓を外した為、男は中々、死ねない。
地獄の様な痛みだが、それ以上に間近の大河が怖過ぎる。
両目は見開き、何時もの童顔は無い。
生来的(生来性)犯罪人説論者のチェーザレ・ロンブローゾ(1835~1909)が主張する犯罪者特有の三白眼なのだ。
串刺しにしたまま、大河は叫んだ。
「これより、我が領内に於いて、一切の人身売買を禁ずる! 販売業者、購入者を見付け次第、この様に問答無用で斬る! 良いな!」
「「「は……はぁ~!!!」」」
両手を上げて、民は跪く。
リンカーンの奴隷解放宣言(1862年)より286年早いそれは、世界初だ。
三姉妹は、拍手する。
「真田様は、何時も革新的です」
「そうだね。(そう言う所、格好良い)」
「御姉様、兄者の事、やっぱり、好きなんだね?」
わーきゃー言う中、アイヌ人女性は目を白黒させていた。
(何が起きているの?)
目前で業者が殺され、民は平伏し、家族と思しき女性達は最大限の賛辞を送っている。
この時、彼女は知らない。
彼の魅力と暴力的な平和主義者である事を。
[参考文献・出典]
*1:『小シーボルト蝦夷見聞記』ハインリッヒ・フォン シーボルト 東洋文庫
*2:瀬川拓郎『アイヌの歴史 海と宝のノマド』講談社〈講談社選書メチエ〉 2007年
*3:ウィキペディア
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