第34話 桜花爛漫

 瑠璃寺は、曹洞宗の寺院だ。

 その境内にある桜は現代でも残っており、古木(樹齢300年以上)と2対の若木(樹齢80年以上)からなる。

 勅勘を被り、丹後に配流となった公家の権中納言・中院通勝卿(1556~1610)を慰める為、親友が京より苗木を送った事に始まると言われる。

 古木は幹周囲2・52m、高さ7mにもなり、舞鶴市指定文化財(天然記念物)にも指定されている(*1)。

 和尚が応対し、花見を許可した。

「どうぞ。まさか先帝陛下が、来られるとは」

「許可を頂き有難う御座います」

 朝顔が深々と頭を下げ、和尚や修行僧は、平伏す。

 後年、昭和天皇の圧倒的なオーラに圧倒された人々の様だ。

「和尚、流石に無料だと、我々も心苦しい所があります」

 大河は、金3両を差し出した。

「「「!」」」

 和尚達は、驚く。

 金1両は、現代換算で約60万円とされる。

 3両だと、約180万円だ。

「これを維持費や人件費等に充てて下さい」

「いえ、流石にこれは―――」

「一時的な我々の我儘わがままを聞いて下さっているんです。相応の対価が必要でしょう」

「……失礼ですが、何かしらの要求はしませんよね?」

 暗に賄賂では? と疑問を呈しているのだ。

「全然。何でしたら証文を書きますから御用意下さい。本尊の薬師如来様に誓いますから」

「……は、では」

 修行僧が証文を用意し、大河がしたためる。

「どうぞ、お納め下さい」

「……真田様は、政教分離を徹底しているんですよね?」

「はい」

「御噂通り、名君の方で良かったです。疑ってしまい申し訳御座いません」

 先程以上、深く深く和尚は御辞儀する。

 丹後国でも大河の名は、轟いている様だ。

「いえいえ。修行を続けて下さい。我々も帰る際に又、挨拶に参りますから。では」

「「「……」」」

 和尚達は御辞儀したまま、見送る。

 この後、参拝者を通じて大河の人柄が大きく伝播し、朝廷に丹波守を兼務する提案書が殺到した事は言うまでも無い。


 若狭湾を目の前としている為、魚は京に居る時よりも手軽に入手する事が出来る。

 楠と謙信が海女となって獲って来た獲れ立ての魚と、周辺で買った野菜で三姉妹が作る中、

「ここが、良いな」

 良い場所を見付けた大河が、南蛮製のブルーシートを広げた。

 経費の都合上、醍醐の花見ほどの豪華さは無いが、大河はあくまでも庶民流の花見に拘っていた。

 無欲だからこそ、関白・豊臣秀吉が行ったような事は、極力したくはないのだ。

 花見用の色鮮やかな桜が、刺繍された和服に着替えて来た女性陣が、到着する。

「真田様、座席順はあるんのですか?」

 千姫の問いの裏には、「隣に座りたい」という想いが、込められていた。

「自由だよ。上座でも下座でも」

「じゃあ―――」

「只、誾と朝顔、小太郎の3人は、指定席だ。2人は、俺の隣。小太郎は、後ろに座れ」

「分かったわ」

「新婚旅行だから当然だわな」

「御意」

 誾千代は、嬉しそうに大河の右隣へ。

 朝顔は、左隣に着席。

 小太郎も、彼の背後に座った。

「真田、何故、奴婢ぬひを背後に?」

 謙信が、首を傾げて尋ねた。

 特別扱いではないか? と思っている様だ。

「奴婢と一緒に楽しむのは、余り、気持ちの良い事では無いだろう?」

 近代まで、日本でははっきりと、身分階級があった。

 細かな違いがあるものの、インドのカースト制のようなものだ。

 名家出身の彼女達が内心、奴婢と同等の場所に居るのは、不快かもしれない。

 そこで大河が小太郎を隠す事により、その不快さを弱め様としているのだ。

 ただし、これが逆に彼女達の火に油を注ぐ場合も考えられるが。

「成程な」

 謙信が、大河の向かい側を選んだ。

 隣に座りたかった千姫だったが、誾千代は正室の中でも、熟練者。

 朝顔も今回の主役の為、向かい席に座るしかない。

 三姉妹と楠が、料理を運んでくる。

・白米

・焼き魚

・焼き芋

・まる鍋

・刺身

 等を。

 料理は彼女達の仕事では無いのだが、今回は彼女達たっての希望で作られていた。

 庶民流を望む朝顔に配慮し、又、彼女を快く迎える為に自ら作ったのである。

「まる鍋は。初めてだな?」

「うん。兄者、精力旺盛だから、姉様が『丁度良い』って」

 野菜鍋は、決まっていたが、まる鍋にした張本人は、茶々らしい。

 まる鍋には、すっぽんが使用されている。

 鍋にされた鼈の効果がそのまま体に影響を与えるのかは、分からないが。

 子作りに励む茶々の狙いが、はっきり分かる。

 どの女性陣よりも早く長男を産んで、大河からの寵愛を受けたい、と。

 子供が出来た所で、優遇するか如何かは分からないが、妻達の中では優位に立つ事が出来るだろう。

 結婚しても妻達の暗闘は、根深いのだ。

すっぽんか……」

「? 苦手ですか?」

「食えない事は無いが、見た目が亀だからな」

 昆虫は昆虫食の経験上、食べる事が出来るが、爬虫類や両生類の食用は正直、ドン引きする所がある。

 文化的に否定する気は無いが、やはり、何事も初めてには、抵抗は否めない。

 但し、まる鍋は京都を代表する鍋料理の一つなので、日本人にも食べられやすいだろう。

 お初が取り分け、皿に大盛りの野菜と鼈を盛る。

「どうぞ」

 その顔は、サディストであった。

 作った茶々が、大河の顔色の悪さに謝る。

「申し訳御座いません。御無理でしたら、私達が―――」

「良いよ。折角作ってくれたんだろう?」

 作り笑顔で応じつつ、大河は鼈をまる齧り。

「……」

 ぬめっとした感触が、口一杯に広がる。

 味は、正直、分からない。

 味覚が馬鹿になっている為、甘いのか苦いのか美味しいのか不味いのか。

 一切、分からないが、自然と咀嚼している為、無意識的に体が受け入れた様だ。

 食べられる、と。

「……美味しいよ」

「良かったですわ」

 茶々は安堵し、意地悪したお初は、小さく舌打ちした。

 大河に一泡吹かせ様と思ったのだろうが、今回ばかりは、味覚の御蔭で助かった。

 左右の妻を抱き寄せつつ、桜を見上げる。

「『諸共に 憐れと思へ 山桜 花より他に 知る人も無し』」

「「!」」

 2人は、同時に大河を見た。

 他の女性陣も遅れて。

 今のは、行尊(1055~1135)の一首で、小倉百人一首等にも収録されている。

 その現代語訳は、

 ―――

『私がお前をしみじみと愛しく思う様に、お前も又、私の事をしみじみと愛しいと思ってくれ、山桜よ。花であるお前以外に心を知る人も居ないのだから』(*2)

 ―――

 まさにこの場に相応しい歌だろう。

「大河、今のって……?」

「さぁな?」

 意地悪く嗤う。

「そんな、もう一度、詠んでよ」

 朝顔が、胸をポカポカと叩く。

 然し、全然、痛くない。

「来春だな」

「「「けち~」」」

 女性陣は抗議するが、本当は分かっている。

 先程の歌は、2人の為ではなく、全員に向かっての大和の本音だった事を。


 昼を過ぎた頃、

「御注進~! 御注進~!」

 織田瓜の旗を掲げた数頭の早馬が、駆けて来た。

 瑠璃寺に入ると、大河を探す。

「おお、真田様。やっと見つけましたぞ!」

 血相変えたその表情に、大河は、察する。

「何があった?」

「は! 武田信玄が、病死しました!」

「「「!」」」

 女性陣の間に驚きの色が、広がった。

「何時? 死因は?」

「一月程前の事です! 病死だそうです!」

 SNSがあれば、直ぐにでも判る事だが、この時代にそんな便利な物は無い。

 電話もメールも無い為、当然ながら情報伝達が本当に遅れる。

「海野信親殿が至急、『真田様の救援を』、と!」

 海野信親は、武田信玄の次男だ。

 長男・義信は、信玄暗殺を側近達と謀議した(『甲陽軍鑑』)咎で、廃嫡されて、相続権を失っている。

 所謂、義信事件だ。

 史実では、永禄10(1567)年に死亡しており、又、万和元(1576)年現在、その消息が分からない為、死亡しているものと見られている。

「? 海野信親が如何した?」

「は! 武田義信が勝頼等、信玄殿の遺児を全て殺害し、武田家を支配した模様です!」

「「「!」」」

 政変である。

 大河は、直ぐに村雨とM16を装備した。

 花見でも持参している辺り、彼は、何時でも動ける様にしているのだ。

「……海野殿は?」

「盲人である事から、殺害される事は無かった様ですが、現在、軍備増強を行い、我が軍と戦の準備をしている模様です!」

「……」

 信玄は、信長の征夷大将軍を「表向き」には、快諾していた。

 朝廷を敵に回す程、愚策は無いのだから。

 然し、この義信という男は信玄ほど聡明では無いらしい。

「真田―――」

「御仕事ですから」

 不安気な朝顔に微笑み、大河は、命じる。

「望月、ここでの指揮を委任する。稲姫もだ」

「「は!」」

「謙信、済まんが、俺は武田の専門家では無い。一緒に来てくれ」

「然う来ると思ったよ。信玄入道の為にも、祈らないといけないしね」

 すくっと、立ち上がった。

 川中島で幾度と戦い、又、塩を送った事もある。

 敵であったが、不思議な関係な信玄が死んだのは、謙信も複雑だ。

「小太郎も来い! 情報収集が必要だ!」

「は!」

 てきぱきと指示を出す。

 普段は、優しいが、こう言う所を見ると、やはり、武人である。

「「「……」」」

 女性陣は、内心で見惚れていた。

「あ、あと、望月! 帰宅後は、念の為、俺が戻る迄、城の防御を高めておけ!」

「反乱、対策ですか?」

「『念には念を入れよ』、だ」

 有能な大河は、支持者が多い。

 然し、妬む者も当然ながら居り、彼等が蜂起し、城を占拠する可能性があった。

 只、

・織田軍

・上杉軍

・見廻組

 が駐留している二条古城を奪取するのは、WWIIで枢軸国がアメリカ本土を占領する位の難しさと思われるが、武田で政変があった以上、大河が慎重になるのは、当然の事だ。

「兄者……」

「泣くな、お江。花見は、引き続き、楽しめ。帰って来るからな?」

「うん……」

 ぐすんぐすん、とお江は、何とか涙を堪える。

「帰って来てね?」

「ああ、勿論だ」

 お江の額に口付けすると、彼女は微笑んだ。

「有難う。大好き♡」

「Me too.」

「え?」

「じゃあな」

 1人ずつ抱擁後、大河は謙信達と共に乗馬する。

「は!」

 そして、伝令兵と共に京に戻って行った。

「「「……」」」

 花見所では無い重い空気だ。

「皆、落ち込まないで」

 楠が声を上げた。

「私も行くから、何かあった時は、連れ戻すわ」

 然う言って微笑み、姿を消す。

 普段は、誾千代達に遠慮して、大河への想いを表沙汰にしない楠だが、何だかんだで、彼女達同様、心の底から想っている。

 実際には腕では大河には、到底、敵わないが、それ位の気合はあるのは事実だ。

「「「……」」」

 心配する女性陣。

 然し、1人、又1人と座っていく。

 大河が望んだ様に花見を楽しむだ。

 暫くして、丹波守が来て、兵を置いていく。

 一騎当千の大河が居なくなった事で、気を遣ったのだろう。

 謙信が置いていった酒を呑み、歌い、踊る。

 不安を掻き消す為に。


 帰京した大河達は、城で準備を整えた後、安土城に向かう。

 日ノ本では帝が居る京が首都だが、行政機能は安土城周辺にある。

 これも、大河の提案により、成されたものだ。

 京に首都機能が集中している場合、災害等の時に大混乱が考えられる。

 然し、この様に分散していると、被害は抑えられる。

 3・11で東京が大混乱した経験を踏まえ、大河が当時、帝であった朝顔に提案したものだ。

 安土城に入ると、信長が待っていた。

「寝間着のままで済まんな。儂とて、数刻前に聞いたばかりで今、指示を出していた所だ」

 寝室にて、両者は対面する。

 武装した大河達を、そのまま寝室に通すのは、信長がそれ程、大河を信頼している証拠だ。

「海野信親は穏健派だ。僧侶だしな。彼が盲人である事が、非常に惜しい」

「……武田家は、この後、如何なる予定だったんですか?」

「家康に任せていたよ。三方ヶ原でこてんぱんにされて以来、信玄を崇拝していたからな。両家は合同訓練する計画があった程、良好だったのに、義信の馬鹿の所為で破談だ」

「……」

「貴君を指名したのは、裏がある筈だ。甲斐国(現・山梨県)に潜入し、内情を探ると共に信親を助けてくれ」

「は」

 久々の出張に大河は小躍りしたい位、嬉しい。

 然し、この時、彼は知らなかった。

 彼の女難の相が名医でも治せないくらい、不治の病である事を。


[参考文献・出典]

*1:ウィキペディア

*2:http://www.levy5net.com/tabi/sakura4.htm

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