甲斐国

第35話 風林火山

 海野信親は武田信玄の次男でありながら、平和主義者であった。

 その為、幼少期から武士になる事を嫌い、僧侶として生きる事を選んだ。

 先天性の眼病で失明していた事もあり、誰も反対派は居なかった。

・境内地2万坪

・寺領2千石

 を誇る武田家と縁が深い長延寺で修行を積み、親兄弟が戦いに明け暮れる中、彼は花鳥風月を愛し、カウンセラーの様に人々に相談に乗った。

 この平和な日常が終生、続くもの。

 そう信親は、考えていたのだが、戦国の世はそれを許さなかった。

 万和元(1576)年のある日。

 幽閉先から脱出した義信が兵を集め、勝頼等を討った。

 信玄が病没した直後であった為、家全体が動揺していた中を狙ったのだ。

 家を乗っ取った義信は後継者を自称し、実父が進めていた上洛計画を再開する。

 国民を強制徴兵し、独裁化を強める義信に対し、24人もの名将達は反旗を翻し、信親の下に集った。

 沢山の兵と共に。

 結果、武田家は義信派と信親派に分断されたのである。

「……幸隆、大河と言う男は、真田に所縁ゆかりのある者なのか?」

「いえ。同姓でしょう。親族にその様な者は居りませぬ」

 大河は、真田氏でも有名であった。

 然し、突如出現した新参者があれよあれよと言う間に山城国守になり、挙句の果てには、当時の女帝と世紀の結婚を果たしているのだから、興味がそそらない訳が無い。

”監獄レスラー”そっくりな幸隆は、続ける。

「ただ、伝令によると、今夕にも入国出来る予定です」

「今、どの辺に?」

「駿河国(現・静岡県の一部)かと」

「分かった。待とう」

 朝廷からの使者でもある大河は今、信親派の心の支えだ。

 彼を指名したのは万が一、真田姓を名乗っている数少ない希望的観測からに過ぎない。

 若し薄情な人間であったら、信親派は終わりだ。

「……阿弥陀如来様あみだにょらいさま親鸞聖人しんらんしょうにん、お助け下さい」

 数珠を掴み信親は、只管ひたすら祈るのであった。


 駿河国は元々、今川氏が支配していたが、桶狭間合戦後、急速に衰退。

 徳川氏、武田氏の挟撃に遭い、滅亡。

 WWIIの独蘇に分割されたポーランドの様に、駿河国は両家が綺麗に半分こしている。

 一行は幸隆の予測通り、既に武田領駿河国に入っていた。

 商人に偽装した大河達は、駿河湾を望む茶屋で休息中である。

「「……」」

 謙信と共に静岡茶をまったり飲んでいると、

「真田は信玄の事、どう思ってるの?」

 ふと謙信が、尋ねて来た。

 大河の横に居る小太郎も聞き入っている。

「どう、とは?」

「強いとか、そういうの」

「……『風林火山』は、好きだな。彼が作る幕府も見たかった」

「……」

「済まんな。謙信を否定する気は無い―――」

「大丈夫。気を遣ってくれて有難う」

 ごろんと謙信は、大河に寄り添う。

 武田領の住民は、この女性を謙信とは思わないだろう。

 どの姫武将もうだが、彼女達の敵国は彼女達を化物の様に宣伝している為、誰も気付かないのだ。

「私も尼僧じゃなかったら、彼の様になっていたかもしれないわ。誰も天下人を目指すのは、当然だから」

「……」

 人目もはばからず、大河は謙信を抱擁する。

「当然じゃないよ。謙信の生き方も格好良くて好きだから」

「もー、恥ずかしいわ♡」

 2人がイチャイチャしていると、2杯目の静岡茶が来た。

 美人女性店員は、2人を見て微笑む。

「あら? 若夫婦ですか? お熱いですねぇ」

 大河は、そのままの状態で答える。

 茶々だったら恥ずかしさの余り、暴れていただろう。

「済みません。新婚なんで」

「いえいえ。誰でも熱くなりますよ。先程、信玄公のお話をされていましたね?」

「はい」

「支持者でしたら喜んでいる事でしょう。一騎当千と龍からお褒め頂いているのですから」

「そうだと良いんですが」

 苦笑いしつつも、大河は違和感を覚えた。

(一騎当千? 龍? 若しかして俺達の事か?)

 と、同時に小太郎がクナイを隠し持つ。

 不審者と認定した様だ。

「やはり、バレちゃいましたか♡」

 うふふと微笑んだかと思うと、女性店員は自分の髪の毛を掴む。

 そして引っ張った。

「「「!」」」

 ずるっと、髪の毛が抜ける。

 かつらだと判ったのは、その数瞬後の事であった。

 彼女は大河の前で、土下座する。

「騙した事を御詫びします。私は松姫。『信松尼しんしょうに』という戒名で活動させて頂いています」

 史実で織田信忠の婚約者になった武田信玄の五女だ。

 永禄4(1561)年生まれ。

 万和元(1576)年現在、15歳の美しい、比丘尼びくにである。

「兄に呼ばれた真田様ですね? 是非、武田を―――我が国を御救い下さい」

「……顔をお上げ下さい。海野信親殿は?」

「長延寺に居ます。付いて来て下さい」

 信松尼が目線を配ると、行き交っていた市民が足を止め、大河達を見た。

 全員、便衣兵べんいへいの様だ。

「「「……」」」

「安心して下さい。彼は、真田様です」

「「「……」」」

 武田軍は、殺気を静める。

 然し、その多くが未だ暗器から手を離さない。

 織田軍の使者でも信用しない、と言う意思の様だ。

 

 信松尼の案内の下、一行は長延寺に到着した。

 風林火山の軍旗を掲げ、甲斐国の半分を支配し、義信派と内戦下にある。

 兵力は、信親派が、5万。

 義信派が10万。

 分かる通り、2倍だ。

 然し、信親派には武田家が誇る24人の名将が属している。

 その多くが前線に居り、義信派と対峙していた。

 その為、信親の下には、四天王しかいない。

「我が国は、初めてですか?」

「はい。御歓待頂き有難う御座います」

「いえいえ。当然の事です」

 寺では、沢山の武田の武将が、待っていた。

「「「……」」」

 彼等は、一様に大河を見ている。

 六文銭の家紋が無いのに真田氏を自称しているのが、不信感の理由なのだろう。

「それで、信玄様に御焼香しても?」

「どうぞ」

「有難う御座います」

 大河は、謙信と共に仏壇の前迄来ると、

「「……」」

 祈る。

 小太郎も背後で欠かさない。

「……有難う御座いました」

 深々と謙信が、御辞儀すると、

「上杉謙信様、仇敵の為に有難う御座います」

「「「!」」」

 家臣団が、目を剥く。

 が、襲いかかる事は無い。

 ここでも、「上杉謙信は結婚し、上杉家から離れた」との噂が立っていたのだ。

「「「……」」」

 家臣団の注目が、謙信に集まる中、

「それで俺は、如何すれば良いんです?」

 自然に大河が謙信の前に移動した。

 その目には、怒りの色がある。

『手を出したら殺す』

 と。

「「「……」」」

 大河の気迫に押され、家臣団は会釈して下がる。

 悪気があった訳ではない。

 全て、家を守る為だ。

「彼等を責めないで下さい。川中島で戦った仲ですから」

 信松尼が擁護し、

「(有難う。私の為に)」

 謙信が囁いた為、大河は、殺気を解く。

「単刀直入に申し上げます。義信を討って頂きたい」

「「「……」」」

「仏の道に反している事は分かっています。然し、異母兄等、多数の家族を討ちました。さぞかし無念だったでしょう」

 床に額が引っ付く程、信松尼が頭を下げた。

「汚い仕事を頼んでしまい、申し訳御座いません」

「……気を遣わないで下さい。それが、自分の仕事ですから」

 自衛官時代も国民の為に尽くしていたのに、極左系プロ市民や左派政党に嫌がらせされたものだ。

 その時に玄人として仕事に徹する事を覚えた。

「無償では、流石に申し訳御座いませんので、対価を御用意させて頂いています」

「いえ、公務員ですので、それは、賄賂に当たり―――」

「お金ではありません。私です」

「「「!」」」

「御迷惑をかけている以上、私が人質として京に参ります」

「……」

 家臣団の方を見ると、彼等は渋々だが、頷いている。

 その表情から察するに説得はしたものの、信松尼が聞き入れなかった様だ。

 人質は現代では事件が多いが、この戦国の世では、よくある話である。

 徳川家康は幼少期、秦の始皇帝の様に人質としてたらい回しにされた。

 前田利家の妻・まつも、江戸幕府に謀反の嫌疑がかけられた際、人質として上京した。

「故郷を離れるのは辛いですが、聞く所によれば、真田様は好色家である短所がある一方、女性に優しい為、私の味方になって下さるでしょう」

「……」

 大河を勘違いしている様な節だが、中らずと雖も遠からず。

 信松尼は、続ける。

「真田様が御望みなら、謙信様同様、還俗して側室になる事も構いません―――」

「! 今、何と?」

「謙信様が恋い慕う御相手ですから、興味があります。是非、人質として連れて行って下さい」

「うーん……」

 困っていると、謙信が助け船を出す。

「真田は、金精神こんせいしんの様な御人おひとだから、尼僧のままでも結婚出来るわよ」

「え?」

「この男はね。既存の概念を根っから覆す織田信長の様な改革者だから。ね?」

「そこまでの人間か如何かは分からんが、こっちでは、僧侶でも尼僧でも結婚出来るわ」

「本当なんですか?」

 家臣団も、混乱している。

「(僧侶が結婚出来る何て凄いな)」

「(ああ、戒律に反しているのに)」

 僧侶が結婚出来る様になったのは、明治時代以降の事だ。

 明治5(1872)年に太政官布告が出され、『自今僧侶肉食妻帯蓄髪等可為勝手事(今より僧侶の肉食・妻帯・蓄髪等勝手たるべし事)』と、自由化された。

 現代では、キリスト教徒と尼僧の夫婦が居る位である。

 山城守である大河は、仏教勢力の力を更に削ぐ為に、この布告を約300年以上、早めに出し、今では僧侶の既婚者も徐々に増えつつあった。

「結婚は流石に難しいが、人質の話は嬉しい。信玄様の御話は、聞きたいので」

「有難う御座います」

 と、隻眼の武者が、転げる様に入って来た。

「勘助?」

「御挨拶も無し、上がり込んで申し訳御座いません! 先程、義信から矢文が届きました!」

「有難う」

 信松尼が、開封する。

「! 真田様に……」

「はい?」

 受け取って、読む。

 ―――

『拝啓 真田山城守大河殿

 貴殿の愛妻・楠殿を捕らえた。

 返して欲しければ、撤退し、私を甲斐守に認める様、織田に伝えよ。

 回答期限は、3日以内とする。

 もし条件が飲めない場合は、国内法に基づき、処断する。

                     武田家当主・武田義信』

 ―――

 手紙には、簀巻すまきで拘束されていた楠の画が、同封されていた。

「……」

「申し訳御座いません。奥方様を巻き込んでしまい……」

 オロオロとする信松尼。

「いえ」

 大河は、短く答えた後、謙信に見せた。

「……! これって―――」

「そうだ。恐らく、俺を追ったんだろう」

「う!」

「ひえ……」

 謙信と小太郎は、飛び退いた。

「「「……!」」」

 信松尼や家臣団も、距離を取る。

 大河の背後に鬼が、居たからだ。

 オーラである事は間違いないのだが、棍棒を持った赤い肌の鬼は、確実に大河が激怒していた事を表していた。

「信松尼殿」

「は、はぃ……」

 震えつつ、信松尼は居住まいを正す。

 部下達の手前、弱い所は、極力見せられない。

「北条との同盟は、未だに友好関係ですか?」

 甲相駿三国同盟は、今川家の滅亡と共に崩れた。

 これにより、武田氏と北条氏の関係も悪化し、同盟は解消された。

 その後、北条氏は上杉氏に接近し、越相同盟が成立。

 これに対抗する形で、武田氏も里見氏と甲房同盟を結んだ。

「残念ながら……」

「そうですか」

 時間の逆説で未だに有効かと思ったが、流石にこれは、正史通りの様だ。

「じゃあ、この件は、Bプランと行くか」

「え?」

「小太郎、氏康に派兵させろ」

「! は、はい!」

「何を―――」

「『雨降って地固まる』。氏康と挟撃し、義信を討ちましょう。自分も参戦しますから」

 これ見よがしに村雨を抜刀する。

「信松尼様、御手数ですが、再び、京に早馬を御送りして下さい」

「? 何故です?」

「我が軍の一部を派兵します」

「!」

 見廻組の参戦に、家臣団は、立ち上がった。

「何と! あの最強の部隊を?」

「一向宗との戦の話は、こちらでも有名です! これで戦争は、勝てるぞ!」

 厭戦えんせん気分が漂っていた信親派は、一気に戦勝ムードだ。

「真田様。見廻組は、私兵なんですか?」

「いえ、国軍です」

「でしたら、公私混同になるのでは?」

「人質は、山城国の民です。救出作戦と判断しました。作戦終了後は、速やかに撤退します故、御安心を」

「……分かりました。異母兄・信親に伝えます」

 見廻組、信親派、北条軍VS.義信派の開戦が、近付いていた。

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