第31話 知足安分

 風魔小太郎が大河の専属奴婢になったには、直ぐに広まった。

 と言うのも、大河が彼女に首輪を装着させ、生活させているからだ。

「小太郎、今日の訓練の報告書、書いとけよ」

「はいです!」

 襤褸ぼろを着た彼女は、真面目に書き始める。

 奴婢になって数日、色々調教され(意味深)、今やすっかり愛玩奴隷となっていた。

「組長、犬なら私がなりますが?」

「望月、気持ちは嬉しいが、君は副長だ。その必要は無いよ」

「は、はぁ……」

 小太郎の下腹部には、しっかりと『奴婢』の2文字が、刻印されている。

 厳密には刺青では無いのだが、傷付いた彼女を貰う男性は中々居ない。

 何故なら刺青をしている人物は、前科者だからだ。

「兄者、叔父上様が、安土に幕府を開くんだって」

 孫のように膝に乗っているお江が、見上げる。

「そうか。じゃあ、日ノ本が統一出来たな」

「真田、まだ早いわ」

 謙信が、金平糖をかじりつつ言う。

「分からず屋共が大勢居るから」

「そうだな。それが問題だ」

 征夷大将軍に就任した織田信長の反対派は、未だに多い。

 特に信長包囲網に参加していた、

・紀伊国(現・和歌山県)              :鈴木氏

・大和国(現・奈良県)               :松永久秀

・摂津国(現・大阪府)               :荒木村重

・丹波国(現・京都府中部、兵庫県北東部、大阪府北部):波多野秀治

 等は朝廷に密使を送り、「惣無事令そうぶじれいに違反しているのは自覚しているが、防衛戦争であって朝廷に決して敵対する意思は無い」と理解を求めている。

 この他の一部の戦国大名も使者を派遣していないだけで、同じような思いかもしれない。

「組長!」

 血相を変えた部下が、私室に入って来た。

「大変です! 島津が琉球国に侵攻しました!」

「「「!」」」

 女性陣は一斉に驚くも、正史を知っている大河には、予想出来ていた事だ。

「制圧したんだろう?」

「! よく、御存知で……?」

「明と戦争にならなければ、良いが」

 琉球国は元々独立国であったが、島津と明の両国に攻められ、国内は親島津派と親明派に分裂していた。

 ハワイ王国が共和制にまる直前のような状況だ。

 ただ、島津が琉球侵攻するのは、慶長14(1609)年の事。

 天正4(1576)年に行われるのまでは、予想出来なかったが。

「大河、これって明確な惣無事令違反だよね?」

「『明確』とは言い難いな」

「へ?」

 指摘した誾千代は、首を傾げた。

「そもそも、島津は琉球国の領有権を主張し、実際に半分だが領有していた。もう半分を統一の為に取り戻した、とも解釈出来る」

「……」

「ただ、これ以上の戦争は、流石に惣無事令の件があるから、流石にしないだろうが」

「明との戦争には、ならないわ」

 楠が自信満々に告げる。

「明の皇帝は、幼帝。財政も再建の真っ最中。上様は全て計算した上での武力行使よ」

「「「……」」」

 明は隆慶6(1572)年に万暦帝(14代)が、10歳で帝位に就いた。

 然し、幼帝に政権運営はほぼ不可能の為、最初の10年間は、内閣大学士・張居正が政権を掌握し、改革を担っている。

 その身は辣腕家らつわんかだが、その強引さが敵を作り過ぎ、万暦帝が政治に関心を喪失し、張居正死後、明は急速に衰退。

 滅亡する要因の一つとなった。

 島津は明と国境を接している事で、事細かに明の状況を客観視し、今が好機と判断したのだろう。

 織田信長が、征夷大将軍になった事で羽柴秀吉(豊臣秀吉)の朝鮮出兵の可能性が低くなった。

 もっとも正史でもこの朝鮮出兵で、明の国力が疲弊し、琉球支援の為に派兵が出来ず、そのまま滅亡している所を見ると、この世界線でも明の滅亡はほぼ平常運転と言えるだろう。

「どうする? 陛下に御報告するの?」

 楠は、不安そうだ。

 島津が処分されるのでは? と思っているのだろう。

「報告はするが、島津の言い分を聞いてからだな。状況だけで判断するのは、島津の反感を買う」

「そうね」

「楠、御所に行こう。俺も一応は、島津の人間だ。擁護しなければならない」

「!」

「望月、馬を用意しろ! 小太郎、服を着ろ! 行くぞ!」

「「は!」」

 一瞬にして、仕事人の表情になった大河。

 離れ離れになるのは、辛いが女性陣は、この顔がとても好きだ。

 誾千代、茶々、お初、千姫は其々それぞれ思う。

(格好良いわ……♡)

(真田様、流石、私が見惚れた武人です……♡)

(格好良いのは、認めるわ)

(今晩は、目一杯愛しましょう♡)

 状況が未だに掴み切れていないお江は「?」だ。

 望月と小太郎が去った後、

「済まんな、お江。ちょっと用事が出来た。待っててくれ」

「うん、御仕事なら仕方ないね。じゃあ、御夕飯作っとくね?」

「有難う」

 頭をなでなで。

 お江はにへらと、表情が崩れる。

 12歳とはいえ、まだまだ甘えたい盛りの様だ。

「真田、私も行くわ」

 何時の間にか、謙信も寝間着から着替えていた。

「良いのか? 折角の休日なんだから、別に無理しなくても―――」

「同僚だから当然よ。勿論、休日出勤だから、貴方に給金を請求するけどね?」

「分かってるよ」

 大河は微笑んで、謙信と手を繋いだ。

 これから仕事である。


 御所には、既に島津からの使者が到着し、状況説明を行っていた。

『全く、島津も早まりよって』

 朝顔は、扇子を噛む。

 徳川家康の様に。

『真田、どう思う?』

「島津家の一員として貴久様の御判断には、理解出来る部分があります。ですが、惣無事令に違反しているとも解釈出来ています」

『では処罰は、どうすれば良い?』

「厳重注意が妥当かと。但し、次はそれ相応の処分が必要でしょう」

「分かった。織田にもその様に伝え様」

 政治的な権限は、信長に移行しているが、惣無事令の発令者は、他ならぬ朝顔だ。

 これに関しては、朝顔が責任を持って対応しなければならない。

『……然し、真田よ。又、新顔が増えたな?』

 御簾越しに朝顔は、小太郎を凝視する。

『くノ一か?』

「御存知なんですか?」

『ああ、女官から聞いた』

 ぶっきら棒な口調だ。

 何処か内心怒っている様なそれに大河は、震えた。

(何か機嫌を損ねたっけ?)

『本当に貴殿は、好色家だな? 朕がどれ程の想いで悩んでいるか、知らぬだろう?』

「……?」

 エンジンがかかった様に朝顔は、不機嫌になっていく。

『朕は―――』

「陛下、半休取って遊びに行きましょう」

 謙信が、提案する。

 仲が良いからこその時機だった様で、

『うむ……分かった』

 素直に朝顔は、応じた。

『では、大河。貴殿は、朕の女心をもてあそんだ罰だ。午後は、朕と遊べ』

「は、はい?」

『逢引には、朕と大河以外の一切の同行者は認めぬ。以上』

 勢いのまま、逢引が決まった。


 嵐山に観光に行った2人。

 残念ながら同行を認められなかった4人は、城に戻る以外に無い。

「主って、陛下と親しいんですね?」

「本当、困った組長よ」

「まぁねぇ」

 彼女達は、謙信の部屋に居た。

 因みに楠はさっさと自室に戻り、大河の観察日誌を書いている為、この場には居ない。

「ねぇ、小太郎ちゃん。最初はあれ程、真田の事を嫌っていたのに、今は妄信しているけれど、何をされたの?」

「!」

 それは、望月も知りたい事だ。

「はい! 主に抱かれたのです!」

「……」

 前言撤回。

 まさかの噂通りだった。

「嫌じゃなかったの?」

「布団の上での主は、本当に御優しい方で、大事にして下さいました」

「そうね。真田は、技巧家だから」

 謙信も納得する。

 望月は抱かれた事は無いが、大河と関係を持った女性陣は皆、一様に喜んでいる為、顔に似合わず技巧家テクニシャンなのかもしれない。

「主は、奴婢の私を丁重に扱って下さいました」

「そうでしょう? 真田は女性を大事にしてくれるからね。多分、お初も、じき好きになるよ。望月は好き?」

「!」

 突如聞かれ、望月は困った。

「……私は……その……」

「御免ね、意地悪な質問をして。好きなんでしょう?」

「!」

 はっと謙信を見ると、慈母の様に微笑んでいた。

「真田はその辺の所は、馬鹿だよね。貴女を見れば貴女が真田に恋してるなんて分かるのに」

「……」

「立候補してみたら?」

「いえ、私の様な、皮膚病は―――」

「大河は、それでも包み込むわよ。だって、不妊症の誾を正妻にしたんだし」

「……」

 不妊症と皮膚病は訳が違う様な気がするが、跡継ぎを重視する武家社会で、不妊症の女性を正妻にするのは、異例だろう。

 実家と絶縁し、大河と過ごす誾千代は余り親しくない望月から見ても、心底幸せそうに見える。

「只、もう帝が正室になったら締め切るかもね」

「「え!」」

 望月と小太郎の声が、被った。

「退位後の話だけどね。真田も多分、乗り気だし」

「陛下が……?」

「主、凄いです」

 小太郎は、改めて尊敬を深める。

「真田とは妻の多さを話し合っているわ。多分、そろそろ締め切ると思う。幾ら城主といえども、人件費は、かかるしね」

「……」

 従五位・山城守である大河は、収入の大部分を領民から徴収している税収に頼っている。

 明智光秀等の様に領民から名君として慕われている為、領民が喜んで納税している為、減収や反乱の不安は無いのだが。

 それでも妻が増えると、やはり、諸経費が増額化してしまう。

「望月、彼を恋い慕うのは良いけれど、後悔だけはしなさんな。良いね?」

「……謙信様は、如何やって?」

「求婚を続けていたら彼が、受け入れてくれたのよ。私の場合が、全て適用されるとは思わないけれど」

「……」

「告白するなら、早めにね?」

「……はい」

 女性陣の指導者的立場にある謙信の助言に、望月は深く頷くのであった。


 嵐山の渡月橋に朝顔は、感動する。

「初めて来たわ。綺麗な場所ね?」

 3月なので、岸の桜も美しい。

 多くの観光客が、花見を行っている。

「真田、抱っこして」

「は」

 言われた通り、抱っこし、朝顔は、川を覗き込む。

 水は透き通り、川魚が悠然と動いている。

「……ここも整備したのか?」

「はい」

「流石だな」

 今度は、空を見上げる。

「『くまなき月の渡るに似る』」

 渡月橋の語源となった亀山上皇(90代天皇)の感想だ。

「……なぁ、真田」

「はい」

「若し、朕が退位したら結婚してくれるか?」

「……」

「若しだ。答えてくれ」

 振り返った朝顔は、今にも泣き出しそうだ。

 体は震え、寒いのに汗ばんでいる。

「……喜んで御受け致します」

「! 本当か?」

「はい。謙信から聞いていましたから―――」

「な、あ奴―――」

 動揺し、朝顔は、じたばたと震える。

 その拍子に大河の手から滑り落ち、川に落ちた。

「な―――」

 直後、大河は手摺てすりを踏み蹴って跳躍し、朝顔を抱きとめる。

 そして2人は、桂川に落下した。


 現在の渡月橋は、昭和9(1934)年に完成された物で、戦国時代のそれとは違う。

 桂川は浅瀬の為、若し、人が落下した場合、頭や首を打ち付け、死亡する事が多いだろう。

 が、2人の落下地点は滝つぼの様に深く、幸い2人が死傷する事は無かった。

 木造の橋桁に2人は、背中を預けていた。

「真田、済まなかったな。これで二度目だ」

「いえいえ。無傷で良かったです」

 2人共ずぶ濡れだ。

 恐らく、風邪を引くだろう。

「いや、危険な目に短期間で二度も遭わせてしまったんだ。朕は責任を持って、真田を養う必要がある」

 大河を抱き締める朝顔。

 小さな体躯だが、国を背負っている為、その背中は、視覚以上に大きく見えた。

 雨が降って来た。

 時期的に春雨だろうか。

「……なぁ、真田」

「はい」

「もし、同情や忠誠心で快諾してくれたのなら、朕の本意ではない。撤回するなら今の内だぞ?」

「分かりました。では、撤回しましょう」

「!」

 大河が、抱き締め返す。

「大好きですよ。陛下」

「!」

 一気に朝顔は、真っ赤になる。

 謙信から話があった時、大河は、直ぐに「守らなければ」と思っていた。

 朝顔に味方が少ない事は、近衛前久や謙信から聞いていた。

 その時から、気になっていたのだ。

「無礼を御許し下さい」

「……立花より好きか?」

「! それは……無礼を重々、承知ですが、同じ位です」

「そうか。立花と並んだか。では、越えなければならんな。実力で」

 不安が払拭されたのか、朝顔は、徐々に涙を流し始める。

「うう……うう……」

 嗚咽が耳元で聞こえるも、大河は、何も言わない。

 今、彼女に出来る事は、抱擁だけだ。

 それが、大河の彼女に対する答えである。

 春雨はどんどん強くなり、やがて嗚咽おえつの音を消し去って行く。

 朝顔の大粒の涙とこれまでの苦労も、一緒に流れていくのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る