第20話 我武者羅

 顕如・教如父子による仏教国教化計画は消滅。

 義昭も行方不明後、死亡認定された為、事実上、政治の空白化が生じた。

 分かり易く言えば、ソマリアの様な無政府状態だ。

 無力化していたとはいえ、幕府は政府の役割であった。

 明等の外国の使節が来た際、幕府が窓口なのだが、幕府が消滅した事で国家間の交渉が出来なくなったのである。

 この危機に動いたのが、近衛前久だ。

 彼は第二次建武中興として、一時的に自らが左大臣に就任し、首相として政務を行う事にした。

 これは朝顔と相談して決めた事である。

 朝顔は、後醍醐天皇ほど親政には興味が無い。

 政治は専門家が行うべき、と考えているからだ。

 室町幕府が成立したのも最初の建武中興が、武家から反感を買った為にある。

 権力が朝廷に回帰した事で、全国の戦国大名は、より一層、朝廷の信任を得様とし、戦争中の合戦が次々と休戦し、その全てで和睦が成立する。

 応仁の乱から始まった戦国時代が、一時的にだが、終わったのだ。

 朝顔の願いが成就した、と言え様。

「真田、此度こたびの働きは、実に見事であった」

 御所で、朝顔に褒められる。

「これで朕の夢が、叶ったよ」

「骨を折った甲斐がありました」

「褒美は、何が欲しい?」

「何も要りませ―――」

「勅令だ。申せ」

 京を護った大河が義勇兵ボランティアだと、朝顔の世間の評価も下がってしまう。

 歴代の帝や天照大御神様も、お怒りになるだろう。

 大河が無欲でも、朝顔は何かせねばならぬだ。

「……では、大原を下さい」

 大原は、京都府京都市左京区北東部にある。

 比叡山の北西麓、高野川上流部に位置し、大原盆地は四方を山に囲まれており、高野川に沿って若狭街道が通っている。

「おお、これは、大きく出たな。何故だ?」

「見廻組の訓練場が欲しいのです」

「全く自分の為には使わないんだな」

 正直で宜しい、と朝顔は笑顔で頷く。

「分かった。やろう。ただ、分かってはいると思うが、寺院には手を出すなよ?」

「はい。心得ています」

 大原には、

・三千院

・寂光院

・来迎院

 等があり、信者も多い。

 折角、宗教戦争が下火になっているのに、不必要な争いは避けたいのが、朝顔の本心だ。

「それと謙信が、貴君に会いたがっていた」

「自分に?」

「ああ。多分、大砲の事について聞きたいのだろう」

「分かりました。後程、屋敷の方に伺います」

 朝顔と話しつつ、大河は女官達の視線が気になっていた。

 以前は汚物を見る様な目だったのだが、今はニコニコ顔だ。

 明らかに態度が、変わっている。

「……?」

「如何したの?」

「いえ、何でも御座いません。では、失礼します」

「お気を付けて」

 大河が退室後、馴染みの女官が声を掛けた。

「陛下、もう少し、声色を変えてみては如何でしょう?」

「え? 怒ってた?」

「真田様は、恐らくそう感じたかもしれません」

「うーん……」

 悩む朝顔。

 帝国旅館での大河の活躍を、彼女は望遠鏡で見ていた。

 正直な所、御所に来て欲しかったが、立場上、彼が帝国旅館を離れなかったのは、仕方の無い事だ。

 御所でも、彼の部下達が勇猛果敢に戦い、其々それぞれ、戦果を挙げている事から、教育者としても優秀なのだろう。

 当初、大河を新参者と毛嫌いしていた保守派や女官の多くも、今では彼に好意的だ。

 朝廷に敬意を払い、又、皮膚病の弱者にも、分け隔てなく接している。

 後年の皇族が癩病らいびょう政策に深く関わった様に、朝顔も関心があった。

 全国で先駆けて、山城国内に皮膚病専門の療養所を作り、専門医を派遣し、助成金を出す等の行いは、皮膚病発症者やその支援者から、深く感謝されている。

 価値観が合うのは、大河と親友になれる証拠の一つだろう。

「……銀ブラしたいなぁ」

 女官の話では最近、京の若者の間では、伏見銀座で逢引しているのが、流行っているのだと言う。

 最近、仕事ばかりで休日が無い朝顔の呟きは、女官の耳に届いていた。

「では、行幸と言う形を採れば如何でしょう?」

「! 妙案ね。何時いつにする?」

「経路等の調整が必要ですので、少々御時間が必要かとは思いますが、数日中に行ける様にしましょう」

「わーい、遊びにいけるぞー!」

 はしゃぐ幼帝に、女官達は微笑むのであった。


 御所を出た大河を誾千代達が、待っていた。

「褒められた?」

「ああ、大原を貰ったよ」

「あの広大な土地を?」

「訓練場にするんだ。土地は余るから、そこに一軒家を建てよう」

「え~、真田神社から離れるの?」

 不満を口にした楠。

 真田神社の周囲は、大都会。

 対して、大原は地方だ。

 大都会を好む楠が、嫌がる気持ちは、分からないでは無い。

「済まんな。勝手に決めて」

「じゃあ、大原のは別荘で良く無い? あそこ、交通の便、悪いから」

「それも良いな。まぁ、案の一つだよ。帰る前に上杉に行く事になった」

「何で?」

「さぁな。会いたがっているんだと」

「「……」」

 2人の顔色が、険しくなる。

「如何した?」

「貴方の事、狙っているんじゃないの? 茶々とも交際を始めた様だし、貴方、本当に無節操ね?」

 楠は不満顔だが、

「良いじゃない? 結婚したとしても全員、側室になる訳だし」

 正室・誾千代は、楽観的だ。

「そうだと良いけれど、謙信は、手強いわよ?」

「? 何かあったのか?」

「御所で貴方の話を色々と聞かれたわ。趣味とか」

「ふーん」

 興味無さげに返事する大河の前に、毘沙門天の軍旗を翻す、上杉軍の騎馬隊が、到着する。

「馬上から失礼ですが、急ぎですので、御乗り下さい」

 彼等は、1頭の馬を曳いていた。

 大河が、下関で買ったあの馬だ。

 わざわざ、真田神社に行って、馬を回収後に来た様である。

「「「……」」」

 3人は、その馬に乗る。

「御連れします」

 騎馬隊は3人を囲い、上杉邸に連れて行く。


 朝廷と親しい関係にある上杉氏は、代々、邸宅を山城国内に持っている。

 江戸時代の藩邸の様な物で、京にあるのは、上杉氏の持ち家で、普段は上杉軍が武装して守っている。

 現代に例えると、在日米軍の方が、解釈し易いかもしれない。

 尤も、在日米軍は、思いやり予算で駐留しているが、上杉軍は無償で居る。

 上杉軍は、朝廷の義勇軍なのだ。

「よくぞ来た」

 屋敷には、謙信が待っていた。

 三姉妹と千姫、稲姫と共に。

「あら? お市様は?」

「帰りました。伯父上様の命令で」

 茶々が擦り寄って来て、大河の横に座る。

 そして、正室・誾千代に挨拶した。

「初めまして。茶々と申します。御逢い出来て光栄であります」

「立花誾千代よ、宜しく」

 正室の立場上、誾千代が、上から目線で応じるが、茶々も負けていない。

 これ見よがしに、大河の手を握る。

「んな―――」

「誾千代様、今後は、末永く、私達を見守って下されば幸いです」

「な―――」

 誾千代の変な声が、止まらない。

 まるで壊れたラジオの様だ。

「私は、真田様と結婚する意思を決めました。伯父上様、母上様も快諾しています」

「……茶々、ちょっと良いか?」

「何です?」

 にこやかな笑顔が、何故か怖い。

「いやに決断が早くないか? もう少し、御互いを知った方が―――」

「昨日、拝見しまして、獅子奮迅の戦いぶりを感銘を受け、姉妹共々、嫁入りする決意が出来ました」

「!」

「兄上」

「兄者」

 両脇にお初、お江の姉妹が現れ、がっちりホールド。

「妻になってあげるんだから、感謝しなさい」

「兄者、大好き♡」

 ツンデレなお初と素直なお江は、非常に対照的だ。

 武家に産まれた彼女達は、人並みの武士は見慣れている。

 然し、大河の様な強過ぎる武士は、見た事が無い。

「はっはっはっはっは。真田はモテるな。流石、私が惚れ込んだ男だ」

 酒に酔っている謙信は、大河に吐息を吹きかける。

 ここに居る稲姫以外の女性陣は全員、大河に好意的だ。

「……」

 誾千代に助けを求めるも、彼女は、

「あわわわわ……」

 口から泡を吹き、倒れた。

 余りの衝撃度に驚き過ぎた様だ。

 楠に介抱され、2人、別室に行く。

 これで、大河の味方は居なくなった。

「……ええっと、茶々?」

「なぁに?」

「気持ちは有難い。でも、約束したばかりなのに、それを急ぐのは、正直、早過ぎる。俺達は、まだ夫婦じゃない」

「慎重派なんですね」

 大河に抱き着き、その頬に頬擦り。

「でも、私達は、第六天魔王の姪です。貴方を尻に敷きます」

「だったら離縁だな―――」

「出来ません。好きになったら一直線です」

「……家は、どうするんだ?」

「一旦は、岐阜城に戻り、引っ越しの準備をしますわ。二条城で待機の程、御願いします」

「何?」

 二条城の築城年は、慶長8(1603)年だ。

 天正4(1576)年のこの時期には無い。

「あら? 知りませんの? 義昭の廃城を真田様が、所有するのですわ」

「……」

 二条城は複数あり、茶々の言う二条城は、信長が仲が良かった時期の義昭の為に築城した物の様だ。

 徳川家康が築城した物と、混同を避ける為に、この城は二条古城と呼称される場合がある。

 この二条古城は義昭死亡認定後、廃城とされ、その所有権は曖昧だ。

 現代ではその跡地には、ポツンと碑があるだけで、その陰も形も無い。

 然し、ここでは主を失くし、廃城宣告されても尚、鎮座しているのだった。

「ほら、御所からも近し、通勤も便利ですわよ」

 千姫が、地図を持ってきて、加勢する。

(……真田本城か上田城が良かったな)

 偽名の為、真田に別段、何の思い入れも無い。

 だが、ここまで来たら、信濃国の真田氏発祥地に行ってみたくなってきた。

 信濃国は、織田と武田に分割されており、又、仕事の方が忙しい為、ほぼ不可能だが。

 ちらっと、稲姫を見る。

「……」

 丁重に扱えよ?

 と言った無言の圧を犇々と伝わっている。

 断っても「何故、断る?」と激怒されそうで、厚遇してもちょっと泣かしただけで誠の様に背後からぶっ刺されそうな未来を、大河は、想像してしまう。

(……九州の時点で北上を止めときゃ、誾千代だけで済んだかもなぁ)

 今更ながら遅過ぎる後悔をするのであった。


 信長の目の上の瘤であった義昭が失踪した為、織田と朝廷の和睦が決定した。

 信長は朝顔に親書を送り、入国を許可され、遂に織田軍が全国に先駆けて上洛を決めた

 入京した織田軍は、「朝廷とは敵対しない」との意思表示を示す為、火縄銃の弾を装填せず、刀も納めたままで、軍事行進する。

 それまで、水面下で行っていた朝廷に対する姿勢から、「織田信長=危険人物に非ず」との宣伝が朝廷の広報部より行われ、それが市民にも浸透し、織田軍は熱烈な歓迎を受けた。

 沿道の市民は、織田瓜の家紋が入った和装を着て、一部の市民は、その軍旗を掲げる程だ。

 その様は、連合軍のパリ解放に喜ぶパリ市民の如く。

 SNSが無いこの時代、朝廷の機関紙の瓦版が唯一の情報源の為、市民は瓦版の記事通り、「織田信長=次期征夷大将軍内定」と感じ取っているのだ。

 ダンディーな口髭を蓄え、緑色のかみしもを着た信長は、馬上で感心した。

「流石、何百年もの間、京の支配者である朝廷だ。市民をこれほどまでに操るとは。なぁ、蘭丸よ?」

「はい」

 馬を曳く某大手男性アイドル芸能事務所のジュニアの様な美少年は、頷く。

「建武中興で怒った尊氏でさえ、朝廷を討ち滅ぼす事はありませんでしたので、その時期には、既に反感を逸らす様な情報操作が出来ていたのではないでしょうか?」

「うむ。その様な輩は、現在まで生臭坊主だけだしな。我々も市民からの支持を得て、政治をしなければならない」

 暴君の様な心象が強い信長だが、それは、信長包囲網の宣伝工作が原因であって、実際には非常に世間の評判を気にした人物ではあった。

 異見十七ヶ条(*1)や佐久間信盛に対する折檻状等の資料を根拠に、信長が世間の評判を非常に重視し、更に彼はその時代の常識に則った行動を取り、人々からの支持を得様と努めていたと言う(*2)。

 この他、秀吉の女癖に悩む寧々ねねに対し、労いの手紙を送っている事例もある様に、気遣いの出来る人だ。

「今後は、如何します?」

「然うだなぁ。先ずは逢おうか。真田と言う一騎当千に」

「おお、自分も会ってみたいですね」

「うむ。市の話では、既に姪達も夢中だしな。じき、義理の息子になるだろう」

 長政の死後、心を閉ざす事が多かった三姉妹が、夢中になるのは、信長の予想以上の人物と言えるだろう。

 天正4(1576)年2月。

 史実の永禄11(1568)年から遅れて8年後の事。

 遂に織田信長の上洛が遂に行われたのであった。


[参考文献・出典]

*1:『信長公記』

*2:神田千里 『織田信長』 筑摩書房〈ちくま新書1093〉2014

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