第18話 適者生存

 日ノ本各地の戦国大名は、朝廷の命令には聞くが、室町幕府のそれは無視だ。

 現代で言えば勅令には素直に応じるが、内閣の指示には一切従わない、と言う様な具合だろう。

 平安京の15代将軍・義昭は扇子を噛んでいた。

「……」

 憎く思っているのは、新参者・大河だ。

 彼と比べると、数倍も大きい体なのは義昭が権力に酔い、暴飲暴食を行っているからだ。

 今では御輿みこしに乗ると、肉がみ出す程、贅肉ぜいにくかたまりと化している。

 尊氏の時代から、足利家に仕えていた忠臣達は、彼の無能化に愛想を尽かし、隠居か他家への転職を選んだ。

 残留者は、義昭の権力のおこぼれを狙う無能揃いと来ている。

 この代で延元元(1336)年以来、200年以上続く、室町幕府の終焉が近付いている事は誰の目で見ても明らかだろう。

「将軍様、織田に一矢報いるのは、今が好機ですよ」

「三姉妹を討ち、反撃しましょう」

 石山本願寺の顕如と教如の親子が、提案する。

「……僧兵は、どの位用意出来る?」

「市民に紛れ込んだ便衣兵が、1千名居ます。帝国旅館を襲わせましょう」

「見廻組は、たったの数十人。それも新兵ばかり。帝を拉致し、我が国を仏教国にしましょう」

 親子は、仏教過激派だ。

 彼等が信仰する浄土真宗以外の宗教や宗派を一切、否定する。

 カルト教団やテロ組織の表現が、的確だろう。

「……然うだな。では、私は名前を貸すだけで高みの見物と行こうか」

 にやりと、汚い肌でわらう義昭であった。


 帝国旅館に宿泊中の大河は、不寝番だ。

 一同が眠る宿泊室の目の前の廊下で。

 M16を控え銃の姿勢で、立哨している。

 欧州より輸入した、

・赤い絨毯

・壁に掲示された虎の毛皮や象牙

 等は、ここでしか見る事が出来ない。

 護衛は、1人8時間の3交代制だ。

 稲姫と望月は、別室で休んでいる。

 当初、真面目な望月は、「私がします故、隊長は御休み下さい!」と言って聞かなかったが、「休まないなら解雇」との発言で折れたのが、つい数分前。

 望月の想いは純粋に嬉しいが、部下をぶっ通しで働かせ自分だけ休むのは、大河の本意に非ず。

 大河が厳しいのは訓練や戦闘時だけで、この様な平和な時は、そこまで厳しく無い。

「ふわぁ……」

 欠伸しつつ、暇潰しに毛皮の毛の本数を数えていると、

『真田様』

 背後のふすま越しに茶々が、声を掛けた。

『入って来て下さい』

「……」

 無視していると、襖が開く。

 青い着物の茶々が、大河の手を握った。

 握手を嫌う大河だが、悪意さえ無ければ、振り解く事は無い。

「……お願いします」

「何を?」

「夕方、真田様の言動を見て、ビビッと来る物がありました。結婚は一旦、保留になりましたが、私としては、結婚に前向きです。側室でも構いません」

「……」

 市と似た意思の強い目をしている。

「結婚を前提としたお付き合いをして下さいませんか?」

「……彼女ですか?」

「かのじょ?」

 自由恋愛が、今程盛んでは無いこの戦国時代では、親同士が勝手に決めた結婚が、一般的だ。

 彼氏彼女の概念が、無いのだろう。

「あー……今のは、忘れて下さい」

「? 分かりました。これは命令ではありませんから、断るのも真田様の自由です」

 そう言いつつ、顔が硬直している。

 振られる事も考えているのかもしれない。

 千姫ほど積極的では無い為、失恋が怖い様だ。

「茶々様が、話の通じる方で非常にありがたいです」

「……?」

「千様と比べたら、の話です」

「……済みません。彼女は悪い方では無いのですが、ことわざ通り『恋は盲目』と言った所で」

「分かっていますよ」

「お答えを聞かせて下さい」

 きっと茶々は、覚悟を決める。

 この様な意を決した時の女性の表情が、大河が強い女性に惚れ易い原因の一つだ。

 誾千代をも彷彿とさせるそれに、大河は敬意を示す。

 控え銃のM16を、左手で銃の中央部を持ちながら上に引き上げて体の中央で構え、右手で銃の下部を持つ。

 自衛隊式の捧げ銃だ。

「……?」

「未来の最敬礼の一つです。ご好意有難う御座います」

「……」

「幸せに出来るかは、自信はありませんが、交際して上手く行けば結婚しましょう。こちらこそ宜しくお願いします」

「!」

 成就10%、失恋90%の予想だったのか。

 大河の真摯な答えに、茶々は、顔を下に向けた。

「よ、宜しく御願いします」

 両耳が真っ赤で非常に分かり易い。

 正室、側室に続き、彼女(側室候補)が出来た。

 

 次の日の朝食。

 日ノ本では、珍しいバイキング料理だ。

・ソーセージ

・牛肉

・刺身

・寿司

 などが選び放題なのは、苦手な食べ物やアレルギーがある者には、配慮が行き届いている証拠だろう。

 カップルが成立した大河は、茶々の隣席だ。

 2人を市は、涙目で眺めている。

(長政様、茶々は、幸せ者ですよ)

 まだ夫婦では無いのだが、この時点で落涙していると、結婚した時は、涙が枯れ果て美しまで女は、即身成仏の様にミイラ化しているだろう。

「兄者、箸取って」

「はいよ」

「お兄様、寿司を握ってみました。食べて下さい」

「ぐちゃぐちゃだぞ?」

 三女、次女共に大河に懐いている。

 大仏に集まる鳩の様だ。

「稲、どう言う事なの?」

「さぁ? 分かりません?」

 千姫は、手巾を噛んで悔しがっている。

 親友に先を越された独身女性の如く。

 千姫だけでない。

 望月も不快だ。

(何だろう。凄い、気持ち悪い感じ)

 昨日まで慕っていた大河が、今では見るのが辛い。

 目を逸らす。

 しかし、数秒後、やっぱり見てしまう。

 大河の一挙手一投足が、気になって仕方が無い。

 お初が握った寿司もどきは、醤油がべっちょり。

 山葵わさびも罰ゲーム並に大量に塗り込まれている。

 大河の思い過ごしかもしれないが、お初の顔が怖い。

 歴史的には三女・お江が徳川秀忠の恐妻として有名だが、次女・お初も嫉妬心では、三女に負けてはいない。

 京極高次に正室として嫁いだお初は、文禄2(1593)年、夫の侍女・於崎が懐妊すると、嫉妬し殺害を企てた。

 高次の家臣・磯野信高は、赤子を預かって浪人となり、お初の機嫌が和らぐ文禄4(1595)年まで男児を匿ったという(*1)。

 仲の良い姉を大河に盗られた、と感じているのだろう。

「……」

「お姉様に良い所を見せなさい」

「お初、勿体無い。食べ物で遊んじゃ駄目でしょう?」

 茶々がたしなめるが、お初が聞く耳を持つ事は無い。

「お姉様、常日頃から『強い男性が、好み』と仰っていたでしょう?」

「それは然うですけれど……」

「真田様は行く行くは、三姉妹の夫になる者。それ相応の者でなければなりませんわ」

 出来る? と、お初は嘲笑あざわらう。

「……」

 挑発に乗るのは癪だが、このドSの鼻を圧し折りたい気持ちもある。

 大河は、寿司を頬張った。

「「「!」」」

 挑発したお初でさえ、驚く。

 山葵は、健康食品の一つだが、大量に摂取するとアリル芥子油類の害作用によって呼吸中枢を麻痺させたり胃壁等を刺激しすぎたりする場合がある(*2)。

 その致死量は、0・012ml/kg(*2)。

 計算上、山葵にアリル芥子油類が、0・1%含まれるとして、50kgの体重の大人が

一度に食べる量の上限としては600gとなる(*2)。

 大河の食べた山葵の量は、約100g。

 致死量にならならい可能性が高いが、常人ならば悶え苦しむ事は必至だ。

「……美味しいぞ?」

「……え?」

 お初は、大河の口を抉じ開けて、中身を確認する。

 何も無い。

 本当に山葵を完食したのだ。

「……真田様、大丈夫?」

「兄者、辛くないの?」

 左右から茶々とお江が、心配そうに見つめる。

「全然。よくよく考えたら、俺、味覚が壊れてるんだよ。昆虫食摂ってたから」

 中東では終盤、民主派の敗色濃厚により、物資の補給が滞り部隊の中には餓死者が出る程、食う物に困った。

 そこで大河がスペイン内戦の際、炊事兵として活躍したジャック白井の如く、炊事兵に就任し、昆虫食先進国のコスタリカ出身の兵士の協力の下、昆虫食を率先して作った。

 その見た目は、下手物で以外、何物でも無いが。

 ざざ虫等のそれは、空腹に根負けした兵士達の腹を満たし、飢餓を凌いだ。

 あの状態が続けばガダルカナル島の日本軍の如く、部隊は文字通り、地獄を見る事になっていただろう。

「……壊れてる? 如何言う事?」

「あー、間違えた。慣れてるんだよ」

 茶々が酷く心配した表情になった為、慌てて、大河は訂正する。

 基本的に大河は、秘密主主義者だ。

 自分の事は極力、話したくない。

 もっぱら、傾聴に重きを置く。

「夫婦生活の楽しみが増えましたわ」

 途端、茶々は笑顔に。

「真田様が味覚音痴ならば、私がどれ程料理に失敗しても良いですわよね?」

「良いよ。『失敗は成功の母』だ。ただ食べ物は、無駄にするなよ?」

「分かっていますわ」

 えへへと茶々は、微笑む。

(ぐぬぬ)

(……)

 千姫と望月が、ぎょろ目で大河を見詰めていた事を女性関係に能天気な彼は知る由も無かった。

 

 帝国旅館を出る寸前、大河の下に情報が届けられる。

 義昭が石山本願寺の過激派と組んで帝国旅館襲撃を企図している、と。

 大河が、検非違使の時代から重視していた情報力が、直ぐに機能したのは、創設者として喜ばしい。

「どうします? 軍備を増強し―――」

「その必要は無い」

 部下の進言を躊躇無く、大河は却下した。

「え? ですが―――」

「増強した場合、向こうは情報漏洩を悟り、攻撃を止める筈だ。御所の方は?」

「代理の立花様が、上杉軍と共に警備しています」

「なら、お前達は、御所を守れ。ここは数人で十分だ」

「!」

「久し振りに狩りが楽しめそうだ」

 口角を限界まで吊り上げて嗤う大河。

 それに部下は、何も言い返す事が出来なかった。

 適者生存。

 戦争が、始まる。


[参考文献・出典]

*1: 西島太郎「京極忠高の出生―侍女於崎をめぐる高次・初・マリア・龍子―」『松江歴史館研究紀要』1号 2011年

*2:ワサビ―栽培から加工・売り方まで  新特産シリーズ

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