第13話 明眸皓歯

 天正4(1576)年元旦。

 大晦日から降り続ける雪の中を、大河は歩いていた。

 雨合羽を羽織り、村雨丸の鞘と柄には袋が被せ、背負っているギターケースの様な木箱にはM16が収納されている。

 お供は大河同様、和装した楠と誾千代。

 2人は、

「「……」」

 今にも嘔吐しそうなほど、緊張している。

「大河ぁ……帰りたい」

「誾千代、不敬だぞ?」

「……うん」

 大河と違い、2人が緊張しているのは、これから会う御仁が原因だ。

 楠が青褪あおざめた顔で言う。

「貴方、いつの間に陛下の御親友に?」

「親友じゃないよ。直臣じきしんだ」

「それでも凄いじゃない」

 山城国に住み着いて以降の功績が認められ、大河は今日きょうより、帝の正式な直臣となったのだ。

 役職名は、『山城国検非違使別当』。

 現代語訳すると、「京都国警察庁長官」が1番分かり易いかもしれない。

 推薦者は北面武士だ。

 彼等は徳川方との喧騒事件の際、大河の実力を調査し、その力を認めた。

 無位無官から一気に、警察庁長官は現代でも無理である。

 口を抑えつつ、誾千代は、尋ねる。

「でも、どうして御受けになったの?」

「ありがたい話だよ」

「無欲じゃなかったっけ?」

「上司が帝だ。こんな好機は滅多に無い。逃すと罰が当たるって物だ」

「「……」」

 珍しく今日の大河は、笑顔が多い。

 心底嬉しいのだろう。

 無論、2人も夫が遂に就職するのは、大賛成だ。

 もっとも勤務先が、御所とは思わなかったが。

 3人が御所に着くと、北面武士は腰を低くして開門する。

「「「どうぞ」」」

 火縄銃から弾を抜き、日本刀を地面に置いた。

 貴方達には一切敵対行為を働きませんよ、と言う最敬礼の証だ。

「どうも」

「「……」」

 大河が会釈し、2人もそれに倣う。

 浪人が長官になるのは、朝廷始まって以来の事だ。

 中に入ると、真っ赤な旗印に『琵』を翻した軍団が居た。

「……上杉家?」

 緊張した面持ちの楠が答える。

「そうよ。謙信が部隊の一部を派兵し、御所を守らせてるのよ。義の御方だからね」

「成程」

 上杉軍は、3人を見ても微動だにしない。

 話は伝わっている筈だが、やはり大河が武装している為、警戒しているのだろう。

 直立不動の上杉軍を横目に3人は、御所に入った。


 任命式は、非常に簡素だ。

 新任者が来て、朝顔の玉璽を押印された任命書を女官から受け取るだけ。

 短くて数秒。

 長くて数十秒程で、どれ程時間が経っても1分以内に終わる。

 これは、朝顔が「式典にお金を掛け過ぎ」と言う鶴の一声で簡素化した為だ。

 元々は、即位式並に莫大な費用が掛かっていたが、経費は国民の税金から成り立っている。

「たかが役人の任命式で即位式程の高額費用が必要不可欠なのか?」

「浮いた費用は、他の足りない予算に回すべきでは?」

 と言う朝顔の正論が通り、余った経費は、

・道路整備費用

・公務員の賞与

・防衛費

 などに回されているのだ。

 なので例年通り、任命書を受け取り、式典は終了する。

 残り7時間59分30秒は、自由時間だ。

「あー、緊張した。厠に入って来る」

「私も」

 妻達は、一目散に厠に駆けて行く。

 相当、緊張したのだろう。

 残された大河は、やる事が無い為、取り敢えず御所内を散策する。

「……ほぅ」

『上杉軍詰め所』

 と、書かれた部屋を見付けた。

 上杉軍とは職務が違うが、広義では同僚になる。

 ここは一つ、挨拶に行った方が良いだろう。

「失礼」

『……』

 引き戸を叩くも、応答が無い。

 不法侵入者になるのも嫌の為、仕方なく部屋の前で待っていると、

 ―――ガラリ。

「!」

 突如開き、暗闇の中から手が伸びて来た。

 それは大河の手を掴むと、そのまま引きずり込む。

 そして、引き戸が閉められた。

「……?」

 暗闇の中で、誰かに抱き締められている。

 甘い匂いと感触からして、全裸の若い女性だ。

「ええと……?」

 戸惑っていると、

『虎千代様は、何処へ?』

『さぁ? 全く神隠しがお得意な方だ』

 引き戸の向こうでは、どたどたと男達の走り回る音がする。

(……虎千代? まさか?)

 恐る恐る目を凝らして見降ろすと、色白ボーイッシュ美女と目が合う。

「……てへ?」

(酒臭……酔ってるのか?)

 そこで、大河は、この女性の正体に気付く。

 上杉軍詰め所+虎千代+女性+酒=?

 この方程式の答えは、1人しか居ない。

(上杉謙信……か)

 幼名の時点で察するべきだった。

 謙信は酔っているらしく、大河を押し倒すと、その腹部にまたがる。

「……あのぉ?」

「たいしょーふ、たいしょーふ。たのしいことぉしよー」

「……楽しい事とは?」

「こう言う事」

 騎乗位の姿勢で、前後運動を行う。

 正義感の人の心象があったが、まさか酒乱とは思いもしなかった。

「あの……上杉様?」

「なぁに~?」

「元旦から飲むのもは御自由ですが、この様な事は、流石に問題かと」

「わたし、むずかしいことば、わかんあい?」

「……」

 阿呆なJKを相手にしている様だ。

(仕方が無い)

 酒乱が嫌いな大河は、酒臭さから逃げる為にも行動に移る。

「上杉様、御目を閉じて下さい」

「なんでぇ~?」

「お楽しみです」

「わかったぁ~」

 言われた通り、目を閉じる。

 軍神がちょろ過ぎる件。

 少し幻滅するも、大河はその首に手刀を叩き込む。

「んもっ!」

 変な声が出た後、謙信は卒倒した。

 前のめりに倒れ、大河が抱きとめる。

(……効いたな)

 素面だったら回避されていたかもしれないが、泥酔していたのが、逆に良かったのかもしれない。

 気絶した謙信を抱き締めつつ、身を起こす。

 周囲を見ると、日本酒の瓶が沢山、転がっていた。

 一体、何合飲んだのだろう。

 何十本もの日本酒が、全て空だ。

(よく吐かない物だな)

 感心していると、ガラリ。

 背後から四つの視線を感じる。

「……!」

 恐る恐る振り返ると、

「「……」」

 性的倒錯のAVを発見した彼女のような妻達の冷視線が、注がれていた。


「はっはっはっはっは! それは済まなんだ」

 酔いが醒めた謙信は、大声で笑う。

「笑いごとではありませんよ」

 抗議するのは、誾千代だ。

 自分がボコボコにした大河を抱き締めている。

 性犯罪の容疑者になった時、冷や汗が多汗症並に出たのは言うまでも無い。

「何故、夫を?」

 冷静沈着なのが、楠だ。

 激情家の誾千代と、非常に対照的である。

「私は英雄を嗅ぎ分ける能力があるんだ。多分、それに反応したんだろう」

「英雄?」

「真田殿は、この血みどろの時代を終わらせる事が出来る救世主だ。軍神・毘沙門天様が召喚したのだろう」

「「……」」

「然し、真田殿は、紳士だな? 自分で言うのも何だが、あの状態で抱かないのは、常人では無い。同性愛者なのか?」

「いえ、異性愛者です」

 大河自身が否定する。

 どうも女性に奥手だと、同性愛者に勘違いされる様だ。

 それを打ち消す事は相当、苦労するかもしれない。

「では何故だ? 好色家ならそのまま抱くのではないか?」

 ずいっと謙信は、詰め寄る。

 自分の美貌に相当な自信家らしい。

 まだ酒の臭いがする為、大河は嫌悪感を覚えつつも、答える。

「合意無しは自分の趣味ではありません。又、上杉様を抱く程の自信家でもありません」

「ほぅ……自己紹介もせず、私の事を知っているのか?」

「有名ですから」

 流石に女性説が、本当だったとは思いもしなかったが。

「……」

 じーっと、謙信は大河を見る。

「やはり、毘沙門天様が御認めになる英雄だ。九州での龍造寺との戦の話は、越後でも評判だ」

「は、有難う御座います」

「今後は共に陛下を守る様に、尽力し様」

「はい」

 義を重んじ、野心家では無い謙信は、非常に朝廷を大切にしている。

 家族と共に過ごす元旦でさえも、朝顔に挨拶に行く所を見ると、彼女の朝廷への想いが分かるだろう。

「越後本国は、手薄では?」

「案ずるな。私は、見ての通り、姫武将。景勝の名代だよ」

「……」

 記録上では上杉謙信は、現在(1576年)の2年後の1578年に病死する。

 死因は脳溢血とされ、享年49。 *数え年

 実子が居なかった事から、養子同士の家督争いに発展。

 世に言う御館の乱が起きた。

 この内戦に勝利したのが、景勝だ。

 彼は弘治元(1556)年生まれなので、今年で21歳(*数え年)になる。

 尤も今年、47歳(*数え年)になる謙信だが、明らかに20代だ。

 この矛盾も、やはり、時間の逆説が原因と思われる。

「貴君の治水工事等の貢献は、私も高く評価している。恐らく今回の人事は、陛下が貴君の九州での戦功に注目した上での事だろう。若し、機会があれば、我が国にも来て頂きたい。無論、相応の地位と報酬は出す」

「恐れ入りますが、上杉様」

 深々と、大河は、頭を下げた。

「お誘いは、大変有難いのですが、自分は、この国で永住する事を決めています故、それは、不可能かと」

「……流石だな」

「は?」

 ニヤニヤしながら謙信は、言う。

「陛下が気に入る訳だ。陛下も手放したくは無いだろうな」

 酒を呷る様に、お茶を飲む。

「貴君は日ノ本一の紳士だ。裏切りが常なこの世で、貴君の様な者は少ない。非常に欲しい人材だが、陛下の御気に入りである以上は、仕方ないな」

 その後、妻達を見た。

「奥方様達も果報者であろう? 済まんな。誘ってしまい」

「いえいえ」

「……」

 楠は否定し、誾千代は会釈する。

「私は、残念ながら尼寺出身故、結婚する事が出来ない。女としての幸せを享受出来ている貴女達が羨ましいよ」

 史実の上杉謙信も女人禁制を貫いた。

 只、恋とは無縁とは言えない様で、複数の恋愛話が、現代までに伝わっている。

 謙信には複数の恋物語が伝わる。

 その一つが、彼がまだ20代の折、敵将の城主の娘である伊勢姫と恋に落ちたが、重臣・柿崎景家等の猛反対によって引き裂かれ、娘が剃髪出家後、程なくして自害してしまい、食事も喉を通らず病床に伏せてしまう程に心を痛めたというものがある(*1)。

 興味本位で大河は、尋ねた。

「今後も未婚を?」

「然うだな。貴君が貰ってくれないか?」

「え?」

「「!」」

 冗談かと思いきや、割と本気の様だ。

 真っ直ぐと大河を見詰めている。

「可愛い少年は、私も好みだよ。紳士だしね」

「有難い御話ですが、不淫に違反するのでは?」

「それが、問題だね。まぁ、その時はその時だよ」

 妖艶に微笑む。

 暫く見惚れてしまい、その後、大河が誾千代に厳しい折檻を受けた事は言うまでも無い。


 謙信が大河を気に入ったのは、その人間性だけが理由ではない。

 朝顔と忠臣・宇佐美定満の勧めがあったからだ。

 老将は、大満足である。

「上様、彼が結婚相手に相応しいでしょう?」

 延徳元(1489)年(*説)生まれの彼は、赤子の時代から知っている。

 両親が既に無くなっている為、彼が、謙信の義父だ。

「宇佐美、有難いが、私は尼僧だ―――」

「還俗すれば良いのです。諸国民は正義の人、上様の挙兵を御期待しています」

「……」

 実際に越後には、窮状を訴える諸国民の手紙が、届いている。

 謙信としては応えたいが挙兵すると、侵略行為になり、彼女の信念に反する。

 非常に難しい事なのだ。

「真田殿も噂通り、義を重んじる御方でした。御二人は、夫婦に適当です」

「……」

「立花様の説得は、私がします」

「……真田殿の本心が重要だ」

「重々承知しています」

 宇佐美は言わないが、この縁談は、朝廷との関係強化も含まれている。

 大河の身分は、山城国検非違使別当。

 朝廷側の人間だ。

 そんな彼と越後を支配する上杉氏の姫武将が結婚すると、両家の結び付きは、益々強くなる。

 無論、朝廷は道鏡の様な悪例がある為、民間人の朝廷入りを非常に嫌う。

 その点、朝廷の信頼が厚い上杉氏は、その短所が無い。

「……彼との結婚は、私も前向きだ。ただ、彼が合意しなければいけない―――」

「承知しています」

 生涯未婚の謙信の将来を、本気で宇佐美は心配している。

 謙信が人生史上、最も前向きになっている時機を利用しない手は無い。

(早めに進めなければ。織田も武田も徳川も狙っているからな)

 征夷大将軍を狙う戦国大名も又、大河に注目している。

 早々と成功している大友(厳密には、立花家だが)と島津は、この点に関しては、高笑いしている筈だ。

 政治的な力が殆ど無い朝廷だが、征夷大将軍の任命権がある為、胡麻をする大名が多い。

 日ノ本の学級委員長である上杉は、この縁談を機に朝廷に取り入り、内から朝廷を守る必要がある。

 上杉の本格的な縁談計画が、始まった。

 

[参考文献・出典]

*1:『松隣夜話』

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