第12話 無位無官

 大河の耐震工事は、山城国中に拡大する。

「地震なんて早々来ない。心配性だ」

 大半の国民は、予知をわらった。

 それもそうだ。

 この地域では永正17(1520)年以来、大地震は起きていないのだから。

 この時、熊野(=紀伊半島南端部の和歌山県南部と三重県南部からなる地域)では、

・浜ノ宮寺

・本宮坊舎

 などが潰れた。

 熊野浦々で民家が流失したと記され、津波の可能性もあるが暴風雨による可能性も否定出来ず詳細は不明(*1)。

 熊野附近の震度は6程度と推定されている(*2)。

 ———

『永正17年3月7日

 申ノ時大地震、那智如意堂震ニジル浜ノ宮寺本宮坊舎新宮阿闕井崩浦々民家ヲ流ス』(*3)

『入夜風緊吹、禁中築地所々及破損了』(*4)

 ———

 とあり、京都でも御所の築地に破損があったとされる。

 翌年には兵革・天変等により大永に改元された(*5)。

 この時以来、天正3(1575)年現在まで55年間大地震は起きていない。

 人生50年の時代、当時の地震を知る人物が殆ど居らず、国民の間に地震への恐怖心が薄れているのだ。

 然し、未来人・大河は重度の殺人嗜好症ではあれど、根っからの悪人ではない。

 3・11の時、ボランティアとして復興支援に携わった経験から、天災には人一倍敏感だ。

 もしこの経験が無ければ、耐震工事に詳しく無く、結果的に国民の多くを見殺しにしていただろう。

 幸運なことに山城国は、非常に小国だ。

 資料によっては、京都府南半部(*6)、京都府中南部(*7)など表現方法は、多種多様だが。

 この世界では、現在の地理に当てめると、京都市営地下鉄烏丸線の全ての最寄り駅付近を支配している。

 烏丸線は、最北の国際会館駅から最南部の竹田駅までの営業距離が13・7km。

 約14km圏内に数十万人が、生活しているここが、日ノ本の首都だ。

 天正3(1575)年当時の人口の総計は不明だが、ある歴史学者は1人1石という仮定に基づいて慶長3(1598)年の慶長石高から慶長5(1600)年の推定人口を1850万人と見積もった(*8)。

 現代の東京が約1500万人もの人口を誇るが、この当時は、殆ど海だ。

 日ノ本の中心地は、京都と言える。

 東京など、この時代の人々にすれば、田舎扱いされるだろう。

 大河の賢明な説得や助成金のおかげで、拒否する者は殆ど居らず、工期よりも数か月早く一般住宅の補強工事が終わる。

 大工が足らない場所は、金具の職人が訪問し、簡単な取付工事を行った。

 この結果、「耐震」と言う概念が無い当時において、山城国は日ノ本一、地震に強い地域になる。

 後は、行政施設のみだ。


 天正3(1575)年末、御所。

『大儀であった。真田殿』

 労をねぎらい、朝顔が大河を呼んでいた。

 やはり御簾みす越しであるが、2人の距離は格段と近付いている。

「は」

『国民をこれで天災から守る事が出来る。無位無官の貴君には、褒美を与えなければならないな』

「いえ、それには、及びません」

『何と?』

 御簾の向こうの朝顔が、動揺した。

 帝の提案を臣下が拒否する事は殆ど無いからだ。

『無償で良いのか?』

「この事業は、恩返しなんです。徳川方と敵対した際、陛下は助けて下さいました。衣食住も保障して下さいました。無位無官の浪人をここまで厚遇して下さった陛下にこれ以上の褒美は、望みません」

『……しかし、朕は貴君を評価しておる。義勇兵でない以上、その働きに応じて報酬を受け取るべきだ』

「……」

『聞かぬなら、勅令を出すぞ?』

「……では、ありがたくいただきます」

 この強情は、彼女が幼君だからかもしれない。

 一度出した以上、引っ込み辛く意地を押し通す。

 もう少し大人になれば、大河の言い分を理解してくれたかもしれないが。

 女官が布で包装された木箱を持ってきて、大河の前に置かれた。

「……これは?」

「お開け下さい」

 女官に促され、「?」と首を傾げつつ、開く。

「!」

 中身は古めかしい鞘に収められた日本刀であった。

「……これは?」

「村雨丸です」

「!」

 驚いた顔で、御簾を見る。

 朝顔は、安堵していた。

『ご存知でしたか?』

「……何故?」

 これは、江戸時代後期の読本『南総里見八犬伝』に登場する架空のそれだ。

 今までは実在する人物が出て来たが、まさか架空の日本刀にお目にかかれるとは。

「……」

 困っていると、読心術を心得ているのか、朝顔が見抜く。

『本物よ。これも未来の物か?』

「……はい」

『いつの時代だ?』

「約200年後の、長編小説に登場する名刀です」

『ハハハ! 今度は、架空と来たか』

 女官が振り向く。

 あまり人前で笑う事が無いのだろう。

『それは新皇が使用していた物だよ』

「……平将門が?」

 再び大河は、我が耳を疑った。

 平将門は「新皇」を自称し、当時の朱雀天皇に反逆した。

 もっとも、平将門としては朝廷に歯向かった気は更々無く、朱雀天皇を「本皇・本天皇」と呼び、藤原忠平宛ての書状でも、

 ———

『伏して家系を思い巡らせてみまするに、この将門は紛れも無く桓武天皇の五代の孫に当たり、この為例え永久に日本の半分を領有したとしても、強ちその天運が自分に無いとは言えますまい』

 ———

 とあり、また、除目じもくも坂東諸国の国司の任命に止まっている事からも、その叛乱を合理化し東国支配の権威付けを意図としたもので、朝廷を討って全国支配を考えたものではなく「分国の王」程度のつもりであったと思われる(*9)。

 これが鎮圧されて以降、朝廷は彼に関する一切の記録を消したとされる。

 また、明治期には、逆賊として当時の政府から盛んに反平将門運動が展開され、神社の祭神等から除外されるも、民衆の信仰心は篤く、彼は今尚、信仰と畏怖の対象になっている。

「……新皇を何故、朝廷が?」

『朕は彼が何故、反乱を起こしたのか興味があり調べた。その結果、同情出来る点があり、逆賊とされているが、朕は高く評価している。彼と分かり合えば、日ノ本は、今以上に良い国になっていただろう』

「……」

 明治天皇も逆賊・西郷隆盛を高評価しており、彼の死後、「朕は、殺せとは言わなかった」との言葉を残した。

 彼女も明治天皇のように例え逆賊であっても、高評価出来る寛容さがあるのだろう。

 外では、雪がしんしんと降り積もっている。

『試し斬りはしていないが、貴君にはこれを託したい。今、使用中のは、刃毀はこぼれしているだろうからな』

「は」

 朝顔は、刀剣にも思い入れがある様だ。

 同じく刀剣愛好家である明治天皇を連想させる。

「確認しても?」

「良いぞ」

 抜刀し、刀身を見る。

 平将門が討たれたのは、天慶3(940)年の事。

 それから635年の時を経て、新たな所有者の物になった。

『南総里見八犬伝』に記述されている、露を発生させる様な事は無い。

 小さな傷があるのは、平将門が文字通り、前線で獅子奮迅に戦った証拠なのだろう。

「……」

 女官の視線が厳しい為、大河は、鞘に戻す。

 幾ら朝顔と仲良くなっても、女官の防御力は、シークレットサービス並だ。

 変な仕草をした時点で、不審者認定されるだろう。

『気に入った?』

「はい」

『今後の働き次第では、左大臣も考えているからね』

「! 陛下。それは―――」

『もう決めた事。有能な人材は、どんどん登用しないと』

「……」

 反対派の女官は、「勝ち目が無い」と判断したのか、今度は、大河に逆切れ。

 唇を噛んで、睨み付け「お前の所為だ」と言外に告げている。

(俺か?)

 困惑しつつも、妖刀を恩賜され、流石の大河も上機嫌だ。

「これからも粉骨砕身で努めさせて頂きます」


 退室後、大河は直帰する。

 真田神社では、年末と言う事で、大忙し。

 宮司と巫女は、参拝客の応対に当たり、妻達も駆り出されている。

「良い? 鳥居は、真ん中を潜っては駄目なんだよ」

「何でぇ?」

「如何して?」

 子供達の声が飛ぶ。

「真ん中は、神様の通り道だからよ」

 巫女の姿をした妻達は、他の巫女と共に優しく丁寧に説明していた。

「帰ったぞぉ」

「大河!」

 大河の声が聞こえた途端、誾千代は、突進する。

 鳥居の真ん中を潜って。

 言った傍からこの行為。

 神様も苦笑いするしかない。

 大河に抱き着き、その頬に接吻する。

 ラテン人並に熱い。

「待て待て。皆が見てるからな」

「「「……」」」

 ニヤニヤする参拝客と巫女達を気にしつつ、大河は彼女に抱擁されたまま、古民家に入る。

 側室・楠も続く。

「誾、良いのかよ。仕事を放置して」

「貴方が帰る時までだから。良いのよ。あら、それ、日本刀?」

「ああ、恩賜されたんだ」

「見せて見せて」

「後でな」

 帰宅後、直ぐに3人は手を洗う。

 外では様々な菌が浮遊している為、手洗い、うがいを徹底する必要がる。

 現代ほど、公衆衛生が重要視されていない為、当初、2人は、その意味を理解するのに少々の時間を要した。

 しかし、綺麗になるのは、良い事だ。

 今では、2人共、何の疑問を抱かずに、清潔保持に努めている。

「年末でしょ? だから、今日は、豪勢にしたの」

「おー、寿司じゃないか?」

 大坂湾の漁師が淀川を経由して送り届けてくれたのだろう。

「握ったのは、私達よ」

 自慢気に無い胸を、楠が張る。

「有難い事だ」

 醤油が無い為、寿司は、たまり醤油で食べるしかない。

「「「頂きます」」」

 3人は作法通りに合掌して食べ始める。

さけ

まぐろ

烏賊いか

たこ

えび

 等。

 回転寿司店でよく見る様な、品の数々に3人は頬が落ちそうだ。

「……大河、食べさせて」

「自分で食え」

「けち♡」


 夫婦の仲睦まじい様子を千姫は、水晶玉で見詰めていた。

「……」

「お辛い様でしたら、止めますか?」

「良いから」

 失恋して以降、千姫は、果心居士と次の作戦を練っていた。

「強行手段にはなりますが、召喚しますか? ここに?」

「……洗脳は、出来る?」

「はい。ですが私も初めての経験なので、失敗するかもしれません」

「成功するには?」

「千日回峰行を3回、達成する必要があります」

「……」

 死者が出る事もある苦行を3回も達成させるのは、常人には、ほぼ不可能だ。

 記録に残っている限り、二千日回峰行者も2人しか居ない。

 日ノ本一の奇術師・果心居士ならば、簡単な事であるが、2925日待つ必要がある。

 約8年、呪力が蓄えられる迄待つのは、14歳の千姫には、非常に辛い。

 8年後、22歳になった時、晩婚を恐れた家の者によってお見合い結婚させられている可能性があるからだ。

「……召喚の方は?」

「出来ますが、既に正室と側室が1名ずつ居り、また、姫巫女様と親しい為、露見した場合、問題になるかと」

「……朝廷を敵に回したくは無いわね」

 ストーカーの様にしつこい千姫であった。


[参考文献・出典]

*1:宇佐美龍夫 『最新版 日本被害地震総覧』 東京大学出版会 2003年

*2:宇佐美龍夫『わが国の歴史地震の震度分布・等震度線図』日本電気協会 1989年

*3:『熊野年代記古写』

*4:『二水記』

*5:矢田俊文『中世の巨大地震』吉川弘文館 2009年

*6:『ブリタニカ国際大百科事典』

*7:コトバンク

*8:吉田東伍 『維新史八講』 冨山房 1910

*9:ウィキペディア

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