京都永住

第11話 七転八起

 朝顔と仲が良くなった大河は、彼女から家を貰った。

 御所に近いその家は、長野県上田市にある真田神社の分社だ。

 普段は宮司と巫女が住み込みで働き、参拝客も多い。

 唯一の短所は、警備員が居ないこと。

 防犯が徹底されていないことから時折、賽銭箱泥棒の被害に遭い、その度に北面武士が出動し捜査している。

 基本的に近衛兵である彼らが、

検非違使けびいしとして動くのはどうか?」

 との意見が出て、近衛前久推薦の下、大河に白羽の矢が立ったと言う訳だ。

 蝦夷地まで北進し、日本一周を達成後に仕官する事を想定したが、わざわざ朝顔が用意した職と家なので断る事は出来ない。

 快諾し、3人は入居した。

「鴨川、綺麗ね」

「暴れ川だがな」

 2階の縁側からは、若夫婦は川辺の治水工事を眺めていた。

 あれは、毛利家から貰った1千貫を元手に信玄堤を作っているのだ。

 72代天皇・白河天皇が、

『賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞ我が心に叶わぬもの』(*1)

 と嘆いたように。

 鴨川は甘く見ると、手痛い仕打ちに遭う。

 3・11等の自然災害の際、勉強した現代人ならでは強みでもあろう。

 堤防は鴨川がどれほど荒れても、決壊しないように強靭に作られ、又、朝廷御用達の土木作業員が有能なお蔭で、数か月で終わる予定だ。

「治水工事は良いけれど、何故、川に牡蠣かきをばらまくの?」

「浄化だよ。牡蠣は汚水を綺麗にしてくれるから」

 東京都が汚水対策の為に東京湾の浅瀬に牡蠣を撒いている(*2)。

 2013年に浄水を目的としてこのプロジェクトにより、劇的に水質が改善(*2)。

 この結果、50年振りに東京23区内で海開きが行われた(*2)。

「真田、貴方のことを見直したよ」

 珍しく楠が褒める。

 御所に初めて入った楠は、疲労困憊なのか、夕方にも関わらず、既に酒で出来上がっていた。

 酔った状態で言うのだから、本音だろう。

「悪党だと思ったけれど、ちゃんと民の事も考えているのね」

「民はついでだ。ここと御所だけ守ると国民から顰蹙ひんしゅくを買うからな」

「優しい」

 誾千代が喜びながら、布団を出す。

「早いな、もう寝るのか?」

「家も仕事も決まった事だし、後はここで永住するだけよ」

 筑後国山本郡(現・福岡県久留米市草野)の問本城を離れて約1か月。

 遂に誾千代は、骨を埋める地を見付けた様だ。

「良いでしょ?」

「良いよ。京は好きだ。誾は不満は?」

「海が遠いこと。刺身が食べ辛くなるのは、ねぇ……」

「そういうと思ってさっき、河内の業者と契約を結んでおいた」

「!」

「魚の方は、心配無い」

「ありがとう♡」

 妻の健康を気遣うのも夫の努めだろう。

 大河も川魚は、余り好きでは無い。

「楠は帰国しないのか?」

「貴方の監視役だから、帰れる訳無いでしょ?」

「そりゃそうだが、ここに住むのか?」

「そうなるわね」

「じゃあ、住み分けしないとな」

 神社の敷地内にある借家の為、武家屋敷程広くはない。

 現代の感覚に照合すれば、古民家の様な家だ。

・台所

・寝室

・居間

かわや(現・トイレ)

 がそれぞれ一つずつ。

 大工から貰った間取りを引っ張って来ては、机上で広げる。

「さてと―――」

「良いわ」

 間取りを楠が、取り上げた。

「んだよ?」

「良いよ。気を遣う必要は無いわ。側室になるから」

「「は?」」

 2人の声が重なった。

「貴方が御所に居る間、上様が早馬で命令書を届けて下さったのよ」

 自慢気に紙を見せ付ける。

 丸に十文字の家紋が押印されたそれは、正真正銘の島津の命令書だ。

 ―――

『楠

 上の者を真田大河の妻として嫁ぐ事をここに命じる。

 島津家当主・島津貴久

 

 追伸、真田殿にこれを見せた後は、焼却処分する事』

 ―――

「「……」」

 2人が見た後、楠は火鉢にくべる。

 命令書はメラメラと燃え、数秒程で灰と化す。

「……良いのか?」

「良いのよ。命令だから」

「……」

「同情しないで。これが、私の運命であり、仕事だから」

 島津への忠誠心が厚過ぎる彼女の事だ。

 大河もその事は重々分かっている。

「……何か済まんな―――」

「何で? 貴方の事、好きなのよ?」

「へ?」

 酒臭さを撒き散らせつつ、楠は迫る。

「骨の髄まで監視してやるから」

「……」

 困った顔で、誾千代に助けを求めるも、

「側室なんでしょ? 良いんじゃない?」

 大人の対応だ。

 大河が浮気しない男である事を見抜いている様だ。

「本当に……良いのか?」

「これ程長く寝食を共にしてたらね。情が湧くものよ」

 でもね、と誾千代の目付きが鋭くなる。

「幼妻ばかり気を取られていたら殺すから」

「……応よ」

 イスラム教徒ムスリムは、一夫多妻だ。

 然し、妻達を平等に愛する必要がある。

 シリアで沢山の妻達に振り回されるイスラム教徒義勇兵ムジャヒディンの戦友を思い出す。

 ハーレムに憧れを持つ日本人男性の1人からすると、羨ましい限りであったが、いざ妻達の所為で疲労困憊になる戦友を見ると、気が引ける。

 やはり、理想と現実は違うものだ。


 住所が決まった大河が次にしたのは、耐震工事であった。

 山城国中の大工を集め、数々の耐震工事の方法を伝授する。

「大工の皆様に御願いがあります。国中の全ての住宅の接合部に金具で補強して下さい」

「「「は?」」」

「又、屋根も瓦を取り除いて下地補強、板金工事を施して下さい」

「「「……」」」

 言われた通り、大工達はメモを取る。

 無位無官の大河だが、鴨川の汚染を綺麗にした功績が国中の噂になり、彼等は自然と敬意を払う様になったのだ。

「壁の方も、既存のはりや柱を補強して下さい」(*3)

 1人の大工が手を挙げる。

「旦那、工事は良いですが、報酬は旦那持ちで?」

「朝廷が全額負担します」

「「「おお!」」」

「これも全て、皆様を始めとする国民が、税金を納めて下さっている返礼だそうです。又、陛下曰く『行政施設や宮殿の耐震工事は、先延ばしし、一般住宅を最優先して下さい』との事です」

「流石、陛下だ。国民の事を第一に考えて下さっている」

 大工達の士気が高まる。

「旦那、耐震工事は良いが、何故、急かすんだ? 近々、地震でも起きるのか?」

「占いで今後30年以内に大地震が、この国を襲います」

「「「!」」」

「それは、今日中か明日か1週間後か30年後かは、分かりません。ですが、御家族、故郷を守りたい御気持ちがあるのであれば、本気で対応して下さい。御願いします」

「「「……」」」

 にわかに信じ難い話だが、大河の真摯な態度に笑う者は居ない。

 国外から来た謎多き人物だが、御所に弓を引かず、鴨川の汚染対策及び治水工事でも活躍している様に、この国の誰よりもこの国の為に働いている。

 大工の長が、半信半疑ながらも快諾した。

「あんたが国に貢献しているのは、俺達の間でも有名だ。あんたが言うなら本当なんだろう? 身を粉にして働くぜ」

「有難う御座います」

 大河が頭を下げた。

 急遽、大河が耐震工事に奔走し始めたのは、慶長伏見地震を思い出したからだ。

 この地震は、文禄5(1596)年閏7月13日(9月5日)子の刻に山城国伏見(現・京都府京都市伏見区相当地域)付近で発生した。

 京都では伏見城天守や東寺、天龍寺等が倒壊し、死者は1千人を超える。

 特に伏見城での死者数は多く、城内だけで600人が圧死したと言われている。

・東寺

・天龍寺

・二尊院

・大覚寺

 等が倒壊し、被害は京阪神・淡路島の広い地域に及び、

・大坂

・堺

・兵庫(現・神戸)

 では家々が倒壊した。

 又、現在の香川県高松市でも強震を伴ったとされている。

 木津川河床遺跡・内里八丁遺跡(八幡市)等では顕著な液状化跡が見つかり、玉津田中遺跡(神戸市)や田能高田遺跡(尼崎市)等で、液状化現象が発生した痕跡がある。

 又、今城塚古墳(高槻市)と西求女塚古墳(神戸市灘区)における墳丘の地滑りは、この地震による地震動によるものであると推測されている。

 又、現在の徳島県鳴門市の撫養地区で生じた隆起は、塩田開発の契機となったと考えられている。

 この地震による著名な死者としては武将の加賀爪政尚、横浜一庵が居る(*4)。

 1575年の今、その地震が起きる事は、有り得ない。

 正史通りに事が進めば。

 然し、時間の逆説が起きている以上、早まっても可笑しくはない。

 本来ならば混凝土コンクリートがあれば良いのだが、残念ながら戦国時代には存在しない。

 が、利点もある。

 混凝土の寿命は、約50年とされる。

 それに対し、木は屋久杉等の例がある通り、火災にさえ遭わなければ、数百年持つ。

 混凝土が無い以上、木で代用するしかない。

「耐震工事は、真剣ね」

「近い内に地震があるんでしょ」

 妻達は、口々に言い合う。

 大河と居れば、自ずと彼の素性が薄っすら分かって来た。

 本人が言わない以上、無理に聞く事は無いが。

 2人は縁側で御茶を飲みつつ、ガールズ・トークを行っていた。

「それで本当に貴女、あの人の事が好きなの?」

「誾さんには、負けるけどね。好きだよ」

 にっと、楠は微笑む。

「……言っておくけれど、彼、少女愛の趣味は無いみたいよ?」

「分かってるわ。まぁ、松様の様に11歳で産んでも良いんだけどね?」

「……」

 茶をずずっと、誾千代は飲む。

「確認だけど、私達の営みを見て勘違いした、って事じゃないわよね?」

「気付いていたんだ?」

「大河も気付いているわ。あんな分かり易い覗き魔は、居ないもの」

 2人が寝る間、楠は毎度、別室でその様子を観察し、小林一茶の様に記録している。

 それが今後、どの様に役に立つのかは、島津次第だが。

「島津はあの人を家臣に?」

「さぁ? 上様次第よ。でも、ここに永住するなら、無理でしょうね。あの人、無欲だから」

「そうね」

 恐らく大河は、戦国一、無欲な男だろう。

 金も権力も地位も男色にも、興味が無い。

 趣味と言えば、殺人と読書くらい。

 殺人をしない時は、篤志家の様で民心を掴み易い。

 生来のサイコパスなのかもしれない。

「……家同士は対立しているけれど、ここでは仲良くしましょう?」

「分かってるわ。貴女との喧嘩は、任務対象外だから」

 2人は指切り拳万を人知れず行う。

 その効力があるのかは、神のみぞ知る事だ。

 大河が2人の停戦を知るのは、その後の事であった。


『【真田大河観察日誌】

 命令を遵守し、遂に側室になる事が出来た。

 これで彼と家族になり、彼の情報が更に合法的に入手する事が出来るだろう。

 又、正室・立花誾千代との友好関係を強化する必要性も迫られる。

 彼女は、立花家と絶縁状態にある。

 大友への忠誠心への現状は不明であるが、彼と夫婦になって以降、大友との交流を図った様子は見られない。

 その為、大友領侵攻作戦を実施しても、帰参する可能性は低いと思われる。

 彼女は優しく、御姉さん肌なので両家の対立が無くても、正直な所、仲良く出来れば良い。

 姫巫女様との関係も気になる。

 側近・近衛前久氏の話によれば、姫巫女様は、最近の彼の働きを激賞し、将来的には左大臣に任命する腹案もあるそうだ。

 保守派の公家は、彼を「異人」として嫌っている様だが、山城国が発展するには、必要不可欠な人材だ。

 今後、彼は高度経済成長中のこの国は、益々ますます発展するに違いない。

 私は無位無官の彼に賭け様と思う。

 彼の前職は不明だが、浪人から油売りから国主になったまむしや、百姓の息子から武田四天王の1人の前例がある通り、腕一つさえあれば、成り上がれる場合がある。

 島津が征夷大将軍を受ける時、彼が仲介役になってくれる可能性に期待したい所だ。

 それまでに幼妻として彼を骨抜きにする義務が生じているのだが。

 女好きの彼の事。

 必ずや、私に篭絡され、島津の天下統一の影の功労者になるであろう。

 改めてここに記す。

 私の本職は、くノ一である。

 正室は望まない。

 側室として彼を支え、島津の為に働く予定である』

 

[参考文献・出典]

*1:『平家物語』巻一

*2:TABI LABO 2015年8月29日

*3:https://www.ienakama.com/earthquake-resistance/tips/page/?tid=1024

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