第9話 晴耕雨読

 大河がまだ、琉球(現・沖縄県)に居た頃、

「なるほど、良い男ですわ」

 水晶玉に映る大河に、桃色の和服を着た少女は見惚れていた。

 白く透き通った肌の彼女は、小野小町以来と絶賛される程の美女だ。

 お河童頭ボブ・カットが特徴的である。

 身分は、士族。

 行く行くは、名のある侍の妻になる予定だ。

「果心居士、大儀であった。相応の報酬を出す」

「は」

 網代笠あじろがさを被り、薄青の肌の僧侶が頭を下げた。

 果心居士―――室町時代末期に登場した謎多き幻術師である。

 七宝行者とも呼ばれ、

・織田信長

・豊臣秀吉

・明智光秀

・松永久秀

 などの前で幻術を披露したと記録されているが、実在を疑問視する向きもある(*1)。

 現在にまで伝えられるその幻術は、次の通り。

 ———

 1、

 猿沢池の水面に笹の葉を放り投げると、笹の葉がたちまち魚となって泳ぎ出した(*2)。


 2、

 上記の術を信用しようとしない男の歯を楊枝で一撫ひとなですると、途端に歯が抜け落ちんばかりにぶら下がった(*2)。


 3、

 松永久秀とは特に親交があり、久秀が、

「幾度も戦場の修羅場を掻い潜って来た自分に恐ろしい思いをさせることが出来るか?」

 と挑んだ所、数年前に死んだ久秀の妻の幻影を出現させ、震え上がらせた(*3)。


 4、

 豊臣秀吉に召された時、果心居士は秀吉が誰にも言った事の無い過去の行いを暴いた為に不興を買い、捕らえられてはりつけに処された。

 しかし、この時、果心居士は鼠に姿を変えて脱出し、それをとびくわえてどこかに飛び去ったともいう(*4)。


 5、

 果心居士は地獄を描いた一幅の見事な絵を持っていて、それを前に群衆に説法し、喜捨を募って生活していた。

 織田信長がその絵を所望したが断られたので、信長の家臣が淋しい場所で居士を斬殺し、絵を奪った。

 信長がその絵を広げると、絵はただの白紙になっていた。

 暫く後、死んだ筈の果心居士が元のように絵を見せて説法をしているという情報が届いた。

 信長の前に連れてこられた居士は、

「正当な代金をお支払い下されば、絵は元の場所に戻るでしょう」

 と答えた。

 信長が金100両を支払うと、白紙の画面に再び絵が現れた。


 6、

 明智光秀は果心居士の評判を聞き、屋敷に呼んで酒を振舞った。

 酔った彼はお礼に術を見せましょうと言い、座敷の湖水を描いた屏風の中の遠景の小舟を手招きした。

 すると屏風から水が溢れ出し、座敷は水浸しになった。

 果心居士が屏風から座敷に漕ぎ出てきた舟に乗り込むと、舟は再び絵の中に戻り、小さくなって姿を消した。

 それ以来、彼は二度と日本に現れる事は無かった(*5)。

 ———

*これらの逸話は事実とは考えられないが、奇術マジックの原理で説明出来るものとして「果心居士=奇術師マジシャン」という説もある(*1)。

 明智光秀から離れた果心居士は、徳川家康の顧問として仕えていた。

 その孫娘・千姫の「運命の人を占って」との願いを聞き、奇術を用いて出したのが大河であった。

 まさか、約500年先の未来から来るとは思いもしなかったが。

「名は何と言います?」

「は、『真田大河』と言う者です。歳は19。申し分ないでしょう?」

「そうですわね。真田家の方でしょうか? 真田氏は清和源氏せいわげんじりゅう貞保親王さだやすしんのうの孫の善淵王よしふちおうを祖とする家系とされます故、血筋的にも申し分無いですわ」

 千姫は、現在14歳。

 現代では中学2年生に当たるが、織田信長の妻・濃姫もその年齢で嫁いだように、戦国時代では不思議なことではない。

「……」

 思い詰めた顔の果心居士に、千姫が気付いた。

「どうしたのですか?」

「いえ……その、ええと」

 時間旅行タイムスリップには、日ノ本一の奇術師でも流石に想定外だ。

「仰って下さい」

「はい……彼は、未来の軍人です」

「ぐん、じん?」

「ああ、ええっと、侍です」

 侍=軍人なのは、不正解だろう。

 丁髷ちょんまげをせず、刀も差していないのだから。

 しかし、未来の事を知る由も無い千姫にはこれ以外の答えが見付からなかった。

「おお、未来人なのですか?」

 両目をキラキラさせて、千姫は水晶玉をかじりつくように見る。

「はい。今より500年ほど先の未来の日ノ本から来ました。ご覧下さい。あの黒い筒を」

「? 火縄銃……? にしては、毛色が違うように見えますわ」

「あれは未来の最新の武器です。士族で言う所の日本刀に当たる物で、彼にとっては命の次に大事な物です。彼と彼が許可した相手にしか使用出来ません。弾も無尽蔵に出ます」

「なるほど。私の結婚相手に相応しい方ですわね」

 千姫の元々の婚約相手は、名家出身の30歳年上の武将であった。

 しかし、彼女好みでは無かった為、結婚式直前で式場から逃げ出し、果心居士に助けを乞うた結果がこれだ。

 誓いの寸前で破談された名家は怒り狂い徳川家康に抗議したが、自分の顔を潰したのにも関わらず、彼は政略結婚に本心では反対だった為、千姫側に付き、現在戦争中だ。

 戦争の契機を作った女。

 まさに「悪女」と言っても良いだろう。

「彼を捕縛し、お爺ように会わせますわ。ありがとう。又、用がある時、頼むわ」

「は」

 印を手で結ぶと、果心居士はドライアイスのような煙を出して消える。

 本当は忍者として雇いたい所だが、彼の本業は僧侶だ。

 普段は仏典を読み、滝行などの厳しい修行を積んでいる彼に直接依頼出来るのは、生後間もない頃から懐いている千姫だけでろう。

(真田様、お待ちしていますわよ)


 三河国(現・愛知県の一部)から遠く離れた安芸国(現・広島県の一部)に大河一行は居た。

 お小遣いとして1千貫(現・約1億円)を貰った誾千代は、ほくほく顔だ。

「これで暫くは、お金に困らないね」

「そうだな」

 1千貫は手元に無い。

 1貫が3・75kg。

 その1千倍だと、言わずもがなだ。

 それを3人と馬が分け合った場合、それぞれ937・5kgをも背負う事になる。

 軍人の大河でさえ、そんなのを背負ったら間違いなく潰れて死ぬ。

 他の皆も。

 なので後々のちのち早馬が送金すると言う形になった。

 安芸国を出た一行は、そのまま備後国(現・広島県の一部)に入る。

 ここは、毛利が治める中国地方の最東端だ。

 隣国・備中国(現・岡山県の一部)は、織田領。

 備後国に入る数日前に、5万の羽柴秀吉率いる軍勢が攻め入り、織田領となったばかりだ。

 その為、織田と直接ちょくせつ国境を接する事になった毛利の侍達は、いきり立っている。

 噂によれば、強硬派が吉川元春だと言う。

 彼は信長を桶狭間の戦い以来いらい注目しており、何時の日か両家が衝突する事を予測していた。

 しかし、現在の山口県を手に入れたばかりの元就は、国造りを最優先し、信長とは不可侵条約を目指している。

 対織田外交で元就と元春の対立は、将来的に尾を引く事になるだろう。

 もっとも、中立派の大河には何の関係も無いが。

「あ、瓦版を売ってるわ」

「買おう」

 キ〇スクのような販売所で購入する。

 見出しは、徳川家の事であった。

 ―――

『【家康、孫娘の婚約者・坂崎直盛軍を破る】

 政略結婚が急遽、破談になった事に怒った宇喜多家武将・坂崎直盛が徳川家康との戦に敗れ、自害した。

 友好関係にあった両家が戦争になった契機となった人物、千姫は如何も血も涙もない悪女らしい。

 元婚約者・坂崎直盛の生首を見ても合掌さえしなかった、と言う。

 戦争で沢山の死傷者が出ても何の感情も抱かない、千姫は今後、誰と結婚するのか?

 本誌は、続報を待つ予定である』

 ―――

 反徳川系瓦版らしい。

 事実のみを掲載したのかもしれないのだろうが、千姫側の言い分が何ら書かれていない為、ジャーナリズムの信念とも言うべき「公正中立」が、果たされていないように感じざるを得ない。

「酷い女ね」

「誾千代、本質を見抜け」

「え?」

「第三者視点では千姫は戦争を招いた悪女に見えるだろうが、彼女は自分を通したまでだ。誰だって親の都合で見ず知らずの相手と結婚したくは無いよ。結婚するには、順序が必要だ」

「あら、私達には順序があったっけ?」

「あったよ」

 また始まった、と楠が露骨に嫌な顔になる。

 どうも戦災孤児の出身の為か、「愛」と言うのが、嫌いらしい。

寡婦かふだった誾千代を俺が助けてしまった。それが運の尽きであり、俺達の物語だ。順序だよ」

「……ありがとう♡」

 顔を真っ赤に染め、誾千代は目に見えて照れた。

 馬に乗る2人は、いつでも密着している。

 最後尾の楠は、それに呆れ徒歩を選んだ。

 3人は、家族連れにしか見えないだろう。

 若夫婦と小学生位の女児。

 ただ、大河の見た目が中学生くらいなので擦れ違う人々は、違和感を覚えて振り返ってしまう。

「なぁ、楠。この国での観光地、知っているか?」

「知らないけれど? 何故、私に訊くの?」

「くノ一だから知っているのかと」

「観光業は、対象外よ」

 その時、法螺貝ほらがいの音が聞こえた。

 振り返ると、菊花紋きっかもんを掲げた北面武士ほくめんのぶしが、沿道で整列していた。

「何だあれは?」

 澄ました顔で楠が、答える。

「勅使が来てるのよ。和睦を要請する為に」

「朝廷?」

 この時代の朝廷は、殆ど力が無かった筈だ。

 当時の資料は、以下のように伝えている。

 ―――

禁裏きんり紫宸殿ししんでんの築地が破壊のまま放置され、三条大橋のたもとから内侍所の蝋燭ろうそくの光りが見えた』(*6)

『後奈良帝の時代、大内困窮こんきゅうし』(*7)

 ―――

 この他、後奈良天皇(105代天皇 1497~1557 在:1526~1557)が百人一首や『伊勢物語』など、色紙に宸筆しんかん(=帝自筆の文書)を染め、売り物に出した為、後奈良院の物が今も世に多く残っているとした伝説が生じている。

 しかし、これらを妄説と主張する学者も居る為、真偽は定かではない。

 ここでの朝廷は史実通りではなく、日本有数の富裕層である様だ。

 イギリスの近衛兵の如く、綺麗で派手な色を施した北面武士の軍服は、全て南蛮鎧。

 大筒も配備した部隊もある。

 火縄銃専用の部隊も。

 近代的な軍隊と言っても良いだろう。

 独自に南蛮貿易を行い、成功している様だ。

「凄いな。独自の軍隊も持っているのか?」

「平将門の乱があったからね」

 澄ました顔で楠が、答える。

「対策か」

「そう。最近じゃ織田がその立ち位置になりそうだし、多分、日ノ本一の軍隊よ。防衛目的だけどね」

「……」

 錦旗に弓を引く事は、非国民と同義だ。

 政治的な力は無いとは言え、全国の戦国大名は朝廷に敬意を払っている。

 征夷大将軍の時は宜しく御願いしますよ、と言う意味を込めて”お土産”を渡しているのかもしれない。

「今の陛下は、どなた?」

「姫巫女様よ」

(女帝か)

 日本での女帝は、令和現在まで史上8人しか居ない。

 代としては2人が重祚ちょうそしている為、代数としては10代になるのだが。

「どんなお方なんだ?」

「平和主義者よ。ご即位以来、異教の信教の自由をお認めになられたり、各地の戦争を調停したりとお忙しいらしいわ」

「……普段は御所に?」

「ええ」

「機会があれば、一目で良いから見てみたいな」

「才媛なお方らしいわよ」

 戦乱に明け暮れる日ノ本に於いて彼女は、一筋の光だろう。

「会えるわよ。きっと」

 誾千代が背後から抱き締めた。

 胸の形が崩れ、背中にその感触が広がる。

 大河の目的地が定まった。

 上洛である。


『【真田大河観察日誌】

 上洛が決まった。

 京が好きなのだろう。

 上洛を決めた時、彼の頬が一瞬緩んでいた。

 恐らく初めて見る彼の表情の変化だろう。

 これまで見た彼の笑顔は、どうも作っているように感じていた為、人間らしい所を見たのは新鮮だ。

 姫巫女様にご興味があるのは、どんな理由なのだろう?

 見る限り、彼に少女愛の嗜好は無さそうだ。

 その為、下心では無いと思われる。

 もっとも、北面武士が守る姫巫女様に手を出すのは、道鏡のような末路になる事が目に見えているのだが。

 下心や野心以外の理由は、単純に興味関心の類であろう。

 姫巫女様は幼君故、人前に出る事は殆ど無い。

 一目だけでも見てみたいのも当然かもしれない。

 今後、彼が姫巫女様に対する態度を見極める必要が出て来た。

 姫巫女様は、征夷大将軍就任の際に必要な御方である。

 陛下に悪い虫が付かぬように、私も彼の手綱を引き締める義務が出て来た。

 上洛が楽しみだ』


[参考文献・出典]

 *1:藤山新太郎 『手妻のはなし:失われた日本の奇術』 新潮社〈新潮選書〉2009年

*2:林文会堂『玉帚木』1696

*3:中山三柳『醍醐随筆』1670

*4:恕翁『虚実雑談集』1749

*5:小泉八雲 『日本雑記』 1901年

*6:『慶長軍記抄』

*7:『高野春秋』

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