第4話 百花繚乱

 大河が庶民に「今年は何年?」と聞かないのは、庶民が年数自体を知らないからだ。

 楠に聞けば、「暦を支配しているのは朝廷であり、庶民は月日しか知らない」とのことである。

 暦を時の権力者が支配していたのは、確かにその通りなので、楠のそれは嘘ではない。

 物は試しに日向国で町民や農民に聞いても、

「知らん」

 との回答が、100%であった。

 島津領になった日向国に島津の家紋が入った旗印が至る所で掲揚されている。

 市民の中には上手く偽装しているが、間諜もうじゃうじゃ居る筈だ。

 時は、戦国時代。

 日向国を手中に収めた島津の次の敵は、九州の大部分を治める大友家である。

 大友家と言えば、切支丹大名・大友宗麟の家長だ。

 豊後国(現・大分県)は、大友宗麟の本拠地。

 緩衝地帯であった伊東氏が滅んだ今、島津と国境を接する事になり、危機感を抱いてる筈だ。

 茶屋にて、楠が断言する。

「大友との戦争も勝つわ」

「自信満々だな」

「邪教を妄信しているおかげで、大友領には上様に接近する共鳴者が沢山居るからね」

「……」

 皆まで言わないが、察するに仏教徒を島津が支援しているのだろう。

 今まで厚く信奉され、信者も多数抱えていた寺院側とすれば、東洋人でも無い初めて見る異人が、「男色を禁止」「神様は1人だけ」だの押し付けたら、面白く無いのは、当然の話だ。

 現代の日本人に例えて言うならば、宇宙人が来訪してその教義を強要してくるくらいの感覚に近いかもしれない。

「なぁ、立花誾千代って知ってるか?」

「ええ。大友家の姫武将よ。如何したの?」

「いや、有名人なのかと」

「そりゃあもう。三河の稲姫様、武蔵の甲斐姫と並ぶ、三大姫武将のお一人よ」

「……」

 立花誾千代は、永禄12(1569)年生まれ。

 甲斐姫は、元亀3(1572)年生まれ。  *生年不詳説もあり

 稲姫は、天正元(1573)年生まれ。

 大河が想定していた1570年代説は、これで崩れた。

 3人が少女時代から武将として活躍するのは、考えにくい。

 戦国時代に時間旅行した事が、時間の逆説の1番の要因だろう。

「姫武将とは?」

「姫様にも関わらず、兵を率いている女性の事よ。誰でも指導者になれる訳じゃないわ。文武両道が必須だから」

「……」

 女性の地位が今よりも低いこの時代に於いて、女性が男達を率い戦場で活躍するのは、相当な勇気と努力が必要だろう。

 会った事が無いが、大河は以下のような女性像を心象した。

・男性顔負けの筋肉

・酒焼けのような潰れた声

・煙草や酒を嗜み、肌は荒れ放題

 ……

 姫武将の名前からは、程遠い女性かもしれない。

 あくまでも想像上でしかないが。

「なあに、あんた達、誾様に興味があるの?」

 女性店主が、声を掛ける。

 20歳、黒髪が綺麗な美女だ。

「数少ない女性の武将ですからね」

 年上っぽいので、大河は、敬語で接する。

「あんた達、夫婦?」

「いや―――」

「夫婦です」

 楠が、大河の口を手で塞いだ。

 19歳と11歳。

 現代の感覚だと大学1年生と小学5年生の男女コンビだ。

 女児の方が大学生を「格好良い」と恋い慕うのは合法だが、逆の場合は、性犯罪臭が否めない。

 大河側としては、全然夫婦になった気は無いのだが、楠は若夫婦になる事で偽装しているのだ。

「町民の癖に羨ましいわね」

「貴女も夫婦じゃないの?」

「……やっぱり、慣れない事はするもんじゃないね。―――おい」

 中から武装した兵士達が顔を出す。

 立花守(柳川守)の入った家紋に、楠は震えた。

「ま、まさか……」

「初めまして。真田殿、楠殿。私が、立花誾千代よ」


 現在の日本では、人名に「誾」の漢字を使用する例は少ないだろう。

 立花誾千代のそれは、肥前国(現・佐賀県と長崎県)の僧侶が名付け親だ。

「慎み人の話を聞く」

 と言う意味を込めたその名の通り、誾千代は自ら町民になりきり、町民の噂話を聞くことを趣味としている。

 わざわざ敵国・日向国にまで繰り出し、町民を観察するのは趣味と言うより、諜報活動と言った表現が適当だろうが。

 拉致された2人は、筑前国(現・福岡県)の立花山城に入る。

「なるほどな。貴様が島津に気に入られた異人か」

 大河を睨み付けるのは、大友宗麟。

 切支丹キリシタン大名らしく、十字架の入った和装を着ている。

 京都の瑞峯院ずいほういんが所蔵する肖像画は、僧侶の姿だが目の前の彼は、40歳。

 肖像画と共通点があるのは、剃髪していることくらいだ。

 2人を連れて来た誾千代が、説明する。

「上様、この者達は日向国にて町民に扮していました。恐らく我が領に侵入する準備をしていたのかと」

「……相分かった」

 殺し合いが常なのだが、宗麟は2人に殺意が無い。

 切支丹大名として、愛で接そうとする。

「部下が生真面目過ぎる故、御無礼だったろう? ここでは、客人としてもてなす。安心致せ」

「……ありがとうございます」

「真田殿。貴君は銃の名手だそうだな? それは、火縄銃かの?」

「はい。ただ、名手と言うのは違います。狙撃手スナイパーでは無いので」

「すな……? 異国の言葉かの?」

「ええ、申し訳御座いません。杉谷善住坊の様な名手では無い、と言う意味です」

「おお、あの者と知り合いなのか?」

 杉谷善住坊は、織田信長を狙撃した戦国時代の有名狙撃手の1人だ。

 昭和53年(1978)年の大河ドラマで名優が演じた為、それを契機に知った人も多いことだろう。

「彼は暗殺を成功させていたら、織田は今頃どうなっていたことか。あの魔王を止めることが出来るのは、信玄入道と謙信入道くらいだろう」

「……」

 武田信玄は、元亀4(1573)年に病死。

 その約4か月後に杉谷善住坊は、天正元(1573)年に鋸挽のこぎりびきの刑に処された。

 因みに上杉謙信は、天正6(1578)年に亡くなっている。

 宗麟の証言によれば、先に杉谷善住坊の方が、早く亡くなり信玄と謙信は存命の様だ。

 2人を苦手とする信長は、2人の早逝を願っている事だろう。

「猟師をあれほど残虐に殺すのは、人の所業では無い。奴が天下統一を果たすと、日ノ本は恐怖で支配されてしまう。その為には、愛を説き続かなければならぬ」

「「……」」

「楠殿。儂としては、島津とは戦争したくないのが、本音だ。織田に対抗する為に同盟を求めたい」

「……それは上様次第なので、私からは何とも」

「”鬼島津”は怖いか?」

「誤解される事が多いです。上様は織田よりかは、話の通じる御方です」

「……では、共闘が出来る可能性があるのだな?」

「断言出来ません」

「そうか……では密使を送り、島津の反応を伺おう。若し、和平が出来なければ、

甘埔寨カンボジアに協力を要請し、島津を叩かなければならぬ」

 余り知られていないが、大友宗麟は後の伊達政宗がスペインとの外交関係に積極的だったように、外国に強い関心を抱いていた。

 彼は南蛮との外交に尽力し、天正年間に現在のカンボジアとの間に善隣外交関係樹立に成功している。

 カンボジアに派遣した交易船は、帰路の天正元(1573)年8月に、

・銀子

・鹿皮

 等を積んで薩摩の阿久根港に大風避難寄港し消息を絶った(*1)。

 又、カンボジア国王が天正7(1579)年に宗麟に向けて派遣した交易船には、

・鏡匠

・象簡

・象

 が乗り込み、

・銅銃

・蜂蝋

 が積まれていたが、前年の耳川の戦いで優位に立った島津義久による経済封鎖によって抑留された(*1)。

 カンボジアの軍事力が分からないが、和平が出来ない場合、止む無く軍事力で対抗するのは、戦国大名の立場を考慮したら、当然のことだろう。

「真田殿、貴君は浪人と聞く。儂の所で来る気は無いか?」

「「「!」」」

 家臣団は、騒然とする。

 無所属とはいえ、島津領から来たのだ。

 又、島津のくノ一を連れている。

 表面上、無所属でも状況証拠から察すると、島津の手の者と判断してもおかしくは無い。

「上様! 流石にそれは―――」

「道雪、この小童こわっぱは、浪人だ。召し抱えても何ら問題無いだろう?」

「し、然し、島津の家臣かも―――」

「よく見てみ。このつぶらな瞳が、島津のそれに見えるか?」

「……」

 家臣の間には「島津は蛮族」と意味嫌う者が居た。

 その為、童顔の大河を島津と見る者は矛盾が生じてしまう。

「大友様、お気遣いは嬉しいのですが、自分は浪人を好んでいます」

「何?」

 家臣団の間に殺意が、走る。

 が、大河は気にしない。

「自分は誰にも束縛されず、自由に生きたいのです。ご提案は大変ありがたいのですが」

「何と……勧誘を断るのか?」

「はい。両家の戦争にも関与しませんし、する気もありません」

「では、どうするのだ?」

「畿内や東北などを周って見たいのです」

「……そうか」

 目に見えて、宗麟はしょんぼりする。

 然し、独裁者では無いので強要はしない。

「誾よ、客人に断られてしまったわい」

「斬りますか?」

「止めなさい。織田にまで落魄おちぶれたくは無い。目標がある以上、漢ならそれをやり遂げる。儂にそれを止める資格は無いよ」

「……は」

 嫌そうだが、主君の命令は絶対だ。

「誾よ。今晩は貴様の屋敷で泊めよ」

「え?」

「迷惑を掛けたんだ。それ位、尽くしなさい」

「……は」

 何故か誾千代は、大河を睨み付ける。

 お前の所為だ、と言わんばかりに。

(……俺?)

 理不尽に困惑する大河であった。


 誾千代の邸宅は、立花山城の近くにあった。

 ドラマでよく観るありふれた武家屋敷で、絡繰からくり屋敷のような珍妙な仕掛けも無い。

「拉致した無礼は、許してくれ。我々も必死なんだ。国防の為には」

「……」

 夕食の席に楠は居ない。

 疲労困憊で、もう就寝しているのだ。

 11歳と高学年といえども、敵に囲まれるのは、心労に負担が掛かったのだろう。

 大胆にも腹を出して、気持ち良さそうにいびきをかくのは、くノ一と言うより、女児にしか見えないが。

「貴君を見ると、夫を思い出すよ?」

「……宗茂様?」

「浪人の癖に物知りだな? さては、あの小娘から聞いたな?」

 昼とは打って変わって物腰の柔らかい優しい女性だ。

 昼は武将、夜は女性に変わった。

「貴君は、夫そっくりだ。まるで生き写しに見える」

「……亡くなったんですか?」

「馬鹿な人よ。私を置いて早逝する何て」

「……」

 史実では立花宗茂は関ヶ原合戦後に改易され、浪人を経て島原の乱に幕府軍側として参陣し、最期は寛永19(1642)年、江戸柳原の藩邸で死去した。

 享年76。

 江戸時代にも入っていないこの時期に、早々と天国に逝くのは、意外だ。

 確実に史実では、なくなっている。

「失礼ですが、戦死ですか?」

「ええ。龍造寺との戦いでね。初陣で死ぬ何て。子供も居ないのに」

「……」

 2人の間には、史実では子供が居ない。

 又、2人の夫婦仲が悪く、誾千代の父・道雪の死後、2人は別居したと言う。

 しかし、この世界では2人は愛して合っていた様だ。

 その証拠に居間には、宗茂の骨壺が大事に保管されている。

「……ごめんなさいね。日向国の時に貴方を拉致したのは、そう言う理由もあるのよ」

「……いえ」

 白い御飯に焼き魚にお茶。

 肉食を好む大河には、物足りなさが否めないが、もてなしてくれている以上、不満は無い。

「あの娘とは、本当に夫婦なの?」

「残念ながら赤の他人です。自分の旅に勝手に付いて来たんです」

「……そう。じゃあ、斬っても良いんだね?」

「どうぞ」

「冗談よ。でも冷たい人ね。女性には優しくしてあげなさい」

「ご助言ありがとう御座います」

 感情の無い棒読みだ。

 本当に楠に興味が無い様だ。

「じゃあ、貴方はどんな女性が好み?」

「貴女―――」

「え?」

「冗談です」

 にこっと大河は、微笑む。

 青二才の癖に女心を翻弄ほんろうさせるのが、得意らしい。

「貴方が一気に胡散臭くなったわ。結婚詐欺師?」

「どうでしょうか?」

「……」

 完食した大河は、頭を下げた。

「ご馳走様でした」

 その礼儀正しさに、誾千代は名付け親を連想した。

(出自は僧侶? 不思議な人)

 

『【真田大河観察日誌】

 立花誾千代を知っている癖に「姫武将」を知らないのは、非常に不思議だ。

 また、考え込む仕草が多い。

 肉体派に見えて、慎重派なのだろうか?

 しかし、立花宗茂とそっくりなのは寝耳に水だ。

 彼の双子の弟なのか?

 隠し子と言う可能性も考えられるが、年齢差から考えにくい。

 島津と敵対する様子は、現在の所、見られない。

 と言うか、興味が無い風に見える。

 しかし、「念には念を入れよ」と言う諺があるように万が一の事も否めない。

 引き続き、調査を続けていく』    (作成者:楠)


[参考文献・出典]

*1:ウィキペディア

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