第14話 可愛くない同居人(後)

 私のここ最近の悩みの種、フリートがやってきたあの日から二週間が経った。


 共に生活するようになって分かったのは、彼女は出来る事と出来ない事の差が大きいということだ。


 例えば、フリートは力仕事が得意だ。


 身体つきからは想像できない彼女の怪力は、悔しいが警守衛隊の総隊長を勤める私よりも数段上だ。


 パワーだけが戦いの全てではないが、少なくともグレンと共に魔物狩りをするだけの力量は持ち合わせている。


 逆に、日常生活における常識のようなものはかなり欠如しているようで…。


 怪力が災いし、力強くコップを握り過ぎて割ってしまったり。


(今では少しずつ、力加減を覚えてきたけど…)


 お風呂上りに体も拭かず廊下へ出てしまったり。


(あの時は、見つけた私が慌てて脱衣所に押し込んで体を拭いてあげたっけ…)


 串に刺した料理やパンのような食べ物に限らず、何でも手掴みで食べようとしたり。


(結局、ナイフやフォークの使い方も私が教えているんだけどね…)


 って、こうして考えてみると。


 どうして私、あの子の世話をこんなに焼いてるのかしら…?


 邪魔すると痛い目みる~なんて、結構キツイ事言われたのに。


(でも、目の前でやらかしてるのを放っとけないし…。 あーもう! 損な性格…)


 まあでも…そもそも毎日あの子のご飯も作ってあげてるんだし、今更お世話とか気にしたところで仕方ないわね。


「あとは…コレを入れて、煮込むだけね…」


 物思いに耽っている内に、夕飯の支度は殆ど終わってしまった。


 明日の朝食の下ごしらえもついでにしてしまおうかしら、などと考えていた時。


 ぐぅ~。


 という誰かさんのお腹の音が後ろから聞こえてきた。


「夕飯まではまだ時間があるわよ、食いしん坊さん」


「うっ。 ち、ちが、う。 フリート、ちがう! 別に、おなか…空いて、ない」


「そうなの? ふーん、残念。 お腹空いてるなら、お菓子。 あげようと思ったんだけど」


「うー! ずる、リニャ、ずる、い! 」


「私はずるくないわよ。 ……それで、どうなの? お菓子いるの? いらないの? 」


「い…も、もら…。 もらう、て、あげる」


「はぁ…もうっ、素直じゃないんだから。 ほら、一個だけよ? 」


「あ………。 う…。 フリート、あっち、たべて、くる」


「ちょっと…! 」


 お菓子を受けとるなり行っちゃうなんて…。


「でも…」


(あの子さっき。 何か言いたかったみたい…)


 まだ一か月にも満たない付き合いだけど、彼女の事はだんだん分かってきた。


 初日の衝撃が凄過ぎたけれど見た目同様、あの子はまだ幼い。


 勿論本心もあるだろうけど。


 勢いで余計な事も色々言ってしまって、引っ込みがつかなくなり自分自身でも困っている…今の私にはそう見えている。


 そもそも、グレンに関する事とその他の事を分けて考えればいいのに、あの子は変に私に対して強がっている節がある。


 とはいえ、この家で生活する上では自然と私に頼る事も多いわけで…。


 チグハグな状態なのだ。


(なんて…。 私が悩んでいても、しかたないけどね…)




 ◇◆◇




 その事件は休日の朝。


 私が朝ごはんの支度をしにキッチンに向かうと、既に起きていた。


「な、何よコレ…! 」


 これでもかってくらいにグチャグチャになった大量の卵。


 ズタボロって表現が妥当な状態で散乱する野菜たち。


 火もつけずに直接カラクリ調理器に置かれたお肉。


 何をどうしたらこうなるのか。


 私が日頃から大切に使っていたキッチンは荒らしに荒らされ。


 服を野菜くずや飛び散った卵で汚し、一目でキッチン荒らしの犯人だと分かるフリートが下を向いたまま立ち尽くしていた。


「ちょっと、どういうつもり? 私をどう思うかはアンタの勝手よ…でも、コレは許せないわ! ここはお母さんと、私の思い出が詰まった場所なの。 それを…こんな風にするなんて…」


「ち、ちが。 フリート…こんな、する…つもり、ない、くて」


「この期に及んでいい訳するの? 」


「う…。 フリート。 っ……! 」


「ちょ、ちょっと! アンタこのまま逃げるつもり…!? 」


 ぽろぽろと零れ出る大粒の涙を必死に拭うと、フリートは脱兎の如くその場から立ち去ってしまった。


(泣きたいのは私の方よ…)




「おはようさん…。 あ~昨日あんなに食ったてのに…腹減って起きちま…………って、おい!! リーニャ、どうしたんだコレ!? 泥棒か…!? 」


 フリートには逃げられてしまったので、仕方なく一人でキッチンの掃除をしていると。


 普段朝ごはんを食べている時間をもうとっくに過ぎているせいか、お腹を空かせたグレンが起床してきた。


 荒らされたキッチンを見て、どうしてそう思ったのか。


 泥棒か!? と周囲を警戒する様子に、思わず笑いが零れる。


「ふふっ、違うわよもうっ…。 グレンってやっぱり少し抜けてるわよね…。 わざわざキッチンをこんなにする泥棒なんていないわよ? 普通」


「あっ。 た、確かに…。 そいつもそうだな…。 じゃあ、一体ここで何があったんだ…? 」


「えっとね…」


 私がキッチンに着いた時にはすでに荒らされていたので、ここに至るまでの過程は分からないが。


 一先ず、フリートがキッチンをこの状態にしてしまったのだと告げる。


 私はてっきり、あの子に対して怒るなり呆れるなり彼もするだろうと思っていたが、グレンは何故か微妙な顔をして気まずそうに頭を掻いた。


「あー…すまねぇ。 だとすると…その原因を作ったのは俺かもしれねぇ…」


「ちょっと、話が見えないんだけれど…。 どういう事…?」


「実はな……」




 グレンの話を聞いてすぐにキッチンを飛び出した私は、フリートを探して家中を駆け回る。


 あの子は鍵を自力ではまだ上手く開けられない事を思い出し、急いで玄関を確認すれば。


 扉がまだ無事だったので、家の中に居るのは確かだろう。


― アイツ、リーニャと仲良くなるきっかけが欲しかったみてぇでさ… ―


 思い返せば、はじめからサインは出ていたのかもしれない。


 私が料理している時、しょっちゅう顔を出すあの子に。


 単純にお腹が空いたとか、お菓子が欲しいのだとか思っていたけれど。


 あの子なりに、私にアピールしていたのだ。


― そんで、いいきっかけになればと思って料理を勧めたんだが…。 まさかこうなっちまうとは…。 すまねぇ! 俺はてっきり、リーニャに料理を教わりにいくもんだと思っててよ… ―


 料理を教わりたいなんて、私達の今の関係であの子から言い出せる筈もない。


― フリート…こんな、する、つもり、ない、くて ―


 そう。


 そうだったのだ。


 彼女は本当に、キッチンを荒らすつもりなどなかったのだろう。


 冷静になってみれば、フリートは力加減が分からずにコップを壊してしまうような子なのだ。


 野菜や…ましてや卵を、何のレクチャーも受けずに扱えば、ああいう結果になってしまう。


 お肉だってそう。


 鍵すら開けられないのに、カラクリを使ってお肉が焼けるわけがない。


 彼女は知らない事が多過ぎる。


― ともだち、いないかった ―


 バンダス山岳。


 あの場所で友達…いや、もしかしたらグレンと出会うまで殆ど人と関わる事なく生きてきた彼女。


 そんな子が、人との距離感…ましてや上手い付き合い方など知る筈がない。


 自分から突き放してしまった相手と、どう関係を修復したらいいか。


 あの子なりに考えて。


 彼女は今日、キッチンに忍び込み私が来てくれるのを待っていた…。


(私からもっと早く…歩み寄ってあげるべきだった…)


「いったい…何処に行っちゃったのよ…。 フリート…」




 部屋という部屋を探しても見つからず。


 途方に暮れる私の耳に、水が流れる音が微かに聞こえた。


(お風呂場……? そういえば、まだ見ていなかったわね…)


 普段であれば、朝風呂派を自称するお父さんが入浴している時間なので覗こうとはしないが。


 昨日までの二日間。


 徹夜でカラクリを弄っていた父は、今頃夢の中に場所を変えてカラクリを弄っている筈だ。


(もしかして…! )


「フリート! ……っ! 」


 浴室を覗けば、彼女は頭ごと風呂に突っ込みブクブクと気泡を吐き出していた。


 服が濡れる事など気にせず、慌てて彼女を抱きしめお風呂から引き上げる。


「…………っぷは! り、リニャ…? な、なんで」


「何ではこっちのセリフよ! 何でこんな危ない事してるのよ…バカっ! 」


「反省…いつも、こう。 でも、湖…ない。 こうするか、ない…」


「フリート…少し…。 いいえ…ちゃんと、私とお話しましょう? 」


「おはな、し…」


「そう」


「でも…フリート。 リニャの、だいじ、場所…ダメ、した…」


「確かに酷い状態だったわ…」


「ううっ…」


「でもね。 汚れてしまったら、またお掃除すればいいのよ? 」


「そう…じ…? 」


「いい? フリート。 汚しちゃったら、まずはちゃんと謝って。 それから、頑張ってお掃除するの。 お風呂に沈むなんて危ない事、もうしちゃダメよ」


「ごめん、なさい…リニャ」


「ええ…いいわよ、もう。 グレンから聞いたわ。 本当はキッチンをあんな風にしたかったんじゃなくて。 私と仲良くなるきっかけが欲しかったんでしょ? 」


「う……。 そう、なの…。 リニャ、に…負けない、思った。 けど…。 リニャきらい、違くて…うう…。 フリート、上手、言えない…」


「そうね…。 そんな貴女に、私がぴったりな言葉を教えてあげるわ」


「ぴったり…ことば…? 」


「ライバル」


「らいばる…」


「そう、私と貴女は今日からライバル。 お互いにアイツ…グレンに対して譲れない思いがあるでしょ? だから競い合う時もあるわ。 でもね、その一方で。 同じ家に暮らす同居人として、仲良くもしていきたいじゃない? だからライバル。 どう? いい言葉でしょ? 」


「フリート、も…。 リニャと…仲いい、したい。 グレンは…渡さない、けど…」


「ふふっ、言うじゃない。 でも、私も負けないわよ? 」


「うん…負け、ない。 らいばる…。 リニャ、フリート…らいばる、なるたい! 」


「じゃあ決まり、ねっ。 今日から私達は……ライバルよ! 」


「らいばる、よ? らいばる…よ! 」


「ちょっと、マネしないでよ…恥ずかしいじゃないっ」


「マネ、しなーでよ…はずしい」


「ふふっ。 言えてないわよ」


「うー。 はずしい…」





 フリートと私。


 はじまりは、可愛くない同居人。


 でも。


 今日からは。


 負けられないけど大切な同居人…ライバルになった。


 彼女には一つ。


 感謝しなくてはいけない事がある。


― お互いアイツ……グレンに対して譲れない思いがあるでしょ? ―


 そう、そうなんだ。


 譲れない、譲りたくない。


 私はグレンを…誰かに渡したくないって、そう思っていたんだ。


 この思いに、気付かせてくれた貴方に。


 ありがとう。


― アンタに、負けたくない ―


 迷いながら、絞り出した言葉。


 でも、


(私がグレンの一番になる)


 今なら。


 そう、言い切れる。

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