第6話 初デートに誘われました

 ディスプレイに視線を落とした。

 ぷるぷると手が震えた。


 田畑マナト。

 21歳。

 生まれて初めて異性から告白された。


 不意打ちすぎる。

 盆と正月が一緒にきたところに、クリスマスとバレンタインも殴り込んできた気分だ。


 嬉しすぎて血糖値がオーバーシュートしそう。


『お人形でも恋人になれますか?』


 どうしよう……。

 何か返さないと。


 疑問形。

 つまりYESかNOの二択だ。


 NOと返すのはあり得ない。

 その選択肢は死んでも選べない。


 だったらYESか。

『こんな俺でもよければ……』とテンプレートで返すか。


 いやいやいや⁉︎

 アイギスなりの冗談という可能性もある。


 ユーモアに本音で返すのはリスキーな行為。

 楽しい雰囲気を白けさせてしまう。


 これはコミュニケーションの練習。

 言葉のキャッチボールを楽しめばいい。


 まずは本音を探る。

 そこから次の一手を考えよう。


『アイギスは恋人になりたいんだ?』


 ポチッと送信。


 アイギスのスマートフォンが鳴る。

 文字を打ったり、文字を消したり、慣れない指づかいが愛らしい。


『はい』


 ぐはっ⁉︎

 二文字だけ!


 アイギスが楽しそうにこっちをチラ見する。


 俺の人間力が試されている。

 いままでの全人生がはかりにかけられるプレッシャー。


 グリーンアイと視線がぶつかった。

 俺のことを誘惑するように、うるんだ瞳を向けられた。


 かわいさは反則レベル。

 ああいう表情で添い寝されたら、どんな男もイチコロだろう。


 女神か。

 小悪魔か。


 それにしても困った。

 愛する娘から、パパと結婚したい、といわれた父親の気持ちだ。


 ああいう場合、大きくなったらね、と返すのがテンプレート。

 でも娘と違ってアイギスはすでに大きい。


『恋人になって何がしたいの?』


 ポチッと送信。


『恋人になるだけで十分なんです』


 この返信には60秒かかった。


 健気けなげすぎる。

 これはグッとくる。

 感動して涙が出てきそう。


 次はこっちが文字を打ったり消したりする番。

 なかなか送信できないでいると、追い討ちをかけるようにアイギスの指が動いた。


『マナトさんには現在、恋人がいますか?』


 これは隠すことじゃない。


『いや、いないよ』


 すぐに返す。


『了解です!』


 アイギスはスマートフォンを膝の上に置いてしまった。

 胸の前で手を重ねると、幸せを消化するようにグリーンアイを閉じてしまう。


 あれ?

 終わり?


 中途半端なところで打ち切られた気がする。

 ステーキ肉を七割しか食べていないのにお皿を下げられた感じ。


「アイ……ギス……?」


 小声で呼んでみたが返事はない。


 まさか⁉︎

 アイギスの恋愛テクなのか⁉︎


 最後まで伝えない。

 妄想する余地が生まれる。

 すると相手のことが無性に気になる。


 こういうシーン、ラブコメに登場する。

 だからといって実戦投入するのは器用すぎる。


 アイギスに注意すべきか。

 大人を揶揄からかうものじゃないよ、と。


 負けを認めるみたいで嫌だ。

 年配のおっちゃんみたい。


 俺はまだ21歳。

 バリバリの現役である。

 アイギスの方が一枚上手だとしても、もてあそばれるのは不本意。


 いや、アイギスは天然キャラだ。

 テクニックを駆使くししてくる女の子じゃない。

 ゆえに注意しても効果はないか。


「アイギス」

「……」

「もしも〜し」

「……あっ! はい!」


 泡を食ったように頭をぺこぺこされた。


「もしかして眠いの?」

「すみません!」

「そうなんだ。寝落ちなんだ」

「幸せすぎて……つい……」


 その発想はなかった。

 アイギスは胸がいっぱいなんだ。

 お腹いっぱいで眠くなる人はいるけれども。


「だったらお風呂を済ませちゃおっか」

「はい! 私がお湯のご用意をしてきます!」

「いや、俺がやるから。アイギスは座っていなよ」

「でしたら食器を洗ってきます」

「それも今日は俺がやるから。そうだな……アイギスには……」


 簡単な仕事をお願いしよう。

 むしろ遊ばせてあげたい。


「これを任せた!」


 俺が手渡したのは15パズル。

 4×4のマス目に、15枚のピースを並べて、絵柄を完成させるやつ。

 コツを知っている人は簡単だが、初見しょけんだとかなり苦労するはず。


 ルールについて説明する。

 アイギスは真剣に聞いている。


「このパズルは会社から出された課題なのですか?」

「そうそう……俺の評価に影響してくる」

「とても重大なミッションです」

「だからアイギスにも協力してほしい」

「わかりました! やってみます!」


 評価に影響する、なんて嘘を信じるところが微笑ましい。

 ますます好きになりそう。


「その前にご確認なのですが……」

「どうしたの?」

「もしパズルを完成させられたら、恋人に……」

「ん?」

「なんでもありません。撤回させてください」

「おう……あとは任せた」

「はい!」


 風呂場へ向かってから、頭をゴンゴンと叩いた。


 恋人になれますか?

 アイギスはそれを訊こうとした。


 あざとい。

 相手が同年代の女の子ならそう思う。


 でもアイギスは生まれたばかり。

 許されるのか、許されないのか、彼女なりに迷っている。


 ちゃんと向き合わないと。

 俺がフォローしてあげないと。


 どういう心境の変化があったのか。

 これもラブコメの影響なのか。


 恋人になったら俺が喜ぶとか。

 アイギスのことだから、複雑な背景はなさそう。


 主人公とヒロインが結ばれる。

 幸せそうに手をつなぐ二人。

 それに触発されたとか。


 でも現実は現実。

 ラブコメはラブコメ。

 高校生なんかと違って、働いて、飯を食って、働いて、家賃を払って、働いて、税金を納めて……というのが社会人のリアル。


 俺たちはハムスター。

 進まない車輪の中を50年くらい走り続ける。

 そうやって誰かに甘い汁を供給し続ける。

 ドラマティックな要素は欠片かけらもない。


 就職。

 それは人生の宝くじらしい。

 一等賞なんて存在しない労働社会へのチケット。


 結婚。

 これも人生の宝くじ。

 就職と異なるのは大金持ちという一等賞が0.1%は存在すること。


「現実と理想のギャップがあるのだが、俺だって素人だからな……」


 洗ったバスタブにせんをする。

 お湯の蛇口をひねると、ジュボッジュボと音がして、給湯器から水が流れてくる。


 アイギスの期待にどう応えるのか。

 それを真剣に考えるときがきた。


 そもそも俺は何者か。

 白馬の王子様なのか。


 アイギスを見初みそめてあげる王子様。

 白雪姫とか。

 シンデレラとか。

 眠れる森の美女とか。

 強くて、賢くて、優しくて、格好よくて、気前もいい、みたいな万能系男子。


 アイギスの目にはそう映っている可能性がある。

 恋する色眼鏡というやつだ。


 わかった!

 アイギスには選択肢がないのだ!


 フィクションの世界を除くと、俺しか男を知らないから、他と比較できるチャンスがなかった。


 男が一人しかいない。

 そいつが理想の王子様になる。


 アイギスとデートしたらいい。

 デートスポットには本物の恋人がわんさかいる。


 恋人とは何なのか?

 俺の長所は?

 俺の短所は?

 それを知るよい機会となる。


 アイギスは俺のことを過大評価している。

 それ自体は嬉しいけれども、放置しておくのは良くない。


 まずはデート。

 小学生の社会学習みたいなもの。


「ねえ、アイギス」

「できました!」

「えっ⁉︎ もうパズルが解けたの⁉︎」


 ちゃんと絵柄が完成していた。

 アイギスは上体を揺らしながら喜んでいる。


「優秀だなぁ」

「左上から始めて一個ずつ一個ずつ右下まで揃えていきました」

「なるほど。コツをつかんだんだ」


 アイギスがどんどん成長していく。

 自分のことのように誇らしい。


「そうそう、明日は俺の仕事が休みだからさ、一緒に出かけようよ」

「お買い物でしょうか? でしたらおともします」

「いや、買い物というより……」

「?」


 キュッと結んだ口元がハムスターみたい。


 俺だって10歳若ければ、このくらい純粋な笑顔がつくれる。


「明日はデートしよう。一緒に住んでいるから待ち合わせとかは無いけれども」

「デートですか?」

「男女が一緒に休日を楽しむ。それがデート」

「いいのですか⁉︎」

「アイギスが嫌でなければ」

「いいえ、デートします!」


 思わず口元がほころぶ。


「近場になるけど、俺がプランを考えるよ」

「ありがとうございます!」

「どこか行きたい場所はある?」

「いえ、マナトさんにお任せします!」

「そっか。わかった」


 アイギスを先にお風呂へ入れさせる。

 その間に俺は下調べをしておく。


 公園。

 美術館または博物館。

 ランチはお弁当を持っていこう。

 おしゃれな喫茶でデザートを食べさせたい。


 あとお買い物。

 日用品ではなく本とかアクセサリーを買ってあげたい。


 デート♪

 デート♪

 明日はデート♪

 楽しいな〜♪

 というアイギス自作の歌が流れてきた。


 思わず笑っちゃう。

 このワクワク感は小学校の遠足に似ている。


 アイギスが出てきたらお風呂を交代。


「背中を流しましょうか、とか、そういう過剰なサービスはいいからね。あれは亭主関白といって古い文化だから」

「は〜い」


 くぎを刺しとかないと本当に背中を流しにくる。

 アイギスとはそういう女の子である。


 ……。

 …………。


 そして翌朝。

 俺たちは一緒にお弁当をつくった。


 記念すべき初デート。

 おかずは普段より豪華にしている。


「お箸を忘れずに入れて……」


 アイギスが冷蔵庫からボトルを取り出す。


「お茶をつくっておきました。自家製の麦茶です」

「本当⁉︎ アイギスは偉いねえ」

「むっふっふ」


 これでドリンク代を節約。


 たかが100円。

 されど100円。

 お金なんかより気持ちの方が嬉しい。


「携帯は持った? もし俺とはぐれちゃったら連絡してね」

「了解です!」


 お弁当とアイギス茶をリュックサックに詰める。

 忘れずにウェットティッシュも入れる。


「じゃあ、出発しようか」

「はい!」


 アイギスが軽やかに駆け出す。

 コンコンコンコンとボロ階段が鳴る。


 古びたアパートにまぶしい太陽の光が注いでいた。

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