第7話 公園デビューに成功しました
仕事あるある。
職場あるある。
そんな話を何かしら耳にしたことがあるだろう。
外回りの営業マンなら、オフの日でも早足で歩いちゃうとか。
電機メーカーの技師ならば、街中で自社ロゴを目にすると嬉しいとか。
医療機関で働いている人なら、顔色の悪そうな人をすぐ見つけちゃうとか。
俺にもある。
いい感じの物件を見かけると査定したくなる。
このアパートはA社が
この立地なら空室の心配がなさそうだな。
家賃は大体おいくら万円かな、とか考えてしまう。
あと競合他社の看板が気になる。
各社の縄張りみたいなものがあって、どこのエリアに重点を置いているのか、単身向けに強いのか、ファミリー向けに強いのか、それとなく伝わってくる。
俺たちのビジネスはあくまで仲介。
目に見える自社製品があるわけじゃない。
他のサラリーマンに比べると、人柄とか、行動力とか、コネクションとか、古典的なスキルが求められると思う。
あと正解のない問題がけっこう多い。
物件はどんどん経年劣化してその価値を失っていく。
賃料を下げるべきか、思いきってリフォームすべきか、オーナーと相談するときは神経をつかわされる。
「ねえ、アイギス。あそこに赤い屋根の建物があるでしょ。いまべランダに女性が立っている物件」
一軒のアパートを指さした。
「はい。よく見えます」
「あそこの賃貸ね、うちの会社が取り扱っているんだけれども、端っこの部屋だけ形が
「現在は入居者がいるようです」
「うん、変な間取りだから割安ですよ、と説明したら、逆に興味を示してくれる人もいるから。物は言いようだな、と思ったんだ」
「なるほど、なるほど」
「ごめん……俺の仕事の話をしてもよく分からないよね」
「そんなことはないです」
アイギスはブンブンと首を振った。
「マナトさんが何を考えているのか、非常に興味があります」
「えっ⁉︎ 本当に⁉︎」
「はい」
「じゃあ、あっちの物件。大家さんが70歳くらいのお爺ちゃんなんだけど、メチャクチャ良い人でさ、ご挨拶にうかがったとき、わざわざお土産を用意してくれていて……」
アイギスは聞き上手なんだな。
油断していると一方的に話してしまう。
表情や仕草といったリアクションが秀逸なのだろう。
「屋根についている板は何ですか?」
「あれは太陽光パネルといってね……」
ぱっちりした目。
話し手のことを包み込むような安心感がある。
ぷるんとした唇。
意識するわけでもないのに視線が吸い寄せられてしまう。
「あそこのマンションの一階はコンビニなのですか?」
「うん、コンビニは10年契約か15年契約だから。大家さんからすると安定した収入源になるよ」
「住む人にとっては便利なのでしょうか?」
「人によるかな。コンビニは全然利用しないよ、という住人もいるだろうしね」
「勉強になります」
アイギスが感心したようにうなずく。
次から次へと魅力を発見してしまう。
この愛くるしさに酔いそう。
「どうしました?」
「いや……アイギスのまつ毛、長いなと思って……」
何いってんだ、俺は。
「そうですかね?」
「うん、長いと思う」
アイギスは眼球を上に向けて目をパチパチさせる。
「まつ毛が長いと良いことがあるのでしょうか?」
「そうだな。長いまつ毛に憧れる女の子はいるかな」
「なぜですか?」
「目が大きく見えるんだよ」
「おお!」
「かわいいと感じるんだ」
「か……か……かわいい⁉︎」
アイギスが急にパニックを起こした。
「私はかわいいのですか⁉︎」
「ええとね……そうだね」
「まつ毛が長いから、かわいい女の子なのですか⁉︎」
「うん……そうそう……アイギスはかわいいと思う。まつ毛以外にもチャームポイントはあるけれども。俺の基準だと十分かわいい」
「あわわわわっ……」
手で顔を隠してしまう。
妹キャラみたいで守ってあげたい。
「アイギス?」
返事はない。
思考がフリーズしちゃったようだ。
「大丈夫?」
デート開始早々なのに固まっちゃった。
「公園まで手をつなぐ?」
アイギスがぴくっと反応する。
チラチラと俺の方を気にしている。
穴に隠れちゃったウサギみたい。
エサでおびき寄せたくなる。
「手を握っていただいてもよろしいのですか?」
「うん、せっかくのデートなんだしさ」
「では、お言葉に甘えます」
手と手が触れた。
アイギスとつながった。
心臓が
お互いの熱が溶けて一つになる。
こんな気持ちは初めてだ。
ちょっと苦い。
けれども甘い。
アイギスの手は陶器みたいにすべすべしている。
しなやかで細いから女の子っぽい。
俺の手はゴツゴツしている。
紙やパソコンに触れる時間が長いせいで乾燥している。
豆腐とおから。
近い食品だけれども似ていない。
そんな感じ。
「ちょっと緊張します」
「初めてだからね」
前方からカップルが歩いてきた。
大学生くらいの若さ。
仲よく手を結んでいる。
好きという気持ちを体で表現している。
自然体というのが伝わってきて、楽しそうだな、付き合いが長いんだろうな、と想像してしまう。
「本物のカップルでしたね」
「そうだね」
「私たちもああいう風に見えるでしょうか」
「そうかもしれない」
「とても照れます」
「アイギス……」
握力が強くなり、指先が食い込んで、アイギスの感情が流れてくるようだった。
恋人らしいことを楽しんでいる。
それを俺もアイギスも理解している。
他愛のない話をしながら歩くこと十数分。
この街にある一番大きな公園へやってきた。
小さな噴水。
枯れかけの小川。
晴天ということもあり、芝生広場には子どもの姿が目立つ。
アイギスがうっとりと目を細めた。
視線の先にいるのはボールで遊ぶ犬。
「ワンちゃんがいます。あれは何という犬なのですか?」
「テリア犬だね。ヨークシャーテリア。原産国は忘れちゃったけれど、ヨーロッパから渡ってきた犬だよ」
灰色の毛並み。
遠くから見るとモップが生きているみたい。
「かわいいです」
「
テリアは飼い主の女性のところへダッシュする。
くしゃくしゃと可愛がってもらい、子どものように甘えている。
1kmくらいのウォーキングコースを散歩してみた。
アイギスの金髪は角度によって色が変わる。
濃くなったり。
薄くなったり。
光のグラデーションが美しい。
アイギスのワンピースに水玉模様ができる。
それに気づいた本人が心を弾ませている。
「ここは森ですか?」
「そんな大層な場所ではないけれども」
「でも森の中にいるような気分です。きっと昔は森だった場所です」
「そうかもしれないな。たぶん木々がうっそうと生い茂っていた」
この想像力はどこから湧いてくるのだろう。
アイギスは知らないことが多い。
足りない情報を想像の力で補っているのだろうか。
水音が聞こえた。
小さな川がある。
「何かいる?」
アイギスが熱心に水面を見つめるので、俺もその横に立ってみる。
「何も見えません」
「そうだね」
「でも何かいそうな気配はあります」
「なんだろう」
好奇の色に輝くグリーンアイ。
俺とは別の世界が見えているのかもしれない。
ぴしゃり、と
生き物ではなかった。
鳥が木の実を落としただけだった。
「びっくりしました」
バサバサという羽音にアイギスが驚く。
俺はそれを軽く笑う。
「いこうか」
「はい」
柔らかな風に流されてきた葉っぱが金髪に引っかかった。
花の匂いに誘われた
そっと抜いてあげる。
上目づかいのアイギス。
胸と胸が触れそうなほど距離が近い。
「ほら、もう大丈夫だよ」
「ありがとうございます」
アイギスがさっきよりも早いペースで歩き出す。
俺は三歩くらい後ろから追いかける。
「なんだか変な気持ちです」
「変な気持ちって?」
「マナトさんが近くにいると心がソワソワします」
「不思議だね」
「恋人になるとは、ソワソワなのでしょうか」
「どうだろう……」
「思っていた感じと違います。想像よりも複雑です」
アイギスがくるりと反転した。
ワンピースが傘みたいに膨らんだ。
「私には知らないことが多いです。公園も初めてです。犬も初めてです。デートも初めてです。そしてこの気持ちも……」
グリーンアイを伏せながらいう。
「胸がきゅうっとなりました。マナトさんに葉っぱを取ってもらったとき。嬉しいなんて言葉では収まりきらない幸福でした。この瞬間がずっと続けばいいのにと思いました」
「アイギス……」
思わず抱きしめたくなる。
そんな瞬間がよくある。
自重しているのは大嘘をついた後ろめたさのせい。
アイギスを生み出したのは田畑タクミ。
俺は亡くなった兄の代わりを演じている。
爆弾を抱えており、これが炸裂すると、アイギスとの関係に亀裂が生じるかもしれない。
リスクは受け入れたつもりだ。
自分で選んだ道だから。
そういう表現はふさわしくないけれども、兄への義理立てみたいな部分はある。
アイギスに世界を教えてあげたい。
いわば自己満足。
困っている人を助けることで己の価値を再認識したい。
責任をもって最後までフォローする。
それを確かめてから歩きだす。
「この先に屋根つきのベンチがあるんだ。もし先客がいなかったら、そこでお弁当を食べよう」
「はい、了解しました」
「口調がお仕事みたいになっているよ」
「あわわ……すみません」
「アイギスらしいけどね」
アイギスがひな鳥のように追いかけてくる。
「あの……」
「どうしたの?」
「手をお借りしてもよろしいでしょうか。動揺するあまり、まっすぐ歩けません」
「いいよ。ゆっくり歩こう」
じんわりと汗ばんだアイギスの手は、この公園へやってきた時より、一度くらい熱く感じられた。
ふわふわした俺の心を代弁するように葉っぱが風にそよいでいた。
……。
…………。
いつもより豪華な弁当にお箸をつけた。
焼きナス。
焼きピーマン。
焼き豚バラ肉。
これらは焼肉のタレが利いており、食欲をかき立ててくる。
プラスチック容器にはレタスと紫キャベツを詰めている。
ここに粉チーズ、ベーコン、ドレッシングをまぶすとシーザーサラダに早変わりする。
今日のご飯はチャーハンおにぎり。
冷めてしまったけれども、鶏ガラ
一人450円とか、そのくらいの昼食だと思う。
アイギスと二人だと高級レストランにも勝る満足感がある。
「マナトさん、お口の横にご飯粒がついていますよ」
「あっ……本当だ」
同じタイミングでクスクスと笑った。
前も似たようなことがあった。
立場は逆だったけれども。
「アイギスがつくってくれた麦茶おいしいよ」
「本当ですか?」
「市販と手づくりは違うね。こっちの方が香ばしい」
カットしておいたリンゴがデザート。
しっかり蜜が入っており、甘酸っぱくて爽やかな味がする。
「マナトさんが皮を
「ありがとう。農家さんに感謝しないとね」
しばらく休憩してから散歩を再開する。
ふたたび芝生広場へ戻ってきたとき、アイギスの足元にボールが転がってきた。
男の子が走りながら手を振っている。
「すみませ〜ん。ボールを取ってくださ〜い」
アイギスが大きく振りかぶる。
気合いを入れてオーバースロー。
男の子へ投げ返すはずのボールは、すぐに地面にバウンドして、微笑ましいシチュエーションが誕生してしまう。
「うまく投げられませんでした」
「最初はあんなものだよ」
金髪をポンポンして励ましてあげる。
「でも公園は楽しいところです」
「うん、また来ようね。秋になると紅葉がきれいなんだ」
リクエストに応えるかたちで手を結んだ。
アイギスの公園デビューは大成功といえそうだ。
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