第5話 お人形でも恋人になれますか?
「田畑も弁当を持参なのか?」
支店長が弁当箱を取り出しながらいった。
「はい、今週から試験的に始めてみまして……」
そういう俺の手元にも弁当箱がある。
「弁当仲間だな」
「ですね」
支店長のは奥さんの手づくりらしい。
休日出勤するとき以外、欠かさず持ってくる。
パエリア弁当だったり、ビビンバ弁当だったり、SNSで自慢できるクオリティー。
俺のはアイギスが用意してくれた。
一に節約、二に健康、三にスキル向上が目的らしい。
原価200円に収まるよう計算してあるのが自慢なんだとか。
肝心の中身は……初心者ゆえ少し残念。
甘く採点しても70点だろう。
玉子焼きの形は崩れているし、塩加減が日によって違うし、味を付け忘れている日もある。
けれども着実に上達しているのは伝わってくる。
メニューは基本ワンパターン。
おにぎり。
玉子焼き。
ウィンナー。
ミニトマト。
昨日のおかずの残り。
おもちゃ箱みたいにカラフルである。
色彩にこだわりがあるのだろうか。
正直いうと抵抗はあった。
独身男が家から弁当を持ってくるなんて、貧乏丸出しみたいで恥ずかしかった。
借金でもしたのか⁉︎
安月給に不満があるのか⁉︎
そんな噂が立つのを恐れていた。
もちろん思い過ごしである。
お弁当を持ってくるなんて偉いわね、と年配の女性社員から声をかけられたくらいで、驚きもされなければ、心配もされなかった。
支店長の影響かもしれない。
おかげで俺も堂々と弁当を食べられる。
「弁当は自分でつくったのか? 親御さんは遠くに住んでいるよな」
「俺ではないです……知り合いがですね……」
「まさか彼女か?」
「いや、違います!」
「隠すなって。顔に出ているぞ」
茶化された。
この人は本当に鋭い。
「でも彼女じゃないのは本当ですから」
「ふ〜ん……」
「信じてくださいよ」
玉子焼きがしょっぱいのは、アイギスのせいか、支店長のせいか。
「やっぱり女だな」
「あっはっは……」
支店長のせいだな。
照れを隠すように弁当をかき込んで、仕事をリスタートさせる。
今日は目標がある。
定時に退社するのだ。
朝だって30分早く出社して貯金をつくっておいた。
会社のために頑張る、なんて
配送されてくるアイギス携帯を受領するのが目的である。
アイギスに受け取らせることも考えた。
田畑マナト名義の荷物だし、身分証の提示を求められると面倒だから、俺が対応できる夜間配達にしておいた。
これでアイギスとの連絡手段ができる。
明日からは好きなタイミングでメッセージ交換できる。
スマートフォンの仕組みを理解したアイギスは大喜びしていた。
いつでもマナトさんと
絶対にメッセージを送ります、と約束してくれた。
寂しかったのだろうか。
いや、心細かったに決まっている。
知らない土地。
知らない人ばかりいる。
アパートとその周辺だけがアイギスの世界。
心が赤ちゃんなのだ。
純粋で
楽しいことも、苦しいことも、少しずつ覚えていけばいい。
大丈夫。
アイギスは良い子だから。
二年か三年もすれば立派な女性になる。
やりたい事が見つかって、そのための勉強もやって、技能を習得するだろう。
いずれ自分の力で給料を稼げる日がくるはず。
『目の前で恩人が苦しんでいた』
『苦しみを少しでも分かち合いたかった』
あれが真実だとしても、忘れてしまうべきだ。
アイギスは苦痛やストレスの受け皿なんかじゃない。
他人の人生に縛られる。
田畑タクミという亡霊に
そんなの正気の
アイギスには自分の人生を生きてほしい。
他の誰かじゃなくて自分のために輝いてほしい。
俺ならフォローできる。
三年先か、五年先か、十年先か分からないけれども、アイギスを独り立ちさせてあげられる。
兄が生きた証拠だから。
彼女の手で探してほしい。
アイギスが生きる理由を。
タクミが生まれてきた意味を。
その一点だけが俺からの切なる願いである。
定時になった。
ゴミを片づけて、パソコンの電源を落とす。
打刻するときのピッの電子音が勝利のファンファーレみたいに鳴る。
「お先に失礼します」
「おう、お疲れ!」
こんなに気持ちよく退社できたのは入社して初めてだ。
早くアイギスに会いたい。
そう思うと不思議とパワーが湧いてきた。
明日も頑張ってみよう。
『まさか彼女か?』
支店長のセリフを思い出し、ひとりでドキッとした。
そんなバカな。
アイギスはフィギュアなのだ。
感情はあっても俺のような人間ではない。
生い立ちとか、生まれた目的とか、色々と違いすぎている。
でも人間の定義ってなんだ?
市民権。
マイナンバー。
アイギスは普通に買い物している。
電車やバスにも乗れるし、図書館だって利用できると思う。
やっぱり人間の女の子なのだろうか?
聞く。
話す。
笑う。
食べる。
料理する。
お弁当をつくる。
能力という意味では、俺とそんなに大差ない、むしろアイギスの方が器用だったりする。
でも自称フィギュア。
その部分が正しくないのか。
「アイギスをフィギュアだと認めると、フィギュアの定義が根底からひっくり返るような……」
まあ、いいか。
いくら考えても仕方ない。
結論。
何者であれアイギスはかわいい。
……。
…………。
「ただいま〜」
玄関のドアを開けると、柔らかな優しい
アイギスが片手鍋でスープをつくっている。
こってりとした匂い。
これは豚汁の香り。
「お帰りなさいませ。本日もお仕事ご苦労様です」
ぺこりと頭を下げられた。
ワンピースの上からチェック柄のエプロンをつけており、家庭的なオーラが増している。
「アイギスもお留守番ご苦労様です。お料理ありがとう」
「いえ、私の使命ですから。当然のことをしているだけです」
「とても謙虚だね。そこが偉いな」
「そうでしょうか?」
「うん」
「ですが、お掃除にも、お料理にも、まだまだ時間がかかります。あまり要領が良くないようです。ミスしないように気をつけると、時間ばかり浪費してしまう上、かえって手元が狂うときもあります。……あっ! いけない!」
豚汁が泡立ちそうになり、アイギスが慌てて火力を弱めた。
うっかり屋さんなところが愛くるしい。
「お料理は難しいです。レシピはあっても、写真のようにはいきません」
「向上心がある証拠だよ。アイギスならすぐ上達するはずさ」
当然のことを当然にやる。
口でいうほど簡単なことじゃないと思う。
時刻通りに走っている電車。
アスファルトが
すぐに駆けつけてくれる救急車。
見えない誰かの頑張りに支えられている。
色がない空気のように、当然すぎて存在を忘れている。
俺のようなサラリーマンは透明人間だ。
半年に一回くらいお客さんから感謝されればいい。
目立たない存在だけれども、支店長のような人間が忘れずに評価してくれる。
俺にはアイギスもいる。
仕事から帰ってくると
十分すぎるくらい幸せだ。
「俺だって仕事でミスするからね。当たり前を当たり前にこなしているだけ、と言えるようになりたいよ」
「それはマナトさんのお仕事が難しいからではないでしょうか?」
「う〜ん……そういうわけじゃないと思うけど……。支店長と比べると俺なんて全然なんだ。勤続年数とかじゃなくて、人間性みたいな部分が甘いよ」
支店長について簡単に説明した。
男性。
ごつい顔つき。
営業所ではもっとも偉い人。
アイギスがクスクスと笑う。
「マナトさんは支店長さんのことを尊敬しているのですね」
「どうだろう……ちょっと怖いときもあるから。でも、支店長に何か注意されたからといって、あの人を嫌いになることはないね」
「私もです。マナトさんから何か注意されても、やる気が湧いてくるだけです」
「本当に⁉︎ 俺より優秀だな!」
「そんな……恐れ多いです……」
こんなに性格がいい女の子、街中探してもいないだろう。
アイギス本来のパーソナリティ。
心の中に光るものがあり、言葉となって相手の胸に突き刺さる。
うちの会社だったら即採用されると思う。
そのくらい可愛げがある。
「マナトさん、どうかしましたか?」
「いや、アイギスは前向きだな、と思って」
「はい、前向きです。私の目は前についております」
「そっか。そうだよね。たしかに」
「マナトさんも前向きです」
「うん、仲間だ」
この天然っぷりに
そろそろアイギス中毒になりそう。
ぎゅるると腹の虫が鳴った。
俺かと思いきや、アイギスの方だった。
「すみません!」
「いいよ、いいよ。自分が料理していると食べたくなるよね」
「はい、豚汁は特においしそうな匂いがします」
俺のお腹もぺこぺこなので、すぐに食べることにした。
白米。
豚汁。
おひたし。
揚げ出し豆腐。
二人でいただきますの挨拶をする。
アイギスはピンと背筋を伸ばしており、食事するときの姿勢も美しい。
豚汁を何口か飲んでみた。
「どうでしょうか?」
「うん! おいしい!」
食欲をガツンと刺激されてさらに飲む。
「よくできているよ。具だくさんだから、定食屋の豚汁よりもおいしい」
「本当ですか⁉︎ おかわりしますか⁉︎」
「するする! もっと食べたい!」
「ありがとうございます!」
「感謝するのは俺の方だから!」
アイギスが小さくガッツポーズ。
口元をニヤニヤさせちゃって、最高の笑みを浮かべている。
かわいい。
心が溶けそうだ。
理解できないくらい愛くるしい。
日本の教育システムで育った女の子は、ここまでピュアになれないから、アイギスに与えられた天性なのだろう。
「今日はいい日です」
「どうしたの、急に?」
「マナトさんと食事できるからいい日です」
「それだと毎日がいい日になっちゃうけど……」
「そうです。私にとっては毎日が幸せです」
「アイギスは人生の達人みたいだなぁ」
俺も楽しくなってきて、豚汁を二回もおかわりしてしまう。
食事が終わったタイミングで呼び鈴が鳴った。
配送業者のスタッフだった。
受領のサインをする。
アイギスと一緒にスマートフォンを初期セットアップする。
「ここにSIMカードを挿して……」
「ドキドキします」
「そう?」
「はい、胸が破けそうです」
「大げさだよ」
「ちゃんと動くでしょうか? 当たり外れとかあるのでしょうか?」
「ここまで設定できたから問題ないと思うけどね」
SIMの設定は完了。
メッセージアプリをダウンロードして起動した。
さっそくアイギスに使い方をレクチャーする。
「ここに文字を打ち込んでね……ここの矢印を押せば……ほら、相手の人に届くんだよ」
「おお! 一瞬ですね! これは奇跡です!」
「あっはっは……世の中が奇跡だらけだな」
「はい、ミラクルです」
アイギスにも操作させてみる。
文字を打ったり、文字を消したり、じっくり考えている。
気になる人生初のメッセージは……。
『お人形でも恋人になれますか?』
ピコンと鳴った俺の携帯にそんな文言が並んでいた。
「ええっ⁉︎」
「うふふ……」
アイギスがスマートフォンを握りしめてニコニコする。
いたずらに大成功した小学生みたいに俺の反応を楽しんでいる。
「ええっ⁉︎ ちょ⁉︎ まっ⁉︎ ええっ⁉︎」
「嘘じゃないですよ」
自称フィギュアの女の子から告白されてしまった。
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