第4話 お料理に挑戦してみました

 外が暗くなったころ。


 お腹の虫がぎゅるると鳴った。

 頭がぼんやりとして、体から力が抜けていく。


 机のチョコレートに手が伸びる。

 銀紙をはがそうとして、やっぱり元の位置に戻す。


 どうせ食べるなら栄養のあるものがいい。

 豚の生姜しょうが焼きとか。

 豚の生姜焼きとか。

 豚の生姜焼きとか。


 いや、俺が熱烈なポークジンジャー愛好家というわけではない。


 漫画のせいである。

 連載を追っているラブコメに、ヒロインが料理に初挑戦する回があって、主人公のためにつくったのが、豚の生姜焼きだったのだ。


 いわゆる飯テロである。

 コンビニへ走ってハイカロリーの弁当を買った記憶がある。


 アイギスなら料理できるだろうか。


 手先は器用そう。

 学習能力も高そう。

 マニュアルをきっちり守るのは誰よりも得意そう。


 ただ、ああいうキャラクターに限って料理音痴おんちなのも、ラブコメ漫画ではよくあること。


 やればできる子か?

 残念系美少女にカテゴライズされるか?


 ためしに何食かつくって、本人が楽しそうなら、我が家のコックに任命してもいいだろう。

 食費の節約にもなるから一石二鳥。


「どうした、田畑。難しそうな顔して」

「うわぁ⁉︎ 支店長⁉︎」


 支店長が取引先から戻ってきた。

 これから退社するかと思いきや、パソコンに電源を投入して、もう一仕事する気らしい。


「システムにデータをアップロードしているのですが、どうも処理が重くて」

「そうか。大変そうだな」

「支店長ほどではありません」


 高校、大学と強豪のラグビー部で鍛えてきた人だ。

 ハラスメント最盛期を生き抜いている。


 でもパワハラ上司ではない。

 むしろその逆。


 学生時代、死ぬほど理不尽な目にあってきた。

 恐怖で人を支配することが、いかに有効かつ危険なのか、経験を通じて学んだ。


 自分が加害者にならないよう、自戒としている節がある。


「この前、内覧ないらんにきてくれたお客さんが、田畑のことを褒めていたぞ。フローリング材について、若いのに詳しい担当者がいるって」

「お掃除ロボットを利用するご夫婦みたいで。ツヤが落ちたり、小さい傷がついたり、そこら辺を特に気にされていましたね」

「日頃から勉強しているお陰だな。質問にすぐ答えられる担当者は、顧客から必ず信頼される」


 大きな手で肩をポンポンと叩かれる。

 親子みたいで小恥ずかしい。


「田畑の頑張りは間違っていない。それを伝えたくてな」

「ありがとうございます」


 フローリング材うんぬんの話は、顧客のアンケートで知ったのだろう。


 支店長がそれを把握しているのは意外だった。

 できる人は違う。

 センサーが鋭い。


「数ヶ月前とは別人みたいだな。何か良いことでもあったのか?」

「そういうわけじゃないですが……そんなに変わりましたかね?」


 アイギスの恩恵だろうか。


「ああ、顔つきが生き生きしている。変なものでも食ったのかと心配になる」

「そんなことないですよ。純粋にコンディションがいい感じです」

「そうか。秘訣ひけつがあるなら教えてもらおうと期待したのだが……」

「またまた。ご冗談を」


 支店長ははとが鳴くようにくっくと笑った。

 この人の目は誤魔化せないらしい。


 二ヶ月前にタクミが亡くなったとき。


 周りの先輩は色々と気を遣ってくれた。

 優しさがかえって逆効果となり、俺は調子を落として悩んでいた。


『むしろ仕事に打ち込んだ方がいい』

『田畑みたいな性格の場合、一人でいると気分が沈むはずだ』


 アドバイスをくれたのが支店長である。


 助言は正しかった。

 俺はすぐに調子を取り戻した。


『前の営業所でも似たようなことがあったんだ。女性社員が急にお父さんを亡くしてな。田畑と似たような性格の子だった。優しくされると逆にプレッシャーを感じていたらしい。俺が気づいてやれて良かった』


 エレベーターの中で体験談を打ち明けてくれた。


 心のイケメンだと思った。

 ダンディズムの伝道師だと思った。


 若い社員の模範もはんになってほしい。

 一年でも早く出世して、さらに上位のポストへ昇ってほしい。


「田畑はどのくらい残業する予定なんだ?」

「あと1時間くらいです。新規の物件データをもらったので、それをシステムに反映させたら帰ろうと思います」


 それを聞いた支店長が腕組みをする。


「いや、明日でいいよ。今日はもう引き上げろ」

「いいのですか?」

「休日出勤したんだ。今週は無理するな。しっかりと休め」

「ですが……」

「じゃあ、あれだ。俺がメールで送ったやつ。向こうの担当は『図面に記載の通りです』とか言ってきたが、本当に記載があるのか、いい加減な仕事をやってないか、田畑の目でもチェックしてくれ。それが終わったら引きあげろ。絶対だぞ」

「わかりました。すぐに確認します」

「この業界、本当に適当なやつが多いからな! はっはっは!」


 チェック作業は10分で終わった。

 俺が帰りやすいよう誘導してくれたのだろう。


「大丈夫です。今回は問題ありません」

「ありがと! 助かる!」


 パソコンの電源を落とす。


「お先に失礼します」

「おう、お疲れ」


 ぺこりと頭を下げる。

 いい仕事をやったという充実感がある。


「さてと……会社からは解放されたが……」


 アイギスに連絡しよう。

 丸一日も留守番したから退屈しているはず。


「あっ……」


 アイギスに連絡する手段がないことに気づいた。


 完全に見落としていた。

 初日に気づかなかった俺がバカみたい。


「どうしよう……」


 今日はいい。

 もうすぐ帰宅する。


 急なトラブルが起きたとき。

 あるいは体調が悪くなったとき。

 アイギスから俺に連絡したい日もあるだろう。

 そう考えると一台は渡しておくべき。


 月々1,000円くらいの格安SIM携帯を子どもに買ってあげた。

 先輩がそんな話をしていた気がする。


 買うか。

 アイギス携帯。

 メッセージ交換を覚えさせたら日々の楽しみが増えそうだ。


 アイギスがどんな文章を送ってくるかも気になる。


 あの子は自称フィギュア。

 成長するこの世で唯一のフィギュアだ。


『卵が安かったので買っておきました』

『今夜は月がきれいに見えます』

『居眠りしちゃいました』

 とか送ってくるのだろうか。


 ちょっと興味がある。

 アイギスのことだから予想の斜め上をいくメッセージをくれそう。


 その前にインターネットやスマートフォンを理解させる必要があるな、なんて考えつつ、早歩きで家を目指した。


 ……。

 …………。


「ただいま〜」


 玄関を開けると、お肉の焼けるおいしそうな匂いが襲ってきた。


 出どころはキッチンである。

 アイギスがフライパンで何かを焼いている。


「あっ⁉︎ それ⁉︎」

「豚の生姜焼きをつくってみました」


 まさかのポークジンジャー。

 こんがりキツネ色に染まった厚切り豚が二枚、パチパチとリズミカルな音を奏でている。


 頬をつねった。

 夢じゃない。


 お皿が二枚ある。

 そっちにはキャベツとトマトが盛ってある。


「どうしたの⁉︎ いきなり料理なんかしちゃって⁉︎」

「マナトさんに喜んでいただけると思い、お料理に挑戦してみました。もうすぐ完成します」

「いやいやいや! すごすぎるよ!」

「本当ですか⁉︎」


 アイギスは嬉しさのあまりぴょんと跳ねた。


 人間の女の子よりかわいい。

 田畑マナト史上、愛くるしさトップの座が、アイギスによって奪われた。


「でも豚の生姜焼きなんて、よく思いついたね」

「はい、本を参考にしてみました」

「本を?」

「マナトさんに読む許可をいただいたコミックスです」


 連載中のラブコメだ。


「女の子が豚の生姜焼きという料理をつくっていたのです。食べた男の子は大満足していました。参考になるかと思いまして……」

「俺が喜ぶと思って?」

「はい、料理には人を幸せにする力があるそうです」

「へえ〜、漫画で勉強したんだ〜」


 学校に通っていないアイギスにとっては、漫画が教科書みたいなものか。

 いきなり再現しちゃうなんて有能すぎる。


「でも食材とかは? スーパーまでちゃんといけた?」

「はい、マナトさんから紹介いただいたお店に一人でいけました。会計も手順通りに済ませました。スタンプを集めているか訊かれて、何のことかわからず……。でも無料だったのでスタンプカードをもらっておきました」

「ああ……福引券くれるやつ……うん、集めたらいいよ、スタンプ」


 いつも途中でカードを失くすやつ。

 アイギスの性格なら最後まで貯められるかもしれない。


 ピーッと炊飯器がブザー音をあげる。


「炊けました! ちゃんと炊けました!」


 白米の準備も抜かりなし。

 理想的なタイミングで帰ってきたらしい。


 ちゃぶ台の上をきれいにする。

 二人分のお箸やお茶碗を並べる。

 インスタントのみそ汁があるのを思い出し、一品加えることにした。


 一人じゃない食事は久しぶりだ。

 いつもネットやテレビを観ながら作業のように食べていた。

 腹が膨らめばいいという、義務のようなエネルギー供給。


 今夜は話し相手がいる。

 それがいこいの時間となる。


「マナトさん、あの……」

「どうしたの?」

「こういう時、ごはんにする? お風呂にする? それとも私にする? みたいなセリフがあると、殿方とのがたは喜ぶのでしょうか?」

「いや、ないない! 人によるけれども! あれは漫画とかの世界! 少なくともアイギスはやらなくていい!」

「そうですか……」


 これも漫画の影響だとしたら、学習能力があるのも考えものだ。


「ちょっと残念です」


 アイギスがしょぼん顔になる。


「まあ……ね」


 いや、本音をいうと嬉しい。

 新婚生活みたいで気分が盛り上がりそう。


 でも俺とアイギスは同居人であって、兄の忘れ形見みたいなものだから、許されること許されないことの境界線がある。


 めいっ子に近いと思う。

 四歳くらい年下の親戚。


「フィクションで参考になるのは50%くらいかな」

「難しいのですね。なんでも鵜呑うのみにするのは危険だと分かりました」

「そこまで深く考えなくていいよ。豚の生姜焼きをつくってくれたのは最高に嬉しいし」


 アイギスの表情がぱあっと輝く。

 心が通じ合えたようで、俺の体温まで上がる。


「冷めないうちに食べようか?」

「はい、食べましょう」

「いただきます」

「いただきます」


 ジューシーな豚ロースにかじりついた。

 タレの甘味と生姜の辛味が口の中で混ざりあう。


 舌が喜ぶ。

 胃がもっとくれと催促さいそくしてくる。

 それが電気信号となり、お箸を動かす手をスピードアップさせる。


 シャキシャキのキャベツもおいしい。

 一人暮らしだと野菜不足になりがちだから、食物繊維が豊富なキャベツはありがたい。


 あっという間に半分を平らげた。

 残りの半分も食べようとして、まだ感想を伝えていないことに気づいた。


「おいしいよ。元気になる料理だよ」

「はい、とってもおいしいです! 豚の生姜焼きはおいしい食べ物です!」

「そっか。アイギスは生まれて初めてか」

「そうです!」


 俺よりアイギスの方が幸せそう。

 つくった張本人だから、嬉しさも二倍なのか。


 頬っぺたにご飯粒がついていることを教えると、アイギスは爆発したように顔を赤らめ、指でつまんでぺろりと舐めた。


 タクミにも見せてあげたい。

 笑ったり、泣いたり、豚の生姜焼きをつくったりするアイギスの姿を。


 そして教えてあげたい。

 あの子は元気にやっています、とても優秀な子です、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る