第3話 アイギスのお洋服を買いに

 家がきれいになった代償だいしょうにひとつ問題が発生した。


「アイギスのワンピース……」

「あら?」


 所どころ汚れてしまったのである。


「ごめんね。大切な一張羅いっちょうらなのに」

「かまいません。これしきの汚れ、洗えばすぐに落ちます」


 かわいいオリジナル服が泣いている。

 天国の兄が見たらショックを受けるはず。


 アイギスは自分の責任だと言い張った。

 でも留守番させたことが間接的な原因である。


「部屋着みたいな服を貸せればいいのだが……俺とアイギスじゃ体のサイズが違うからなぁ」

「服を借りるなど滅相めっそうもない! 私はこれで十分ですから!」

「でも、掃除してくれたお礼もしないと」

「本当に大丈夫なので!」


 手をぶんぶんする姿がかわいい。

 ここまで強く拒まれると、逆に何か買ってあげたくなる。


「やっぱり服が一枚しかないのは良くない。寝るときのパジャマも必要じゃないかな」

「それはそうですが……」


 説得に折れたアイギスがしょんぼりする。


 あいにく知り合いに女性はいない。

 不要になった服を格安で売ってもらうのは無理そう。


 だったら買いに行くか。

 お給料が入ったばかりだし大衆ブランドの服なら問題なくそろえられる。


 ワンピース。

 Tシャツ。

 デニム。

 パーカー。

 カットソー。

 身長160cm弱のアイギスであれば、どんな服装でも似合うだろう。


「あのね、アイギス、訊きにくいのだけれども……」

「何でございましょうか?」

「下着も一枚しかないよね?」

「はい、下に穿いている一枚だけです」

「下だけなんだ?」

「そうですが……」

「上は?」

「つけておりません」


 堂々といわれると俺の方が焦ってしまう。


「そうなんだ……」

「もしかして下着も支給していただけるのでしょうか?」

「当然だよ。最低限は必要だから。この時間なら服屋も空いている。早めに出かけよう」

「しかし、私が我慢すれば衣服の問題は解消されますが……」

「いいから。ほら、遠慮しない。これも命令」

「はい、お供いたします!」

「外に出られるのが嬉しいの?」

「一緒に出かけられるからです!」


 アイギスが両手でガッツポーズをつくる。

 何をやらせても愛らしい。


「出発する前に一点だけ確認なのだけれども……」

「何でございましょうか?」

「アイギスが生まれてきたこと。特別なフィギュアなんだよね? 選ばれた理由とかあるのかな?」

「あります! マナトさんにも知ってほしいです! 笑わずに聞いていただけますか?」

「もちろん」


 光がない世界。

 混沌こんとんの闇にいたころ。

 苦しんでいる声が聞こえたのです、とアイギスはいう。


「声が?」

「はい、私をつくってくれた人です」


 タクミだ。

 いつの記憶だろうか。


 アイギスが完成した後。

 タクミが亡くなる前。

 一年以内だろうか。


「私は神様にお願いしました。命が欲しいとお願いしました。この身体を動かしたいとお願いしました。大切な恩人が苦しんでいますから。もっと近くで支えになりたかったのです。その人の苦しみを少しでも分かち合いたかったのです。でも、願いはなかなか届かず……」

「でもアイギスはこうして生きているじゃないか」

「はい! 会いにきました! あなたに!」


 手を握られたとき、胸がドキッとした。


 アイギスは俺のことを生みの親だと勘違いしている。

 タクミとマナトが兄弟で、片方がフィギュア職人だということを知らない。


 タクミがどんな人間だったのか。

 タクミがどんな最期を迎えたのか。

 タクミがどんな想いでアイギスを制作したのか。


 アイギスは何も知らない。

 意識の中にタクミという名は存在しない。


 教えるべきだろうか?

 いや、真実を伝えるべきだ。

 君をつくったのは田畑タクミ、俺の兄、二ヶ月前に亡くなった。


 アイギスは苦しむだろう。

 悲しみに打ちひしがれるだろう。


 辛いのは当然だ。

 生まれてきた意義を否定されることになる。


 できない。

 俺には勇気がない。

『タクミはもう死んだ。だから手遅れなんだ』というメッセージをオブラートに包めるほど器用じゃない。


 残された選択肢は一つ。

 誰かがタクミの役割を果たすこと。


「……マナトさん」

「えっ……」

「私からお願いがあります」

「うん、どうしたの?」

「あの……マナトさんですよね……私をつくってくれたのは……私に名前と身体をくれたのは……いえ、状況から判断するにマナトさんだと推測できますが……直接聞きたいのです……マナトさんが私を生んでくれたと……ご本人の口から一言いただきたいのです」


 アイギスは頬っぺたを桃色に染めていた。

 直視すると脳みそが溶けそうなほど愛くるしい。


 どうしよう……。

 真実を話さないと……。

 ここでアイギスをだましたら、嘘を背負ったまま生きることになる。


 教えてくれ、兄ちゃん。

 どっちの選択が正しいのか?

 どっちの分岐ルートを選べばアイギスの魂は救われる?


「……うん」


 小さくうなずいた。

 アイギスの表情がぱあっと華やいだ。


「君をつくったのは俺だ。いまはフィギュア制作から離れたけれども。道具とかは捨てずに残してある」

「やっぱりマナトさんなのですね。嬉しいです。あなたと話せることが。少しでもお役に立てることが。こうして触れられることが。信じられないくらい幸せな気持ちです」


 本当ならハグの一つでも交わす場面だろうか。

 嘘をついた罪悪感がブレーキとなり、つくり笑いを浮かべることしかできない。


 アイギスは会いたかった。

 どうしてもタクミに触れたかった。

 お人形フィギュアの一途な想いがこの奇跡を生んだ。


「会いたかったです、本当に……本当に……」


 エメラルド色の瞳に涙が光った。

 アイギスが嘘を信じ切ったという揺るぎない証拠であった。


 俺は取り返しがつかないことをした。

 フィギュア職人タクミをこの世から消してしまった。


 もうタクミなんて男はいない。

 アイギスが存在を知ることはない。


 卑怯者と呼ばれても仕方ない。

 アイギスの純真さと無知さにつけ込んだのだから。

 自分が傷つきたくなかっただけなのに……。


 やってしまった。

 こんな大嘘、生まれて初めてだ。


「すみません……勝手に感動しちゃって……」

「別にいいよ。謝ることじゃないよ」

「思ったとおり、優しい人なのですね」

「そうかな?」

「はい、マナトさんはとても優しいお方です」


 嬉しい。

 なのに悲しい。


 タクミの存在を奪ってしまった負い目。

 アイギスの夢を叶えてあげられた充足感。

 それらが冷水と温水のようにミックスしてプラスマイナスゼロに変わる。


『アイギスのこと、マナトにたくしたぞ』


 そんなタクミの声が聞こえたのは、幻聴だったか、妄想だったか。


 君をつくったのは俺だ。

 自分で自分を騙すように、心の中でリピートした。


 ……。

 …………。


「どうです、マナトさん。似合いますか?」


 試着室のカーテンを開けたアイギスが、その場でゆっくり一回転した。


 淡いブルーのワンピースが揺れる。

 落ち着きのある花柄が、子どもっぽさが抜けきらないアイギスによく似合う。


「うん、とても良いと思う。シンプルにかわいい服だから。好きな場所へお出かけできるんじゃないかな」


 アイギスが恥ずかしそうにうつむく。


 かわいい、というキーワードに反応したのだろう。

 服のことを指したつもりだが、もちろん本人だってかわいい。


 アイギスは鏡の方を向き、色々なポーズを試している。

 外出を楽しんでいるのが伝わってきて俺まで楽しくなる。


「それに決めようか」

「ですが、赤いワンピースより、こっちの方が500円高いです。財政面のことを考えると、安い品を選ぶべきかと」

「いいって。少しくらい。服は長く着るものだから。自分が一番気に入ったやつにしよう」

「ですが……マナトさんに負担をかけるわけには……」

「今日はそういうのナシでいこう。ほら、レジへ持っていくよ」


 どうやらアイギスは倹約家らしい。

 生みの親の影響かもしれない。


 ワンピースの他にも、クッション性が高そうなサンダルや、アイギス用のタオルを買っておく。


 会計が済んだら同じショッピングモール内にある女性向け下着ショップを訪れた。


 かわいい柄のブラジャーやショーツが一面を埋め尽くしている。

 ここから先が本日の最難関ミッション。


「あの……この子……この年までブラジャーをつけたことがなく……」


 店員さんがギョッとした。

 何カップですか? と訊かれて下手に嘘をつくよりマシだろう。


 まずフィッティングルームでバストサイズの採寸さいすんから。

 アイギスのことは下着ランジェリーのプロに任せて、俺は所在なさげに靴下コーナーをうろうろする。


「無事に終わりました!」


 アイギスが喜ぶ子犬のようにすり寄ってくる。

 褒めてほしいのだろうか。


「ちゃんとできたんだ。偉いね」

「うふふ、くすぐったいけど我慢しました」


 店員さんから早見表を見せてもらった。

 これで買うべき商品の場所がわかる。


「アイギス、好きなやつを選んでよ」

「ええと……」

「待った! 値札からチェックするのはナシ!」

「ですが……それでは判断できかねます」

「色とか、柄とか、素材とか、気に入ったやつを選べばいいよ」

「そのやり方ですと高いやつを買うことになります」

「大丈夫だから。お金の心配はしないで。いまは選ぶことに集中」


 アイギスが商品棚をじいっと見つめる。


「……了解です」


 専門学校を卒業して、すぐに働きはじめた俺は、年齢の割には貯金がある方だ。

 あくまで21歳の割には、という条件つきになるが。


 いずれ大卒の人たちに抜かれる。

 二年ばかり先にスタートを切っただけ。


 生まれついた性能も、受けてきた教育も、周りからの期待も、俺たちは二流か三流でしかない。


 仕事ですら頑張ることを放棄したら……。

 たぶん四流に落ちてしまう。


 金魚のプールと同じ。

 体の大きな個体が有利。

 小さいやつらは余り物を狙う。

 降ってくるエサが減ってしまったら、小さいやつから飢えていく。


「これに決めました!」


 アイギスの声で空想からめる。

 その手には白色、ピンク色、ライトブルーの下着がぶら下がっている。


 60秒くらいで決めたから優柔不断からはかけ離れた性格らしい。


 この部分はタクミと対照的だ。

 タクミは何をするにも腰が重かった。

 その代わり着手したあとの集中力がすごかった。


「ワイヤーの硬さがきもだそうです。硬ければ硬いほど、形はよくなりますが、体に負担がかかるそうです。先ほど店員さんから教わりました」

「なるほど、機能性と芸術性みたいなやつか」

「おっしゃる通りです。天秤てんびんにかけた結果、やや機能性をとりました」

「うん、いいと思う。アイギスらしいよ」

「私らしい、ですか?」

「そうだよ」

「私らしさが存在するのですか?」

「もちろん」

「嬉しいです……元はといえば……いえ……遠い存在だったマナトさんに……私らしさを認めてもらえるなんて……」


 アイギスが感動して泣きそうになっている。

 ここで泣かれるのはマズいので、すぐに会計をすませて、トイレで心を落ち着かせるよう指示した。


 アイギスは10分くらい出てこなかった。


 そんなに嬉しいのか。

 俺は男だし、一般人だし、サラリーマンだし、アイギスほど他人を好きになった経験がない。


 アイギスらしい。

 こんな言葉、タクミは思いつくだろうか。


 お世辞にも社交的とはいえない兄。

 口数が少なくて、友達とわいわい盛り上がるタイプではない。


 タクミのことを誰よりも知る俺なら……。

 最後までタクミの代わりが務まるかもしれない。


「すみません、お待たせしました」

「いいよ。もう大丈夫?」

「はい、心はポカポカと温かいですが、お買い物にお付き合いする分には問題ありません」

「そうか。それじゃ、次のお店に行こう」

「はい!」


 人混みに向かって歩き出す。

 アイギスに釣られて小さく微笑んでしまう俺がいた。

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