第8話 北上して欲情する

 ドライブインを後にした藤巻は、青森に入ったばかりのところにあった小さな旅館に飛び込む。

 温泉も卓球台も土産物コーナーもなにもない旅館だが、部屋がとれたので泊まることにする。

 浴衣に着替え、八畳の和室の部屋にごろりと寝転ぶ。

 心地よい疲れとともに、強い眠気が降りてきて・・・ となるかと思ったが、眼が冴えて眠れそうにない。

 久しぶりの長時間運転で体は疲れていても神経は昂っているようだ。

 電話台の側に貼ってあるマッサージの案内の古びたチラシが目に飛び込んでくる。

 部屋に入ったときから気になっていたものだ。  

 マッサージチェアも古いゲーム機もウェルカムスイーツもないのに、こういったサービスはあるようだ。

 藤巻は受話器を持ちあげ、三十分、三千円のコースをお願いする。

 すぐに四十代の白い服を着た女が部屋に来た。

 女? 藤巻は緊張する。何もしてないのに何かしたと騒がれたらどうしよう。そんな藤巻の心配をよそに、女は藤巻を布団に横たえ、マッサージを始める。

 ツボを押す女の力はとても強かった。

 うつぶせ寝の藤巻は、痛いほうが効くんだと思って我慢する。

「痛かったら言ってくださいね。緊張したまま受けると、あとで痛くなりますよー」

 女が平坦な口調で言う。口調はぶっきらぼうだが、声は思ったよりずっと柔らかかった。

 急に女がまとっている化粧品のような、安っぽいシャンプーのような匂いが鼻につく。

「あ、ちょっと痛いです」

「わかりましたー」

 女の力が若干弱くなる。藤巻の体の緊張が解ける。すると、女の指が藤巻の腰に深く入り始めた。藤巻は心地よさに弛緩する。

「お客さん、どちらから?」

「東京です」

「あらー。それは遠くから」

「はあ」

「お仕事ですか?」

「いえ、ドライブで」

「ドライブ?」

「ええ、なんとなく」

「そうですか。いいですねー」

「はあ・・・」

 会話が途切れる。女は黙々と手を動かした。藤巻の体がさらにほぐされていく。体がじんわりと温かかった。

 女の手は小さく柔らかいんだった。藤巻は思い出す。

 女の体に前に触れたのは、さて、いつだったか?

「次は肩をやりますねー。ちょっと姿勢変えますね。ごろんしましょう。ごろん」

 女が藤巻を仰向けにする。

「え、あ、ちょっと」

 藤巻の股間は少し盛り上がっていた。女は気づかないふりをして、藤巻の頭部に移動し、肩を揉み始める。

 こんな年をとった女に・・・ 藤巻は自分の迂闊な性欲が憎らしくなる。

 北上して欲情しちゃって。そんなふうに腹の中で自分を笑っているに違いない。

 藤巻は肩をもんでくれている女に小さな殺意を覚える。

 そして、北上してまでちっぽけなプライドに凝り固まっている自分に凹まされるのだった。

「私も東京に居たんですよ。ずーっと」

「そうですか」

「青森も地元じゃないんです。地元は九州。流れ流れて、こんなところまで」

 藤巻が目を開けると、女の顔がすぐ目の前にあった。近くで見ると女の顔には深く、長い皺が目立った。

 藤巻は慌てて再び目を閉じる。

「大変でしたか?」

「そうねえ。いろいろとね。ろくでもない男にひっかかったり、お金がなくて苦労したり・・・ 無駄な苦労だったわね」

「そうですか」

「人生に無駄な経験はない、なんて嘘よ。だから、慎重に生きたほうがいい」

「そうなんですか?」

 では、これまでの自分の我慢は無駄だったというのか。女がそんなことを意図したわけではないことがわかっていても、藤巻の口調は熱くなる。

「そうよ。ずるく慎重に生きた者だけが、金をつかんで幸せに、楽に生きられるのよ」

「それは、なんとなく、わかります」

 会社の連中の顔が浮かんだ。思わず顔をしかめてしまう。

「痛かった?」

「あ、いえ、違います」

 女が黙々と手を動かす。

「でもねえ・・・ 不幸っていっても、地獄とは違うのよ。なんでも、結局は平気になるものよ」

 女が運転で強張っていた藤巻の両肩をほぐしていく。

 肩からもぬるい血流が発生し、腰から昇ってくる血液を合流する、イメージが頭に広がる。自分の体を海のように感じた。こんなちっぽけな自分なのにと皮肉が浮かぶ。

 女は三十分の施術を終え、藤巻から金を受け取り、部屋を出ていく。

 藤巻はそのままごろりと布団に横たわった。その後の記憶はなく、気づけば朝になっていた。

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