第5話 変身

 テレビにも飽き、目についたのは女がさっきまでいじくりまわしていたメイク道具だった。

 藤巻は女がしていたように、フローリングにぺたりと座り、鏡に顔を写す。

 もともとぼーっとした顔だったが、働き続けるうちにさらに意志のない顔になったと思う。

 三割ほど大きくなっていたアイメイク終了後の女の目を思い出す。

 自分の目もあんなふうにでかくなるものだろうか。藤巻は試してみたくなる。

 勝手に化粧品を使ったら女は怒るだろうか。女は家のものはなんでも使っていいと言っていた。アイメイクに興味があった藤巻だが、とりえず使い方がはっきりしている口紅を手にとった。

 女より男が先に帰ってきた。十二時前だった。

 藤巻の顔を見た男は、爆笑した。

「なんだ、お前、その顔」

 藤巻がYouTubeを参考にしながらメイクを施した顔を見て笑い続けている。

「うけるわ。真面目な顔して、そんなふざけたことして」

「どうですかね?」

「どうって?」

「アイメイクを頑張ってみたんですけど、目、でかくなってますかね?」

 マスカラのつけすぎで束になったまつ毛をバタバタさせながら、藤巻が男に尋ねる。

「でかくなった、でかくなった」

 男が再び爆笑する。

「どうです? 一緒に」

 男を誘ってみる。

「え? 俺も?」

「いいじゃないですか。受けますよ、きっと」

「そうかあ」

 言いながら男がキラキラと安っぽく照明をはね返すゴールドの口紅を手にとる。中にはショッキングピンクの練り物が詰まっている。 

「座ってください。俺がやってあげます」

 藤巻は男を鏡の前に座らせた。

 笑いながら目を閉じた男の顔にファンデーションを伸ばしていく。

 人の顔をいじるのは緊張したが、自分がした失敗をしないように男に施したメイクは、自分の顔にしたそれよりずっと上手くできた。

 男は意外にも藤巻よりずっとメイク映えした。

 自分のように笑えない顔になった男を見て、藤巻は内心舌打ちする。 

「おっ、結構いい女じゃない? ってゆーか、こーゆー女、いるよな? な?」

 男が歓喜する。

「そうですね」

 藤巻は適当に答えた。

「へえ。なるほど。こんなに変わるのか」

 女の変身を毎日見ているだろうに、男はしきりに感心している。

 そんなことをしているうちに、一時近くなり、女が帰ってきた。

 二人を見た女が爆笑する。

「何やってんの、あんたたち。バカじゃないの?」

 化粧がはげかけた女はリビングに入ってきたときは年相応の疲れた顔になっていたが、笑うと一気に若さを取り戻した。

 笑うと女は小さな草花ほどの明るさを放つ。

 この女は結構男にモテてきただろう。男もそうだ。

 自分とは違った人生を歩いてきただろう二人を前に、藤巻は小さくなる。

 どう見ても二人のほうが楽しそうだし、幸せそうだった。

 丸の内にある東証一部上場の大手企業と福島のスナックと焼き鳥屋。選びなおせるとしたら、自分はどっちを選ぶのだろう。

「あーあ、こんなにマスカラ塗りたくっちゃって。おいで」

 女が藤巻を鏡の前に座らせ、アイメイクをやり直していく。

 片目が終わって目を開けると、左目だけ普段より四割ほどでかい自分の顔がそこにあった。

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