第11話 ひとまず、協力

 分かった、というフェルゼリォンの発言に、レイはこんな状況だというのに舞い上がった。

 レイの申し込みを了承したということはつまり、王証の交渉を受けるということだ。


(や、やった!)


「じゃあ!」


 早速、という言葉はけれど、フェルゼリォンに言葉を被されて潰された。


「とにかく、話はここを離れてからだ」


 言うが早いか、中腰のまま凄い速さで生垣の間を駆け抜ける。


「ちょ、ちょっと待ってよ!」


「……何だよ」


 眉間に物言いたげな皺を刻んで、フェルゼリォンが振り返る。物言いたげとは「早くしろ」とか「余計な口利くな」とか「足手まといは置いてくぞ」とかだったが、レイは構わず文句を言う。


「私は三日前に来たばっかりで、建物の位置関係が分からないんだから」


「はあ? 来たことあるだろ。九年前に」


「うっ」


 和平記念式典のことを持ち出された。思わず目が泳ぐ。

 しかしフェルゼリォンの目はとっとと言えと睨んでくる。

 レイは仕方なく、嘘ではない範囲で口にした。


「あの時は、その……私はほとんど寝てたから」


 実は寝ていたというのは半分正しく、半分違う。

 九年前というとレイは七歳で、やっと聖砦から母のいるイリニス宮殿に戻ることができた頃だ。その数か月後に行われたエングレンデル帝国での式典に、レイも初めての公務として家族と共に出席している。

 後から思えば、帝国に赴くためには王女の一人が聖砦に隔離されているという事実が体裁的に良くなかったから呼び戻しただけかもしれないが、七歳の子供にそういった政治的事情が推測できるはずもない。


 とまれかくまれ、レイは子供ながらに知恵熱が出そうな程張り切った。礼儀作法に食事マナー、挨拶の口上に主要な出席者の名前を覚えること。帝国について積極的に褒める事柄と、触れてはならない事柄まで叩き込まれた。

 だが肝心の当日の記憶は途切れがちだった。食事や会の合間に庭を少し散策したような気もするが、その後の記憶はなんと宮殿の一室をお借りして寝ていたというもので終わる。式典の盛大さも華やかさも料理の美味しさも何もない。

 だが、その中で唯一耳に残っている声がある。


『あなたのせいよ! どうして失くしたりするの! どうして奪うの! どうして……出会ったりしたの……!』


 自分の手を強く握りしめながら、金切り声で責め続ける母と。


『おねがい……もどってきて……!』


 泣きじゃくって掠れた男の子の声。

 何があったかは、やはり覚えていない。教えてくれる者もなかった。

 この式典が終わると、レイは目を覚ます前に聖砦に戻された。

 以来、母とは会えていない。


(でも、ここは少し見覚えがあるかも……?)


 七歳のレイは、生垣のそばで倒れていたところを運ばれたとは聞いている。その情報が、目の前の映像と結び付けているだけかもしれないが。

 だがその感傷も、フェルゼリォンの呆れ顔にあっさり引っ込んだ。


「……どんだけぎたないんだ」


「うっさい!」


(やっぱり話さなきゃ良かった!)


 こんな男に事情を話しても時間の無駄だった。いいからさっさと説明しろと、レイは目に力を込めて先を促す。


「ここは玉妃の小庭アウレーで、西側そこの列柱廊からは玉妃宮の周辺が見えないように設計されてる」


 余談だが、玉妃宮は古くはサトゥヌスの王妃の住まいとして増築された。一説によればサトゥヌスと王妃は仲が悪く、王妃がサトゥヌスに干渉されるのを嫌ったためとも言われる。

 晩年には東外苑の池の中にぽつんと建つ東屋エィシカで静かに過ごすのを好み、その移動を見られるのを嫌って、小庭の東側に目隠しのための木々を植えさせた。

 このため玉妃宮と生垣の間は更に背の高い木々でこんもりと囲まれ、隠れんぼにはうってつけであった。


「ここから一番近いのが東のソリトゥード門で、そこを抜ければ外苑の園林を抜けて大通りに出られる。……が、お前みたいにちんたらしてたら、どんどん門の守備を固められて出るものも出られなくなる」


 ただの説明に嫌味をぶち込んできた。性格が捻じ曲がっているとしか思えない。

 だが怒っていてはそれこそ時間を浪費するだけなので、肝心なことだけ聞く。


「でも門衛はいるでしょ? どうするのよ」


「あそこは常時は使用されていない。いても二人だけだが……遅い奴が」


「分かったわよ! 走ればいいんでしょっ」


 口を利けば利くだけ腹が立つという稀有な男に、レイはついに会話をぶった切った。身を屈めたまま東の城門に向かって走り出す。追いつく寸前でフェルゼリォンも素早く動きを再開し、ヴァルも音もなくそれに続く。

 次に足を止めたのは、人の背丈ほどの木々の根元に辿り着いたところであった。


「止まれ」


 フェルゼリォンの制止の声に、枝葉の向こう側を覗き見る。レテ宮殿を囲む生垣が終わった先に、長い歳月を経てすっかり黒ずんだ城壁があった。その長大で頑健な中にある重そうな鉄扉が、かつて王妃が利用したというソリトゥード門だろう。

 しっかりと施錠された門前には、怖い顔をした門衛が二人、固まったように突っ立っている。黒地に青の刺繍や装飾を基調とした帝国軍の制服を身につけ、左胸には交差した剣と鎌と、王冠を被った青獅子の国章が縫い取られている。


「どうするの?」


「気付かれる前に気絶させて通る」


「…………」


 小手先でも策でも何でもなく、ただの乱暴者の発言であった。


(なんだろ。皇子の印象イメージがどんどん……)


 などと呆れている時間はなかった。ガチャガチャと剣帯の金具が揺れる音と共に、同じ制服の男性が更に二人合流してしまった。


「殿下はこちらにいらしたか」


「いえ。兵士以外誰も通っておりません」


 上官らしき相手に、門衛が敬礼と共に報告する。皇太子の件がいつ発覚したかは分からないが、既に全ての門には伝令が走っているようだ。


「殿下も聖国の王女殿下も部屋にはいらっしゃらなかった。皇子殿下は風の彫言がされた靴を持ってる。門を突破するか、壁を越える可能性もある。こいつ以外にも各城壁の下に増員を寄越すから、それまで各員全方位を警戒に当たれ」


「「「は!」」」


 二人から三人になった門衛がぴったり揃って敬礼する。上官はまだまだ他の場所に向かうのか、足早に去っていった。


「……同時に瞬殺しないと顔を見られるけど、出来るんだろうね?」


 それまで無言で付き従ってきたヴァルが、首の後ろを掻きながらついに口を挟んだ。フェルゼリォンの無計画ぶりを言外に詰っている。


「……俺一人だったら、どうとでもなるはずだったんだよ」


「臨機応変さもないのかい。軍師には向かないね」


 半眼になって反論するフェルゼリォンに、ヴァルがこれ見よがしに嘆息する。

 相変わらず、ヴァルの小姑ぶりは誰が相手でも完璧だなとレイは思った。


「えっと、私が眩惑げんわくの神法をかけたら、抜けるくらいは」


「やめな」


 少々の憐れを催しての言葉だったのだが、ヴァルが阿呆を見る目で制止した。


「王城ってのは大抵、神法の発動を感知する法術ほうじゅつが敷地と建物全体に張り巡らされてる。神法を使っての出入りはすぐにバレる」


 法術とは神言を紙や物に記して配置することで、彫言よりも更に複雑な効果を広範囲に発揮するものの総称だ。

 建築時には、第三の神々の加護を願う言葉を建物の基礎にいれるのが一般的だが、貴族階級になるとそこに法術を組み込むことも少なくはない。

 城門付近で神法を使えば、逃走経路を割り出されて先回りされる可能性が高いということだろう。安易には使えない。


「それに、現時点で門は全て閉ざされたはずだ。正式な鍵を使っての開閉でなければ、どのみち感知される」


「そんな」


 フェルゼリォンの補足に、レイは八方塞がりではないかと天を仰いだ。

 ソリトゥード門の左右には薬局塔と鐘塔があるが、入口はやはり同様に固められている。見付からずに近寄る事すら難しいだろう。


「……仕方ない。お前に風靴ウォラーレを貸すから」


「僕が囮になろうか」


 フェルゼリォンの言に被せてそう提案したのは、それまで無言を保っていたハルウであった。

 色とりどりのアザレアの花に囲まれるように立つハルウは、その栗色と深緑色のオッドアイと相まって、一幅の絵画のようである。立ち姿が無駄に優雅で、まるで隠れているという雰囲気がない。

 だが言い出したことは突拍子もなかった。


「だ、ダメだよ。捕まったら何日拘束されるかも分からないのに」


「捕まらなければ平気でしょ?」


「それはそうだけど……でもハルウ、剣も神法も体術も大して得意じゃないでしょ?」


「うん。でも何とかなるよ」


 爽やかすぎる笑顔で断言された。根拠がまるで分からない。

 これで安堵できるほど、さすがのレイも能天気ではない。のだが。


「なら決まりだな」


「ちょっ」


 レイが何かを言う前に、ヴァルが当たり前のように受け入れた。驚きに声が大きくなり、すかさず「しぃー」と戒められる。


「でも、どうやってやるの?」


「簡単だよ。反対の西門にでも誘導すればいいでしょ?」


「しくじれば全員見つかるぞ」


 あっけらかんと答えたハルウにそう釘を刺したのは、怪訝な顔をして話の成り行きを見守っていたフェルゼリォンだった。途端、ハルウの双眸がすぅと細められる。


「誤解しないでもらいたいんだけど、僕はレイのために動くんだ。君が王証を返してくれるなら、後腐れなく任せるんだけど?」


 その言葉は、笑顔を纏いながらも辛辣で、冷ややかであった。フェルゼリォンが一瞬瞠目し、それからその青眼に敵愾心てきがいしんを上らせる。


「俺には風靴ウォラーレ――風の彫言がされた靴がある。城壁を突破するだけなら、お前たちを突き出せば事足りる」


「やってみるといい。レイに傷一つでもつけたら」


「待って待って待って!」


 突然一触即発になった二人に、レイは慌てて割り込んだ。


「なんでそういう話になったの? 今は変なことで喧嘩してる場合じゃないでしょ」


「でも、レイ」


「まぁ確かに、阿呆なことをしてる間に敵は増えるわな」


 猫撫で声で言い訳しようとしたハルウを遮って、呆れきったヴァルが正論で諭す。

 ふん、とフェルゼリォンが顔を背け、当のハルウは喧嘩を吹っ掛けたのも忘れた顔で話を元に戻してきた。


「じゃあ、行ってくるよ」


「本当に大丈夫?」


「うん」


 心配するレイに頷くと、ハルウはおもむろにレイの襟首に指先を滑らせた。


「へ?」


「なっ」


 突然の行動に驚いたレイだが、すぐにハルウの目的を理解した。レイの胸元に隠されていた首飾りが、そっと引き出される。

 何故か一緒に驚いていたフェルゼリォンが、現れたそれを見て今度は静かに凝視する。


「それ……」


 法具を使うのだから神法の適性はないと思っていたが、祖母の祝福には気付いたのだろうか。

 しかしハルウは気にせず腰を屈めると、黒泪型の飾りに口づけを落とした。それから上目遣いでレイを見上げ、慣れた仕草でウィンクする。


「ど、どうしたの?」


 いつも以上の気障な仕草に、流石に頬が熱くなる。

 フェルゼリォンが中性的な美人なのに対し、ハルウは精悍さこそないが男性的な美貌がある。ハルウには慣れたとはいえ、対人経験がほぼ皆無のレイは、こういった男性免疫も無論皆無なのである。

 しかし戸惑うレイの予想に反し、返された答えはごく普通のものであった。


首飾りコレ、絶対に離さないでね」


「え? あぁ、お祖母様の祝福があるから?」


 成程、それで今まではぐれても位置が分かったのかと納得する。分かったと頷くと、ハルウは無言でにこりと応じた。


「……紛らわしい」


 何故か一人文句をつける男がいた。全員無視した。


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