第12話 正反対の二人

 どんな仕事にも、大なり小なり花形とそれ以外とがある。

 門衛で言えば、南北の大通りに面した大門を花形とすれば、それ以外の国賓や祭事の時にしか開放されない門は、いわば閑職と言えた。

 常時は新人と中堅とが二人で警備し、勤務は半日ずつ、二週間ほどで場所を交代する。そんな彼らがまず教えられるのは、眠らないこと、であった。


「まさか、こんなことになるとはな」


 今日も一日暇な立ち仕事だと思って出勤したトマスは、駆け付けた同僚の報告に一気に目が覚めた。


「でも、失踪って言っても、第三皇子もしょっちゅう勝手にいなくなるそうじゃないですか」


 東城壁のソリトゥード門を挟んで立つ新人のロジャーが、詰まらなそうに愚痴る。どうせこんな退屈な場所ではなく、事件の担当に回りたかったとでも思っているのだろう。トマスだとて口にはしないが同感であった。


「あの方は別格だ。あの見た目で同じにしてどうする」


「そうですけど」


「皇太子殿下は、皇族の中でも特に優秀で実直と評判のお方だ。子供のような振る舞いなどなさらんだろ」


「でももしこれが……だったら、一大事ですよね!」


「浮かれるな、阿呆」


 肝心な言葉こそ濁したが、新人の言いたいことは嫌でも分かる。トマスは苦い顔で釘を刺した。

 実際、事件のあった玉妃宮は目と鼻の先で、日の出頃とは比べ物にならない程の人出がある。帝国軍中央部隊の中でも、貴族の子弟ばかりが集まる近衛を中心に捜索隊が組まれ、各門と塔の入口にもこれからどんどん人員が配置されるだろう。


「もしここに第三皇子が来たらどうします?」


「まぁ、お前の腕では太刀打ちできんだろうな」


 そわそわと尋ねる新人に、トマスは呆れた声で断言する。

 第三皇子はその容姿から先祖返りとしてもてはやされる一方、苛烈なサトゥヌスの性質も受け継いでいるようだと遠巻きにされる傾向にあった。

 その一つとして、血も青いのだとか、皇太子位を狙っているのだなどという噂も、幼少時から絶えず付きまとっていた。

 それが真実かどうかはともかく、そのために孤立気味であったことは確かだ。お陰で性格は捻くれ、群れず、十歳になる前から何度も城を抜け出していた。


 だというのに、貴族の子弟が通う帝立の全学校スコリーオでも、その推薦を受けて通う高等の専学校エディコスでも、成績は常に上位を保った。座学も実技も、半分ほどしか通っていないのにだ。

 城外の手練れか賢者にでも師事しているのではという噂もあったが、事実かどうかは定かではない。

 ただトマスは、過去に一度、第三皇子を間近に見たことがる。毎年帝国軍から専学校の剣科生に対し、実地式訓練を施す特別講義に参加した時のことだ。

 別名しごきの三日間とも呼ばれ、朝から晩まで徹底的に基礎訓練のみを行う最悪な慣例行事だ。そこで最後まで倒れなかったうちの数名に、彼はいた。


(あれで剣技もとなれば、二人だけでは手に負えんかもな)


 そう考えているうちに門衛班長が現れ、部下を一名増やしてくれた。

 いざ犯人が現れたとなればこの人数では心許ないが、出入り口は他にもあるし、そもそも門衛班は最も規模が小さい部署の一つだ。これ以上は他部署に増員を要請しなければ間に合わないだろう。


(日陰班の辛いところだ)


「起こされたのか?」


「あぁ。さっき寝たばっかりだったのに……」


 欠伸を噛み殺す同期に、ロジャーがご愁傷さまと笑う。気を引き締めろと嗜めて、今度は三人で直立を保った時であった。


 ふらりと、視界の端で人影が動いた。

 最初、玉妃宮の北側を警戒している近衛かと思った。だがその男は帝国軍の制服は着用しておらず、髪も見たことのない緑色をしていた。


「止まれ」


 不思議に思いながら、トマスは声を掛けた。男が十歩ほど離れて止まる。一拍遅れて、二人も気付く。


「え、いつの間に……」


「現在、全ての門は通行禁止となっている。名前と所属は」


 門衛としてあるまじき間抜けな声を上げたロジャーの声にかぶせて、トマスが規則通り確認する。まるでそれを合図にするように、男はにへら、と笑った。


「?」


 気味の悪い笑い方をすると、トマスが眉をひそめた時だった。カチャリ、と何かが落ちたような音がした。何が、と確かめようと視線を滑らせるが、音の正体を見付ける前に男が手を上げた。


「!」


 日々の訓練で散々仕込まれた反射で、腰の剣に手を掛ける。が、男はしまりのない顔で頭を掻いただけだった。


「えっとー、つい先日着たばかりで迷っちゃって……西門っていうとこっちで良かったかな?」


「ここは方角では東北門だが……お前、もしやプレブラント聖国の」


「あ、いや、人違いです。じゃあ!」


「! 待て! ロジャー、班長に伝令!」


「り、了解!」


 増員の一人を残して、二人同時に走った。ロジャーが上官の去った方へ、トマスは男を追って城壁沿いを北上する。

 もし男が聖国の第二王女の同行者だった場合、この事態に疚しいことがあれば姿を晦まそうとしても不思議ではない。


(西門ということは、そこで合流して脱出を図るつもりか?)


 男の笑顔が妙に不気味で道化ているような気がしないでもないが、この非常事態に些細なことは気にしていられない。上官に伝言が届けば、西門に兵を集めてもらえるはずだ。

 それにレテ宮殿は、東西に長く、南北には短い。このまま進めば、玉妃宮の北側正面で捜査を続ける帝国兵に見られるのは必定。


(そこで俺があいつを捕まえれば……近衛は無理でも、城内警備の内衛ないえくらいには行けるかも)


 そんな下心が、ちらりと芽生えた瞬間だった。ちらほらと見え始めた帝国軍の制服の間で、男の姿がフッと掻き消えた。


「えっ?」


 咄嗟に目を擦り、見失ったのかと辺りを見回す。そして再び視線を前に戻した時、数人の兵士の向こうに男の姿を見付けた。


(いつの間に……)


「そいつは聖国の使者だ! 西門から出るつもりだ!」


 一瞬でも見失った焦りから、トマスは手柄云々も二の次に叫んでいた。




       ◆




「大根役者もいいところだな」


 門に一人残された兵士を一瞬で昏倒させて、フェルゼリォンは堂々と文句を言った。


「でも、ハルウはちゃんと役目を果たしたわよ」


「まぁ……な」


 暗に自分もその恩恵にあずかっているだろうと言っても、フェルゼリォンは礼も言わず目を逸らした。その態度には勿論腹が立ったが、一人なら風靴で逃げられた可能性が高いのも事実だ。レイもそれ以上は言わなかった。


「だが、いつ鍵をスッたんだ?」


「ハルウって力業は大抵ダメだけど、すごく器用なんだよね」


「器用って、そもそも接触もしてない気が」


「早く開けな。ぐずぐすしてるとまた人が来るだろ」


 釈然としない顔で地面に落ちた鍵束を拾うフェルゼリォンに、後から悠々と歩いてきたヴァルが当然の顔で急かす。どうも、猫呼ばわりした小僧の扱いはこれで決定のようだ。

 ともかく、二本しかない鍵の内の一本を挿し込めば、鉄の門はゆっくりとその口を開いた。

 そうして、三人はついに城外へと脱出した。




       ◆




 城壁の向こうは、辺り一面の緑であった。

 城壁近くには小池リガ・リムヌラがあるというが、背の高いネムノキやケヤキが等間隔で植えられ、視界は上手に遮られている。足元には黄色いエニシダや紫のルピナスなど様々な種類の花々が整然と植え分けされ、上品な小道を作っている。

 どうやらこの森のような園林を作らせた王妃は、馬車どころか馬が入るのも嫌ったようだ。


(これなら、十分人目から逃れられるわね)


 皇家の敷地なのだから庭園を管理する建物がどこかにあるはずだが、まるで気配を感じさせない。森を蛇行する小川にも、落ち葉などは一つも浮いていない。

 新緑の枝葉を通して降り注ぐ、淡い緑の光で満ちた完璧な森。そういう風に意図して造られたのだと、よく分かる。


「どこに行くの?」


 小川に沿った小道を、情緒の欠片もなく駆け抜けていくフェルゼリォンについていきながら尋ねる。

 話はここを離れてからだとフェルゼリォンは言ったが、レテ宮殿を出ても、城下で悠長に揉めていては同じことだ。


「城で何かあった時は、祖父の領地で落ち合うように決めてある」


 その言葉に、昨夜皇太子と話していた内容を思い出す。


(まさか、皇太子はこうなることを予想してたとか?)


 そうであれば、皇太子の失踪は敵から逃れるためということも考えられる。だがそれを考えるのはレイの本分ではない。

 三人は黙々と外苑を進んだ。小池も通りすぎ、幾何学模様で編まれた人の背丈ほどもある錬鉄の柵に沿って進むこと暫し。枝が外の通りに張り出した場所で、フェルゼリォンが足を止めた。


「? ここに、何が」


 あるの、とレイが首を傾げる前で、フェルゼリォンが柵に足を掛ける。そして張り出した枝を掴むと、勢いをつけて柵を飛び越えた。


「……は?」


「早く来い。行くぞ」


 突然の行動に目を丸くしているレイに、フェルゼリォンが柵の向こうから当然の顔をして急かす。どうやら、放浪癖のある第三皇子の定番の抜け道らしい。


「素行の悪い皇子……」


「聖砦の周りの森を猿みたいに逃げ回ってた小娘の言える台詞じゃないけどな」


「ちょっ!?」


 足元の小姑からの余計な暴露に、レイは思わずヴァルの口を塞ぐ。が、その横顔にフェルゼリォンの視線を感じ、むぅと口を引き結んで居住まいを正した。


「…………」


「…………」


 聞かれていないことにした。

 何食わぬ顔をして、レイもさっさと柵を越える。この程度なら、レイは風靴などなくても朝飯前だ。

 振り返ると、既にヴァルも幾何学模様の一番大きな隙間を抜けていた。今お尻がつっかえたでしょ、と思ったが、言ったらあとが酷いので黙っておく。


「ここは……?」


「レテ宮殿の北側のエレクシア通りだ。貴族街で、通るのは馬車ばっかりだ。行くぞ」


 言うが早いか、フェルゼリォンが足早に歩き出す。その頭には、今の一瞬で巻いたらしい、出会った頃のように布で青い髪が隠されていた。どうやらその為だけに、常に剣帯に結び付けているらしい。常態がよく分かる男である。

 そうして、一行は貴族の邸宅が並ぶ閑静な通りを、不自然でないほどの速足で進んだ。人通りの少ない道を選んではいるようだが、それでも全力疾走はさすがに目に付く。それでも、いつかは嫌でも走ることになるだろう。

 その前に、レイは聞かなければならないことを聞いた。


「ねぇ、いつになったら王証の話をするの」


「無闇にその名前を出すな」


「だったら何て言えばいいのよ」


天剣クシフォスでいいだろ。そっちの名称は王家でもごく一部の者しか知らない」


 再び喧嘩になりそうだった二人に、ヴァルがすかさず口を挟む。剣でなく弓だと言い出したらまた会話が進まなくなるので、レイは渋々先を促す。


「内郭を出れば行きつけの店が幾つかある。そこで必要な物を調達して帝都ウルビスを出る。話はそれからだ」


「それからって……その前に、ちゃんと出られるの?」


「俺一人なら何とでもなるって言っただろ。だが……」


 歩みは止めぬまま、フェルゼリォンが首だけで振り返った。レイを品定めするように目を眇める。


「お前が眩惑の神法を使えるなら、その方が簡単かもな」


 成程、レテ宮殿を離れれば神法の感知も関係ないからということか。


「内郭の門には一応軍の門衛が立ってる。顔見知りだが、伝達がもう届いてるなら騙し討ちも面倒だ」


「……もう突っ込み所が多すぎて何から言えばいいのか分かんないわ」


 自分も王女としてはいかがなものかという自覚はあったが、噂の第三皇子はどうやらそれ以上だったらしい。

 道理で玉妃の第二子で先祖返りで文武両道ながら、婚約者の一人もいないはずである。美しい顔の無駄遣いであった。


「あと、下町を巡回してる警吏は各協会アネシス同職組合エノシィが雇った者ばかりだから、見られても動揺するなよ」


「分かってるわよ」


 同職組合とは鍛冶や大工、皮革職人などの同業者同士が集まった相互扶助の組織のことである。

 対して協会とは、専学校の卒業生同士が科ごとに纏まって研究や更なる学究に没頭したり、学校で得た技能を仕事に応用したりすることを目的とした組織を指す。

 それぞれ縄張り意識が強く、不可侵の領域を持つと言われ、いたずらに手を出せば徹底的な報復を受ける。と考えて、レイは嫌な可能性に思い当った。


「まさか、あんたどこかの組合か協会に所属してるとか言わないわよね?」


 もしそうだった場合、その行きつけの店から行動が割れて、組合の警吏から通報される可能性は十分考えられる。と懸念したのだが、フェルゼリォンは半眼になって「するか」と否定した。


「そもそも、俺は城の外では素性は明かしていない」


「その髪で? 無理があると思うけど」


「こんな阿呆みたいな髪で出歩くか。普段は染めてるに決まってるだろ」


 この前偶然レイを助けた時は、城に帰る途中だったからそのままだっただけらしい。それにしても。


「嫌いなの? その髪」


「はっ。喜ぶと思うか? この悪目立ちする見た目で」


 吐き捨てたその声は、忌々しいと言わんばかりだった。それだけで、彼が先祖返りという言葉を賛美ではなく侮蔑と捉えているのだと知れる。

 だがユノーシェルの特徴を何一つ受け継いでいないレイにとっては、贅沢な悩みにしか聞えなかった。自然、声が低くなる。


「でも皇帝陛下も瞳は青かったし、正統性がはっきりしてるんだから、全然違う色よりはいいでしょ」


「こんな色、邪魔なだけだ。皇太子になるわけでもないのに……。これが兄上だったら、何の問題もなかったのに」


 確かに、フェルゼリォンは第三皇子で、皇位継承順位で言えば可能性はある、程度だ。その中途半端な立場のせいで、要らぬ火種を振りまいていると言えば、否定はできない。

 それでも、髪も目も家族の誰にも似なかったレイにとっては、羨ましくて、妬ましくて。


「お前はいいよな。ありふれた色で」


「!」


 その無神経な言葉に、レイは咄嗟に平手打ちをしかけ――ぐっ、とその手を握り締めた。

 光を放つほどの金朱色の髪に、太陽のような金の瞳。

 ずっと、レイはその色に憧れてきた。妹の美しい金髪に、祖母に瓜二つの姉の美貌に、祖母の金に似た榛色の瞳に。

 どんなに願っても手に入れられなかったものを、この男は要らないという。

 レイにとっては、こんなくすんだ麦穂色の髪や、誰とも違う橄欖石ペリドットの瞳こそ、捨ててしまいたいほどに嫌っているのに。


(……やっぱり)


 ふっと全身の力を抜いて、手を下ろす。


「……なんか、あんたのこと、嫌いだわ」


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