第15話 僕は今日、妻に別れを告げる。Jag säger farväl till min fru idag.
※突然ですが、日本語への翻訳者です。
私はずっとこのスウェーデン人・ヨウコ氏が書いたスウェーデン語の日記を、勝手に日本語に訳してネットに上げていました。ヨウコ氏にも許可を取っておりません。この件は近々ヨウコ氏に連絡し、改めて許可を得たいと思っておりました。
しかしヨウコ氏が三ヶ月ぶりに更新されたこの日記で、今まで隠していたご自身のことを公表されました。私も驚きすぎて、内容を未だに受け入れられません。ですが、このままできる限りヨウコ氏の言葉を皆さんに伝えたいと思います。
尚、日記の一人称を男性一人称〝僕〟から一般一人称〝私〟に変えています。理由は、この後のヨウコ氏の日記を読めばわかると思います。
それから、しばらく私には気持ちを整理する時間が必要だと感じました。それは、私自身にアキさんと思われる女性に心あたりがあるからです。この日記を読んでいる皆さまにはきちんと補足説明をしますので、私の見解は次回の更新までお持ちいただけますようお願いいたします。
以下、ヨウコ氏の本文の日本語訳です。
————————————————————————-
三ヶ月ぶりの日記更新になってしまいました。もしこの日記を一人でも待っている方がいたのなら、本当に申し訳ないと思っています。
私はまず、この日記を読んでいる全ての方に謝らないといけません。久しぶりに日記を更新したのに、いきなりこんな内容だなんて、本当に申し訳なく思います。
まず私は本当はヨウコ、という名前ではありません。それから男性でもありません。私はフィンランド系スウェーデン人ですが、生まれた時の性は男性ではありません。トランスジェンダーというより、エックスジェンダー、またはサードジェンダーと呼ばれる、性のない人間です。私は、自分の性を女性と決められることにずっと違和感を抱いて生きてきました。生まれた時の身体は女性の造りで、それについては自己否定をし続けているけれど、特に身体を改造する手術はしていません。
性対象は、男性でも女性でも無性でもあるパンセクシャルです。(訳者注:パンとはギリシャ語で全ての意。好きになる相手の性別を選ばない人)
私は10年前、ある日本人の女の子に一目惚れしました。ストックホルムの中心にある猫のマークのカフェ、ヴェーテカッテン。その子は私の隣の席で、ガイドブックを見ながら夫らしき男性と楽しそうに話をしていました。
私は二人がしている同じ指輪を目の端に捕らえました。この子は多分性対象はストレートで、しかも既婚者かもしれないと思いました。でも。顔立ち、髪、服装、目線、仕草、話し方、持ち物、話している相手への気遣い、彼女の全てに一瞬にして見惚れました。なんて可愛らしい魅力的な人なんだろうと。そのうち見ているだけじゃ物足りなくなって、どうしても少しだけ話してみたくて…思い切って話しかけました。〝助けがいりますか?〟〝どこへ行きたいのですか?〟もちろん英語で。二人とも英語は苦手のようだったけれど、一生懸命に行き方を私に尋ねてくれた。さらに男性の方は片言のスウェーデン語で、自分たちは日本人で今回自分の希望でハネムーンに来ているのだと教えてくれました。
〝ハネムーン〟と、彼は確かに言いました。私はショックを悟られないようにするので精一杯でした。
その後、二人は丁寧なお辞儀とお礼を言い、コップをきちんと返却して店を出て行きました。私は、残念ながら追いかけられませんでした。あれから毎日のように同じカフェに行きましたが、彼女に二度と会うことはできませんでした。それから今まで10年。私は、一度しか会えなかった彼女の影をずっと追っていました。名前も年齢も何も知らない、彼女のことを。
その後私はすっかり日本に夢中になり、二回ほど旅行に行きました。一回目は団体ツアーで、二回目は一人で。
日記に書いた場所は、私が実際に滞在した場所です。でも、出会いのきっかけを始め、会話は全て私の想像に過ぎません。
この日本のどこかに彼女が暮らしている、一瞬でもすれ違えるかもしれないと思ったら、嬉しさと同時に切なさも込み上げてきました。せめてあのカフェで彼女に声をかけた時、名前を聞いていたら。ストックホルムでの宿泊先を聞いていたら。連絡先を聞いていたら。多分彼女は同性になら何も警戒心を持たずに、メールアドレスくらいはすぐに教えてくれただろうに。
緊張感の連続である本来の仕事に行き詰まり、ストレスを抱え、アルコールだけでは孤独に耐えきれなくなった5年前のある日、軽い好奇心で若い頃にやっていたドラッグに再び手を出しました。
最初はドラッグと言っても、幻覚作用のあるキノコ、リバティキャップを乾燥させて時々摂取する程度でした。
リバティキャップは、ストックホルムでも少し車を走らせて牧草地に入れば意外と容易く見つかるキノコです。スウェーデンでの摘採、栽培、保持は違法ですが、乾燥させた他の一般的なキノコと混ぜてしまえば、識別はほとんど不可能です。
初めは楽しい気分になったりアルコールの酔いが強くなる程度でしたが、ある時、無意識の中にいた彼女が出てきて私を誘惑しました。
かわいらしい彼女と過ごすとしたらどんな日々だろうかと、私はリバティキャップを使って想像するようになりました。
ストレスは仕事だけではなく…私は今までずっとひとりで孤独でした。
両親は早くに亡くなり、残念ながらたった一人の家族である妹は、結婚して彼女が築き上げたファミリーから私を遠ざけました。妹は私がドラッグをやっていることを知っていたからです。家族と過ごすクリスマスに、私はいつも遠慮をして友人と海外旅行に出かけると嘘をつきました。小さな姪と甥にクリスマスプレゼントを買っても、それを直接手渡す機会など一度もなかったのです。
私は、キノコを摂取するたびに現れて、かわいい顔で私を楽しませ、笑わせ、セクシーに迫ってくる彼女に夢中になりました。そして彼女は、その内私に話しかけてくれるようになったのです。まるで、アルフォンスのモルガンのように。(訳者注:グニラ・バリストロム作の絵本より。モルガンは主人公・アルフォンスが想像で作った架空の友達)
私は好きな季節の秋という意味の日本語を彼女に名付け、私は男性になりました。なぜならアキはストレートだと思うし、何より私がアキの恋愛対象でありたいと願ったから。私はアキの性癖を自分に都合のいいようにしたくなかったのです。
例えば私が男性になってアキと恋愛をし、結婚をし、スウェーデンで一緒に住み、楽しく過ごす毎日はどんな日々なのだろうか。キノコはこんな私の夢をそのまま私にありありと見せてくれました。
こうしたアキとの毎日を日記としてネットにあげたのです。書いている時は、よりアキとの生活を身近に感じました。読み返している時は幸福感で満ち溢れました。だんだんとキノコも効かなくなり、本格的にドラッグを始めてからはもっと明確にアキに触れたり、話せるようになりました。
不眠や吐き気、悪寒などの副作用などどうでもよくなる程、毎日が本当に輝いて楽しかったのです。
アキが離婚したと書いた相手は、あの時一緒にいたひどく優しそうな夫でした。(訳者注:原文ママ)ガイドブックを見ながらずっと話し続ける彼女にニコニコと頷いて、それはそれは幸せそうでした。そして私が声をかけた時、私が自分の妻を邪な目で見ていたなんて想像もしていないでしょう。私は、あの夫のライバルにもなれなかったということです。
あの優しそうな夫とアキがどうしても別れるなら、どんなきっかけだろうか?アキが離婚して独身に戻って、私と結婚してくれるならどんな可能性が考えられるだろう。そして私にとって都合のいいアキの元夫は、私が考えた通りの冷淡な男になったのです。
アキとの結婚生活を楽しむ毎日は、そして当然私の身体と精神に大きな負担をかけました。私は最後の日記をアップした二日後とうとうおかしくなり、自分で救急車を呼びました。
ドラッグの入手経路が職場からだったので、私は資格を取り消され失業することになりました。そして退院後、裁判の結果を待つことになります。
病院では一日中ベッドの上で何もできないまま過ごしました。本を読んだりオーディオブックを聞いたり、ネットサーフィンなど今までの自由な日々は消え去りました。アキと会えないどころかドラッグの苦しい離脱症状で、自殺防止策がとられ、自分で死ぬこともできない地獄の日々を過ごしました。それでもスウェーデンでは温和治療で完全にドラッグを抜かず、少しずつ量を減らしていく薬物依存症治療プログラムを採用しているので、まだ私は恵まれている方です。
私はそして、この病院で新しい出会いをしました。この病院でただ苦しむだけの私に、寄り添ってくれる女性が現れました。それがヒルダです。彼女は同性を愛する人です。
私が一時病院で意識不明になった時、看護師としてずっと付き添ってくれました。いつからか、彼女の非番の日も。私はこの数年間、ずっとキノコやドラッグで幻覚を見て、名前も知らない日本人の女の子との楽しい夫婦生活を想像することで生きる希望を見出してきました。でも、ヒルダと話すようになって、徐々にそんな幻想に頼らず、現実の世界に生きようと思えるようになりました。ヒルダと一緒なら、弱い自分にも少しずつ向き合える気がしたのです。
この日記のことは、ヒルダに正直に話しました。ヒルダは、嫌悪感を見せるどころか私の想像力のたくましさにひたすら驚いてくれました。ヒルダは、来週私の退院と共に私のアパートに引っ越してきます。裁判は、どうやら執行猶予がつくことになりそうです。ヒルダが今まで住んでいたアパートは、そのまま家具付きの賃貸物件として、年中ストックホルムでの部屋探しに困っている学生に貸し出す予定です。
キノコによる幻覚性トリプタミンとドラッグの身体への影響は今どの位なのか私にもわかりません。しかし、この先私の寿命がドラッグのせいで短くなっても、ヒルダとの未来のために、アキと名付けた日本人妻との幻想を終わりにし、ヒルダと向き合っていきたいと思います。
アキ。今日、僕は君にさようならを言うよ。君と過ごした5年は本当に楽しい日々だった。かわいいかわいい僕の妻。今までありがとう。あの優しそうな旦那さんといつまでもお幸せに。僕も君を卒業して、ヒルダと幸せになるよ。
さようなら、僕の愛した妻アキ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます