灰色の街

 今日も今日とていつも通り代り映えしない道を延々と走り続けていた。


 いつもと違うのは僕を誘惑する気持ちよさそうな寝息が聞こえないくらいだ。ようはみんな起きているってこと。今までの僕らを見ていれば、そんなことは普通で、四人仲良くおしゃべりしているじゃないかと思うかもしれない。でも、その前後では誰かしら寝ていた。宿泊地から出発して誰も眠らなかったなんてことはないんだ!


 それなのに、なぜだか今日はみんな起きている。周りになにがあるってわけでもないのに。いつも通りの味気ない景色が広がっているだけだ。もちろん、そんなものを見て今さら話すこともない。仮に話したところですぐ終わってしまう。「おいあれ見ろよ」「この前見たやつだね」これで終わりだ。


 じゃあ、くだらないことで陽気におしゃべりをしているかと言うと、そんなことはない。各々、好きに食べたり飲んだり、景色を眺めたりしているだけ――僕は運転だ。会話なんてありゃしない。みんな個室に引きこもっているみたいなもんだ。


 車内に聞こえるのはみんなの息遣いと、心地良いエンジン音だけ――たまに飲み食いの音も聞こえるかな。それくらいだ。車内の退屈な時間を好きに過ごしていると言ったら終わりだけど、なんだか寂しい。楽しい旅の空間が、たまたまバスに乗り合わせた他人の集合体みたいになっている気がする。


 そんなはずは一切ないのに。僕らの絆は固く結ばれ、家族と言っても過言ではないはずだ……。


 なんて感じで一人、憂鬱の谷を転げ落ちていたら、松田が何気ない調子で呟いた。


「あれってなに?」


 何気ない言葉だったけど、僕にとっては暗闇を照らす一筋の神々しい光だった。


 気まずさを覚えていた沈黙は跡形もなく消え去り、明るく陽気な車内が戻ってきた。


「あれはグラーオって街だよ」


 アドミが街の名前を教えてくれたのは初めてかもしれない。それだけ重要な街なのか、それともやっとガイドと言う職務に目覚めたのかどちらかだろう。たぶん、後者ではないんだろうね。普通のガイドだったら、松田が質問する前に説明し始めるだろうから。


「あれ街なの? バグったみたいにあそこだけ灰色だけど」


 川合もグラーオを見つけたのか、ガラスに額を押し付けんばかりに外を見ている。ちなみに僕はそんな川合が邪魔で見えない。一体どんな風になっているんだろう。気になる。


「うん。あそこは全部が灰色の街なんだ」


 アドミがそう答えた。


「なにもかも?」


「うん。全てね。グラーオにあるなにもかも」


 松田の問いにアドミが簡潔に答えた。


 なにもかも灰色の街ねぇ。見てみたいけど、川合が窓に張り付いたままだ。どれだけ魅力的な街なんだろう。


 僕らの好奇心をくすぐる灰色の街を僕も見たい。運転したままでは見れないから、停車していいか聞こうとしたところで、松田が矢継ぎ早に聞いた。


「なんか理由でもあるの? 魔王の支配とか? 呪いのせいであんなんになってるの?」


 こういうことに行き会うと松田は好奇心旺盛な子供みたいだ。なんで、なんで? と答えを聞くまで止まらない。


「違うよ。あそこはそういう街なんだよ」


 アドミはそう答えたけど、それじゃあ松田は止まらない。この説明じゃ僕も気になるけど。


「どういうこと?」


「あそこはね、街なんだけど生物なんだ」アドミは言う。「一つの大きな生命体で、この世界からの脱出を目的に生きているんだよ」


 なんだか話が異世界らしくなってきた。こういうのだよ、僕らが求めていたのは! くだらない話だとか、新しい黒歴史なんて求めてない。未知の世界に飛び込み、新しい風習に触れたいんだ。


「意味がわからん」


 川合がぼそりと呟いた。興味がないわけではないんだろうけど、理解が追い付かないみたいだ。


「よーく見てみて。あの街の建物の頂上は見えないだろ?」


「確かに。果てしなく続いてる……」


 相変わらず窓に張り付いたまま、川合が空を見上げて言った。


「ああやって、あの街は上へ上へと続いてるんだ。この世界から脱出して違う世界に行くために」アドミがガイドらしく説明を続ける。「このアドミラルでは君たちの言う宇宙へ到達したものはいないんだ。だからあの街は宇宙へ一番乗りしようとしてるんだ。意味があるのかわからないけど。あの街はそれが目的で生きているんだ。なぜ、そんなことを思いだしたかは知らないけどね。あの街自体そんなことは知らないかもしれない。でも、目指し続けるんだ」


「ふーん。じゃああそこには誰も住んでないんだ」


 住民との交流を期待していたのか、松田は残念そうに言った。片言でもアドミラルの言葉を話せるとやっぱり違うみたいだ。少しでも誰かと話してみたいんだろう。僕は依然として言葉を理解できていないから、思いもしないけど。


「そんなことないよ。あそこにはグラーオの意志に賛同する種族がいっぱい集まっていて、この世界からの脱出を夢見ているんだ」


「へー、なんかすごいね」


 字面だけみると興味なさそうだけど、多少盛り返したのか、松田の雰囲気は明るくなった。


 さすがに僕も街を見てみたくなって、勝手に車を停めた。車から降りて、話題の町に目を向けると、確かにこれはすごい。全部灰色だ。


「それにしても、灰色過ぎない?」


 自然あふれる景色の中に、灰色のペンキを一筋垂らしたみたいだ。


「青春をしらないまま、大人になったみたいな感じじゃん」


 上手いこと言ったつもりだったけど、誰も反応しない。顔を見合わせてまずい顔するとか嘲笑するとかあるはずだ。それくらいしてほしいい。無視するくらいなら。


 僕の発言はなかったことにされて、アドミが説明を続けた。


「あれは街が成長するために、周りから色を奪っているからだよ」


「色を奪うってどういうこと?」


 僕は素晴らしいガイドぶりを見せ続けるアドミに聞いた。川合と松田は憑りつかれたように灰色の街を見つめ続けている。少し心配だけど、あの二人ならなんてことはないだろう。以前、催眠にはかからなかったわけだし。


「グラーオにとっては色が力の源なんだ。だから、色あるものから色を吸収するんだ」


 アドミの言葉を聞いて、松田がガラスから顔を引きはがした。


「じゃあ、あそこに俺たちが行ったら、色を取られちゃうの?」


 そう言った松田の瞳には不安が映っていた。一体なにに不安を感じているんだ?


「そうだね。灰色になっちゃうよ」


 灰色になっちゃうってどういうことだと言いたいところだけど、グラーオの街を見せられたらなにも言えない。本当にあそこは灰色なんだ。


「それって死ぬってこと?」


 また、松田の質問タイムが始まった。好奇心の塊みたいだ。


「いや、色を奪われるだけだよ」


 アドミは優しく答えた。いつの間にこんなにガイドらしくなったんだ。


「入った瞬間に灰色になるの?」


 松田の好奇心は止まらない。僕と川合は聞いているだけ。


「そんなことないよ。じわじわと色が抜けていく感じだね。何年もいないと完全に灰色にならない。数日だったらなんの問題もないよ」


 アドミが答え終えるや否や、食い気味に松田が言った。


「アドミは行ったことあるの?」


 どれだけ興味津々なんだ。見てるこっちは怖くなってくる。


「あるよ。でも、もう行きたくないね」


 よっぽど嫌な思い出でもあるんだろう。アドミにしては珍しく、苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「なんで?」


 そんなアドミの反応に気づいていないのか、川合が呑気に聞いた。


「色があると住人にたかられるからね」


「え?」


 アドミの予想外の答えに僕らは言葉が出なかった。


「たかられるんだよ。この街から出ていかないで、色を提供してくれって」


「それはヤバすぎでしょ。それで、どうなるの? 囚われの身になったりするの?」


 松田の好奇心がまた爆発した。おとぎ話を聞いている子供みたいだ。


「そんなことはないはずだよ。彼らは優しいからね。無理に拘束したりはしないよ。それに彼らには『素晴らしい絵』があるからね」


「『素晴らしい絵』? 絵があるとなんかあるの?」


 相変わらず質問を続ける松田に、アドミは保護者みたいに優しく説明を続ける。


「『素晴らしい絵』は彼らにとって究極の理想なんだ。自分たちがいつか到達する宇宙への道しるべ、いつか訪れる輝かしい未来。そして、果てしなく続く宇宙への探求と、味気のない世界で心が折れそうになった時に、今一度自分の目標を認識するもの。それが『素晴らしい絵』。それがあるから、彼らは途方もない計画も進められるんだ。いわば彼らにとっての活力だね。それがあるから、彼らは旅人を閉じ込めたりしないんだ。たかりはするけど、それはあくまで理想に近づくために手っ取り早いだけで、ちゃんと断れば、時間の無駄だから彼らも引き下がるんだ。」


「へー。なんか興味出てきた」


 松田が不穏な言葉を口にした。


「ちょっと行ってみたいね」


 川合も興味を示した。少し前に、そんな調子で痛い目に合ったのに、もう忘れたのか?


「少し道を外れるけど行ってみるかい? 一ノ瀬は?」


 アドミがそう言って、僕に視線を向けた。二人も期待のまなざしで僕を見つめる。


 どうせろくでもない事が起こるだろうから行きたくはないけど、一人空気を読まずに「行かない」なんて言えない。だから、僕は仕方なくだけど頷いた。


 車内は川合と松田の歓声に包まれた。こんなうれしそうな二人を見たら、僕のテンションも上がってきた。なんだかんだ言いつつ、僕も興味があったしね。


 僕らは脇道へ逸れてグラーオに向かった。


 グラーオは僕らの想像以上に灰色の街だった。全てが灰色。天辺の見えない建物のせいで青空でさえ灰色に覆われているように感じる。


 そんな灰色の街で、僕らはアドミの言ったように住人に囲まれた。囲まれたけど、どこにどれだけの数がいるのか判然としなかった。周りの建物や地面に同化してしまっていたから。気を付けて見ればなにかがいるのはわかるけど、基本的には見えない壁にぶち当たったような感覚しかない。


 そんな珍しい熱狂的な歓迎を受け流しながら、僕らは「素晴らしい絵」のもとへ向かった。それはこの街の中心にある一番立派な建物に据えられていて、街の誇りとしてまつられていた。


「なんか思いのほか地味だね。てか、絵なの?」


 あれだけ興奮していた松田がぼそりと呟いた。期待しすぎるとよくないというお手本だ。セミの抜け殻みたいになってる。


 なにかしら励ますようなことを言うべきだったんだろうけど、僕は言わずにはいられなかった。


「ただの模様だね」


 正直、これしか言えない。誰がどう見たってただの模様なんだ。これを絵なんて、しかも素晴らしいなんて僕は言えない。


 確かに、複雑な模様が重なり合った芸術作品なんてたくさんあるから、それを切り取って額縁に入れれば絵と言えるかもしれない。でも、これはさすがに無理がある。赤子が描いたような不格好な図形をいくつか組み合わせただけだ。模様と言っていいのかも怪しい。


 しかもだ、色なんてほとんど使われてない。この街にあふれている灰色を下地にして、黒や茶色が申し訳程度に使われているだけ。


「そだな。なんつーの? オリエント柄って言うの?」


 川合は気を使ってそう言ったのかもしれないけど、それじゃあオリエント柄に失礼過ぎる。


「私たちから見たらそうかもしれないけど、彼らにとっては重要なものなんだよ」


 そうか、そんなもんか……。そんなもんなのか? いや、さすがに無理がある。これが重要だったら、僕が幼稚園生の時に描いた絵も重要じゃないとおかしい。博物館で分厚いガラスケースに入れられて、高尚な説明を添えられていいはずだ……。


 ちょっと熱くなってしまったみたいだ。ここで地球のことをとやかく言っても意味がない。ここは異世界で、僕らの美的センスとは違うんだから。


「てか、俺たち、また囲まれてない?!」


 僕の思考を突き破るように松田が叫んだ。


「え、まじ?」


 僕は咄嗟に辺りを確認するけど、全部灰色だからよくわからない。


「本当だ。松田がほとんど見えない」


 川合がそう言ったのを聞いて、僕は松田がいたほうを見た。松田が灰色に塗られていくように、囲まれていた。


「なんで松田だけあんなんになってんだ?」


「松田の服がほしいみたいだよ」


 川合の問いにアドミがいつもの呑気な調子で答えた。


「なんで!?」


 松田の声だけが虚しく響いた。もうほとんど身体が見えない。頭と肩しか見えない。


「その柄が気に入ったんじゃないかな」


 アドミはそんな松田を見ても助けようともしない。いつものポンコツガイドのご帰還だ。


「柄もくそもないよ。ただのTシャツだよ! 胸のところに『S』って描いてあるだけだよ!」


 身動きも取れなくて焦っているのか、かろうじて見える松田の顔は冷や汗でぐっしょりだ。あまりにも滑稽すぎて笑える。


「彼らの感性に引っかかったみたいだね」


 ポンコツガイドは切迫した松田の声音に気づいていないみたいだった。


「なんとかい言ってくれよ、アドミ」


 どうしてそうなったのかわからないけど、松田は完全に灰色に塗りつぶされていた。くぐくもった声でしか存在を確認できない。


 松田の要請に応えてアドミが灰色の空間に何事やら話してから、他人事みたいに言った。


「彼らが言うには、そのTシャツが街の完成を示してるらしいよ」


 川合が噛み合わない二人の会話を聞いて笑っている。その気持ちもわかるけど、笑ってやるな。松田も必死なんだ。


「あの絵があるのになんなんだよ!」


「昔、旅人から譲り受けただけらしいよ。だから松田の服が欲しいんだって」


 アドミは面倒くさそうに言って、手をひらひらと振った。お眠の時間が来ているのかわからないけど、さっさと帰りたいみたいだ。


「超適当じゃん。色ついてりゃなんでもいいのかよ!」


 松田が悲壮な叫びをあげると、それを川合が茶化す。


「そんなことないぞ松田、俺たちの服はご所望じゃないみたいだからな」


「いやだよ、これしかないんだぞ!」


 そうなんだ、僕らが地球から持ってきたものは服くらいなもんだ。


 思い出を奪われるのはあまりにも可哀相だから、僕はアドミに言ってやった。


「可哀相だからどうにかしてやってよ」


 アドミはやれやれといった感じで松田の方に向かって行って、何事か話し始めた。たぶん交渉しているはず。じゃなかったら、問題だ。


「あの素晴らしい絵と交換するって言ってるよ。それでいいだろ?」


 いよいよアドミの口調は投げやりだ。隠すつもりもないらしい。


「俺の服はどうなるんだよ! 上裸で過ごすのかよ!」松田は叫んだ。「そんなのヤダ!」


「じゃあ、私があの絵を使って服を作るよ。それでいいだろ?」


「そんなことできるの?」


 松田はもう泣きそうだ。声しか聞こえないから、もしかしたら泣いてるかもしれない。


「魔法を使えばすぐだよ」


 アドミは今にも魔法を唱えそうな勢いだ。


「じゃあ、この服のコピーを作ってくれよ!」


 松田の言い分はごもっともだ。どうせわかりゃしないんだから、適当にやっちまえばいいんだ。


「そんなんじゃ納得してくれないよ」


 すっかり忘れていたけど、ここにはグラーオの住人がわんさかいる。その前で堂々とコピーを作った日には、色を抜かれて放り出される。


「あーもー、わかったよ! だから、こいつらどかしてくれ、押しつぶされる!」


 松田もいよいよ観念したのか、投げやりな調子で諦めた。


そんな松田の声を聞いて、アドミが一声かけると、松田を囲っていた灰色の壁は瞬時になくなった。なくなったと言っても、周りの景色に同化しただけで、存在はしているんだろう。


「じゃあ、はい」


 松田がTシャツを脱いでアドミに渡そうとすると、灰色の住人たちが我先にと争いTシャツを強奪して、どこかへ消えていった。


 僕らはその光景を呆気にとられながら眺め、顔を見合わせた。碌な街じゃない。なにがみんな優しいだ。松田は身ぐるみ剥がされたぞ。


「ほら、もう行こう」


 アドミがこの街の誇りだった一枚の絵を片手に僕らを出口に促した。松田は上半身裸のせいで心もとないのか、寒さを堪えるように自分の身体を抱きしめていた。

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